2.

「お前さん、見ておくれよ! これが最新式の『魔晄エンジン』で走る車だってよ。すごいよねえ。これがあれば、もうロバはお役ご免だね!」
 ダメもとで応募した懸賞ハガキが当たって、ミッドガルから遠く離れたド田舎に住むある中年女の元に、神羅カンパニーからピカピカの自動車が届いたのは、今朝のこと。
 畑へ行っている夫の帰りを待ちながら、彼女はウキウキと一日を過ごした。この近所で、そんなものを持っているのはこの家だけだった。それだけでも鼻が高いのに、届けられた瞬間の喜びを取材するということで、TVクルーも同行していたのだ。
「あたしも、TVに出たもんねェ……。たいした、たまげた!」
 ご機嫌な古女房を眺めながら、気の弱い夫はおずおずと尋ねる。
「でもお前、ロバはお役ご免だって――いままで一生懸命働いてきてくれたのに。一体どうするつもりだい?」
「そりゃ決まってるさ。売るか、売れなかったら食べちまうしかないね」
「残酷なことを!」
「何か文句あるのかい!?」
「い、いや」
 気の弱い夫は、それ以上女房に物を言えなかった。
 その夜。女房が寝静まるのを待って、ロバ小屋の扉を開ける。朝になれば、女房はロバの買い手を捜し始めるだろう。その前に、逃がしてやらなければ。
「静かにおし。いま、縄を解いてやるからな」
 こんな夜中に、一体どうしたのだろう。ロバは、涙ぐんでいる主人を不思議そうに見つめている。
「最新式の魔晄エンジンを搭載した車が、当たったんだよ。お前の何倍もの荷物を運べる代物だ。可哀相だが、お前はもう用なしなんだよ」
 ああそうか、とロバは納得する。この優しい主人は、それでも自分をおいてくれるつもりだったのだろうが。あのガミガミ屋の女房が、それを許さなかったのだろうと。
 小さな声で、別れのあいさつをする。
「すまないね。さあ、あいつに見つからないうちに、ここから出ておいき」
 月明かりを浴びてトボトボと歩き始めたロバが、名残惜しそうに後ろを振り返った。
「元気でな、ルード」
 こうして、ロバはあてのない旅に出たのだった。

 住み慣れた村を離れたものの、いままで人間と共にしか暮らしたことのないロバにとって、全くの自由は苦痛だった。食べる物は草でいいとして……これから、自分はどうすればいいのだろう。どこで眠り、何をすれば?
 その時だ。
「ギャインッ!」
「この役立たずが!」
 なかなか派手な犬の悲鳴と、苛立っているらしい男の罵声が耳に飛び込んできた。ご丁寧さまなことに、ピシリ! と打ち鳴らされる鞭の効果音付きだ。
 見れば、ライフルを肩に担いだ男が猟犬を罵っている。
「どこの世界に、獲物を逃がしてやる猟犬がいる! 仕事のできない奴は、こうだ!!」
 よほど腹に据えかねたのだろう。何度も何度も、容赦なく鞭を振り下ろしている。犬は哀れな悲鳴を上げていたが、やがて気絶したのか。ピクリともしなくなった。
「――フン! そこでのたれ死ぬがいい。私に逆らうと、どんな目に遭うか。少しは骨身にしみたろう」
 犬を憎々しげに蹴りつけると、男は笑いながら去っていった。ロバは、犬が気の毒になって近くまで寄っていった。
 まさか、死んでしまった……? くたりとしたきりの犬を、心配になって鼻の先でつついてみる。
 すると、かすかに呻き声が漏れた。
(どうやら、死んではいないな。だが、このままでは――)
 野ざらしでは、狼のいいエサだ。かと言って、自力では動けまい。どうしたらいいものかと悩むロバの耳を、可愛らしい少女の歌声がくすぐった。
 急いで、声のした方に走っていく。少女は花を摘みながら、楽しそうに歌を歌っている。その傍らには、真っ白な毛並みの猫が一匹。ひらひらと舞う蝶を追いかけて遊んでいたが、突然現れたロバに驚いたのか、四肢を突っ張らせて体中の毛を逆立てた。
「イリーナ? どうしたの、そんなに唸って」
 少女は、飼い猫の視線の先をたどった。危険な雰囲気は感じられなかったが、何故こんな森の中にロバが?
 一方、ロバの方では犬が助かるかもしれない、という希望にホッとしていた。住み慣れた村でも、概して少女というのは優しくしてくれたものだ。まして、猫を可愛がるようなら、瀕死の犬を見捨てるようなことはしないだろう。
 意を決して、ロバは少女に近づいていった。相変わらず猫はフーッと唸っていたが、この際かまっていられない。少女の服をなるべくそっとくわえると、犬のところへ案内しようと引っ張った。
「私に、一緒に来て欲しいのね?」
 聡明な少女で、助かった。――ロバは服を放すと一声鳴き、少女を連れて歩き出した。猫はニャア、ニャア、と鳴いていたが、少女に抱かれるとおとなしくなった。
 妙な取り合わせの一行は、こうして犬のもとにたどり着いた。
「まあ! 可哀相に。さぞ痛かったでしょう? いまケアルをかけてあげる」
 少女はボロ布のように打ち捨てられた犬を見て眉をひそめ、マテリアを取り出すとケアルをかけた。効き目は、すぐに現れた。呻くことしかできなかった犬がむっくりと起き上がり、少女の手をなめている。千切れそうに振られている尾が、その感謝の度合いがいかほどのものかを示していた。
「良かったわね。でも、どうしてロバさんと一緒なの? あなたのおうちは?」
 優しく尋ねる少女に、人間の言葉が話せたらと思うロバと犬。複雑な思いをその目に込めて、二匹はただじっと少女を見つめるしかなかった。
「行く所、ないの? なら、私の家に来るといいわ。何もないけど」
 そう言って、花を摘んだ籠を腕にかけて、胸に猫を抱くとニッコリと笑った。
「私は、エアリス。この子は猫のイリーナよ。ちょっとイタズラ好きで、おしゃまさんなの。よろしくね」
 とにかく、今夜寝る所の心配はこれでしなくていいわけだ。犬を助けたことから妙な成り行きとなったが、話し相手のあるのは嬉しい。足取りも軽く、少女を背に乗せて家に向かうロバだった。

 少女の家は、ごくこぢんまりとしたものだった。必要最低限の家具。色とりどりの花々だけが、室内を殺風景なものになることから救っていた。
「ただいま、お母さん!」
「ああ、お帰り。あら? エアリス、そのロバと犬はどうしたの。どこか、ケガでも?」
「さっき森で手当てしてあげたの。この犬、鞭で死ぬほど打たれたらしいわ。息も絶え絶えだったのよ?」
 理不尽な仕打ちを受けた犬に代わって、エアリスは口を尖らせて怒っている。そんな娘の様子に、母親のイファルナは微笑んでみせる。
「とにかく、夕食の支度を手伝っておくれ。お前に、話したいことがあるのよ」
「わかったわ。イリーナ、仲良くしててね」
 エアリスは後ろで一つに束ねた髪を揺らし、軽快な身のこなしでエプロンを手にすると、母親について台所へ去った。あとに残された動物三匹は、お互いに自己紹介しあうことにした。
「あんた達、運がいいわね。うちのご主人様は、本当に優しくていい人なんだから☆」
 猫のイリーナがそう自慢げにニャアンと鳴くと、ロバのルードもポツリと漏らす。
「……うちは、ご主人はいい人だったんだ。でもな。女房がスゴイ人で」
「フウン。追い出されちゃったの?」
「……違う。逃がしてくれたんだ。魔晄エンジンで走る最新式の車が、懸賞で当たったそうだ。そうなると、この俺は用なしだからな。売られるか、喰われちまうか。あの女房じゃ、まずそんなとこだろう」
「そうだったんだぁ〜。――で、あんたは?」
 ケアルをかけてもらい、恐ろしい主人から逃れられて、ようやく人心地ついたのか。それまで口もきけなかった犬が、身の上話を始めた。
「私の主人は、狩猟が趣味でな。ここへは、狐狩りに来たんだが」
 追い詰めたものの子狐を必死に庇う親狐の姿を見て、自分の仕事に疑問を感じてしまったのだという。生きるための狩りなら、殺らなければ自分が殺られる。これは、対等な立場だ。
 だが、自分の主人がしているのは、ひとときの楽しみのための狩りではないか。たった一匹を、大勢の猟犬で追い回し、銃で殺す。そんなことの繰り返しに、嫌気がさしてしまったのだと。これは、果たして誇りある仕事なのかと。
「もちろん、そういうことを考えた時点で、私は猟犬失格だ。主人に殺されても、文句は言えないな」
 淡々と身の上を語った犬を、先ほどまでとはうって変わったキラキラと輝く目で、イリーナが見つめていた。
「何て素敵なのっ☆人生を、哲学してるのね! そのちょっと影が落ちてるとこが、キャッチ・ザ・ハートだわ〜! やーん、いままでこういうタイプって、見たことなかったのぉ〜〜〜!!」
 一人次元の違う世界に行ってしまったらしいイリーナを呆然と見つめる二匹だったが、やがて気を取り直したルードが尋ねた。
「……ところで、名前は?」
「ツォンだ」
「みんなー、お食事よー。はい、イリーナ。あなたはこれね。ロバさんは――ちょっと待っててね」
 パタパタと外に出て行ったエアリスが、桶に馬用の飼い葉を抱えて戻ってきた。
「はい。お隣さんから、分けてもらったの。悪いけど、これで我慢してね」
 いいタイミングで、食事となった。
 少女と母親の会話を聞きながら、イリーナはご機嫌で。そしてあとの二匹は、いささか疲労感を覚えながら食べていたのだった。



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