2. 塔が立ち並ぶ壮大な城。これから組分けをすると言われて招じ入れられた大広間は、何千ものろうそくが宙に浮いていた。テーブルには、金の食器。上級生が僕達へと、一斉に好奇の目を向けた。 潮騒のように響いてくる声。その中には、あいつの名前もあった。 ポッター……ハリー・ポッター……傷はどこだ? よく見れば、生徒達だけではなく、教授達までがヒソヒソと囁き合っていた。 マクゴナガル先生が、四本足のスツールを置いた。その上には、父上から何度も聞かされていた組分け帽子がちょこんと載せられた。何でも、毎年違う歌を歌うのだとか。どんな風なんだろう? 不意に、広間が静まり返った。見れば、帽子のつばの破れ目が動いている。まるで口のようだと思った瞬間、それは歌い出した。 ――勇猛果敢な騎士道で他とは違う? どんな手段を使っても目的遂げる狡猾さ? 何て失礼なヤツだ! それが、どこよりも沢山の偉大な魔法使い達を輩出してきた、栄光ある寮に対する言葉か? いまの校長の出身寮であるグリフィンドールとは、えらい差じゃないか。 憤慨する僕をよそに、いつの間にか組分けは始まっていた。次々に、新入生達は寮のテーブルへと駆け出して行く。残っている者が少なくなってくると、自分はどこになるのかと不安に思い、そわそわする者が目立ち始めた。ポッターも、例外ではないらしい。気分でも悪いのか。青い顔をして、落ち着きなく下を向いたり帽子が寮の名を叫ぶのを見たりしていた。 そうこうする内に、僕の番になった。胸を張って前に進み出る。スツールに腰を下ろす時、赤毛のウィーズリーと目が合った。露骨に、ヤツが嫌そうな顔をする。僕はフンと鼻で笑うと、帽子をかぶった。と同時に、帽子は望んだ通りの寮の名を、声高らかに告げた。「スリザリン!」と。 当然だ。一族の者は皆、スリザリンの出身なのだから。スツールから滑り降りると、僕はクラッブとゴイルが取ってくれていた席に着いた。こいつらも、僕と同じだ。家族は全員ここの寮の出身だった。満足した僕は、再び組分け帽子に注意を戻した。絶妙のタイミングだったらしい。マクゴナガル先生の口から、あいつの名前が読み上げられた。 ふらふらとした足取りで、あいつが前に進み出た。大広間に、期待と緊張が走る。やがて、あいつの頭の上におさまった組分け帽子が、尺取り虫のようにピクピクと動き始めた。何やら、ブツブツと言っているようにも見える。あいつはどうしているのかと思えば、顔を真っ赤にしてスツールに腰掛け、かすかに口を動かしていた。 帽子は、あいつをどこへ入れたものか考えあぐねている様子だった。やがて、帽子の動きが止まった。時間がかかったが、ようやく決まったのだろう。だが、あいつは思い詰めた表情でボソボソ呟くのをやめなかった。シンと静まり返っていた広間に、再びざわめきが戻ってきた。 ――帽子の組分けに、異議を申し立てるなど。こんなことは、前代未聞だ。一体、帽子はどの寮の名を告げたのだろう? まさか。いや、そんなはずは……。もしそうだとしたら、あいつは僕を嫌っている? 列車での出来事が、脳裏をよぎった。僕はテーブルの下で組んだ手が汗ばむのを感じた。不吉な予感がする。 果たして、それは現実の物となった。あいつが粘り勝ちしたのか。むしろ、の一言を付け加えて、組分け帽子は声高らかに「グリフィンドール!」と宣言した。途端に、割れんばかりの拍手と大歓声がグリフィンドールのテーブルから沸き起こった。一瞬遅れて、他の寮のテーブルからも拍手と歓声が上がる。僕はただ、憮然としてそれを見つめていた。こうして、新生活は最悪のスタートを切ったのだった。 学校生活は、満足すべきものだった。――校内中どこにいても、あいつの名を聞かない日は無いということを除けば。どの授業でも、先生方は出席を取ると必ずあいつの名前のところでしばし感動に浸った。フリットウィック先生なんて、嬉し過ぎて積み上げた本から転げ落ちた位だった。こうした状態に関して、スリザリン生達は冷ややかな目を向けていた。というのも、寮監のスネイプ先生が大のポッター嫌いなのを、みんな知っていたからだ。幸い、僕はスネイプ先生に気に入られたようなので、僕はあいつを嫌っていることを隠す必要が無かった。 もっとも、父上からはたしなめられた。僕は入学した翌日、ふくろう便ですぐに手紙を家に送っていたのだ。父上は、みんながヒーロー扱いしている人間に公然と敵意を表すのは、あまり上手いやり方ではないとおっしゃっていた。でも、僕があいつに敵意を表すより前、あいつの方で僕にケンカをふっかけてきているのに。これで仲良くしろと言われても、そんなこと。不可能だ。 スネイプ先生は、あいつの父親も傲慢だったのだと言って、僕に気にするなとおっしゃったけど……。あいつは、僕以外の奴とは普通に口をきいている。僕だけがあいつにとって目障りな存在なのだという確信は、日を追うごとに強まった。幸か不幸か、あいつと一緒になる授業は魔法薬学だけだったので、そう度々悲しい思いをすることは無かったのだが。 ある晩、寮の談話室に一年生の授業のスケジュール表が貼り出された。それを見て、今頃あいつはさぞ顔をしかめているだろうなと、僕は軽くため息をついた。そんな僕の気持ちが全然わかっていないクラッブとゴイルは、体をゆすって笑った。 「へえ、フーチ先生の授業はグリフィンドールと一緒か。ドラコ、チャンスじゃねえか。あいつ、最近図に乗ってる。ここらで一発、ビシッと締めてやろうぜ」 「そうさ。マグル育ちの奴が大きな顔でのさばってるなんて、気に入らねえ。お前、飛ぶのは得意だろ?」 確かに、僕は箒で空を飛ぶのが大好きだったし、同い年の子供達よりは上手に飛べると思う。だからといって、授業であいつに何か仕掛けるわけにもいかないだろう。まさか、死ぬようなことはないと思うけど。でも、落ちたら骨の一本や二本は間違いなく折れるに違いない。僕は、あいつにケガをさせたいわけじゃなかった。ただ、勝手な思い込みで一方的に嫌われるのが、我慢できないだけで。 「そうだな。でも、下手に挑発してあいつにケガでもされてみろ。それこそ、ウィーズリーの奴がここぞとばかり、僕を悪者呼ばわりして騒ぎ立ててくれるだろうよ。そんなのはごめんだね」 ポッターが僕に抱いているらしい誤解を解きたい。だが、それをするのに、僕の方から折れて出るような真似をするのは、絶対に嫌だ。 複雑な思いを抱えたまま、日は過ぎていく。気持ちの整理がつかないまま、とうとう飛行術の授業を迎えた。あいつのことが無ければ、魔法薬学の次に好きな授業になるはずだが。あいにく、僕の心はどんよりと曇り空だった。 同寮生と授業の行われる校庭に行ったら、グリフィンドール生はまだ到着していなかった。学校の箒は年代物も多くて、中には変な癖のある物も混じっていると上級生から聞いていたので、僕達は自分でいいと思う箒を選り分けたかったのだ。箒のせいでケガでもしたら、しゃれにならない。 「乗れば一番よくわかるんだけどな」 小枝のはね具合や柄が曲がってはいないかどうか、何度もチェックを繰り返していた僕に、パンジー・パーキンソンが話しかけてきた。 「自分の箒で飛べればいいのにね。そう言えば。家ではあなた、何に乗ってるの?」 彼女は何かというと、僕によく話しかけてくる子だった。その割に、特に面白い話をした記憶は無い。それで、僕はチェックに夢中なふりをして「コメット260だよ」と、気のない生返事をした。 「あら、偶然ね。私もなの」 彼女のお喋りは、それからも続いていたが。僕はそのほとんどを聞いていなかった。やがて、全員が箒を選び終えると、僕達は残った箒の中でもガタが来ていそうな奴を選んで、ズラリと一列に並べた。 「これならグリフィンドールの低脳共も、どれを使うか悩まないですむだろうさ」 僕がせせら笑うと、寮生からどっと笑いが起きる。そうして準備万端整ったところへ、何も知らないグリフィンドール生が現れた。案の定、何も気に留めていない様子で、のほほんと並べられた箒の横に向かって歩いていく。ほどなくフーチ先生がやって来て、まだ箒の横に立っていないグリフィンドール生を見て、早くするようにと声を飛ばした。 こうして、飛行術の授業が始まった。まずは、箒を手に呼び寄せることからだ。 僕ができるのは当然として、他の奴らはどうなのだろうと思い、視線を流す。すると、結構な人数が呼べども呼べども箒が地面に張り付いたままで、苦労している。全く、こいつらときたら。 僕はポッターに視線を戻した。あいつは怪訝そうな顔をしていたが、やがて箒の上に手を伸ばし「上がれ」と言った。驚いたことに、箒はすぐにあいつの手に収まった。ホッとしたらしい。あいつが笑った。グレンジャーでさえ、箒は地面を転がるばかりだったのに。あいつは、ただの一度で呼び寄せた。それも、叫んだりせず、ごく普通に呼んだだけで。 魔法薬学の時間にいつも失敗をしでかすロングボトムが、案の定苦労していた。奴の箒は、一向に地面から離れる気配がない。グレンジャーも含めて、他の生徒がどうにか箒を手にした時も、奴は呼び寄せに失敗していた。 魔法使いの家系に生まれ、ここに入学するのを当然と考えている同寮生達は、奴のお陰で授業が進まなくてつまらないとばかり、イライラしていた。 「大体、何で飛行術がグリフィンドールとの合同授業になるのか、わからないわ。私達だけなら、とっくに空に上がっているのに」 パーキンソンは、どうやら気の強い女の子らしかった。先生には聞こえないように、でも、僕達には聞こえるぐらいの声で不満を言い募っている。 「ロングボトムって、実はスクイブなんじゃないの?」 嘲るように、ミリセント・ブルストロードがそれに同調した。それはちょっと言い過ぎなんじゃないかと思ったが、入学以来の奴のていたらくを見ていると、そう言われても仕方ないような気もする。その思いは、ようやく奴も箒を手にして、先生が浮上する練習の手順を説明したあと、みんなでこれから上がろうという時に奴が文字通りフライングをかましたことで決定的になった。合図の笛が鳴るより前に、ロングボトムは一人宙に浮かび上がった。そして、先生の制止を振り切って、どこまでも上がっていった。 「またかよ? 本当に授業を妨害するのって、いつもグリフィンドールの奴らだよな」 そんな囁きが、同寮生の間から漏れた。ロングボトムに、そんなつもりは毛頭ないだろうが。結果としては、同じ事だ。自分で箒の動きがコントロールできず、必死に柄に掴まっていたようだが、ついに箒から振り落とされた。僕達は奴が草の上に横たわって呻き、すすり泣くのを見た。フーチ先生が、青い顔をして駆け寄る。 「私はこの子を連れて医務室へ行ってきます。戻るまで、勝手に飛んだりしないこと。言い付けを守らなかった時は、退校処分も考えますよ」 キッと怖い顔をして、フーチ先生は僕達を見た。それから、ロングボトムを抱きかかえて歩いていった。 先生の姿が見えなくなると、退屈していたらしい同寮生達が僕に目配せをしてきた。何か面白いことをしろというつもりなんだろう。僕は取りあえず、同寮生の苛立ちを代弁してやることにした。 ロングボトムの顔が情けなくて見物だったと、僕は笑った。途端に、同寮生達が尻馬に乗ってはやし始める。見かねたグリフィンドールの女の子が、僕にやめろと言った。だが、パーキンソンはそれを逆手に取って、件の女の子をからかう。ロングボトムに気があるのかと言われては、その子も黙るしかなかった。 僕はその時、草むらで光る物を見つけた。そう言えばロングボトムは今朝、おばあさんから思い出し玉をもらっていた。僕は急いで探しに行ってみた。果たして、それは壊れもせずに転がっていた。僕は思い出し玉を掴み、高々と差し上げた。「見ろよ!」という僕の声に、お喋りをしていたみんなが振り返る。 さて、これをどうしようかなと思った瞬間。玉を返せというポッターの静かな声が響いた。みんなのお喋りが、やんだ。 クラッブにゴイル、パーキンソンや他の同寮生が、僕を興味津々の目で見ていた。六年連続で寮対抗杯を獲っているスリザリンと、常に僅差でそれを争ってきたグリフィンドール。二つの寮生同士の仲の悪さは、伝統的だった。それが、今年は特にひどい。原因は、言うまでもなくポッターの入学だ。あいつが、組分け帽子にはスリザリンと言われながらそれを蹴って、強引にグリフィンドールに入ったのだという噂が、対抗意識をエスカレートさせてしまったのだった。 こうした事情のせいで、僕とあいつのケンカは個人的なものにとどまらない、大げさに言うなら寮の威信がかかったものと思われていたのだ。こうなっては、どちらも引くことなどできなかった。いまも、ポッターはすかさず口を出してきた。ここで素直に返したとしたら、僕は寮で針のむしろに座るような居心地の悪さを味わわねばならない。第一、あいつに屈服したようで、僕自身が嫌だった。だとしたら、取るべき行動はただ一つだ。 僕は意地の悪い笑いを浮かべて、あいつを挑発にかかった。思った通り、すぐに食い付いてくる。単純な奴だ。僕は箒に乗ると、空高く舞い上がった。思い出し玉を木の上に置いてやると言ったら、あいつは心底怒ったようだった。グレンジャーが必死に止めるのも無視して、箒にまたがる。 意外だったのは、あいつがすぐに僕のところまで昇ってきたことだった。くるりと向きを変えたあいつは、僕に玉を返せと言った。返さなければ、箒から突き落とすとも。 正直、僕は呆然としていた。まさか、箒に乗るのが初めてのポッターが、僕と同じように飛べるとは思わなかったからだ。僕は遊び半分であいつを挑発したが、あいつは真剣そのものだった。今更、冗談だったと言っても聞いてくれそうにない。 そんなことを考えていると、あいつが突っ込んできた。容赦のない突進に、僕は危うくバランスを崩すところだった。下では、拍手が起こっている。グリフィンドール生だろう。 あいつは本気で、僕を突き落とさないと気がすまないらしい。目が爛々としていた。 どう見ても、僕の方が分が悪かった。こんなくだらない意地の張り合いで、ケガをするのはごめんだ。あいつの、クラッブもゴイルもここまでは助けに来ないという言葉にはカチンと来たが、取り合わないことにする。僕は玉を空中に投げると箒の柄を下へ向け、全速力で戻った。 地面に戻り、同寮生と二言三言話をした僕は、信じられない光景を見た。もの凄い急降下をしたあいつが、地面すれすれのところで玉を掴むのに成功したのだ。これには、さすがにスリザリン生も言葉を失ってしまった。グリフィンドール生ときたら、まるでお祭り騒ぎだ。 あいつを陥れるどころか、寮生のヒーローにしてやる手助けを、僕はしたようなものだ。思わず自嘲の笑いがこぼれた時、マクゴナガル先生が青い顔で走ってきた。 はしゃいでいたグリフィンドール生が、凍り付いたようにシンとなった。怒り出すのかと思えば、少し様子が違う。マクゴナガル先生はあいつの名前を叫ぶと、メガネに手をかけたまま震えていた。それが怒りのためなのか、他の感情のためなのか。僕達には、わからなかった。 グリフィンドール生の何人かが、ハリーは悪くない、マルフォイが悪いんだと弁解した。 だが、それには耳も貸さずに、マクゴナガル先生はポッターを連れて行ってしまった。 「いい気味だわ。これでポッターも、少しは大人しくなるんじゃない?」 「やったな、ドラコ」 「何点減点されるか、見物だな」 パーキンソンやクラッブ、ゴイルは口々にそんなことを言っていた。他の同寮生も、似たり寄ったりだ。だが、本当にそうなのだろうか? 一緒になって笑いながらも、僕は不安を覚えるのだった。 その不安は、気のせいなどではなかった。何ということだろう。あいつは、一年生でありながら寮のクィディッチチームのシーカーに選ばれたのだった。 しかも、箒はニンバス2000。僕があいつを挑発しなかったら、あいつの飛行術の才能が、こんなに早くわかることは無かったわけで。僕はただ、自分のしでかしたミスに悔し涙を流すしかなかった。 「君のおかげだよ」 そう言って笑ったあいつの顔を、僕は絶対に忘れない。 「全く、校長といい、マクゴナガルといい。皆ポッターには甘過ぎる」 苦虫を噛み潰したような顔でスネイプ先生がそう言うのを聞いて、僕はますます落ち込んだ。そんな僕を慰めてくれたのは、クラッブとゴイルだった。 「今年は無理だけど。来年があるじゃないか、ドラコ」 「そうさ。お前は飛ぶのが上手なんだし。ちょっと練習すれば、そこらの上級生よりずっと上手くなるぜ?」 こいつらは、僕にクィディッチチームに入れと言っているのだ。 「そうだね。それも面白いかもな」 小柄な僕が狙えるポジションといったら、あいつと同じシーカーだけだ。 「ドラコ? 何始めたんだ?」 「決まってるだろ。練習時間を作らないと。お前達、当然付き合ってくれるんだろうな?」 スケジュール表を手にして笑った僕に、クラッブとゴイルは目を白黒させていた。 = END =
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