3.

 社長室は、一見いつもと変わりないようにさえ見えた。――プレジデントチェアにうずくまっている人物の背に、長剣が突き出ているのでなければ。
 ルーファウスはチラッと目をやっただけで、すぐにヘリポートに出て行こうとする。
「ダークネイション!」
 傷の手当てを受けている間も、ずっと気になっていたらしい。ダークネイションは自分を守って死んだのに、身一つで逃げるのが精一杯で一緒に連れ帰ってやれなかったと。
「ダーネィ……ごめん………ごめんよ……!」
 車椅子から降りて、服が汚れるのもかまわずに抱きしめて泣いている。この五年近く、いつも一緒だった。ルーファウスのそばには、必ずダークネイションの姿があった。
 賢い獣だった。ルーファウスを守るのは自分の役目、と思っていたようだ。だが、どんなにルーファウスに甘えて遊んでいても、ツォンが姿を現すとスッと後ろに控えたものだ。ダークネイションは、同じくルーファウスを守る者として、その第一の地位をツォンに認めていたらしい。
 自分は、いつもルーファウスの傍らにはいられない彼になり代わって、その任を果たすもの。――そう認識していたようなのだ。
(そして、お前は自らに課した使命を立派にやり遂げたんだな。お前のおかげでルーファウス様は無事だったよ。――ありがとう)
 薄いオレンジ色をしているはずの腹部が、血で汚れていた。
「……ダーネィ、私のためにはバリアを張っても自分には張らなかったんだ。私には、マバリアまで張ったのにな。あのテロリスト、元ソルジャーだって言ってたぞ。確かに、魔法攻撃はいろいろしてきたし、人を頭から斬りつけようともしてくれたし。実に情け容赦のない攻撃だったな」
「そして、あなたにテロリストを近づけさせないために、魔法を使ったんですね」
「魔法が使えなくなっても、噛み付こうとしたんだ。『もういい! 下がれ!』……そう言ったんだけどな」
 柔らかな毛皮に、再び涙がポタポタと落ちる。
「私のそばに、いたからだ……。私が、こんな風に連れ歩かなければ良かったんだ。子供の時に、どこかの草原に放してやっていれば……!」
「気持ちはわかりますが、ダークネイションは自然界には存在しない種。それは無理です。それに、あなたのそばにいる時。本当に幸せそうでしたよ。モンスターとして同種の仲間もなく孤独に生きるより、あなたと共に生きることを選んだのはダークネイション自身です。もしあなたが彼を手放したくなくて、鎖で繋ぎ檻に閉じ込めておいたとしても、自由を欲すれば命と引き替えにしてでもあなたから逃れていたはずです。そういう誇り高いところが、あなたも気に入っていたのでしょう。お忘れですか?」
「それでも……生きていて欲しかった。パルマーみたいに、逃げ出してくれていれば良かったのにッ……!」
 ひとしきり泣いたあと、涙をぬぐいながらルーファウスはつぶやく。
「せめて、ていねいにお墓に葬ってやろう。な?」
(もし、私があなたのために命を落としたら。同じように涙を流して下さるのですか。それとも……?)
 何故急に、こんなことを考えたのか。自分でもわからない。しかし、泣いているルーファウスを見るのは辛かった。心に針を打ち込まれ、揉まれてでもいるかのような、この痛み。自分自身が傷つくより、どうしてやることもできないだけにもどかしく、精神的に堪える。
(あなたの心が、血を流して悲鳴を上げているのが伝わってきます。――愛する者を失うことの連続が、人が生きるということなのか、と。その通りです。でも、それだけではないでしょう?)
「ダークネイションに対する感謝の念があるなら、一瞬一瞬を大切に生きることです。惰性で日々を過ごすような真似をせずに。彼はあなたのそばに、きっとまだいたかったはずですよ? そのあなたに、そうしていられたのでは――死んでも死にきれません。おわかりですね」
「約束しろ。私をおいていくようなマネを、絶対にするなよ。もうこんな思いをするのは、ゴメンだからなッ!」
 取りすがって泣くルーファウスを抱きしめ、多分守れないだろうという漠然とした予感に襲われながら、ツォンは優しい嘘をつく。
「約束します。あなたがこんなに泣き虫だとは、知りませんでした。これでは心配で心配で。一人にすることなど、とてもできそうにありませんね」
 その気持ちに、嘘はない。ただ、自分はタークスだ。いつ不慮の死を遂げても、おかしくはない。
「昔、お前に約束したよな。私が社長になったら、タークスは廃止するって。すまない。もう少しだけ、待ってくれないか」
「待つも待たないも……。あなたのことは、信じてますよ。安心して下さい」
 ようやく泣きやんだらしいルーファウスが、顔を上げた。
「――オヤジに会う準備が、やっとできたような気がする。戻ろう。あ、その前に。ダーネィを運んでやって欲しい。いつまでもこんな寒い所で独りにしておくのは、可哀相だからな」
 かしこまりました、と言ってツォンは待機していたソルジャー達に連絡し、指示を下した。

 プレジデントは、苦悶の表情を浮かべて絶命していた。
 死体というより、まるで人形のようだ――。ルーファウスは、そう思った。たった一人残っていた肉親が死んだのだ。涙くらい出るのだろうと思っていたが、ダークネイションを見た時に感じたような哀惜の情は、ついぞ湧く気配がない。
「なあ、オヤジが殺されたっていうのに、ちっとも悲しくないぞ。普通はセフィロスのこと、憎いと思うものなんじゃないのか? ――私は、どこか感情が欠落してるのかな」
「まだ実感が、湧かないだけでしょう。それに、ただ可愛がっていれば良かったダークネイションと、プレジデントでは比較するのが間違ってますよ。あなたは否定するでしょうが、打倒すべき支配者として彼を憎悪する一方、父親としての愛情を求めてもいらしたんですから。プレジデントの創り上げたこの世界から、彼の権力から解放されたいと願う気持ち。母の身代わりとしてでなく、自分自身を見て欲しいと願う気持ち。彼のあとをいずれ継がなければならないという運命からの解放と、彼の愛情という名の桎梏を同時に求めていたのがあなたです。他者の手で唐突にその決着をつけられても、にわかには整理ができないでしょう。――どんな形であれ、あなたが自分で答えを出すことができたのなら良かったんです。しかし、セフィロスはあなたから回答の機会を永遠に奪ってしまった。これでは、あなたは宙づりにされたままです。問題は、依然として残されているのに」
 プレジデントの亡骸を、無表情に眺めるルーファウス。やがて、そっと頬に触れてビクッとしたあと、手を離してつぶやく。
「冷たい」
 その時、先ほど連絡を受けたソルジャーの一団が姿を現した。それに気づいて、ルーファウスが命令する。
「ついでに、これも片づけろ。――もう用はない」
 いくら不仲だったとはいえ、ただ一人の肉親に対して言う言葉だろうか? 百戦錬磨のソルジャー達も、さすがにこれには肝を冷やしたらしい。声もなく黙々と作業をすると、一礼してそそくさと立ち去っていった。
「あんな男にずっと怯えてきたのかと思うと、自分が情けなくなる」
「彼個人に、ではありません。彼が体現していた権力に、です」
「その区別もつかなくなる位、長いこと待ち望んで就いた座だというのにな。いまの私には、何をしたらいいのかがわからない。ずっと思っていた。ここに立てば、箱庭を眺めるように世界の全てのことが手に取るようにわかるのだろうと。だが、違っていた。ここは、頂上なんかじゃなかったのさ。いままで登ってきた階段の、下から見上げていた時に見えた一番上の踊り場に過ぎなかったんだ。この上は、一体どこまで続いているんだろう。果たして、終わりがあるのかどうか。ここからじゃ、見えない。正直、疲れたんだ。ここにたどり着くだけでも。何もかも放り出せるものなら、そうしたいよ」
「でも、あなたはそうはなさらない。――でしょう?」
「私は、ルーファウス神羅だ。ここ以外のどこで生きろと?」
 車椅子から立ち上がり、窓に向かって歩いていく。壱番、五番魔晄炉を爆破されたのと7番プレートが落下した影響でいつもより暗いはずのミッドガルだが、こうして見下ろしていると十分に華麗な光景である。
「この街は、いまも好きじゃない。それでも、私が生きる場所は他にないんだ。この世界中、どこにもな」
「ルーファウス様……」
「安心しろ。別に、ヤケを起こしたわけじゃないからな」
 ツォンにそう言って笑ってみせるのだが、すぐにその表情は憂いを帯びたものに変わる。この若さで、こんなに急に世界の命運がのしかかってきたのだ。不安でないはずがない。
「――コスタ・デル・ソルの屋敷を、売りに出そうと思う」
「――!!」
「別に、買い手がつかなくてもいいんだ。ただ、これからの私には――あそこは必要ない。それを自分自身にわからせるためには、手放すのが一番だろう。違うか?」
「覚悟をなさったんですね。あそこは、あなたにとって大切な……想い出の多い場所だというのに」
「人生で、一番幸せな時を過ごした場所だ。お前に初めて会ったのも、あそこだしな」
 窓から眼下に広がる光景に見入っていたルーファウスが、向き直ってツォンに問う。
「これで、退路は断った。あとは前へ進むしかないが――私の歩く道は、どこへ続いているんだろう。本当に、選んだ道に間違いはないのか? こんな不安、誰にも言えない。心の中で、守りたい夢が暴れている。でも、それを抑え付けなければ、望んだものは手に入らない。自分の心をさらけ出して生きるには、この世界はあまりにも駆け引きだらけだから。ましていまは、非常事態だ。私が新米の社長だからといって、手加減してくれるわけじゃないだろう? アバランチも、競争相手の企業も、支配下にある民衆も――」
「私には、あなたの選択をとやかく言うことはできません。それが正しいのかどうか、それもわかりかねます。何のお役にも立てませんが――たとえあなたが選んだ道が終わりのない階段だったとしても、一緒に歩いていくぐらいのことはできます。雨が降るなら、傘を差しかけたい。凍て付く風が吹き荒れるなら、上着を羽織らせてあげたい。もしも――」
「もういいよ。そばにいてくれるだけで、十分さ。その代わり、ずっとそばにいろよな?」
「――はい」
 これは、予感。自分も、いつかきっとダークネイションと同じ運命をたどるだろう。運命の女神が自分に許した時間の限りという言葉は、言わないでおこう。いまは、この人の涙をこれ以上見たくない。
「もしお前がいなかったら、私はどんな人間になっていたんだろう。そして、もしお前がある日突然いなくなったら……私は、一体どうなってしまうんだろう?」
「プレジデントの死で、おわかりでしょう。それでも世界は、続いていくんですよ」
 暗い予感を、いまは忘れることにしよう。ルーファウスの不安をうち消すかのように、ツォンは穏やかに微笑む。
「そうと決まれば、さっそくあなたには仕事ができましたね。早く病院に戻って、休んでください。取締役会で弱みは見せられませんよ?」
「私も出来のいい部下を持って、幸せだよな」
 ため息をつくと、おとなしく車椅子に座る。
「行こう。今度この部屋に来る時には――私がプレジデントだ」
 終わりのない階段。その新たな一歩を、ルーファウスはツォンと共に歩き始めた。
 果たして、どこにたどり着くのか。この先に、一体何が待っているのか。
 二人には、まだわからない――。


= END =