5. 「おはようございます、ルーファウス様。おはよう、シド」 「おはよう、シエラ。そのチェックのワンピース、よく似合ってるぞ。なあ、シド?」 (……昨日の夜、チラッとでもこいつのことを気の毒に思ったのは取り消してやる!全く、油断もスキもありゃしねえ) シドは仏頂面である。 「よう、シエラ。ジェニーと昔話はできたのかよ?」 「ええ。楽しかったわ」 生き生きとした表情で、シエラはさっそく朝食の準備に取りかかる。それを眺めていたルーファウスが、羨ましいなあとシドに言う。 「お前、毎日こういう朝を過ごしてるんだよな?私とは大違いだ。私はいつも、たった一人で何の会話もなく、機械的に口を動かしてるんだぞ?すごくたまにだけど、リーブやツォンと一緒に食べる時があるんだ。そういう時は、楽しくて。時間の経つのが、妙に早くてな」 「ふーん。ま、特権階級なんてモンに生まれた代償じゃねーのか?」 「頼みもしないのにそう生まれた人間の苦労なんて、誰もわかってくれないんだな」 お互いに、何か含むところのある物言いをしていることに気づく。 「シド、お前、私に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」 「別に。朝からお世辞をベラベラと言えるなんて、その舌にはバターでもついてんじゃねえかと思っただけだ」 「お世辞?私はそんなもの言わないぞ?」 本気で首を傾げるルーファウスに、シドはたたみかけるように言う。 「あいつのこと、褒めてたろうが!」 「あいつって……ああ、シエラのこと?だって、女性にはその人の魅力を讃える言葉をかけるものだろう。美しさっていうのは、放っておいちゃいけないんだぞ。称賛され、注目されたと感じることで得た自信を栄養に、日々育てられていくものなんだから。お母様がよく言ってらした。褒められて悪い気のする人間はいない。やる気を出してもらいたかったら、まず褒めることだ、って。それにいまの場合、私は客観的な事実を述べたまでだ。お前に非難される覚えはない」 「男が女に取り入るようなことを言う必要はねえ!」 「それは違うぞ」 真剣な顔で、ルーファウスはキッパリと言い切る。 「女性が美を追求するのは、当然のことだろう。女性というのは守護されるべき存在だ。そして、人間は美しいものに弱い。となれば、より一層の庇護を得られる可能性、つまり、より美しくなろうと思うのは本能的行動だろう。男には、彼女達のけなげな努力を認めて応援してやる義務がある。何故なら、人間は自分の努力に対して適切な評価がなされた時、最も嬉しく感じるものだからな。それに、そうしていれば男にもちゃんと見返りは来るものさ。いつの間にか、周りの女性がキレイになっていくんだ。本当だぞ?」 「坊っちゃん、あんた……天性のプレイボーイになれる素質があるぜ……!」 呻くシドを、不思議そうに見つめるルーファウスだ。 「どうしてそうなるんだ?第一、私は大勢の女性と付き合いたいとは思わないけどな。大切な人は、ただ一人でいい。当たり前だろう?そんなこと」 料理をしながら二人の話を聞くでもなしに聞いていたシエラが、優しい微笑を浮かべて二人に声をかける。 「あなたの負けよ、シド。お待たせ。お食事にしましょう」 プレジデント神羅の一人息子というから、どんな甘やかされたドラ息子なのかと思えば。 シエラは昨日からルーファウスと話していて、不快感を覚えたことがなかった。彼のモラルは健全で、その精神は風通しの良い、陽光が降り注ぐ土壌で育まれたものらしかった。二言目には「お母様」と言うところを見ると、どうも相当重度のマザコンではあるようだが。 (でも、だからこそ父親に毒されなかったっていうことなのよね、きっと) 人には、必ず欠点がある。自分は彼の配偶者になるわけではないから、この欠点は問題にならない。 (それにしても、あの方の奥様になるのは大変ね。というより、あの方が結婚したいと望むほどの女性が、果たしてこの世にいるのかしら?) 老婆心ながら、シエラは思わず考えてしまった。ルーファウスは政略結婚させられた母の嘆きを子守歌に育ったため、自身は絶対に同じ過ちを繰り返したくない、と明言している。妥協で伴侶を選ぶような真似は、死んでもしないだろう。 (となると、一生独身ってこともあり得るのかしら。それはそれで、とても寂しい気がするのだけれど) 自分の問題を棚に上げ、彼に子供が生まれたら、さぞ愛らしいだろうに……と夢想するシエラだった。 食事が終わると、ルーファウスはタイニーブロンコを見たいと言い出した。 「昨日の夜も、機体を磨いていたろう?お前のことだ。いつでも飛べるように整備してるんだろうな、きっと」 妙ににこやかな笑顔だ。シドは、直感的にルーファウスが欲していることを看破した。 「言っとくけどな、操縦させろとか無茶言うなよ。あんたにゃ無理だ」 「どうして?」 「第一に、あんたにそんなマネさせてみろ。俺様がこっぴどく怒られちまう。第二に、あんたがあれを操縦できたとしてもだ、俺様ほどの腕前はねえ。着陸の時にでも翼や腹をこすられてキズものにされたら、俺様はあんたがプレジデントの息子だって、構うことなくブチのめす。つまり、どっちにしても俺様は会社をクビだな。ンな割の悪いこと!誰がOKするか、ってんだ!!」 「要するに、お前も他の人間と同じなんだな。私のことを、敬して遠ざけようとする」 不満げなルーファウスに、シドは胸を衝かれる。 「う、いや、その……そういうんじゃなくて。だぁーッ!いきなりじゃ、危ないだろうがっ!物には手順ってのがある。そういうことだ」 途端に、ルーファウスの瞳がキラリと輝く。 「じゃあ、練習したら操縦させてくれるんだな?安心しろ。全くの素人じゃないんだぞ。よく使っているB1−αの操縦はできるからな」 「へ?あのヘリコプターを?何でまた」 「何で、って……どういう事態に遭遇するか、わからないじゃないか。できることは、何でも一通りやることにしてるんだ。車の運転もそうだし、スポーツもね」 「何だか、あんたが汗かいて走ってる姿って、俺様にゃ想像できねえけどな?」 「必要ない時は、そんなコトするわけがないじゃないか。私が全力疾走するなんて、よほどの緊急事態ってことなんだからな。つまり、スポーツ以外では、ってことだけど」 「――違いねえ」 「お前だって、上の人間にしょっちゅうバタバタされてみろ。『この会社ヤバイんじゃないか?』と思うぞ、きっと。歴史の先生が言ってた。指揮官に必要なのは運の良さ、それに泰然自若とした態度だって。ある国王が、何の落ち度もなかった将軍をいよいよ決戦という前に罷免した。彼の同僚達は、一斉に王に嘆願した。彼にいま一度機会を、とね。それに対する王の答えはこうだった。『彼はこれまでの小競り合いで、いつもあと一歩のところで勝利を逃している。余が彼を罷免するのは、まさにその運の悪さによるものだ』と。そして、その王はのちに絶体絶命のピンチに陥った時、冷静な態度を崩さなかった。総崩れの危機に瀕していた彼の軍は、兵士達が王の姿に安心することで逆転勝利したのさ。集団を率いる者として、実に興味深い、心に刻みつけるべき逸話だな」 何だか、肝心の点を巧妙にはぐらかされたような気がするのだが。口でルーファウスに勝とうとは思うな、ということか。 (やっぱり疫病神を引き取っちまったような気がするんだが。……俺様の考え過ぎか?) ご機嫌で計器類を眺めては質問するルーファウスを、シドは複雑な思いで見つめていた。 二人がケンカもせずにいる様子なのを見て、シエラはホッとした。どういうわけかわからないが、シドはすぐにルーファウスに突っかかる。よくしたものでシドよりずっと年下のルーファウスの方が、大人の態度でそれをひらりひらりとかわしている。 (さすがに、人を使うのは慣れてるのねえ) いつの間にかシドに航空力学を講義させている手腕は、たいしたものだ。そんな感動を覚えて、シエラは食料品を買い出しに出かけた。 「よう、シエラ!今日は何を?」 いまや自分が村中の人間の注目の的だということに、果たしてシエラは気づいているだろうか。 「こんにちは、ヴィッカースさん。こんにちは、ベル」 店の軒先で、気持ち良さそうにひなたぼっこしている薄いトースト色の猫は、シエラになでられて喉をゴロゴロいわせた。シエラはベルを抱き上げると、撫でながら木箱に腰を下ろした。 「シドがルーファウス様とうまくやっていけるのかしらって、とても心配だったのよ。でも、大丈夫みたい。ルーファウス様の方で、シドのコントロールの仕方を把握して下さったみたいなのよ」 「へえー、あの艇長をねえ。そりゃあたいしたもんだ。まだ昨日の今日じゃないか」 「そうなのよ。やっぱり小さい頃から人にかしずかれて育つと、私達とは人種が違ってくるものなのかしら」 ベルはシエラの膝の上で、毛並みをなめておしゃれの最中だ。居心地がいいらしい。一心不乱に作業をしている。 「さあねえ。お前さんは、坊っちゃんのお母さんて知らないよなあ。わしら年のいった連中はお会いしたことがあるんだけどな」 「まあ。さぞお綺麗な方だったんでしょうね」 夢見るような瞳で言うシエラに、ヴィッカースは笑いながら答える。 「おやおや。坊っちゃんのこと気に入ったみたいだなあ。そんなんじゃ、シドが機嫌悪いだろうに。――ああ。わしらは女神様みたいだって見とれてたもんさ。白いドレスを着てらしてな。にっこり微笑んで、作業員一人一人にお声をかけて回っていらした。あの方を好きにならない者はいなかったよ」 「まだここが、ロケット開発の基地になる前のことね?」 「ああ。空軍の飛行機をいろいろ試作していた頃の話さ」 「ルーファウス様がね、二言目には『お母様』って言うの。だから、多分素敵な方だったんだろうな、って」 ベルを抱き上げて元の所に戻してやると、シエラは本来の用件を告げた。 「おや?シドは野菜はあまり好きじゃないだろう。とすると、坊っちゃん用の献立かい?」 果物と野菜をいつもよりかなり多めに買おうとするシエラに、ヴィッカースは目を丸くする。 「シドにねえ、お説教してたのよ」 くすくすと笑って、昨日の晩あったことを話す。 「自分で食事を作らない者は、出されたものに文句言う権利はない、ってね。それじゃ嫌いな物も我慢して食べろっていうのか!って、そりゃあ大変だったのよ、シド」 その時の気分で食べたり食べなかったりしたら、それが嫌いだから残したのか具合が悪くて食事したくなかったのか。何が何だかさっぱりわからなくて、料理人も医師も困るだろう? ルーファウスは、そう言ったのだ。 「それにね、食べ方が綺麗なのはともかく……何かするのに、とても神経を遣うのよ。外から家に入る時も、靴の泥を丁寧に落としてるわ。それを褒めたら当たり前だ、って不思議そうな顔したの」 要するに、自分は掃除をしない。だから、部屋は汚さないように、散らかさないようにする。自分は料理をしない。だから、出された物に文句は言わない。ルーファウス自身は、「それが可食物である限り食べる」という表現をしたのだが。 生活の基本的なことに関しては、きちんと躾られたらしい様子がよくわかる。くつろいでいる時でさえ、決してテーブルに頬杖をつくような真似はしない。人を不快にさせるような話題は決して口にしない。あいさつをきちんとする。背筋を伸ばして歩く。 一つ一つは何でもないことなのだが、そうした些細な積み重ねが集まると、何でもないどころか。 「ああいうのを、育ちがいいって言うんでしょうねえ」 感動した様子で言うシエラに果物と野菜を渡しながら、ヴィッカースは聞く。 「シエラ、シドが不機嫌なのって、坊っちゃんがお前さんに何か言葉をかける時じゃないのかい?」 「あら。でもそうだったとして、何故?だって、私は関係ないでしょう?」 全然わかっていないシエラを、ヴィッカースは頭痛を覚えながら見送るのだった。 |