2. 「……どこへ行く?」 少女が足音を忍ばせて出て行こうとするのを、クラウドは呆れた声で咎め立てた。 「私、きっとあなたの迷惑になる。だから」 「何に怯えているのかは知らないけど、そんな状態の女の子を放り出せるわけないだろ う。ほら、早く戻って。今夜はよく眠って怪我を治すことだけ考えてろ。いいな?」 「ごめんなさい……」 いまにも泣きそうな少女に、クラウドは困ったなと言いたげにポリポリと頭を掻く。 「とにかく、俺はこっちのソファで寝るから。あんたはベッドでゆっくり寝な」 「本当に、いろいろありがとう。……お休みなさい、クラウド」 「お休み」 そんなやり取りの後、シャワーを浴びている間にどうやら少女は眠ったらしい。そっと様子を覗いたクラウドは、少女の胸が規則正しく静かに上下しているのを見てホッとした。 一体この娘が何したって言うんだ?見たところ、犯罪に関わり合うようなタイプじゃないけれどな――。クラウドは続けてこうも思う。 (あの娘、スラムに住んでるような雰囲気がしないよな。 どっかいいとこのお嬢さん、っていうか) 少女には休めと言ったが、自分は寝付けそうになかった。何か情報はないかとソリビジョンを付ける。 ニュースチャンネルでは、神羅カンパニーの社内で爆発騒ぎがあったこと、警察が現在犯人を追跡中であることを報道していた。 不意に、画面の一部が点滅した。クラウドはかかってきた電話を取るために、リモコンを操作した。画面が切り替わり、レノの顔が写し出される。 「おっ、やっと連絡が取れたんだなっと。いままでどこほっつき歩いてたんだよ?と」 「ああ、悪い悪い。ちょっと飲んでてさ。――どうした?」 「呆れた奴だぞ、と。自分の彼女が大変な目に遭ってる、って時に」 「ティファがどうかしたのか!?」 「どうしたもこうしたもないぞ、と。たったいま、管理局の奴らにバレットと一緒に捕まっちま ったんだぞ、と!お前一体何してたんだよ?え?」 「何だって!?でも、どうして二人がそんな」 「こっちが聞きたくてお前に電話したんだなっと。その様子じゃ、お前も知らないらしいな」 「知るか!」 「ま、助け出すなり逃げるなり。好きにするといいさ。じゃあな!」 レノの通信は一方的に切られたが、クラウドは自分のせいで二人が逮捕されたのだと思わざるを得なかった。あの少女以外に、二人が当局に拘束されるような覚えは無い。 であれば、次は当然交友関係からいって自分が調べられるだろう――。 クラウドはありったけの現金と医薬品をかき集めると、急いで少女を起こしにいった。 疫病管理局では、任務を終えたルードとイリーナが報告書を書いていた。 ルードが考え、走り書きした原稿を、イリーナは大人しくタイプしている。 いつも賑やかな彼女にだんまりを決め込まれて、ルードはいささか座りが悪かった。 間の悪い沈黙が続く内、とうとうイリーナが我慢の限界に達したらしい。 突然キーボードを打つ手を止めると、おかしいですよねえ!?と叫んだ。 「ルード先輩、次長の様子、絶対ヘンじゃありませんでした?」 「……まあな」 「まるで、私達に容疑者と話をされちゃ困るみたいな勢いで。 取り調べ、誰が担当することになってるんですか?」 「……聞いていないな」 「それって、私達はもうこの捜査から下りろ、って意味ですか?」 「……今日はもう遅いから、取り調べは明日でいいだろうと思ったんだろう」 「そうだとしても、私達が担当を外される理由がわかりません!」 「……そういきり立つな、イリーナ。お前も疲れているだろう? 早くこれを仕上げて提出することを考えろ。俺も疲れたしな」 「ハイデッカー次長、何か隠してるんだわ」 その思いはルードも同じだったので、イリーナにこう約束する。 「……報告書を提出に行く時、直接次長に掛け合ってみる。それでいいな、イリーナ」 「先輩!――はいっ!」 途端に元気になるイリーナが、心から羨ましいと思うルードである。 それから数十分後、報告書ができあがった。最後のチェックも終えて、データをROMに書き込んだイリーナがそのままフォルダにしまってルードに手渡した時。 何を思ったのか、ルードはそれをフォルダから取り出し、新品のROMにコピーをとった。 そして、コピーをイリーナに渡して言う。 「……こんな勘は外れてくれるに越したことはないんだがな。 どうもキナ臭い。イリーナ、お前このコピーを持って先に退庁しろ。 コピーのことは、誰にも言うな。わかったな?」 「先輩?」 ルードのただならない表情に、イリーナは不審そうに眉をひそめる。 「……大丈夫だ。危ない橋は渡らない」 「気を付けて下さいね、先輩。次長には、あまり良くない噂もありますし……」 「……さあ、早く帰れ」 「わかりました。それじゃあ、お先に失礼します!また明日、先輩!」 「……ああ。気を付けろよ、イリーナ」 イリーナはにこっと笑ってお辞儀をすると、部屋を出て行った。 ルードは気の進まない仕事をするために、次長室へと向かうのだった。 ルードが報告書を手に現れた時、夜も遅いというのに次長室付きの秘書はまだ残っていた。見間違えようのない巨体を確認した瞬間、秘書はにこやかに立ち上がってルードに声をかけた。 「遅くまで、お疲れ様です。次長から報告書はお預かりするよう、申しつかっております。 ルード主任、そのROMをお渡し下さい」 「……いや、これは私が直接お渡しする。少々お伺いしたい事があってな」 「それは困ります。ただいま次長は来客中でして」 「……ほう?こんな夜更けに来訪するとは。一体どちらの?」 「それは申し上げられません。お願いですから、どうかお渡し下さい」 「……君には悪いが、失礼する」 秘書が遮ろうとするのを、ルードは強引に振り払ってロックを解除する。 開いたドアの向こう側では、なるほど、客を相手にハイデッカー次長が大汗をかいていた。 「何事だ!?」 知られたくない会見だったのだろう。次長のハイデッカーが怒鳴るのは当然だが、ルードが姿を現した瞬間、客の方もスッと部屋の隅に移動した。 暗闇に紛れるようにして立ったため、男の顔はルードにはわからなかった。 だが、部屋に入った一瞬目にした、艶やかで長い黒髪は見間違えようがなかった。 「……ご来客中失礼とは存じましたが、どうしても直接お訊きしたい事がありまして。 多分そちらのお客様にも関係のある事だと思うのですが」 「そんなことはどうでもいい!くだらない事を言っとらんで、さっさと報告書を出さんか!」 「……報告書なら、ここにあります。神羅カンパニー社長暗殺未遂犯の逃亡を幇助した者 二名の、パーソナルデータを含む関係書類一式です」 「ご苦労だったな。だが、もう今日は帰っていいぞ」 「……次長にお尋ねしたいのは、何故我々が彼らの取り調べを続行できないのかというこ とと、そもそもの話として、何故我々管理局が捜査に当たらねばならなかったか、という ことです。 これは警察が管轄すべき事件ではないのですか?」 「まだ捕まっていない女が、ジェノバに感染しているという情報があったのだ。だからだ!」 「……少なくとも、いま捕らえられている二人は検査の結果、感染が認められませんでし た。身柄を警察に引き渡すべきです」 「ええいっ。さっきから、ゴチャゴチャとうるさいわっ!とっとと帰りたまえ!」 「……我々でなければ、何かマズイ事でもあるのですか? ――神羅カンパニー副社長秘書殿?」 闇が揺らめいて、押し殺した笑い声が響いた。ハイデッカーは真っ青になる。 申し訳ございません、どうかこの件は副社長にはご内密に……!と、米つきバッタのようにペコペコと頭を下げている。 「君はなかなか有能な捜査員のようだ。――名前は?」 「……ルードです」 「覚えておこう。私はこれで失礼するよ、次長」 「はっ!どうにも申し訳ございませんで――」 ツォンはそのまま部屋を出て行こうとしたが、思い直したようにドアの所でくるりと次長に向き直り、冷厳に言い放つ。 「そうそう。言い忘れていたが――副社長は待たされるのがお嫌いでね。 君の処理に期待しているよ、次長」 これはとどめの一撃だったらしい。ハイデッカーはルードに怒りを爆発させた。 「何だって、大事なお客人の前で私に恥をかかせるんだっ!」 「……お言葉ですが、次長。我々は政府の人間です。神羅の社員ではありません」 「ええい、ああ言えばこう言う奴だ。神羅に逆らって、何の得がある!? よく頭を冷やすんだな!」 「……服務規程の第一条に書かれています。我々が従うべきは、法。 指揮権を有するのは、政府の長たる大統領です。例えどれほど巨大な組織であろうとも 一民間企業である神羅カンパニーに、我々を動かす権限などありません」 「お前がいると、話がややこしくなる。もういい!明日から一週間の謹慎を申し付ける。 捜査は他の者に任せるから、そのつもりでいろ!」 「……かしこまりました」 「さあ、わかったら、とっとと出て行け!馬鹿者が!」 茹でダコのように顔を真っ赤にして怒るハイデッカーには関わらず、ルードはROMを机に置いて部屋を出た。 秘書が不安そうに自分を見たが言葉が出て来ないらしく、立ち尽くしたままでいるのが気の毒に思えた。 (……いよいよこれは、何かある) 一週間の謹慎を命じられても、捜査の手は休めるつもりなどなかった。 ルードはコンパートメントに戻ったらイリーナに連絡を取らなければ、と考えていた。 「ね、どうしたの?クラウド、怖い顔」 「あんたが何者なのか、俺はそんなこと知らない。あんた自身が覚えてないものを、俺が 知るわけがない。だがな、あんたのことを捜してる奴らがいる。 それも、手荒なマネをしてでもあんたの身柄を拘束したいという連中がだ。 そんな奴に、あんたを渡すわけにはいかない。だから、逃げるんだ。 ――さあ、早く!時間がない!」 「私、やっぱりあなたに迷惑をかけちゃうのね……。ごめんね、クラウド」 「俺が好きでやってることだ。気にするなよ!」 クラウドは荷物をまとめると、エアリスの手を引いて部屋を出た。自分のバイクでは、すぐに足がつくと思ったのか。その辺に停められている車を調べていたが、やがて「ああ、これがいい」と言ってある一台を無断拝借することに決めたらしい。 カードキーを認証スリットに差し込み、何やら忙しげに入力し始めた。怪訝そうに首を傾げる少女の目の前で突然ロックが解除され、ドアが開いた。 どうやら乗っ取りに成功したらしい。 「すごいわ、クラウド!」 無邪気にはしゃぐ少女を乗せてやり、自らは運転席に座ったクラウドは苦笑した。 「これ、泥棒ってことなんだぜ。褒められたテクじゃないよなあ」 そして二人はあてのないドライブへと出発した。 ――ルードの暴挙で時間を取られたハイデッカーがクラウドの部屋へ捜査員を差し向けたのは、それから二時間後のことだった。 一方、ティファとバレットが逮捕されたと知ったレノは、知る限りの伝手を使って情報を集めていた。 「今日は朝から賑やかだったぞ、と。神羅を突っつくのは、割に合わないんだけどなっと」 ぼやきつつ、それでも懸命に事態の打開が図れないものかと思案する。 「ティファにはツケもためてるしなっと。いろいろ世話にもなったんだぞ、と」 しかし、情報管制が布かれているらしく、どうにも情報が漏れてこない。 漏れてこないということは、いま何かが行われているということだ。それも、機密を要するデリケートなことが。 「……あんま気は進まないんだがな。ま、当たって砕けろってことかな、と」 独り言を呟き、慣れた手付きでコードを打ち込む。だが、相手はいま電話に出られる状態ではないらしい。いつまで待っても、コール音は鳴り響くだけだった。 「おいおい。留守録ぐらい仕掛けといてくれよな、と」 ブツブツ文句を言うレノだったが、これは当たりかな、と内心では思っていた。 「あんたが忙しいなんて、ロクなこと起こってない証拠だからな」 ツォンがそれを聞けば、恐らく苦笑でもするのだろうが。 まさかお尋ね者の少女をクラウドが連れ歩いているとは夢にも思わないレノは、お手上げだねと肩をすくめてドラッグに手を伸ばすのだった。 家に帰ったイリーナはシャワーを浴びた後、髪をブローするのも面倒でぼんやりとベッドに横になっていた。 「そりゃあ私は駆け出しの新米だから、私じゃ心許ないって言うんなら話わかるわよ。 でも、先輩まで外すってのは……わからないわ」 両親も兄弟も、好きな人は皆ジェノバの犠牲になって亡くなった。だから、ジェノバを潰す仕事がしたかったのだ。 あいにく医学方面は全く適性が無かった。それで、疫病管理局の捜査員になる道を選んだのだが。 「あーあ。いっそ警察官の方が良かったかなぁ」 管理局の方が実力主義だと聞いて、迷わず選んだイリーナだった。 しかし、管理局に入る前にはわからなかったことがある。 ――管理局と神羅カンパニーとの緊密な結び付きだ。 「っていうか、それならいっそのこと神羅に入社すれば良かったかも」 これは噂だが、管理局の給与水準を神羅のそれは遥かに上回っているのだそうだ。 ある人間から、イリーナは同じ仕事を神羅ですれば今の倍はもらえるぞ、と笑われたことがある。それが全て事実ではないにしても、思わず勤労意欲が失せるような話である。 そんなことを考えながらウトウトしていると、電話が鳴った。 「誰よぉ……こんな夜中にぃ。……って、ルード先輩!?」 パジャマ姿を見られたくなかったので、画像はオフにして電話に出る。 「先輩!大丈夫ですか!?」 「……寝ていたのか?悪かったな。実は、一週間ばかり謹慎処分をくらってな。 その間の捜査を、お前に頼みたい。引き受けてくれるか?」 「もちろん。それは構わないんですけど。 まさか先輩、次長とやり合っちゃったんですかぁ〜?」 「……ついでに神羅の副社長秘書のツォンにも目を付けられた。 厄介なことになりそうな気がする」 「ウソ。先輩、本気ですか?」 「……押収したPHSを、さっきお前のバッグに放り込んだ。探して見ろ。あるはずだ」 「ちょっと待って下さい。それって、証拠品の秘匿になるんじゃ」 「……次長に隠滅されるよりマシだろう。あったか?」 「はい。このメモリーに記録されてる人間を当たれ、ってことですね?」 「……俺はお前とコンタクトを取らない。お前が危険な目に遭いかねないからな。 一週間、一人でがんばれるか?」 「やります!私だって、管理局の捜査員です!……まだひよっこですけど」 「……頼もしいな。だが、絶対に無理するなよ。いいな?」 「先輩はどうするんですか? 謹慎っていうからには、管理局のデータベースにもアクセスできなくなりますけど」 「……捜査の基本は足だろう?それに、俺は俺で調べたいことがある」 「良かった。先輩、全然へこたれてませんね☆」 そんなことはなかったが、明るいイリーナの声を聞いていたら、不思議に元気が湧いてくるルードだった。 少女を連れて逃げ出したクラウドは途中車を換え、ヘアダイ用品を買ったり食糧を買ったりしながら街の外れを目指していた。 とにかく、目の色は変えられないまでもせめて髪の色だけでも変えておきたかった。 「確かこの辺にあったはずなんだけどなあ……」 「どうかしたの?」 尋ねる少女に、クラウドは苦笑いして答える。 「何年も来てなかったから、記憶があやふやでごめんな。公園があったはずなんだ。 ――ああ!ほら」 「公園で何するの?」 「できれば短くカットした方がいいと思うけどね、その髪」 「私の髪、切るの?」 「嫌なら、いい。あんたが決めることだ」 肩をすくめたクラウドに、少女はしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げて言った。 「――わかったわ。そうする。クラウドの言う通りにする」 少女をベンチに座らせ、クラウドは鋏を手に取った。 「美容師がするみたいにキレイには切れないと思う。ごめんな」 「美容師?」 「おいおい。まさか今までに一度も髪切ったことが無いわけじゃないんだろう?」 「……よくわからない。私、いままでどんな暮らしをしてたのか。本当に覚えてないの。 いきなり頭にもやがかかったみたいで……ただわかるのは、私、逃げなきゃいけない の。誰にも捕まるわけにはいかない。 よくわからないけど、お医者様は怖い。白衣、見るのが嫌なの。薬の匂いも大嫌い……」 震える少女の髪からリボンを取り、クラウドはブラシで髪を梳いてやった。豊かな茶色の髪が、サラサラと肩にこぼれた。 「あんた、お下げにしてたからわからなかったけど。ずい分長くて量があるんだな」 ちょっともったいないよなぁと言いつつ、クラウドはジョキジョキと鋏を動かしていく。 切られた髪が散らばるのを、少女は不思議そうに眺めていた。やがて切り終わると、クラウドは少女に紙袋を手渡してこの中に入っている服に着替えるように言った。 「車の中で着替えるといい。俺、ここにいるからさ。あ、それから。 着ていた服は始末するから」 コクンと頷いた少女が駆け出していくのを見て、クラウドは今度は自分の髪を切りにかかった。そして手早く着替え終わったところへ、少女が服を抱えて戻ってきた。 クラウドは切った髪と脱いだ服をひとまとめにすると、それにライターで火を付けた。 「……なかなか燃えないんだね」 「仕方ないさ。それにしても臭いな」 切った髪が焦げる、タンパク質が燃える臭いはあまりいい気持ちのするものではなかった。時間をかけて丁寧に全てを灰にしてしまうと、クラウドは少女に車に乗るよう言った。 「町中の賑やかな所にいた方が、情報も入るし人も多いから、何かと便利なんだよ」 「私、さっきの臭い……嗅いだこと、あるような気がする」 「行こう。今度はどこかで髪を染めないと」 そして、街に戻る途中で車を乗り捨ててこっそり舞い戻った二人が目にしたものは、街中の電光掲示板で報道されているニュースだった。 ジェノバに罹患している女性患者が一人、病院を脱走した。記憶障害があるので、尚のこと至急の保護を要する。発見した者には報奨金が与えられる、と。 その患者の名前は、エアリス・ゲインズブールといった。 ――少女の口から小さく悲鳴が上がった。 「私、ジェノバなんて知らない。病気にかかってなんかいないわ!」 服を換え、髪をバッサリ切ったせいで印象が違うのだろう。誰も少女がお尋ね者であることに気づいていない。 クラウドは慌てて少女の手を引っ張り、裏通りへと歩き出すのだった。 |