5.

 やがて、やつれきって別人のようになったイリーナが戻ってきた。
 ジュノンまで出迎えたルードは、物言わぬ帰還を果たした上司の凄絶な傷に目をしばたかせた。
「……ずっと隣りに?」
 ためらいがちに声をかけた途端、イリーナは泣き崩れた。なぐさめる言葉など、見つからない。ただ黙ってイリーナを抱きしめるルードだった。
「……とにかく休め。と言っても、それも無理か」
「せ……んぱ…い……ゴメンなさい……わ…たし……」
 子供のように泣きじゃくるイリーナに、パイロットは新たな涙を誘われたらしい。ごしごしと目をこすって、ルードに言う。
「彼女、失神してて――。気づいてからは、ずっと泣きっぱなしで。このままじゃどうにかなっちまいますよ、ルードさん」
「……そうか」
 ジュノンへ向かう途中、レノからは別の意味で気がかりな報告を受けていた。「坊っちゃん、仕事の鬼になっちまったぜ」と。レノは言う。
「後任の主任な、空席にするそうだぞ。坊っちゃん自身の直属にするんだと」
 ルードは、レノがいつもの飄々とした調子に精彩を欠いていることに気づいた。
(あいつも、相当ダメージを喰らったということか)
 何だかホッとしている自分に気づいて、苦笑する。
「おい、ルード。それで、坊っちゃんのことなんだけどな――ヤバイぜ」
 何がだ、と尋ねると、返ってきた答えはこうだった。
「あれから、一切食事してないんだ。水だけは飲んでるみたいだがな……。あの細さでダイエットでもないだろう? それに、痛みを全く感じないなんて。睡眠薬打って眠らせたの、大正解だったみたいだぜ。疲れた、って感覚もマヒしてるらしいからな」
「……それは」
 絶句するルードに、レノは自らの不安を打ち明ける。
「なあ、神羅は確かに世界を動かしてる。じゃあ、神羅を動かしてるのは誰だ? ――社長だろ。けどな……俺達は知ってる。社長を動かしてたのが、本当は誰だったのか」
「……もういない。それなのに、いまだに社長を動かせる力を持っている。そう言いたいのか?」
「ちょっと違う。俺には、いまの社長が抜け殻にしか見えないぞ、と。魂の抜けたお人形さんにしか……な」
「……あの人が、社長を道連れにするはずがないだろう」
「俺もそう思うぜ。でも現実に、社長は自我を封じ込めちまった。いま社長に何かあってみろ。まだ結婚もしてないんだぜ? 坊っちゃんに、隠し子がいるとは思えないしな。――神羅は、崩壊する。たった一人どうにかなるだけでな」
「ずい分悲観的なことを言うな。つまり、社長から目を離すな。そう言いたいんだな?」
「俺がそうするのは、神羅のためじゃないけどな。ボスにはさんざん世話になったからな、と」
「……お前も、いいかげん素直じゃないな」
「うるさいぞ、と。イリーナのこと、頼んだぜ。――俺には、あいつの涙を見る勇気がまだないからな、と」
「……全く、勝手なことを言う」
 呟いたルードに、パイロットはえ? と言って振り返った。
「いや、何でもない。ご苦労だったな」
 まさかこのままの状態で、ミッドガルに戻るわけにはいかない。「処置」をするためにストレッチャーで運び出されるツォンを見て、いっそう激しく泣き崩れるイリーナを支えながら、ルードはジュノン支社に向かおうとした。その時だ。パイロットが、ルードを呼び止める。
「あのう――あの娘はどうするんです?」
「あの娘? 何のことだ」
「ミッドガルに連行されることになったからって、失神してたイリーナさんの世話ずっとしてましたよ。キレイな声で歌ってましたっけ――。ええと、エアリスって名前でしたか、不思議な雰囲気の――」
「エアリスだと!?」
 ルードは、危うくイリーナを突き飛ばしてヘリコプターに向かって駆け出しそうになった。そんな彼に、パイロットは事も無げに言う。
「呼んできましょうか? イリーナさん抱えてちゃあ、大変でしょう」
 そして、ヘリに戻って行った。
「……まだいるとは、思えないがな」
 ルードはボソッと呟くと、PHSを取り出して連絡する。
「……レノか? いまジュノンに着いたところなんだが、社長はどうされた」
「相変わらず陰気なしゃべり方をするヤツだな、と。こっちは朝からこき使われて、えらいことになってるぞ。早く帰ってこいよ。坊っちゃんもそう言ってることだしな、と」
「……リーブ部長は?」
「あ? あのおっさんなら、会社中駆けずり回ってるぞ。何せ、うちの部長がやるべきことを全部引き受けてて、その上自分本来の仕事もその合間にこなしてて、更に言うと、坊っちゃんの様子を見ながらスケジュール調整を秘書達としてるからな。文字通り、寝食を忘れて働きづめだぜ? 俺にはマネできないぞ、っと」
 半ば呆れ、半ば感心した声でそう言うレノに、ルードは暗い声で答える。
「……古代種が、単独行動をとっている」
「何だって!? どういうことだ。何で、あんたにそれがわかるんだ!?」
「イリーナとボスを乗せてたヘリに、便乗してたんだ」
「ああ!?」
「驚くのも無理はない。……俺もだ。それで、確認をとってもらいたかった。リーブ部長にな」
「――おっさんをすぐにとっつかまえるぞ、と。あんたは行先を調べるんだろう、当然?」
「……そのつもりだ。まずは、オフィスに行く。イリーナとボスがいちゃ、何もできない」
「了解だぞ、と。社長に報告しないと、これはマズイ――。またあとでな」
「……頼んだぞ、レノ」
 このやりとりの間も泣き続けているイリーナを見て、ルードはため息をつく。
「……当分、使えないな」
 実のところ、イリーナはルーファウスの気まぐれで配属されたとしかルードには思えない。いや、思えなかった、と言うべきだろう。彼女には、ウワサ話をいち早く大量に各方面から仕入れてくるという特技があった。文書の作成も手際がいいし、管理の面ではツォンさえ一目おくシステムを編み出したという実績がある。「実戦で使えない」代わりに、粘り強くデータを調べ上げる根性には、ルードも頭が下がった。
 要するに、何だかんだ言ってるうちに立派な戦力になっていたのである。しかも、あのワガママ代表なルーファウスの相手をしてくれるお陰で彼女が来てからというもの、タークスは平和な日々を過ごしていたのだ。
 さっきのパイロットが、首をかしげながら戻ってくる。
「……やはりな」
 予想できたことだった。だが、ルードにも一つ予想できなかったことがある。
「どうしたんでしょうね。トイレに行くと言って、まだ戻ってないんですよ。迷子になったのかな?」
 首を捻りつつパイロットが差し出したのは、小さな花束だった。
「これ、あの娘がツォンさんに、って。ミッドガルに着いたら、きっともう会えないから。――そう言ってましたよ?」
 よく見ると、花を束ねているのは髪を編んだものだった。
「……慕われてたもんだな、うちのボスも」
 エアリスなりのお別れということか。
 ルードはパイロットに休息をとるよう命じると、少女の捜索は自分がすると告げてジュノン支社へと向かった。