6.

 一週間も経つと、ルーファウスはすっかり村の生活に溶け込んでいた。
 最初のうちこそ緊張していた村人達も、いまでは気軽にあいさつを返してくる。
「おはようございます。今日は飛ばないんですか?」
 タイニーブロンコにどうしても乗りたがるルーファウスを、シドはあれこれ理由をつけて断り続けている。それなら、というわけか。
「明日、お前にいいものを見せてやる。楽しみにしてろよ」
 そんな挑戦的な言葉を投げつけた翌日。いつの間に運ばせたのか、ハンググライダーがロケット村の上空を舞った。
「まあ、あんなこともできるのね……!」
 何て綺麗なのかしら。見て、白いハーネスが陽に輝いて。まるで本当に鳥が飛んでいるようね。
 そう言ってはしゃぐシエラの横で、シドはポカンと口を開けてそれを眺めていた。
「あの野郎――!」
 ルーファウスが、ここまで派手なデモンストレーションに出るとは思わなかった。
 彼が「ただのボンボン」ではないことに、シエラはすぐ気づいていた。そして、シドにも言ったのだが……。
(俺よりシエラの方があいつのことちゃんと見ていた、ってわけか)
 シエラの眼力に感心する反面、彼女の注意を惹きつけるルーファウスが、何となく気にくわないのだった。
「乗せてあげたら、シド。あなたと違って、彼、いつでも自由に空を飛べるわけじゃないのよ。恐らく、ここに来るのだって相当無理してると思うわ。知ってる?彼ね、毎晩私達に内緒でどこかへ通信してるの。偶然聞こえた言葉からすると、多分ビジネス関係のことだと思う。私達とは違う世界に住んでいる人なのよ。いまは、何の理由でかはわからないけど……一時的にそこから逃げ出してきているだけ。ちょうど、渡り鳥が羽を休めているようにね。いつかまた、帰らなきゃならないの。きっと彼には、辛いことなんでしょうけれどね」
 彼女にそんな言葉を言わせるなんて。ますますもって気にくわない。
 そう思う気持ちの一方で、地位や財力を使って人の心を得ようとはしない潔さに、自分もいつの間にか魅入られていることに気づき、愕然とする。
(あいつ、化けモンじゃねーのか!?)
 人の心をたらし込む才能。それをカリスマと呼ぶのなら、ルーファウスには確かにそれがある。
(天は二物を与えず、ってのは――ありゃウソだな)
 もしそうなら、ルーファウスのような人間が何故存在する?
 有り余る富。誰もが振り返らずにはいない美貌。健やかな身体。一を聞いて十を知る明晰な頭脳と鋭い洞察力。何でも器用にこなしてしまう、要領のよさ。ユーモアを解する能力も有しているらしい。
 これだけでもインフレ気味なんじゃないのか!? と難癖をつけたくなるシドだったが、ルーファウスは更に紅茶をいれるのが上手という特技まで持ち合わせていた。
「まあ、とても同じ茶葉を使ったとは思えないわ。私のいれるのとは、大違い。ねえ、シド。あなたもそう思わない?」
 うっとりとした声で言うシエラに、シドは内心穏やかではなかった。だがすぐに、それら全てのものを持っていてもルーファウスが決して幸せではない事実に気づき、複雑な思いに駆られる。
(あいつを見てると、幸せって何なんだ?って柄にもないことを考えちまうぜ)
 もしルーファウスがシドの考えていることを知ったら、少し寂しげに笑ってこう言うだろう。
「いままで一度もそんなこと考えたこともなかったとはね。お前、それを幸せっていうのさ」と。
 幸福な人間は、世の事象について複雑な思いを巡らしたりはしない。何故なら、日々の生活を謳歌するのに忙しいからだ。シドにしたところで、シエラが自分以外に心を注ぐ対象を持ったという、ささやかな黒雲が湧き起こらなければ、相変わらず脳天気な毎日を過ごしていたことだろう。
「おはよう。今日は風がちょっと。それに、シドに目を三角にされるのもイヤだしな」
 昨日の出来事を思い出して、珍しく物思いにふけっていたシド。
 だが、ルーファウスにクスクスと笑いながらそう言われては、黙っていられない。
「俺様はなあ!心配してるだけだ!空に上がっちまったあんたを、誰が追いかけられる!? あんたがここにいることは、確かに秘密にされてるんだろうよ。だがな、人の口に戸は立てられない。もし噂が悪い奴の耳にでも入ってみろ。あんた、間違いなく狙われるぜ?」
「私のこと、嫌いなのかと思ってたよ。そうでもないんだな」
「誰がいつンなこと言ったよ!? ――けっ!勝手にしやがれ!!」
 ロケット台の方へ歩いていくシドを、ポカンとして村人は見送っている。一方、ルーファウスは楽しそうに笑っている。シドの口が悪いのは、いつものことだ。そのちょっと乱暴にも聞こえる言葉の底に、不器用な思いやりの心があふれている。
「シドは、いいヤツだよな」
 村人を安心させるようにそう言うと、ルーファウスは満面の笑顔を残して歩み去った。

「おや、いらっしゃい!」
 初めて顔を出された時には、飛び上がるほど驚いたものだが。いまや毎日のようにルーファウスが訪れるのに慣れ、姿を現す時間が遅れると何かあったのではと思う雑貨屋だ。
「新聞は届いてるか?」
「はい。こちらに」
「ありがとう。しかし何だな。相変わらずオヤジのヨイショに血道を上げてるんだな。――全く、読むところのない新聞だ」
 辛辣な酷評を言いながら、神羅新聞を放り出す。さも嫌そうな表情だ。
「まだこの方が読める。少なくとも、株価は正直だからな」
 経済紙を眺めながら、何かチェックしている様子だ。彼の視線が何を追っているのかはわからなかったが、雑貨屋の主人にとってこの美しい青年と話をするのは、大いなる楽しみだった。
「何か面白い記事でもありましたか?」
 毎日のように繰り返される問いかけ。主人の方では、それに対して中身のある答えなど期待していない。ただ、耳に心地よいルーファウスの声が聞きたいだけだ。ルーファウスの方も心得ている。それに対しては、ああ、とか今日は何もないなぁ……と答えたあと、世間話やミッドガルのこと、時にはコスタ・デル・ソルでの生活などを当たり障りのない範囲で話すのだった。
 だが、今日は違った。ある記事に目を留めたと思ったら、次の瞬間には叫びが上がっていた。
「何だってぇ!? ――あいつが、ウータイへ行くだぁ?ウソだろう!」
 何だってこの時期に……いや、戦後処理の関係だよな……うちが賠償金の取り立て、厳し過ぎるってクレームつけてたな。その関係だよな、きっと……。
 よほど気になると見え、思わず独り言を漏らしている。
「何か、すごい特ダネでも?」
「いや。会いたくない人間に、どうも近々会うことになりそうな予感が」
「それは私のことかい、ルーファウス?」
 店の入り口に、さもおかしそうに笑う男の姿があった。ここいらでは珍しい、ダークスーツを着ている。
「げっ……!アリスティード……ッ。もう来たのか?少し、早過ぎるんじゃないのか!?」
「何だ?田舎暮らしで、さしもの君も平和ボケしたか。それ、二日前のだろう」
「タイムラグがあるってこと、忘れてたよ」
 ミッドガルで発行される新聞がここに届くまでに、二日を要するのだ。それをつい失念していたルーファウスである。
「こんな所で何してる?」
「フン。お前のことだ。どうせ調査済みだろッ!?」
「調べるまでもなく、叔父が愚痴をこぼしてくれたよ。君の会社……いや、これは失礼。まだ『君の父上の会社』だったな……は、情報管理に問題有りだねぇ」
「パルマーのヤツ、余計なことを!」
「まあおかげで、私はいい退屈しのぎができるんだがね?」
 突然現れた青年は、上機嫌でルーファウスに話しかけている。一方、ルーファウスの方では至極迷惑そうな顔をしていた。どうやら、この青年が苦手らしい。
「人をおもちゃにするんじゃない!全く。――で?私をからかうためだけに、わざわざこんな所まで足を伸ばしたわけじゃないんだろう。何が目的なんだ?」
「美人は得だね。そうやって怒っている顔も、可愛いよ」
 笑いながら、ルーファウスにここを出ようと促す。目は、全く笑っていなかった。
「これ、もらっていくよ」
 ルーファウスはそう言って、新聞の代金を渡す。
「君がキャッシュで買い物とはね。初めてなんじゃないか?そういうの」
 いちいちうるさいぞ!と叫ぶルーファウスの肩を抱きかかえるようにして、ダークスーツの青年は店を出ていった。
「……何者なんだ?」
 雑貨屋の主人は、首を傾げて二人を見送るしかなかった。