3.

 街へ戻る途中数時間仮眠してはいたが、体力は限界に近づいていた。自分がそうなのだから、少女の方はとっくに限界だろう。クラウドは、仕事仲間のウェッジの所へ転がり込んだ。
「急に来て、悪いな」
「あれ?その声……クラウドさん!?」
 髪を切っていたクラウドに一瞬目をパチクリさせたウェッジだが、すぐに後ろの少女に気づく。
「女の子も一緒?――ティファさんにいいんすか!?」
「それなんだけど、ちょっと入っていいか?」
「もちろんっす。汚くてすいません、クラウドさん」
 人のいいウェッジはクラウドの話を聞いて仰天していたが、やがて全部聞き終わると頭を抱えた。
「――この子が何かするようなタイプには思えないっすね。
 でも、早い話お尋ね者なんすよね?参るよなぁ〜」
「頼む。今日だけでいい。俺達をここに置いてくれ。明日には出て行くから。
 タダとは言わない」
 クラウドは、仕事の報酬が振り込まれている口座のカードをウェッジに渡そうとした。
 だが、ウェッジは首を振ってそれを受け取らない。
「金ならいいっすよ。それより、ろくに寝てないんでしょ?その子を休ませてやらなきゃ。
 話はそれからっすね」
「すまないな、ウェッジ」
「いいってことっすよ!」
 ベッドをあてがわれた少女は横になるのと同時に寝入ってしまい、クラウドも思わず睡魔を覚える。だが、それより先に髪を染めておきたかったのでシャワーを借りた。
 その間にウェッジが管理局へ通報したら、と一瞬思わなくはなかったが、彼の性格から言ってそれなら最初から家には上げないだろうと思い直す。
 それに、ウェッジは数少ないチューブの友人だった。チューブへの偏見が根強いこの社会で、その友情を疑うのは自分が辛かったのだ。
 シャワーを浴びて出てきたクラウドに、ウェッジは「腹すいてないすか?」とテーブルにごちゃごちゃと皿を並べた。
 冷凍室に突っ込んでおいた物を片っ端からレンジにかけたのか。脈絡の無い取り合わせだった。
「おいおい。スゴイご馳走だな」
 クラウドがからかうと、ウェッジはへへっと鼻をこすって笑う。
「俺、料理は苦手なんで。ちょうど買い置きしててラッキーっすよ、クラウドさん!
 適当に何でも食べて下さい。俺は一応、朝メシ食ったんで」
「悪いな」
「とんでもないっす!俺がクラウドさんの役に立てるなんて。思ってもみなかったっす」
 ウェッジとクラウドはVSSSの改造を商売にしていたのだ。純正品は、型にもよるが値が張る。
 そこで、廃棄された物から使えるパーツを取り出し、足りない部品は自作して純正品の何分の一という安値で継ぎ接ぎの品を売るのである。もちろん、違法行為だ。
 ウェッジは腕はいいのだが、あいにく交渉や売り込みの能力に欠けていた。それを補うのがクラウドというわけで、二人はいい仕事仲間だったのだ。
「ニュースじゃ何だって言ってるんだ?」
「見ますか?」
 リモコンで画面を呼び出す。脱走患者エアリスの保護と、神羅ビル内での爆発騒ぎと。その二つは特に結び付けられてはいなかった。
 だが、状況はクラウド達にとって更に悪化していたのだ。
「――おい、ウソつくなよ!」
 ウェッジがニュースを聞いて抗議の声を上げた。
「その時間、クラウドさんは俺と一緒にコルネオのだんなの所で最後の調整してたんだ。
 神羅ビルにいられるわけがないじゃないか!」
 爆発騒ぎがあったとされる時間をニュースキャスターが読み上げた時、ウェッジが自分の事のように怒るのを見て、クラウドはここに来たことが間違いではなかったと思った。
「どういうわけで、神羅カンパニーの社長暗殺未遂だなんて大それたことが俺の仕業って
 ことになってるんだかな。だが、これではっきりした。
 ティファとバレットが逮捕されたのは、初めっから俺が目的だったんだ」
「ヤバイっすよ。クラウドさんが追われてるのはわかりましたけど。
 まだこの子と一緒だ、ってのはバレてないんでしょう?それでこの騒ぎっすよ。
 もしバレたら、えらいことになるんじゃ」
「――お前に迷惑はかけられないよ、ウェッジ。
 とにかく、ひと眠りさせてくれ。そうしたら出て行くから。な?」
「出て行くって、どこ行く気なんすか?街中捜査員がウヨウヨしてるっすよ?」
「コルネオの所に行って、俺がその時間ヤツの屋敷にいたことを証明してもらう。
 それしかないだろう」
「クラウドさん……!あいつに売り渡されちまいますよ!
 やめといた方がいいっす。頼みますよ!!」
「あの娘――エアリスって言ったな。エアリスが何故神羅に追われてるか。
 それに関してちょっといい話をチラつかせればいいのさ。
 コルネオのヤツ、女と金にはとことん汚いからな。この際、それを逆に利用してやる」
「危ないっすよ〜。いい話だなんて、一体何を吹聴する気なんすか!?」
「――エアリスが、ジェノバの治療薬に関する情報を握っている。
 そう言えばどうなると思う?」
「まさか。そんな見え見えの手に引っかかりませんよ」
「それがさ。俺、前に聞いたことがあるんだ。ジェノバの治療薬はもう完成したけど、神羅カ
 ンパニーがそれを握り潰してる、って。恐らく、ヤツもその噂は聞いているに違いない。
 欲の皮の突っ張ったコルネオだからこそ、却って引っかかってくれるんじゃないかと思う」
「大丈夫っすか?」
「今より状況が悪くなるとは、俺には思えないけどな」
 肩をすくめて見せたクラウドに、ウェッジは頭を抱えるのだった。

「起きろ!――いつまで寝てるつもりだ?」
 その朝、レノはツォンの電話で叩き起こされた。
「全く、人がイイ気持ちでブッ飛んでるってのに……。無粋なヤツなんだぞ、と」
 ブツブツ言いながら起き上がったレノを見て、スクリーンの中のツォンが眉をひそめた。
「また薬か?程々にしないと廃人になるぞ」
「大きなお世話だぞ、と。大体、ドラッグ作ってるのはあんたらのくせして。
 よく言うよな、と」
「……今のは聞かなかったことにしておこう。
 起きたばかりで、お前もまだ頭が働いてなかったんだろうしな」
「へーへー。そりゃどうも」
「それより、昨日連絡をしてきたようだが?」
「ああ、あれね。あんた、何度コールしても出なかったから。そのまま忘れてたんだぞっと」
「まあ、いい。こちらも仕事の話があったからな。それでいまかけているんだが」
「なあなあ。何で昨日の夜は忙しかったのかな?と。
 もしかして、カワイ子ちゃんとデート?」
「ふざけるな。まだドラッグが抜けていないのか?」
 あらら。ビンゴだったんだぞ、と。
 凍り付くようなツォンの声に、レノは心中笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。
 ビジネス用の回線にも出ることを許さず自分の相手をツォンにさせられる人間など、一人しかいないではないか。
「そんなに怒るなよ、と。で?俺に何の用なのかな?と」
「クラウド・ストライフを知っているな?」
「まあな。あいつがあんたらに何か恨みを持ってるなんて知らなかったけどな」
 しれっとして言うレノに、ツォンは感情のない声で告げる。
「いま指名手配させているが、我々としては一刻も早く奴の身柄を拘束したい。警察と管理
 局の協力は取り付けているが、はっきり言って別に生きている必要はないのでな。
 そういう仕事に向いている人間を選んで、奴を始末してもらいたい。――できるか?」
「オプション付きか?高く付くけどいいのかなっと」
「構わん。ただし、早ければその分上乗せして払う用意がこちらにはある。わかったな?」
「一つ約束しろ。俺を消そうなんて思うなよ、ツォン。
 これでも伊達にこの商売はやってねえ。俺が不審な死に方をしたら、あんたらにとって
 いろいろ不都合な情報がしかるべき所に流れる手筈になってるんだ。
 それを忘れるなよ、と」
「私を脅すのか。いい度胸だな」
 クックック……と笑い出したツォンは、その位なら期待しても良さそうだと言い、通信を切った。レノはあくびをしながらベッドから這い出す。全く気は進まない仕事の依頼だったが、何とかしなければなるまい。
「あいつ、神羅に睨まれるようなこと何かしたのかな?と」
 頭をポリポリと掻いて、なんか裏があるんだぞと呟く。ひどく喉が乾いていることに気づいて、ペットボトルの水をがぶ飲みする。どうにも癪に障る話だが、ツォンとの会話で緊張を強いられていたようだ。水を飲んでひと落ち着きすると、それがよくわかった。
 緊張が解けると、今度は猛烈な空腹感が襲ってきた。部屋の中に食べ物などカケラも無い。レノは食事をしようと、シャワーを浴びて街に出て行った。

「ねえ、これから私はどうなるの。
 神羅カンパニー社長暗殺未遂犯って、一体誰のことなのよ!
 人をわけのわからない容疑で逮捕しないでよね!」
 拘置所で一晩を過ごしたティファの機嫌はすこぶる悪く、看守は早く交替時間にならないものかと辟易していた。
「うるさいぞ!少しは黙っていろ!」
「バレットは?彼はどうなってるのよ!」
「お前と同じだ。じき取り調べが始まる。それまで、大人しくしていろ!」
「大体ねえ、昨日の夜ここにブチ込まれてから、水も食事ももらってないのよ!?
 それで不機嫌になるなって方が無理よ!」
 ティファの言うことはもっともだったが、看守の任務は彼女を見張ることであって、そうした待遇に気を払うべき人間は彼では無かった。
 もちろん、命じられれば水だろうがスープだろうがくれてやるところなのだが。
「ここを出たら、あんた達のやったことを人権侵害で訴えてやるんだから!」
 さっきから、これの繰り返しである。ティファが目を覚ましてから、看守は何十回時計を見ているか。ティファが叫び疲れる頃、彼の希望がようやく叶えられる時が来た。
「お疲れ様。この女を取調室に連れて行きます。ロックを解除して」
「これはイリーナ捜査官!お役目、ご苦労様です」
 いそいそとコードを打ち込み施錠を解除しようとする看守だったが、ふと気づいて尋ねる。
「あのぅ、お一人で取調室まで?」
 通常、そんなことはあり得ないからだ。何か変だと勘ぐる看守に、イリーナは大袈裟にため息をついてみせた。
「次長がご用なんですってよ、彼女には。特別にね」
 これを聞いた看守は、下卑た笑いを浮かべて納得した様子だ。
「何だ、お前チューブだったのか」
 何のことだかさっぱりわからないティファをよそに、イリーナは小声で看守に言う。
「事情が事情だから、この件は内密にね。お願い」
「わかりましたよ。――さあ、出な!」
 ティファに手錠をかけながら、看守はニタニタと笑っている。その意味ありげな態度に、ティファは思わず身を固くする。
「行くわよ。歩きなさい」
 イリーナに命じられて、ティファは仕方なく歩き始めた。拘置所を出て管理局のオフィスに入ると、今まで薄暗い所にいたティファが眩しそうに目を細めた。それに気づいたイリーナがごめんなさいね、と声をかけてきた。何のことかと訝しがるティファに、イリーナは耳元で囁く。
「いまから私が何をしても何を言っても、質問しないで。時間が無いの」
 廊下を歩いていたイリーナが、突然ティファの手を引っ張って側の部屋に引き込んだ。
 驚くティファに、イリーナは部屋の電気も点けずに語りかける。
「昨日はごめんなさい。私、命令であなた達のことを逮捕したわ。
 それは間違いだったとわかったの。あなたと彼とは、一通りの取り調べの後釈放される
 でしょう。でも、安心しないで。あなた達は監視が解かれるわけじゃない」
「あなた……?」
「ルード先輩、あなた達の逮捕の不当性を次長に直言して一週間の謹慎処分くらったの。
 覚えてる?背の高いサングラスをかけた」
「ああ。あのスキンヘッドの大男ね。へえ、いいとこあるじゃない!」
「次長は昨日の夜、神羅カンパニーの副社長秘書と会ってるわ。
 何かあるわ、この一連の騒ぎ。あなたの恋人ね、いま指名手配中よ。
 神羅の社長暗殺未遂の容疑でね。私もルード先輩も、それは怪しいと思ってるけど。
 爆発騒ぎの後、社長は姿を現さない。それを待っていたかのように、副社長のルーファ
 ウスが実務に当たっているわ。
 それと時を同じくして、何故か病院からジェノバ患者が脱走している。
 クラウドに容疑がかけられたのは、ルーファウスの証言のせいですってよ?
 これで何も裏が無いわけないじゃない。あなた、気をつけなさい。
 まさか自白剤を使うようなマネはされないと思うけれど――恋人を助けたかったら、頭を
 使うことね。PHSは私が預からせてもらってるわ。安心して」
「ありがとう。でも、何故こんなことをするの?バレたら、あなたの身だって危ないのに」
「私、神羅からお給料はもらってないわ。話はそれだけ。――あ、そうそう。
 さっき看守の態度、妙だったでしょ?次長にはね、嫌な趣味があるの。逮捕したチューブ
 を、その……つまみ食いするわけ。あなたと二人きりになるために、彼には勝手に誤解
 してもらったんだけど。
 もちろんあなたはプラスだから、そんな目には遭わないわ。その点は心配しないでね」
 呆れ果てて物も言えないティファを、イリーナは廊下へ押し出す。
「そろそろタイムリミット。いま私が言ったこと、忘れないでね!」
 そのまましばらく歩いていると、前後を捜査官と警備兵で固められたバレットに出くわした。捜査官の一人が何食わぬ顔でイリーナからティファの身柄を預かる。一行の内、口をきくものは誰もいない。
 何事も無かったかのように、イリーナは去って行った。一行もまた、何事も無かったかのように動き始める。バレットは目を白黒させていたが、ここでは何も言わない方がいいと判断したのか。やはり無言で大人しく歩くのだった。

 その頃、街ではレノがあまり嬉しくない人物の訪問を受けていた。
 馴染みの店でホットドッグとブレンドを注文し、出来上がるまでの間をバイトの女の子をからかうことでヒマを潰していた彼の背後にいきなり強面の大男が現れて、笑い転げていた女の子がすくみ上がる。
「何の挨拶もなく人の後ろに立つのは失礼ってヤツなんだぞ、と」
 緊迫した気配を感じて振り向いたレノは、そこにいま一番関わり合いたくない種類の人間を見出して頭を抱えたくなった。
 男はそんなレノの気持ちを知ってか知らずか、陰々滅々としてくる低い声で話しかけた。
「……血のような色の赤毛で、鶏ガラみたいに痩せた男。お前がレノか」
「ずい分嫌な言い方をする男だなっと。で?俺が別人だったらどうする気なんだぞ、と」
「……その独特の喋り方は、他の者では真似できないだろう。情報屋のレノだな?」
「まあそう呼ばれることもあるのかな、と。それで?
 管理局のエリート捜査員様が俺に何の用なんだぞっと」
「……エリートは余分だ」
「あんた、主任だろ?俺から見りゃエリートなんだな、と」
「……ルードだ。ルードと呼んでくれ」
「まあ座ったらどうなんだ?と。立ってられちゃ場所っぷさぎでいけねえぞっと」
「……情報が欲しい。金なら出す。仕事の依頼をしたい」
「へえ?酔狂なことを言うな、あんた。おあいにくさま。
 俺はこれから食事をするんでね。後にしな」
「……終わるまで待つ。ここでは話ができない」
「マジかよ?ま、好きにしな」
 仏頂面で横に座っているルードを眺めつつ、レノはどうせロクな話ではないのだろうと思い、昨日からの騒ぎにウンザリするのだった。

「博士、ほら!これ見て!」
「もうこんな事を勉強しているのかい?ルーはお利口さんだね」
「博士?何で悲しそうな顔するの。僕、何かいけないことしたの?」
「いいや。素晴らしいことだよ、自分の持つ才能を開花させようと努力するのは」
「ホント?」
「本当だとも。よくがんばっているね」
「……ねえ、博士。僕、ここから出るとどうなるの?他の子達、どこへ行くの?
 教えて。エアリスは、僕のそばにいてくれる?」
「お前はエアリスが大好きだね。エアリスもお前の面倒をよく見ているようだが」
「僕達にはお母さんっていないけど、きっと……エアリスみたいなんだろうね。
 いいなぁ、普通の子は……」
「羨ましいかい?」
「でも……僕達は特別なんでしょう?」
「そうだよ。お前達は――」
 これは何だ?博士?誰なんだ、あの男は。それに、エアリスだって!?
「――雷が怖いの?フフッ。ルーは甘えん坊だから」
 あれが……エアリス?
「十歳になれば、ここを出て行かなきゃならない。それは知ってるでしょ?
 でもね、私聞いちゃったの。ルーは近い内にお父さんに引き取られるんだって。
 ガスト博士、何だかあまり嬉しそうじゃなかった」
 ガスト博士?それに、お父さん?
「私も一緒に行ければいいのにね。でも、ダメだって。
 ルーが特別なように、私も特別なんだって」
 さっきから、一体何なんだ?嫌だ……こんな夢、見たくない。夢……?
 これは、全部夢なのか……?
「――本当に、この子を後継者に?」
「全てのプレ・プランド・チルドレンの中で一番デキがいいのがこの子じゃないのかね?」
「それは……そうですが。しかし、プレジデント……!」
「何か問題でもあるのかね」
「ルー、いえ……ルーファウスは、確かに知能増進処理が最も成功した個体だと思われま
 す。ですが、それと引き換えるかのように……この子は感受性が強い。極めて情緒不安
 定な一面があります。いまはエアリスが彼の心を安定させていますが、彼女と切り離され
 て、果たしてあの子がやっていけるのか。
 プレジデント、どうしてもあの子でなければいけませんか。他の子供では満足できないと
 仰いますか?」
「ハッハッハ……!何を言うかと思えば、科学者ともあろう君が。大丈夫だ。要らない記憶
 など、処理してしまえばいい。
 何、まだ子供だ。すぐに自分が何者であるか、受け入れるようになる」
「ブレインウォッシュ!?――何て酷いことを」
「とにかく、私はこれが欲しいのだ。見ろ、この髪。この目の色。
 まさに完璧な美じゃないかね?」
「あなたは、ご自分が何をしようとしているのか。それがおわかりでないらしい」
「わかっているとも、ガスト君。
 私は人々に、これ以上はないという完全無欠の支配者を与えようとしているのだ」
 やめて……!僕からエアリスを奪わないで。
 僕が僕でなくなるなんて。そんなの、嫌だ……!

「――ルーファウス様?ルーファウス様!」
 ひどくうなされているルーファウスを、ツォンが見かねて揺り起こす。
 悲鳴を上げて目を覚ましたルーファウスは、全身に冷たい汗をかいていた。
 まるで巣から放り出され、雨に打たれた雛鳥のように小刻みに震えている。
 ツォンはルーファウスの蒼白な顔を両手で包み、自分と視線を合わせてやった。掌の暖かさがルーファウスの意識を現実に引き戻したのか。青い瞳がツォンを捉えた。
「悪い夢をご覧になったんですね。でも、もう大丈夫ですから――」
 自分に縋り付いてきたルーファウスを抱きしめて、ツォンは背中を撫でてやった。
「ツォン……怖かった…とても怖い夢だったんだ……。
 どんな夢だったか、覚えていないけれど……」
 涙ぐむルーファウスに、ツォンは優しく語りかける。
「思い出せないのなら、それはきっと思い出さない方がいいことなのでしょう。
 昨日はいろいろあって、神経が高ぶっていたせいですよ」
「そう…なのか……?」
「この世界に、あなたを悩ませ苦しめる者などもういない。
 もしいたとしても、私が全て排除して差し上げます。どうぞご安心を」
「お前だけだ。私は、お前しかいらない……他の人間なんて、いらない」
「必ずお守りします。愛しいルーファウス」
 あなたの代わりなど、存在しない。してはならない。
(早く抹殺しなければ)
 ツォンの瞳に、冷酷な光が揺らめくのだった。

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