Once upon a time……



1.
「……何を熱心に読んでるんだ、イリーナ?」
 普段人のやることに質問しないルードが尋ねたくなるほど、このところイリーナはある本を読み耽っていた。
 お昼に社員食堂で女友達とお喋りする楽しみを棒に振ってまで、自分の席でサンドイッチを片手に読むこと三日。よほど面白い本に違いない。
 ――そう、彼女が大好きな波乱また波乱の末にようやく結ばれる恋人達、といったような筋立ての恋愛小説とか。ところが、今回はそうでなかったようだ。
「あ、ルード先輩」
 サンドイッチの最後の一片を口に押し込み、イリーナは口をもぐもぐさせながらしおりを挟む。そして、問題の本をルードに差し出した。
「……『本当はコワーイ童話集・いま明かされるアンデルグリムの謎!!』?」
「お前もいいかげん流行に乗りやすいよな、と」
 呆れた口調で、レノが言う。
「ミーハー女王様、イリーナ。墓にそう刻んでやるからな」
「またそういうことを言う。ホント、レノ先輩ってば口が悪いですよね!」
 またまた始まった部下達のしょうもない会話を、聞くでもなしに聞いているツォン。
 次から次へと、よくもまあマイブームの種が尽きないものだ――。イリーナには、妙なところで感心させられる。確かこの間は「動物占いって、すっごくよく当たるんですよぉ〜!」と、騒いでいたような気がする。
「ツォンさんは、トラですねー。トラは、恋人にするならコアラかたぬきがいいそうです……って、やだ! 確か社長、コアラじゃありませんでした!? ――ショックですぅ。やっぱりお二人って、お似合いなんですね〜!」
 と、泣き出されそうになったことを思い出す。
(いや、それは違うだろうイリーナ)
そう訴えたくても次から次へと占いの分析を並べ立て、一人で泣いて一人で納得して一人で立ち直っているイリーナには、声をかけることもできなかった。
(あれは、すごかったな)
 しみじみとコーヒーを飲んでいる彼の耳に、本を解説するイリーナの声が飛び込んできた。
「――白雪姫のお母さんって、実は継母じゃなく実母なんだそうですよ。要するにあの話は、王様をお妃様と王女様とで取り合うドロドロ家庭物語で、見ず知らずの若い女の死体を引き取りたがった通りがかりの王子様は、死体愛好者だったっていう、救いのない話らしいですよー。何だか、嫌になっちゃいますよね。小さい頃聞かされたお話が、そんな風に言われちゃうと」
 例のトンベリのマグカップを手に、ルードとレノを相手にため息をついている。
「お伽話のお姫様って、小さい女の子にとっては憧れなんですよ。キレイなドレスを着て、立派なお父様と優しいお母様がいらして。いろいろ苦難を乗り越えた末に、素敵な王子様と結婚して、二人は末永く幸せに暮らしました――っていうお決まりのパターン。これじゃイメージぶち壊しで、悲しいですぅ」
 その時だ。
「ツォンいるか?少し聞きたいことがあるんだけど」
 ルーファウスが、ひょこっと姿を現した。
「おや、坊っちゃん。今日は何の用で?」
「アイシクル地方に伝わる昔話で、ちょっと気になるものがあってな。意見を聞こうと思って」
「……今日はよくよく、昔話に縁のある日らしい」
 ポツリとつぶやいたルードの言葉に、ルーファウスが耳をそばだてる。
「何かあったのか?」
「いやね、ちょうどいま、これの話してたんすよ。ほら」
 ベストセラーになっている位だから、タイトルはルーファウスも耳にしていたようだ。だが、実際目にするのは初めてだったのだろう。
「ああ。これが、あの――」
 興味があったのか、パラパラとページをめくっている。やがて、全体にサッと目を通した彼が言った一言は。
「……どうも私が聞かされた話とは、別物だと考えるべきなんだろうな」
「ルーファウス様も、小さい頃に童話なんて読んだんですかぁ?」
 意外だったのだろう。イリーナが、瞳を見開いて尋ねた。
「お母様が、よく読んで聞かせて下さったぞ?」
 想像するだけで、絵になりそうな情景だ。
「ずい分人並みな子供時代を過ごしてるんですね。何だか、ホッとしちゃいました!」
「私だって、昔からこうだったわけじゃないんだぞ、イリーナ」
 苦笑して、本を返すルーファウス。
「子供の時は、素直だったさ」
 これには、大いに異議を唱えたい人間がいたようだが――。
 そんなことはありません。あなたは、昔もいまも変わりありませんよ。
 そう言いたげなツォンには全く気づかず、小首をかしげて彼は言う。
「そうだな、あの話なんて好きだったぞ。ロバと犬と猫と鶏の出てくる……そうそう。『ミッドガルの音楽隊』だったっけ?」
 本来の用件を忘れて、お喋りに夢中のルーファウスである。



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