6.

 ツォンの死から、まる一日が経とうとしている。エアリスについての情報は、妙なところからもたらされた。神羅トラベルのツアーデスクが、回ってきた手配書にそっくりの少女が窓口を訪れた、と言うのだ。少女は、ボーンビレッジに行きたがっていたという。ひどく急いでいる様子だったが、手持ちの金では空路は無理とわかり、船で向かうことにしたらしい。
「いまうちの売れ筋なんですよ。ボーンビレッジでの発掘ツアーは」
 だから、特に気にも留めなかったというのだ。
「一攫千金を狙うヤツも、金とヒマを持て余してるヤツも、猫も杓子も発掘に夢中で。急ぎ方がちょっと普通じゃないな――っていうんで、覚えてたんです。トレンドに飛びつくのは、若い娘と相場が決まってますからね」
 それが、ツアーデスクの返事だった。さっそく、港で裏をとる。間違いなくエアリスが船でボーンビレッジに向かったことがわかった。
 ――何のために? ルードには、いくら考えても答えが見出せそうになかった。わけがわからないままに、ルーファウスに報告する。ルーファウスは、一瞬けげんそうな顔をした。
「――ボーンビレッジ? あの遺跡の発掘で有名な?」
 ルードは、黙ってうなずいた。TV会議用のスクリーンに映し出されたプレジデントチェアには、資料が山積みになっている。親指をあごに当てて、しばらく考えていたルーファウス。やがて、青い瞳が大きく見開かれた。
「まさか……いや、しかし……」
 ガサガサと音を立てて、何やら古い本を引っぱり出す。
「小さい頃、お母様が話してくれた神々の都。神じゃなく、それがセトラの民だったらどうだ? 確か、地図があったはずだ……」
 机の状態から察するに、ルーファウスは朝からずっと古代種についていろいろ調べていたに違いない。ルードは、お疲れでしょうとルーファウスにおそるおそる尋ねてみた。返ってきた答えはこうだ。
「何かしていないと、ダメなんだ。物を考えたくない――。頭の中に、空白ができるのが怖いんだ」
 そして、自分なりに考えて出した結論を述べ、それに従ってルードに指示を下す。その中には、明らかにクラウド達に便宜をはかってやれというものもあった。
 通信終了後、ルードはつい独り言を言わずにはいられなかった。
「敵のはずだが、どうも妙な因縁があるようだ……奴らとは」
 エアリスの行方を突き止め、報告もすませたいま、もはやジュノンにとどまる必要はなかった。夜間飛行になるが、朝にはミッドガルに到着できるだろう。
 泣き疲れて眠ったままのイリーナをそっと乗せて、毛布をかけてやるルードだった。

 翌日。ミッドガルは、いまの時期にしては珍しい雨となった。
「空も泣いてるみたいだぞ、と」
 レノはそう言って、リーブにコーヒーを差し出した。
「ああ、ありがとう。――さすがに徹夜はこたえるよ。私も、もう年だな」
「それで、アバランチの奴らに教えてやったんですかい。古代種の都のこと」
「ズバリじゃないがね。とにかく、ボーンビレッジに向かわせることには成功したよ。彼らも、突然エアリスがいなくなって、おまけにクラウドの様子がおかしくて。情報が欲しくて、焦っていたようだからな――」
 胃のためにミルクだけ入れて、リーブはコーヒーを飲んでいる。
「なあ、部長。あんたは知り合いなんだろ、あの元タークスだって奴と。ヴィンセントは、どう見ても二十代後半だぜ? あんたと同期入社で年が三十も違うってのは、一体どういうことなんだよ、と」
「――私は、彼が死んだと聞かされていた。彼も驚くだろうさ、この私の姿を見れば。そして、ケット・シーを通じてタークスの真似事をしているのを知ったら」
「あいつ、セフィロスに理由(わけ)ありらしいな。宝条にも」
「ヴィンセントは、ジェノバ・プロジェクトに携わった科学者の護衛と監視の任務を帯びて、ニブルヘイムへ赴いた。私がそれを知ったのは、ごく最近のことなんだがね」
「宝条博士、ね。何だか胡散臭いヤツだぞ、と」
「君に言われちゃおしまいだな。ハハハ……!」
「ずい分失礼なこと言ってくれるよな、おっさん。――うん?」
 レノのPHSが鳴り、会話が中断される。
「――ボスがお戻りだ。俺は社長室に行きますが?」
「私も行くよ。ルーファウス様の様子も見たいからな」
 コーヒーを飲み干し、外観エレベーターに乗り込む二人だった。

 ルーファウスは、相変わらず仕事モード全開である。
 秘書達が、ずっと休息をとっていない彼にせめてお茶とサンドウィッチでも召し上がっていただかなければお身体が――と、密やかに相談していた矢先。ルードが、気の重い任務から戻ってきた。
 社長室の外のヘリポートから運び込まれてきた棺を見るなり、書類にサインしていたルーファウスの手が止まる。人々が止める暇もない。一瞬後には、駆け寄って棺の蓋をはねのける彼の姿があった。上半身を起こして胸に抱き、髪を撫でている様は――鬼気迫るものがある。声をかけるのも憚られるほど、うっとりとした表情で髪を手巻いて撫でているルーファウス。いつまでたっても彼がツォンから離れようとしないのに不安を感じた秘書達が、恐る恐る声をかけた。
「あの、社長……? ほどほどになさいませんと、そのう、準備が……」
 だが、彼らの声は全く耳に入っていないらしい。困惑する秘書達。
 レノとルードは顔を見合わせ、うなずき合うと二人がかりでルーファウスを引き離そうとした。
「さあ、坊っちゃん。いい子だからその手を離すんだぞ、と」
「……社長はお疲れです。どうかお休みになって下さい。お別れは、そのあとでも十分おできになれますよ」
 しかし、ルーファウスは人形のようにうっとりと微笑んだままだ。仕方なく、力ずくで引き離すことにする。――できないのだ。
 瞬間、ゾッとする二人である。ルーファウスに、こんな馬鹿力があるとは思えなかった。まるで、ルーファウスがルーファウスでないような……。
 そう思った時、精神の階調を失った笑い声が響いた。ギョッとする秘書達。
 なまじ美貌なだけに狂った様子は一層艶やかでなまめかしく、凄絶なまでに美しかった。
「鎮静剤だ――! いや、こうなれば眠っていただくしか。睡眠薬だ、早く!」
「誰か、宝条博士に連絡だ! 社長の気が触れたなどと――もし社内で噂になれば、えらいことになる」
 あわてふためく秘書達をレノとルードが何とか落ち着かせることに成功した頃、ようやく宝条は姿を見せた。
「ほう……『美は乱調にあり』といったところだな。全く、社長は母上によく似てお美しくていらっしゃる。クックックッ……!」
 楽しそうに笑う宝条に、レノは苛立ちを隠せない様子で言った。
「あいにくと、俺達はこんな社長をいつまでも眺めていたくないんでね、と。本格的にどうにかなっちまう前に、何とかしてもらいたいもんだな、と」
「それは残念だ。だが、やむを得ないだろうな」
「あんた、神羅がどうかなってもいいのか? 得体の知れない研究を好きなだけできるのは、会社が後ろ盾にあるからだぞ、と」
「全くだ。それは認めるよ」
 鼻で笑いつつ、宝条はルーファウスに睡眠薬を注射した。
「私には、一時の眠りを与えることはできても、外れた心のタガをはめ直すことはできないぞ」
 そんなにこのお人形が大事なら、せいぜいお前達で何とかしてやることだ――壊れた心をな。
 そう言い捨てて、宝条は去った。彼の言葉が正しかったことは、すぐに証明された。眠りから覚めたルーファウスは、ガラスの瞳であたりを見回す。不安そうに彼は呟く。心配でずっと付き添っていたリーブの顔に、痛ましい表情が浮かんだ。
「ああ、リーブ。そこにいたのか。――お前、誰?」
 リーブのことは認識できるが、その隣のレノのことは誰だかわからないらしい。衝撃を受けた三人だが、次の瞬間に心の底から凍り付く。
「なあ……ツォンは? どこにいる? 私に黙っていなくなるなんて、あいつらしくない」
 真実を答えたとしても、果たしていまのルーファウスにそれが届くだろうか。顔を見合わせる三人を横目に、ルーファウスはベッドからするりと抜け出した。
「ルーファウス様!? 一体、どちらへ?」
 あわてるリーブに、ルーファウスは不思議そうに言う。
「探しに行くんだ。もう三日も会ってない」
 素足にパジャマのまま、ガウンさえひっかけない姿で部屋を出て行こうとする。
「でしたら、どうぞ着替えをなさって下さい」
 そんな彼の様子に、リーブは涙声である。
「おい坊っちゃん、現実逃避してる場合かよ。セフィロスの狙いは、星と一つになることだそうだぞ。そのために、奴が何をしようとしてるのか――。あんた、うすうすわかってるんじゃないのか!?」
 だが、レノの言葉を聞いてもルーファウスはけげんそうに首を傾げるばかりだ。
「セフィロス? ――リーブ、こいつ何者なんだ? そこの大男も見たことない顔だぞ」
 わけがわからない話をされて、少し苛立っているらしい。眉をひそめて首を振る。ややあって、ぐるりと部屋を見回すと再びリーブに話しかける。
「もしかして、お母さまのご用なのかな?」
 パッと顔を輝かせ、帰りはいつ? と無邪気に尋ねる。
「……少し遠い所なので、しばらくは会えませんよ」
 涙がにじんでくるのを必死に堪えつつ、リーブはようやくそれだけを口にする。
「じゃあ、お母さまのところに行く!」
 ニコニコと笑って支度を手伝ってよ、とリーブに甘えるルーファウス。
 どうやら、悲しみのあまり退行現象を起こしているらしい。いまの彼は八歳の子供の頃、幸せだった日々の最中にいるらしかった。
「キーヤ様は、いまひどく具合が悪いので誰にもお会いにはなれないんですよ。そのお辛いご様子を見かねて、ツォンは治療法を知るお医者様を捜しに行ったんですから」
 実際に、過去そういう出来事があったのだろう。リーブの説明に、ルーファウスは何の疑いも持たなかった。
「……わかった。じゃあ、大人しくいい子にしてる」
 二十歳を過ぎた青年が、いい子も何もあったものではないが。本人は至って大真面目だ。両手を組み、目を瞑って祈り始めた。お母さまの病気が、早く良くなりますように。ツォンが無事に帰ってきますように。またみんなで楽しくおしゃべりができますように。
 ――その中の願いは、どれ一つとして叶うことはない。永久に。
「神様を信じてた頃が、あの人にもあったんだな、と」
「……お前にもあったろう」
「ルーファウス様、そういうわけでツォンはしばらく留守ですから。その間は、この二人があなたのお相手をします。あまり無理を言って困らせないでやって下さい。わかりましたね?」
 大きな青い瞳が、レノとルードの姿を捉える。瞬きもせずに見つめられて、二人は少し居心地が悪い思いを味わう。だが、ルーファウスは意に介していない様子で屈託なく笑い出す。
 ヘンな奴ら。お前達、ほんとにタークスなの? と……。
「私は仕事が忙しいので、あまりあなたのお相手はできないかもしれませんが。日に二度、朝と夜には必ず顔を出しますからね。それ以外の時でも、何かあったらすぐに私を呼ぶんですよ。いいですね?」
「うん、わかった。――ところでお前達、名前は?」
「俺はレノ。こっちの無口な相棒が」
「……ルードです。よろしく」
 普通の状態ではないルーファウスに、何を言ってもいまは無駄だろう。仕方なく調子を合わせることにしたものの、一体いつまでこれが続くのか?
 上を向いて目を瞠り、涙がこぼれないように耐えているリーブを見やり、レノとルードは黙って顔を見合わせるばかりだった。