3.

 いきなりタークスの二人をお供に現れた社長。しかも、どう見ても明らかに常軌を逸した表情だ。
 都市開発部のスタッフ達は、驚いて道をあける。コントロールルームへ突進していくルーファウスの目には、人も物も映ってはいないらしい。ドアを開けると同時に叫んだのは、ただ一言だった。
「無事なんだろうな!?」
 それは、彼の冷静な頭脳がはじき出していた事実と正反対の彼の希望。切実な、ただ一つの願い。
 リーブは黙ってスクリーンを指した。そこには、出血多量で瀕死の青年が映っていた。
 あまりの衝撃にドアをロックすることも忘れていたレノ達の背後に、何が起きたのかと不安に駆られた都市開発部のスタッフ達が、おずおずと顔をのぞかせていた。
「くっ……やられたな。セフィロスが……探しているのは……約束の地じゃない……」
 既にしゃべることさえ、青年にとっては辛そうだ。
「セフィロス? 中にいるのか!?」
 驚いているのは忘れもしない、本社ビルを襲ったアバランチのメンバーだという元ソルジャーだった。
「自分で……確かめるんだな……。くそっ……!」
 青年は、肩で息をしながら床を拳で叩いた。
「エアリスを……手放したのがケチ……の……つきはじめ……だ……」
 息が続かないのか、少し間があった。絞り出されるようにして、悲痛な声が漏れる。
「社長は……判断をあや……まった……」
 ルーファウスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「あなた達、勘違いしてる。約束の地、あなた達が考えてるのと違うもの」
 古代種の生き残りの少女は口ではキツイ物言いをしていたが、その言葉は震え、緑色の瞳には涙がたまっていた。
「それに、私、協力なんてしないから」
 少女は、瀕死の青年をそれ以上見ているのが辛い――とでも言いたげに横を向いた。
「どっちにしても、神羅には勝ち目はなかったのよ」
 遂に、柱に取りすがって嗚咽を漏らし始めた。少女にとっても、青年の死は衝撃的なものなのだ。
「ハハ……厳しいな。エアリス……らしい……言葉だ」
 よろよろと立ち上がった青年は、テロリストの元ソルジャーに何かを握らせた。
「キーストーン……祭壇に……置いて……み……ろ」
 ようやくそれだけ言うと、祭壇横に座り込んだ。泣きじゃくるエアリスに、元ソルジャーの青年が近寄る。一瞬首を振り頭を掻いていたが、やがてエアリスから目をそらして言った。
「泣いてるのか?」
 エアリスは首を振った。元ソルジャーの青年に向き直る。そして瀕死の青年を見つつ、妙に淡々とした声で語る。
「……ツォンはタークスで敵だけど、子供の頃から知ってる。私そういう人、少ないから。世界中、ほんの少ししかいない私のこと、知ってる人……」
 少女は、青年に向かってケアルガをかけようとした。だが、それを察知した青年に止められる。
「私は……もう……。エアリス……力……無駄にするん……じゃ……」
「何言ってるのよ! だって、あなたまだ生きてるじゃない!」
「私は……まだ、生きている……」
 時折ピクッと身体を震わせている青年の体内に、まだ流す血が残っているのか。新たな出血が始まり、神殿の床を真紅に染めていく。
 少女は、涙にかすれた声で叫んだ。
「ケアルガ!」
 たまらず、リーブも叫ぶ。
「ケアルガ!」
 二人がそんなことをしても、遠からず青年には死が訪れるだろう。だが、何もしないでただ見ているのは――そんなことはできなかった。
「エアリス、何だったらここに残れ。セフィロスは、俺が追う」
 元ソルジャーの青年がそう声をかけると、少女は毅然として言った。
「それはダメ。だって私は――待ち望まれてたの。ここに来た時、感じた。古代種の意識――死んで星と一つになれるのに意志の力でとどまってる――未来のため、私達のため? 不安……でも、喜んでる気がする。私、来たから? よくわからない。でも、早く中に入りたい! それに――」
 床にできた血溜まりが、黒く変わっていくのを見つめて少女は言う。
「もし本当にこれがセフィロスの仕業なら、私、知りたい。何故彼はこんな風に簡単に人を殺すの? セフィロスって、本当に古代種なの? 私……よくわからない」
「よくわからない……だと?」
 その言葉は唐突で、人々は誰の口から漏れたのか、最初わからなかったくらいだ。涙の止まらないらしいルーファウスは、それまで呆然とスクリーンを見つめていた。悪夢なら早く覚めてくれとでも言いたげに、半ば開かれた口からは呪文のように一つの言葉が繰り返し漏らされていた。
「ウソだ……こんなの、ウソだ……」
 そんな彼が、突然弾かれたようにリーブからコントローラーを奪った。
「ルーファウス様!?」
 リーブも、驚きのあまりなすすべがなかった。
「おい、そこの古代種! エアリスとかいったな。星を救える力があるなら、人一人救うのなんて簡単だろう。ツォンを助けろ! ツォンはな――お前の身代わりにセフィロスにやられたようなものなんだからな!」
 突然叫び出したケット・シーに、少女は泣き濡れた顔で青年から向き直った。まじまじと見つめていたが、やがて静かに口を開く。
「操縦者交代、ってわけね。あなた、ルーファウスでしょ?」
「そんなこと、どうだっていい! セトラの民は、星を癒すことさえできたと聞いている。まして人を癒すのなんて、ワケないだろッ!?」
「私にそんな力があるのなら――あなたに言われなくてもやってる。私、ツォンのこと嫌いじゃないもの」
 言われなくても、とっさにケアルガをかけたエアリスのことだ。ウソをつくはずもなかった。ルーファウスも、わかっている。いまの彼女に、ツォンを助けられるような力はないことを。いや、エアリスだけではない。この世界中、どこを探しても彼を助けられる者はいないだろう。だが、言わずにはいられなかったのだ。
 そんなルーファウスに、エアリスは心情を害した様子はない。彼女には、わかっているのだろう。――最愛の人を失う恐怖に、ルーファウスが気も狂わんばかりなことを。
 ケット・シーはデブモーグリを血溜まりの中に立たせると、するりと下りてツォンのもとに走っていった。柱に寄りかかり、右手で傷口を押さえたままぐったりとしているツォンは、視界が暗いのだろう。すぐそばに立って耳元で怒鳴られるまで、ケット・シーに気づかなかった。
「ツォン……ツォン! わかるか? 私だ」
 ルーファウスの悲痛な声が、神殿とビルの一室でこだまする。ケット・シーの身体から出る声は合成音声で、作り物のはずだ。だが、自分をそのように呼ぶ人間など、他に考えられないのに違いない。ツォンは微笑むと、ケット・シーに向かって手を伸ばした。
「ルーファウス……様……来て下さった……んです……ね……」
 血に濡れた右手が、ケット・シーの頬に触れる。ツォンの目には、ネコ型ロボットではなく人生の半分という長い時間を共に過ごしてきた青年の姿に見えているらしい。愛しそうに右手でケット・シーを抱き寄せ、残る力を振り絞って語りかける。
「セフィロスの……目的は……約束の…地…では……」
「もういい。わかってる。――しゃべるな。傷にさわる」
「あなたの……方が……正しかったです…ね……。申し…訳…ありま……せ…ん……」
「だから――私は反対したんだ。ずっと感じてた……嫌な予感。今度ばかりは、当たって欲しくなかったさ。それなのに……!」
 涙があふれ、声にならない声が漏れた。それはロボットの合成音声では再現不可能なため、神殿にいる人間達には聞こえないはずだが――。
「なあ、ルーファウスのヤツ、泣いてるのか……? 部下が死んだくらいじゃ、何も感じないだろうと思っていたぜ。あいつは、四年前コレル村で……スカーレットの隣りで笑っていた。笑っていたんだ! ――だから俺は、ずっとあいつのことを憎んできたんだ。耳に入るウワサ話でも、あいつの冷酷なやり口は有名だったからな。間違っても、こんな風に……取り乱すようなヤツじゃないと思ってたんだ。違うのか!? あいつは、あれが本当の素顔だっていうのか!? ――じゃあ、コレル村でのあいつは、一体何だったんだよ!」
「私……コレル村の悲劇のことはあなたから聞いた以上のことは知らないけど」
 混乱しているバレットに、エアリスが静かに語りかける。
「でもね、私の監視をずっとしてたツォン……彼、時々だけど自分のことや神羅の社内のこと、ほんの少しだけど話してくれたの」
 ケット・シーの頭を撫でている青年を、エアリスは見た。また涙が頬を伝って落ちていく。
「ある時、私が生意気な口をきいた時にね、笑っていたわ。私、『子守りばかりしてて、よくあなた飽きないわね』って皮肉ったの。そしたらね、とても優しい声で、いつものあのクックックッ……っていう冷笑じゃなく、思わずドキッとする位の――お日さまみたいだなって、その時思った――笑顔で、こう言ったの。『私は、君のそばにいない時も同じことをしているよ。君と同じくらい手のかかる子供が他にもいてね。でも、君と同じで放っておけないんだ。何をやらかすか想像がつかないところも、意地っ張りなところも、年よりも遥かに大人の精神を持っているところも、この汚れた地上には似合わないほどキレイな瞳をしているところまで――。本当によく似ているんだよ、エアリス。ああ、そういえば誕生日も近かったね』って。それで私、尋ねたの。『それ誰なの? 何て名前?』ってね。その時の顔、私、いまでも覚えてる。何故なら、あの人のこと独占してたわけじゃなかったんだ、って――ちょっとショックだったのを覚えてるもの。いまにも空に溶けそうなほど、透明な笑顔だった。その時、私、思った。ううん、感じた――って方が合ってるかな?『この人、もしかして好きでこんな仕事してるわけじゃないのかもしれない』って。まるで恋人の名前でも教えるみたいに、私にささやいたわ。『ルーファウス神羅。君より二つ年上で、将来は君の大嫌いな神羅カンパニーの社長になる子だよ。男の子だけどね、女の子みたいにキレイなんだ。本人は、それが嫌らしいけどね』。だから私、思うんだけど――。多分、ルーファウスにとってもツォンって『部下』じゃないと思う。『友達』? これも違う。何だろう。そんな簡単な言葉で片づくような間柄じゃないわ。ただ、わかるのは――ルーファウスには、もう両親はいない。親戚もいないし、恋人がいるって話も聞いたことない。学校にさえ行かせてもらえなかった彼が、友達いると思う? あんな立場で。本当、何だか私と似てるね……。でも、私には友達がいるもの。こうして一緒に旅をしてくれる仲間がいるもの。それって、心強いことよ。かわいそう。ルーファウス……ひとりぼっちになっちゃう。私、耐えられない、彼だったら。かわいそう、ツォン。私が彼だったら、死ぬに死にきれない。そんなルーファウスを残していかなきゃならないなんて――」
 エアリスの長い独白が終わった時、神殿とビルの一室とは水を打ったように静まり返っていた。ルーファウスのすすり泣く声だけが、空しく響く。
「……や…だ。……嫌だ、こんなの……! 約束したじゃないか……ずっと……一緒にいてくれるって。ずっと……そばにいるって……お前……言ったじゃない…か……」
「忘れては……いません……よ……。皮肉です……ね…。セフィロスが……言った…方法……それが…いまとなっては……あなたのそ……ばにいら…れる……ただひとつの……」
「バカ! 死んで星と同化されても、私は嬉しくないからな。第一、セフィロスに意識を取り込まれたら、どうするつもりだ!? だから――いくな! 逝かないで――くれ。頼む……!」
「彼に…感謝……しなくて…は。即死しなかった…おかげ……で…こうして……話が…できた……」
「僕は、お前を――。お前のこと、ずっと……ツォン!?」
「あなたの……闇夜にも…輝く……金の髪…もう……見えないん……で…す」
「――!」
「声も……ひどく…遠くて……。おかしい……です…ね……」
「それなら、耳元で怒鳴ってやる! だから聞け!」
 しかし、ツォンは既にルーファウスの声を聞くことはできないようだ。ひどく幸せそうに微笑んで、かすかな息と共に言葉を続ける。
「……初めて…お会いした…時から……ずっと……魅かれて…ました……。私は……あな…た……を……」
 その先を聞くことは、永遠に不可能となった。
 ケット・シーに差し伸べられていた右手が、力なくずり落ちる。いつもルーファウスを優しく包み込んでいた光が、瞳から消えた。
 苦しげな呼吸音は、もうしなかった。
 ピクリともしないツォンの姿に、ルーファウスは長いこと茫然自失の態だった。
 まるで、目の前の現象が理解できないとでも言いたげに、まばたきもしないでスクリーンを見つめたまま、微動だにしない。
 凍り付いたように立ちつくす人の群れ。ふいに、ツォンのもとにかがみ込み、目を閉じてやる青年の姿がスクリーンに映った。
 深い悲しみを湛えた紅い瞳。ツォンを思わせる漆黒の艶やかな髪は癖のない直毛で、歩く度にサラサラとマントに触れて音を立てた。
 全身から漂う、奇妙な倦怠感と底知れぬ厭世感が、青年を実際の年齢よりも上に見せる。彼はケット・シーに向かって呟いた。
「かわいそうに――タークスの宿命だな。愛した者は、決して手に入れられない。この男は、私の後輩に当たるらしい……。せめて、この位はしてやろう。それにしても、酷いことをするものだな……セフィロス……」
 立ち上がった青年は、いまだにキーストーンを握ったままの元ソルジャーに声をかけた。
「何をしてる? セフィロスを、追うのだろう。それを祭壇に置くがいい」
「あ、ああ……。そうだな」
 光が現れ、二人を包み込む。それを見て、エアリスは叫んだ。
「待って! 私も行く! クラウド、ヴィンセント!」
 そして、三人は消えた。――神殿内部へと。
 三人の耳に、転送される瞬間響いたルーファウスの慟哭が、いつまでもこだましていた。