5.

「失礼します!」
 快活な足取りで入ってきたイリーナを、ルーファウスは興味津々で迎えた。
 リーブからの報告書では、化粧気は全くないが美しいプラチナブロンドとエメラルド・グリーンの瞳の持ち主で、くるくると表情の変わる娘だとあった。
 ――その通りじゃないか。
 何も言わずに彼女を見ている自分の前で、一人忙しく百面相を披露しているイリーナを見て、ルーファウスは吹き出しそうになった。満面の笑顔は、雲一つない夏の空――コスタ・デル・ソルの海を思わせる深い青――といったところか。
 口を開かない自分に、少し不安になったのだろう。視線が、そっと部屋を一周する。自分と二人きりなのに気づいて、ほんの少し首をかしげた動作は、思いのほか愛らしい。秋風に頼りなげにゆれるコスモスのようだ。一瞬迷ったような表情をして、次にまっすぐ自分を見つめた時は、冬の夜空にきらめく星のように厳粛な表情で、年よりも大人びて見える。
「では、行くぞ」
 立ち上がったルーファウスに、イリーナは目を丸くしている。
「えっ……!? これから、面接だと聞いているのですが」
「その通りだ。お前には、いろいろ訊きたいことがある」
 素っ気ない言い方とは裏腹に、ルーファウスは楽しそうに笑っている。意地の悪さは、感じられなかった。
「ついて来い。――見せたいものがある」
 スタスタと歩き出すルーファウス。イリーナはあわてて、その後を追った。
 ヘリに乗せられた時には、さすがにこれからどうなるのか。思わず不安になったイリーナだが、着いた場所はミッドガル郊外の、とある家だった。
 こぢんまりとしたありきたりの庶民の家だが、特筆すべきは、家の裏手に見事に咲き乱れる花々だろう。
「わあ……! ステキですね。この都市(まち)にも、花が咲くところがあったなんて。私、全然知りませんでした!」
「ここだけだ。ここと、近くにある教会の、敷石がはがれた部分。その二箇所だけに、こうして花が咲く」
「不思議。他の土地では、花の咲かないことの方がおかしいのに、ミッドガルでは逆だなんて……」
「ここの土は、死んでいる。――そう言っていたそうだ、ここの住人は」
「ご存じなんですか!?」
 無邪気な問いに、ルーファウスは表情をわずかに曇らせた。
「ああ、知っている。だが、会ったことはない」
「――?」
「お前はどう思う? この風景を、美しいと感じるのだろう。ならば、ミッドガルのことは、よくは思っていないのではないか?」
「そうですねぇ……。プレート都市なんてラディカルなシロモノ思いつくの、リーブ部長ぐらいのもんですよねえ。でも、次に造られるプレート都市は、もっと改良されるんじゃないかって思います。だってリーブ部長、真面目な方ですし、プレート落下事故ではだいぶ責任を感じていらっしゃいましたもの。このところ64階の仮眠室の常連さんだ、ってウワサで持ちきりですよ?」
「責任、か――。確かにな。あいつには、良心がある。持っていたところで、自分を傷つける役にしか立たないシロモノだがな」
「社長は、リーブ部長のことが大好きなんですね」
「ちょっと待て。――何故そうなる!?」
「ご自分では、どんな表情(かお)していらっしゃるか、わからないですよね。でも、いまの言葉……物言いはキツイですけど、瞳が優しかったです。私、社長のこと誤解してました。謝ります。ウワサだけで、勝手に思ってたんです。『血も涙もない、権力志向は父親以上のボンボン』って。お会いしてすぐわかりました。そんな方じゃない、って」
 勢い良く頭を下げてごめんなさい、と謝るイリーナに、ルーファウスは絶句した。
 イリーナが自分に対して心証を良くしようと思って演技しているのではないことは、彼女がその後述べた言葉から明白だろう。目が点になって固まっているルーファウスを見て、イリーナは肘でつついて笑った。
「やっだぁ……。もしかして社長、人から褒められるの慣れていませんね!? 真っ赤になっちゃって。――かっわいいんだぁ☆」
「おっ……お前なあ!」
「あ! ――そう言えば、社長って普段ミッドガルにいらっしゃいませんよね。この街のこと、お好きじゃないんですか?」
「私は、コスタ・デル・ソルの別荘で育ったんだ。母が身体の弱い女性(ひと)で、ここの空気が合わなくてな。結局、まだ私が幼い頃亡くなって……。それ以来、家族と呼べるのはオヤジじゃなく、リーブとツォンの二人ぐらいのものだからな。あの二人がいるから、我慢してるんだ。でなければ、誰がこんな所……!」
「察するに、リーブ部長がお父さん役で、ツォンさんがお母さん役ですね!」
「……あのなあ。さっきから思ってるんだが」
「はい。何でしょう?」
 瞳をキラキラと輝かせて、イリーナがドリームモードの入った表情で見つめている。頭痛をおぼえながら、ルーファウスはビシッ! と指を突き出した。
「これは、面接だぞ! そして、お前は応募者だ。――つまり、質問をしていいのは私で、イリーナ、お前ではないはずだがな?」
「でもぉ……社長とお話できるなんて、こんなチャンス二度とないかもしれないですしぃ……。それに、ツォンさんといつも一緒にいられる社長のこと、羨ましくて。ルーファウス社長ってどんな方なのか、興味津々だったんです――」
「それだ、私が訊きたいのは。お前は、何故ツォンのことを……その……そんなに好きなんだ!? 周りに、もっといい男がいるだろう。例えば、あいつより背が高いとか、顔がいいとか、性格が明るいとか、仕事オンリーの過労死予備軍じゃなく私生活も充実してる、とか……。どうしてだ!? 何であいつじゃなきゃいけない!?」
 妙にムキになっているルーファウスの様子に、イリーナはツォンに対するルーファウスの並々ならぬ執着心を感じた。
「社長は、ツォンさんのことどう思っているんですか? ただの部下で、使い勝手のいいかつての養育係くらいにしか思ってないんですか!?」
「そんなはずないだろう! あいつは仕事バカだから、いつか私のために命を落とすんじゃないかと、心配で心配で――」
 言ってから、しまった、とばかりに口をつぐむルーファウス。白磁を思わせる頬が、バラ色に染まっていく。やがて耳まで真っ赤になったルーファウスを見て、イリーナは思うのだった。
 ――ルーファウス社長のお母さんって、きっと絶世の美女だったに違いないわよね。風にサラサラとなびくハニーブロンド、サファイアみたいなブルーアイ。社長やめても、超売れっ子のホストに即日転身OKだわ……性格は別として。
 妙な感動すら覚えて眺めているイリーナに、ルーファウスはやんちゃ坊主よろしく叫んでいる。
「い、いまのは、言葉のアヤだ! 口がすべっただけだぞ。 私は、社長だからな。これは、単に労働環境の改善というヤツで、決して個人的な感情で動いているわけじゃないからな!」
 必死になってまくし立てるほど、言葉とは裏腹のルーファウスの愛情が感じられ、イリーナはますますルーファウスに好意を抱いた。
 素直な人なんだ。自分のために尽くしてくれる人に報いたいと、心から思ってるのね。ちょっとかわいいじゃない?
「さっき、質問なさいましたね。何故私がツォンさんのそばにいたがるのか、って」
「ああ。よければ、聞かせて欲しい。昔から知っている私とは違って、何かきっかけがあるのだろう?」
「ええ。あれは、ウータイとの戦争が一番激しかった頃――。私の住んでいた町は、何の取り柄もない田舎町でしたけど、戦争が始まると一変しました。最前線へ送られる兵士や食糧、武器などの補給基地が置かれたんです。日に日に旗色が悪くなっていくウータイ側は、ある時ついに補給基地を攻撃してきたんです。彼らにしてみれば、この戦いが分水嶺。その攻撃のすごさといったら、運び込まれた負傷兵で、一週間後には町中の病院から空きベッドが消えた程でしたから――。ご想像いただけると思います」
 神妙な顔で聞いているルーファウス。イリーナは、先を続けた。
「ウータイの総攻撃を受けたことは、本隊に知らされていました。ただ、応援部隊が到着するまで持ちこたえられるか? 誰の目にも、陥落は時間の問題なのが明らかでした。その時です――私達が、初めて総務部調査課の存在を知ったのは」
「お前、ツォンがした事を知ってるのか?」
「後で聞きました。ずっと後になって」
「聞いた時、何も思わなかったのか?」
「いいえ。大変な仕事をしてるんだなあ、って思いましたよ。命懸けの仕事ですよね。――ソルジャーなら絶対にしないような、汚れ仕事」
「卑怯なやり口だと、責めないんだな?」
「だって、あの時ウータイの指揮官が暗殺されていなかったら。私達は、今頃お墓の下ですよ? お墓……敵がそんな風に丁寧に埋葬してくれるとは、とても思えませんけど」
「そして、お前はわかっているんだな。――タークスが、どんな仕事をしなければならないのか」
「……本当のことを言えば、誘拐とか人殺しとか、ダークなことには関わり合いたくありません。でも、人から感謝されることだってあるんですもの。――私が、ツォンさんに助けてもらったように」
「リーブとは、違う考えを持っているようだな?」
「私のこと、銃撃からかばってくれたんですよ。多分そんなこと、ツォンさんは覚えてないでしょうけど」
「身をもって命を救ってくれた恩人が、町の救い主でもあった。――そういうわけか」
「ええ。苦労しました。どうしても、会ってお礼が言いたくて。神羅カンパニーの社員だ、ってことしか最初わからなくて……。ウータイ軍の退却の原因が指揮官の暗殺で、それを実行したのはタークスだ、とわかった時決めたんです。神羅カンパニーに入ろう、って。そして、いつかツォンさんに恩返しをするんだ、って」
「変わった娘だな。お前くらいの年頃の女は、銃よりも花束や宝石やドレスの方を喜ぶものだがな?」
「個人の選択の自由ですよ。私は、ツォンさんの役に立ちたいんです」
「――ひとつ言っておくが、ツォンは私のために生きているようなものだ。お前のことなんか、全く目に入らないかもしれないんだぞ!? それでもいいのか。後悔しないか?」
「構いません。そりゃあ、ちょっと……いえ、かなり寂しいと思いますけど。でも、一生懸命に仕事してるツォンさん、とてもステキですもの。間近で見られるのがラッキー、って思えばへっちゃらです! ――多分」
 自分を恨めしそうに見つめるイリーナに、ルーファウスは吹き出した。
「お前……本当に退屈しないな。気に入ったよ」
「――?」
「私が欲しかったのは、いつもそばにはいられない私の代わりに、ツォンを守ってくれる人間だったんだ。あいつの仕事ぶりは、『仕事』の範疇を超えている……。オヤジに仕えていた時は『命令だから』仕方なくこなしていた仕事を、私に仕えるようになってからはあいつがしなくてもいいような細かいことまでするようになってな。正直、怖かった――。私は、いつかツォンを失いそうな気がしてな」
「ルーファウス……社長……」
「小さい頃から、私のそばにはツォンがいた。笑ってくれていいぞ。私には、あいつのいない自分など考えられない」
「――社長は、ツォンさんと時を共有してるんですね。羨ましいなあ」
「勘違いするな、イリーナ。私は、あいつと過去を共有してるだけだ。だが、お前は違うだろう? 私には不可能な話だが……お前は、未来を共有できる可能性を持っているんだぞ? 何といっても私は男だし、お前は女だからな。――お前は、あいつと結婚することだってできるんだぞ?」
「しゃ、社長!?」
「ああ、心配するな。――私には、変な趣味はないからな。ただ、あいつには幸せになって欲しい。それだけだ」
 それって……十分ツォンさんにラブラブだと思いますけど!?
 そう抗議したいのをグッとこらえて、イリーナは尋ねた。
「社長の幸せって、一体何なんですか?」
「決まっている。恐怖で世界を支配して、タークスなど必要ない世の中にすることだ。全世界を我が神羅カンパニーが支配すれば、争いがなくなるじゃないか。そうなれば、ツォンにも安らかな日々が訪れるさ。――違うか?」
 思わず、目が点になるイリーナだ。
 それって……それって! 私のことタークスに抜擢してくれるのは、いくら感謝してもしたりないほど嬉しいけど。でも、その大の恩人がツォンさんのラブバトルにエントリーしてる中で、一番のライヴァルだなんて――。
「私……勝ち目ないかも」
 ボソッとつぶやくイリーナの声は、ルーファウスには聞こえなかっただろう。上空から、ヘリが降下してくる。激しい風が、二人の髪や服を滅茶苦茶になびかせる。着陸するかしないかの内に、こちらへ駆け出してくる者がいる。他ならぬタークスの主任、ツォンだ。
「ルーファウス様!」
「わざわざ迎えに来てくれたのか? お前も忙しいのに、ご苦労なことだな」
「勝手に出歩かれては、危険です。そう申し上げているはずですが?」
「古代種の娘が住んでいた所を、ちょっと見たくなっただけだ」
「大体、護衛の一人も連れずにこんな……スラム街に近い所においでになるなんて。無謀すぎます!」
「護衛なら、そこに連れて来ているぞ。――今度新しくタークスに配属されることになった、イリーナだ。お前も部下を教育する私の苦労が、少しわかることだろう」
「は……? この娘がタークス、ですか?」
 一般事務職職員の制服を身につけているイリーナを、ツォンは目を白黒させて眺めている。彼女のことは、知らないわけではない。いや、よく知っているというべきだろう。絶妙のタイミングで消耗品の補充をしてくれたり回覧文書や資料を迅速に届けてくれる、よく気の利く総務課の女の子。
 彼が知らなかったのは、イリーナが彼に個人的な好意を抱いているということと、彼女がタークスに入りたいとずっと願っていたということだった。
「そうだ。――不満か?」
「いえ! そういうわけでは。――ひとつお訊きしたいのですが」
「何だ?」
「彼女……実戦経験はあるのでしょうか?」
「なくはないぞ。住んでいた町が、ウータイとの戦争に巻き込まれたことがあるそうだ」
「――それだけ、ですか?」
「文句あるのか?」
「こう申し上げては何ですが。――彼女にタークスの仕事が勤まるのですか?」
「ほう……。つまり、お前は私の人物評価に不信を抱いている、というわけか」
 意地の悪い言い方をされて返答に詰まっているツォンを見て、ルーファウスはイリーナに向かって肩をすくめてみせた。
「――わかるだろう? こういうヤツなんだ。放っておけないさ」
「社長……。あんまり苛めないで下さいね。ツォンさん、ハゲちゃったらどうするんです!? ――パルマー部長みたいに」
「こんな見事な髪をしてるんだ。大丈夫」
「髪は無事でも、リーブ部長みたいに十二指腸潰瘍で倒れちゃうかもしれませんよ?」
「ああ……。それは大いにありえるな。だからこそ、お前を配属するんだ。頼んだぞ」
「お任せ下さい! 私、『ツォンさんを幸せにする会』の実行委員として、粉骨砕身がんばります!」
「――ちょっと待て。何だ、その『ツォンさんを幸せにする会』ってのは!?」
「やーですねぇ。もちろん、会長はルーファウス様に決まってるじゃないですか! で、私は手足となって動く実行部隊の隊員です。あ! ここは是非作戦参謀にリーブ部長をお迎えして――」
 キャピキャピはしゃいでいるイリーナと、まんざら嫌でもなさそうなルーファウスの様子に、ツォンは自分が二人にとっていいおもちゃになっているらしいことに気づいた。大体、ひどく人見知りするはずのルーファウスがこんなに打ち解けて楽しそうに笑っていること自体、ツォンにとっては信じがたいことである。
(……よほどあの娘が気に入られたのだな)
 一人幸せな誤解をしているツォンだった。