気になるあいつ 1. ホグワーツ特急の車窓から見える景色は、相変わらずだった。木々がうっそうと茂る、黒々した森。日の光に煌めく湖水はあくまで青く、ゆるやかな丘が連なる無人の野を、時折鹿が跳ねている。 いわゆる、僕の国が世界に誇るカントリーの、典型的な風景。良く言えば、のどかで風光明媚。悪く言えば――ただの田舎だ。 それでも、最初の内はまだ我慢できた。クラッブとゴイルの二人が、馬鹿みたいに口を開けて景色に見とれているのを、ヒマ潰しにからかうことができたからだ。 大体、こんな景色。僕は初めて見るわけでもないのに、面白いはずがない。マルフォイ家の広大な所領の中には、何代にも渡って手を入れられてきた見事なマナーハウスと荘園がいくつもあった。そうした館へ出かける時に嫌でも見る景色と同じ物を、狭いコンパートメントの中でぼんやりと眺めているのは、退屈で死にそうだった。 「そう言えば、あのハリー・ポッターが入学してくるって聞いたぜ」 どんな奴なんだ? と顔を見合わせている二人に、僕は「ああ、そうだったな」と気のない返事をした。それをどう取ったのか。クラッブが「でも、一番はドラコだよな」とわけのわからないヨイショをすると、ゴイルが「マグル育ちだもんな」と返す。 僕は取り合わない振りを装い、窓に顔を向けて小さなあくびをした。二人が口をつぐみ、再びコンパートメントは静けさを取り戻した。 ハリー・ポッター。まともな魔法使いの家に生まれた者なら、その名を知らない者はないという有名人。いまさらこの二人に言われなくとも、物心ついてから、うんざりするほど聞かされてきた。「例のあの人」に狙われて、ただ一人生き残った男の子。 自分と同い年なのだと知った時は、いずれホグワーツで一緒に学べるに違いないと思って、嬉しかった。みんなが言う。「ルシウス・マルフォイは例のあの人が消えた時、真っ先にこちら側に戻ってきた者の一人だが……本当に魔法にかけられていたのかどうか。怪しいものだ」と。お陰で僕は物心ついてからというもの、名乗る度に冷やかしと嘲りの色を含んだ視線に曝されるのを、耐えなければならなかった。自分には責任も無いし、わからないことで、他人から色眼鏡で見られる戸惑い。 ポッターなら、このもやもやとした気持ちがわかってくれるに違いない。 もっとも、父上はフンと鼻を鳴らしてこう言われたけれど。「穢れた血の女から生まれた者だ。将来、どうせロクでもない人間になるに決まっている」って。それはともかく、マグルの間で育ったというのは気になった。彼は、果たして良識ある魔法使いに育っているのだろうか? 優れた資質を持つわけだから、当然僕と同じ寮になるだろう。そうしたら、よく教えてやらないといけないかもしれない。一口に魔法使いと言っても、ピンからキリまである。間違っても、ウィーズリー家のような虱ったかりの者と付き合うような馬鹿な真似は、させられない。 「腹減ったな」 「車内販売のカート、来ないかなあ」 物思いにふけっていた僕をよそに、俗物の二人が嘆かわしいほど低次元な会話をしていた。母上が僕に持たせたクランペットやスコーンの類は、僕の口に入る間もなく二人の胃袋へと消えていた。 「そのうち、また戻って来るだろう。そうしたら買えばいい」 全く、この二人の取り柄と言ったら純血の家系出身だということだけだ。図体がでかいから、護衛代わりにはなるかもしれない。奴らの使い道など、そんな程度だろう。 ふと、マダム・マルキンの店で会った奴を思い出した。小柄で、おさまりの悪い黒い髪に、緑の瞳の少年。あのあと、ダイアゴン横丁で荷物を抱えてウロウロしているのを何度も見た。物珍しそうにあたりを見回していたし、店での会話はぎこちなかった。もしかして、奴は両親のどちらかがマグルの家系に生まれた魔法使いなんだろうか。 あの生き生きとした、輝く目。ハーフだったとしても、この二人よりはずっとましな取り巻きになりそうだ。 そう思った時、ドアの外をガチャガチャとカートが進んで行く音がした。「ほら、これで買えばいい」と、僕はゴイルに銀貨を渡した。途端に、ゴイルはドアを開けて呼び止めた。だが、カートにあったはずの沢山のお菓子は、魔法を使ったかのようにきれいさっぱり消え失せていた。 「これじゃあ、腹の足しにならないよ!」 呻いたゴイルがつまみ上げたのは、杖型甘草あめだった。 「ごめんなさいね。全種類を少しづつ買った子がいたものだから、これしか残っていないんだよ」 「全種類?」 「ああ、そうだよ。どれも、見るのは初めてだって。あのハリー・ポッターがねえ」 にこにこと笑っている丸っこい魔女を押しのけて、僕は通路へと出た。そのあとを、クラッブとゴイルが慌てて追って来る。 「ポッターのコンパートメントの番号は?」 僕はカートを押していた魔女に尋ねると、二人には構わずさっさと歩き出した。 「それじゃ、君なのか?」 思わず聞いた僕に、マダム・マルキンの店で会ったあの少年が「そうだよ」と答えた。僕の両脇にいる二人を見て、かすかに嫌そうな顔をする。 どうやら、彼はクラッブとゴイルが気に入らないらしい。僕もまた、顔をしかめた。何故なら、ポッターの横には見事な赤毛とそばかすでそれとすぐにわかる、ウィーズリー家の人間がいたからだ。確か、僕と同い年なのは六男坊だ。名前は……何だっけ? 「僕がマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ」 しみったれウィーズリーが、僕の名乗りを聞いて笑った。それを誤魔化そうとして、わざとらしい咳払いをしていたが。バレバレだ。 全く、マグル贔屓の一族なだけのことはある。失礼な奴だ。こんなのと付き合ったら、マグル育ちで何も知らないらしいポッターは、たちまち悪い影響を受けるに違いない。 僕はウィーズリー家がどんな一族なのかを簡単に説明し、ポッターに握手を求めた。すると、世にも冷たい声で拒絶された。曰く、余計なお世話だと。 自分でも、顔が火照るのを感じた。恐らく、頬が赤くなっているに違いない。それでも、このまま引き下がるのはしゃくに障る。ウィーズリー家の人間に小馬鹿にされて、そのままだなんて。どうにも腹の虫がおさまらなかった。 自分でも絡んでいるなという自覚はあったが、やめられなかった。 「君はもう少し礼儀を心得えた方がいい、ポッター。さもないと、ご両親と同じ道をたどることになるかもな」 ポッターの両親に触れたのはまずかった。敵愾心を漲らせて、ウィーズリーとポッターが立ち上がる。こうなれば、成り行きに任せるしかなかった。 僕達とやるつもりかとせせら笑うと、いますぐ出て行かないなら、とポッターがきっぱり言う。ケンカを売りに来たわけじゃないのに。 ――情報不足による作戦の失敗、というところか。しかし、体勢を立て直すために退くには、どうにもきっかけが無かった。自分から差し出した手を、無視されて。その上、あろうことかウィーズリーの者に遅れをとるとは。最低の気分だった。 ようやく、待ち望んだホグワーツでの生活が始まるというのに。あの館から、父上から離れて、自由な空気が吸える。そう思い、この日を指折り数えて待ったのに。 よりによって、ホグワーツへの道中でポッターとケンカするなんて。実に幸先の悪い話だった。 クラッブもゴイルも、目の前に山と積まれたお菓子に目を爛々と輝かせている。あれだけ食べて、まだ物足りないのかと内心呆れたが、そんなことはおくびにも出さずに因縁を付けた。帰る気はないと僕が言ったのを聞いて、ゴイルが蛙チョコに手を伸ばした。いい加減にしないかと思ったが、単細胞のウィーズリーが怒って跳びかかろうとした瞬間、薄汚れたネズミがゴイルの指に食い付いた。――ここらが、潮時だ。 腕を滅茶苦茶に振り回し、ゴイルはネズミを窓に叩き付けた。僕はクラッブに目で合図をした。ネズミに噛み付かれてはたまらないと思ったのか。クラッブは素直に首を縦に振った。 さんざんな目に遭い、僕はうすのろ二人と共にコンパートメントに戻った。出かけて行く時の浮き立った気分は、すっかりかき消えてしまっていた。 鉛の塊を呑み込んだように、胸が重かった。 |