6.

「――あ? よく聞こえなかったぞ、と」
「お前がいないんで何かと不便だろうと言って、社長が直々に面接をされたんだ」
「坊っちゃん、俺達の仕事を理解してるのかな、と」
「……頼む、レノ。早く復帰してくれ」
「あんたが泣き入ってるなんて、珍しいこともあるもんだな、と。その新入り、余程の変わり者なのか?」
「……俺は、ああいうのは苦手なんだ」
「私も同感だ。ケガ人にこんなことは言いたくないが、さっさと治して退院しろ。――わかったな?」
「ツォンさん! ルードといい、二人してどうしたんすか? 何だか疲れてますね、と」
「――まあな」
 暗い表情でうなずくツォンとルードに首をかしげつつ、7番街プレート支柱爆破ミッションで負傷したレノは、タバコに火を点けて一服しようとした。その時。
「あーっ! いいんですかあ、病室でタバコなんて吸っても。レノ先輩、ダメですよ。サイドテーブルにカートン置いてちゃあ!」
 いきなり天から降ってきた黄色い声に、ギョッとしたレノはあやうくタバコをベッドに落としそうになった。
「うわっ!?」
「やっだぁ。寝タバコは、火事の原因になるんですよ。それに、いくら個室だからって……これじゃマージャン部屋です。もっと病人らしくして下さいよね!」
 信じらんなーい! と言いながら、窓を全開にして空気を入れ換えるイリーナ。
「何だか殺風景ですねー。やっぱお花持ってきて正解だったわ」
 今度は、花を生けてタバコのカートンの代わりにサイドテーブルに置いている。
「……お前、何者なんだ?」
「えーっ!? ルード先輩、ツォンさん! 私のことまだ紹介してくれてなかったんですかぁ!?」
「……すまん」
「いや、私もいま来たところでな。ちょうど話そうとしていたら、お前が入ってきたんだ。そうむくれるな、イリーナ」
「イリーナって……じゃあ、このお嬢ちゃんが、新しいメンバーだって言うんですかい!? 冗談が過ぎますぜ、と」
「ひっどぉい。レノ先輩、信じてくれない!」
「その先輩、ってのはやめろよ、と」
「じゃあ、レノ」
「おい! 何で呼び捨てになるんだよ!? と」
「――にぎやかだな。元気そうじゃないか、レノ」
「坊っちゃん!?」
「社長と呼べ、と命じたはずだが?」
「社長! 社長からも言って下さいよ。レノ先輩ったら、私のことタークスのメンバーじゃない、って……。てんで信じてくれないんです!」
「レノ。お前も後輩ができたんだ。イリーナの手本になれるよう、いっそう職務に励んでもらいたいものだな?」
「社長、本気ですかい!? こんなお嬢ちゃんに、タークスの仕事をさせるなんて」
「フン。少なくとも、書類作成・文書管理能力はお前より上だぞ。今度本社に顔を出した時、調査課は別の課と思うぐらい、見違えるように片づいているぞ。よく礼を言っておけよ?」
 一人満足げなルーファウスの様子に、レノは返す言葉もなかった。そしてふと気づけば、イリーナがツォンにまとわりついている。
「レノ先輩、まだ退院できないんですよね!? ということは、私にも活躍できるチャンスがある、ってことですよね。――危険なミッション、芽生えるロマンス! きゃあっ!何だか私、ワクワクしてきましたぁ☆」
「そんな事はないと思うぞ。夢見がちなお嬢ちゃんだぜ、と」
 呆れるレノに、ルードが答えた。
「……ずっと、ああなんだ」
「あんた、もしかして疲れてるな」
「――レノ!」
「何ですか? と」
「楽しんで見てないで、イリーナを私から引き離せ!」
「俺はかまわないんですがね……さっきから坊っちゃんの無言の圧力、ってヤツを感じてましてね。そんなことしていいのかな、と」
 ルーファウスは、イリーナに向かって「やれやれッ!」とでも言いたげに腕を上げてエールを送っている。
「この状況を完璧に楽しんでますね、ルーファウス様!?」
 さっきから黙ってこの騒ぎを眺めていたルーファウスが、声を立てて笑った。
「いけないか?」
「私の仕事は、あなたを守ることなんですよ!? これでは、いろいろ不都合が――」
「不都合? お前、女から好かれて不愉快なのか? 問題発言だぞ、それは。まさか、男にしか興味がない、なんて言わないだろうな?」
「ルーファウス様!! ご冗談は、ほどほどになさって下さい!」
 常に冷静沈着なツォンが、顔を真っ赤にして髪を振り乱して叫んだ。
「ふうん? それじゃあ、イリーナのことが気に入らないのか?」
「いえ! そうではなく――」
「何なんだ?」
「私は……私には、仕事が全てです。あなたを守ること、あなたの夢の実現に役立てること、それが生き甲斐なんです。キーヤ様とも、そう約束しました。だから、私自身のことはどうでもいい――。あなたさえ幸せなら」
 思いがけず、ツォンの心の奥底に眠る真情を激白されて、ルーファウスは動揺を隠せなかったようだ。髪をかき上げ、病室の中をウロウロと歩き回る。
 一方、イリーナの方でもショックだったらしい。じわあっとにじんでくる涙を、必死の思いでこらえているのか。さっきから、天井に顔を向けたままだ。
「あーあ……。これは収拾がつかないぞ、と」
 見舞いに来られているはずのレノは、これじゃあ養生してることにならないんだがなと、ベッドの上であぐらをかいた。しばらく頭をポリポリと掻いていたが、ルードが部屋を出て行こうとするのに気づき、それを目で制した。そして、ルーファウスに向かってわざと明るい声で呼びかけた。
「良かったじゃないすか、坊っちゃん! ツォンさん、坊っちゃんのこと命懸けで愛してくれてますぜ、と」
「そんなの、良くないに決まっている! どこの世界に、自分自身を犠牲にして幸せなヤツがいる!?」
「ここにいるみたいですぜ、と。――そうっすよね、ツォンさん?」
 かすかにうなずくツォンを見て、ルーファウスは叫ぶ。
「お母様との約束だと言ったな!?」
「はい。キーヤ様はお亡くなりになる直前、私にルーファウス様のことを頼む、とおっしゃいました。死者との約束は、神聖なものです。守られねばなりません」
 すると、ルーファウスは勝ち誇ったように叫んだ。
「それなら、おあいこだな。私は、お母様からこう頼まれたぞ。『オヤジの横暴からお前を守れ』、『お前をこれ以上不幸な目に遭わせるな。できるなら、私の力で幸せにしてやれ』とな。オヤジは、もういない――。となると、あとは私がお前を幸せにしてやればいいわけだ。キーヤお母様との約束は、守らなければいけないんだよな、ツォン?」
 形勢を逆転されたツォンは、言葉に詰まってしまった。すかさず、ルーファウスは追い打ちをかける。
「それにお前、ひとつとても大事なことを忘れてるぞ。私は、お前が幸せじゃなきゃ幸せにはなれないんだ。私のことをそうしたいのなら、まずお前が幸せにならなきゃな。――気づいてなかったろう?」
 サファイアを思わせる瞳に、優しい光がゆらめく。イリーナは泣きたくなるのを我慢していたのだが、そんなルーファウスを見ていると素直に白旗を掲げて降参してもいいかな……と思うのだった。
(だって、この二人の間に通い合ってる気持ちって、ハンパじゃないもの)
 信頼、愛情、尊敬、それらが互いに複雑に絡み合って。
(まるで、迷宮のよう。時々お互いに気持ちがすれ違ったり、ささいなことで誤解があったり。そんな時、迷子になって不安になって、ついイライラして。そして、相手を傷つけるような言動をするんでしょうね。でも、それはホントの姿じゃない、って長年の付き合いでわかっていて、すぐに仲直りするんだわ。――ムリだなぁ、私には。ツォンさんの目には、やっぱ社長しか映ってないんだもん)
 そっと涙をぬぐうイリーナに、黙ってルードがハンカチを差し出した。
「……ルード先輩」
「……勝負は、一回戦だけじゃない」
「ありがとうございます。なぐさめてくれて。でも私、平気ですから」
「……無理するな」
「そうそう。女は可愛げがあるのが何よりだぞ、と」
「レノ先輩。悪かったですねえ、私、可愛くなくて」
「そうは言ってないぞ。まあ気長に攻めろよ、と。ちなみに、ツォンさんの好みは坊っちゃんのお母さんとか、例の古代種の娘だぞ、と。もう少しおとなしくしてる方がいいかもな?」
「――それ、私を発奮させようとして言ってます? それとも」
「もちろん違うぞ。人間あきらめが大切、ってこともあるからな、と」
「レ〜ノ〜先輩〜〜〜!!」
「病人に手を上げるなよ、と」
 ドタバタ騒ぐレノに、ルーファウスがツォンとのラブラブドリームモードから、現実に引き戻されたらしい。不審そうな表情で、レノとイリーナを見つめる。
「何やってるんだ? お前達」
「おや、いつの間に白昼夢からお戻りで? と」
 レノの言葉を聞き流し、ルーファウスはいつものペースを取り戻した様子で、タークスメンバー全員に改めて告げた。
「だいぶ話がそれたが。とにかく、イリーナはタークスの一員だ。レノ、ルード、仕事のことはお前達がよく面倒見てやるんだぞ。いいな?」
「はいはい。坊っちゃん――いえ、社長のご命令ですからね、と」
「……わかりました」
「それから、ツォン」
 ルーファウスはニヤリ、と笑った。
「イリーナを配属した理由が心の底からわかったら、お前もたいしたものなんだが……。いまはわからないだろう?」
 こくん、と素直にうなずくツォンに、ルーファウスはイリーナの肩をポンポン、と軽く叩いて言った。
「お前のその性格、年季が入ってるからな。まあ、私は、お前がその理由に気づかない方に賭けるな」
 そして、ツォンを煙に巻いておいて、イリーナにそっとささやいた。
「さっきは悪かったな。でも、へこたれるなよ? 私は、お前を応援してるぞ。それを忘れるなよ?」
 思ってもみない優しく、力強い励ましの言葉に、顔を上げたイリーナ。その瞳に、くったくなく笑っているルーファウスが映った。
「社長……。社長のこと、天使に見えますぅ……」
「ほう? 頭に光輪でも見えたか? それとも、背中に翼でも生えてるか。まだ私は、死にたくないんだがな?」
「ついでに尻尾も見えたんじゃないのか? もしそうなら、そりゃ天使じゃないぞ。いわゆる堕天使、ってヤツだぞ、と」
 レノの突っ込みに、ルーファウスは社長ならではの大技で切り返す。
「――レノ。今回の負傷、業務上ということで労災が適用されてるんだが。取り消してやろうか? もし取り消されたら、いままで払われた休業補償給付……これは返さなければならなくなるよなあ。それに、私からの個人的な見舞金も返してもらうとして……お前、貯金あったっけ? ああ! 社長である私に、ウソの報告をするとはなあ。何て度胸がいいんだろうねぇ、お前は。何なら有給休暇……これもおしおきに全部取り消してやろうか?」
「そりゃないぜ。あんまりですよ、坊っちゃん!」
「社長、だ! 何度言ってもわからんヤツだな――!」
 すっかり打ち解けて、なごやかな笑いに包まれる病室。その笑い声は、ナースステーションにも響いていたらしい。ルーファウスやツォンと共に帰ろうとした時、看護婦達が新聞を片手にイリーナを呼び止めた。
「ねえ、あなたでしょ!? イリーナさん、って」
「えっ? ええ、そうですけど。何かご用ですか?」
「おめでとう!『ラッキー・ガール』さん!」
「先に行くぞ、イリーナ。なるべく早くな」
「はっ、はい! すみません、ツォンさん!」
 くるり、と振り返ったルーファウスが、手をひらひらと振る。適当に切り上げろよ? と言いたげに。
「あら、ごめんなさいね。お仕事中だったのよね?」
 タークスの制服である濃紺のスーツに身を包んだイリーナを、看護婦達が取り囲んだ。
「でも、ちょっとお話したかったのよ。何たって、あなたは超有名人なんですもの。それに、さっきとても楽しそうな笑い声がレノさんの部屋から聞こえてきたし。羨ましいわぁ、『ラッキー・ガール』イリーナさん?」
「レノさんはひょうきんな人だし、ルードさんは気は優しくて力持ち、って感じだし。主任のツォンさんは渋くてステキだし。それに、新社長のルーファウス様! 金髪だし、真っ青な目の色してるし、白のダブルのスーツがよく似合ってるし……。カッコイイわよねえ! あんな人達に囲まれて仕事出来るなんて、スゴイわぁ☆」
 無邪気な言葉の羅列。つい数日前までは、自分もその一員だったのだ。だが、いまは――。
(違う。違うのよ)
 でも、言えない。言ったところで、誰が信じる? この世の中には、知らない方が幸せになれる、ということもあるのだと……。
(それでも私は、後悔してない。くよくよしたって、始まらない! さあ、新しい人生が待ってるわ、イリーナ。歩き出さなきゃ。にっこり笑って、胸を張って! ――だって私は)
「羨ましいでしょ? 何たって私、『ラッキー・ガール』ですもん!」
 ため息をつく看護婦達をあとにして、軽やかに走る。
「待って下さーい! 置いていかないで下さいね、社長! ツォンさん!」
 ――そう。こうなったら、どこまでも追い続ける。想い続ける。願いが、いつか叶う日まで。
「私、負けない!」
 ラッキー・ガール、イリーナの記事が一面トップを飾る神羅新聞。ミッドガルは、まだ偽りの平和をむさぼっていた。


= END =