4. 夕食はなごやかなものだった。後片付けが終わると、シエラは迎えに来たハリーと一緒に去っていった。 「おやすみなさい。朝食には差し支えないように戻りますから――」 そう言い残し、何度も振り返りつつ遠ざかっていった。まるでシドとルーファウスを二人きりにしておくのが不安だ、とでも言いたげに。 家の外には、ソルジャー。交替で寝ずの番をするのだという。 「ご苦労さんなことだな」 「寝室のドアの前にも一人つけるっていうのを思いとどまらせるのに、苦労したんだぞ」 うんざりした様子で、ルーファウスは言う。 「どうせ何をしたって、死ぬ時は死ぬさ。生きていたくないと思っても、生き続けてるのと同じでね」 その言葉には、冷ややかな諦念が感じられる。彼のように恵まれた身の上なら、生への執着は人一倍強いのだろうと思っていたら。意外だった。 「あんた、相当ひねくれてるだろ?」 「お前に言われたくないぞ、シド」 苦笑して、ドアを開ける。明るい室内で見るルーファウスの顔には、先ほど一瞬だけ感じた虚無の影は見当たらなかった。 (気のせいか?) にしては、口元に浮かべられた笑みは辛辣だ。 「私のこと、嫌ってるだろ?」 ズバリ切り出されてはいそうですと答えるほど、シドは素直ではない。 「んなこたぁ、ねーよ。気にしすぎだ」 「そうかな?金持ちのご苦労なしのボンボン呼ばわりしてたじゃないか」 「最初はな。いまは違う」 「ふうん?他に、どう思っていると?」 「あんた、いろいろ裏がありそうだからな。俺様なんかにゃ想像のつかねえ、複雑な性格してるらしいし」 「お前に比べられたら、誰だって複雑な性格ってことになるんじゃないのか?」 「ケンカ売ってんのか!? それは、俺様が単細胞だって言いたいんだな!!」 「そんなに怒るようなことか?私は、褒めたつもりなんだけどな」 「どこがだよ!?」 「だって、それはお前が幸せな人生送ってきてる証拠だからな。世の中には、お前みたいに喜怒哀楽を素直に出せない人間が大勢いる。――羨ましいよ、シド」 口元に浮かんでいた皮肉に満ちた冷笑は、いつの間にか消えていた。濃い青の瞳に悲しげな光が揺らめく。長い睫毛が伏せられ、影ができる。 「お前はいいよな。鳥のように自由に空を飛べる。私には、この地上の重力を断ち切ることができないよ。どうあがいても、所詮はカゴの中の鳥なんだ」 声に混じる、深い絶望と孤独の響き。シドはハッとして、つい数か月前にあったばかりの出来事を思い出した。 神羅のやり方に抗議する人々が一斉に逮捕され、投獄された「230事件」。実際には、騒ぎのどさくさに紛れて反神羅グループの活動家達はその場で射殺されたと聞いている。プレジデントは声高らかに「危険な不穏分子が一掃された」と発表したが、いささか強引なそのやり方には、社内でも批判の声が上がっていたのだ。 もちろん、それらの声は決して高くはなかったのだが。まさかルーファウスがその筆頭だとは、思いもよらなかったシドである。 「あんたには、ミッドガルは鳥カゴか。世界一デカい、世界一贅沢な鳥カゴ……。でも、あんたにとっちゃ牢屋なんだな。あんまり息苦しくなったんで、逃げ出してきたってわけか」 「あの街は嫌いだ。あそこにずっといると、何もかもおかしくなる。月も星も、逃げ出した街。ささやかな喜びも、生きる意味も、自分の心も、みんな見えなくなる――!」 吐き捨てるように言うルーファウスを、シドはなすすべもなく見つめるしかなかった。 世の人々は、知っているだろうか?神羅の次代のプレジデントは魔晄エネルギーに頼るいまの文明に、誰よりも激しい嫌悪を感じているなどと。 「全てを破壊してしまいたい衝動に駆られるよ。使い続ければ、どうなるか。どうしてそれがわかっていながら、使うのをやめようとはしない!? オヤジは、確かに憎いさ。でも、神羅を生かし続けてるのは結局のところ、涼しい顔をして魔晄エネルギーを使い続ける『善良な民衆達』じゃないか!あいつらは、羊の皮を被った狼だ。いまは神羅が便利で豊かな生活を与えてくれているから、大人しくしているだけだろう?神羅から給料をもらい、一朝事ある時は神羅の軍隊が駆けつけて助けてくれて。だが、この気前の良さが神羅から失われたら。奴らは、途端に掌を返して非難の大合唱を始めるだろうさ。『お前達のせいで、こうなったんだ』とね。――自分達の責任は、すっかり棚に上げて。そんな愚かな奴らのために、何故私が心痛む思いをしなきゃならない!? 奴らがどうなろうと、自業自得じゃないか!!」 恐らく230事件からずっと、彼は鬱屈した思いを抱えていたのだろう。誰にも言えず、ただ一人で。 (俺がこいつ位の年の時に、こんなこと考えたこと、一度でもあったか?) 答えはノーだ。パイロットになるための訓練は厳しかったが、毎日が充実していた。 (そういやこいつ、悪ふざけできるようなダチなんて……いねぇよなあ) ルーファウスは、学校というものに通ったことがないという。しかも、幼い頃は母親とひっそり別荘で暮らしていたとも。 (そこへもってきて、あのオヤジか。――ひねくれたくもなるかもな) 恐らく、そんな同情は彼が一番嫌うものだろうが。 シドの沈黙を、どう受け止めたのか。ルーファウスは声を落とし、さもすまなさそうに言った。 「ごめん。お前に演説ぶったって、しょうがないよな。つい、イライラして。いまの話……忘れてくれないか?どうも辛気くさいことばかり考えたくなるんだ、あそこにいると」 「謝ることなんかないだろ。他人には、言葉で伝えなきゃわからないさ。あんたが何を考えてるのか、それがわかって少し嬉しかったぜ?」 「本当に?」 縋るようなまなざしに、思わずドキッとするシドだ。 「お、おう!俺様は、ウソは言わねえ」 「ありがとう。優しいんだな、シドは」 日頃の彼を知る者なら、耳を疑う言葉だろう。今日顔を合わせたばかりのシドにも、この青年が自分でも持て余すほどの高いプライドを有していることは、この数時間でよくわかっていた。 「俺様は、ちょっくらタイニーブロンコの整備をしてくるから、その間にシャワーを浴びとけ。じゃあな」 照れているのか、頭をポリポリと掻きながら裏庭へ歩いていく。 「――おやすみ、シド」 ルーファウスの声が、追いかけてきた。背中がムズムズする。こんな感覚は、初めてだった。 (どうも調子狂うよなあ。金持ちってのは、みんなああなのか?) 機体を磨きながら、シドは自分とは余りにもタイプの違う青年のことを考え、頭が混乱していた。 (自分で自分の存在を否定するような考えを、いつも抱いてるのか?) だとしたら辛いだろう。人が羨むもの全てが、あの青年には手枷足枷にしかならないのだとしたら。 (ああ、それで――) ようやく気づく。一瞬感じた虚無の影。あれは、やはり見間違えなどではなかったのだ。手を休め、一服する。 「坊っちゃんやるのも、なかなかツライじゃねえか」 目が冴えて、休む気になれないシドだった。 |