2.

 息せき切って現れたヴィンセントとケット・シーに、意外にも村長は笑っている。
「心配はいらんて。そろそろ時期じゃからのう。いつもより少し早い気はするがの」
「時期?」
 眉をひそめるヴィンセントに、村長は事も無げに言う。
「この村では、魔晄を使わない暮らしをしておる。かと言って、全く電気を使わない生活など――。ここの住人は、元々都市で生活していた者ばかりじゃ。文明生活を全く捨て去ることなど、今更無理じゃ。そこで、わしらは魔晄に頼らずに電気を生み出すことにした」
「魔晄に頼らず発電?」
 信じられない、そう言いたげな顔をしたヴィンセントに、村長は穏やかに微笑む。
「驚いたかの? だが、可能なんじゃ。全ての都市で同じ事をすれば――人々は、神羅のくびきを逃れられる。これは、単にエネルギーや環境の問題ではない。現在の世界のあり方を変える、その第一歩なんじゃよ」
 言い終わった村長の目は、最早笑っていなかった。ヴィンセントは、静かな興奮を覚えていた。
 国も人もエネルギーも富も、全てを飲み込みながら巨大化し、今や星をも脅かす存在にまでなった神羅カンパニー。
 いま自分は神羅に抵抗するテロリスト達と行動を共にしてはいるが、その抵抗が神羅を変えていく力になれるとは、実の所思っていない。
 かつて自分がその一員であった頃、神羅カンパニーはまだ社名を神羅製作所といい、現在よりも規模は小さかった。
 しかし、当時でさえ神羅に刃向かうことは生命の危険を意味したし、神羅が世界に与える影響力は絶大なものだった。
 まして今は、その力を一個人と比べるなら――例えるなら、巨象と蟻といったところか。
 新しく社長に就任したばかりのルーファウスは、社内改革に力を注いでいるという話だった。そして、テロリストには興味など無い、とでも言うかのように執拗にセフィロスの行方を追っている。だが、彼が本気で自分達を叩き潰そうと欲すれば……。
(それをしないのは、本社ビルで戦った時にクラウドが奴に止めを刺さなかったからだろう。クラウドは『逃げられた』とだけ言っているが――本気を出してはいなかったのだろうな、恐らく。さもなければ、死なないまでも腕の一本や二本は叩き斬っているはずだ。私は何人ものソルジャーを見て来たが、クラウドのレベルは並じゃない。元ソルジャー1stだという話だが、その中でも恐らくトップクラスの実力の持ち主だ。その彼が、ルーファウスを仕留め損なう?)
 どうにも考えにくいことなのだ。ヴィンセントにとって納得のいく答えは、次のようなものだった。
(クラウドはルーファウスを見逃した。ルーファウスはそれを借りと感じている。我々を追わずセフィロスを追うことで、借りを返しているつもりなのだろう)
 それを若さによる甘さと苦々しく思う者も多いだろうに、敢えてそんな行動を取るとは。
 どうやら自分達の倒すべき相手は、強烈な自負と美意識を有しているらしい。
(テロリスト相手に騎士道を振りかざすお坊っちゃん……か。我々より、遥かに民衆の受けはいいだろうな)
 ますます盤石の体制を固めつつある神羅カンパニー。その神羅中心の世界をガラリと変えられる手段に、何故いままで人々は気づかなかったのだろう?
「どうしたね、黙り込んで。よほど驚いたらしいがの、わかってみれば単純明快な話じゃろう?」
「ああ。だが、一つ疑問点がある。魔晄に頼らない発電システムを有しているなどと知られたら、神羅はこの村にソルジャー部隊を送り込んででもその事実を抹消したがるだろう。そうされないのは何故だ? ここがいくら隠れ里だからといっても、発電設備のための機械類を入手するのは、神羅からしかないだろう。神羅がこの村の存在を許すのは、何か特別な事情でもあるのか?」
「お前さん、何者だね? どうもただの元社員じゃないようだな」
「私は……タークスの人間だった」
 この言葉に、村長の顔色が変わった。ヴィンセントは、こういう場面には慣れていた。総務部調査課の職掌を知る者なら誰でも、その名に含まれる血生臭さに怯えるからだ。殺人や暴力とは縁のない一般人は。だが、村長は別の意味で顔色を変えたらしい。彼はヴィンセントにこう問うたのだ。
「では……お前さん、ツォンという男を知っているかね?」
 こんな所で現タークスの主任の名を耳にするなど、考えもしなかった。
 ヴィンセントが目を白黒させていると村長は少しがっかりした様子で笑い、いや、何でもない、と誤魔化した。そして、さあ出迎えようかの、と立ち上がるとヴィンセントに手招きをする。
「村長、私達がいると迷惑がかかるのでは?」
「いま来る人間は、確かに神羅の者じゃよ。しかしな、神羅の社員の全てが憎むべき敵ではない。自分の責務を果たしながら、あの図体ばかりでかい組織を何とかして内から変えようと必死になっている者もいる。気に入らない物は壊せばいいと考えているテロリストには、少々理解に苦しむ人種かもしれんがのう」
「……私はたまたま彼らと行動を共にしているだけだ。過去を清算するために」
 低く呟いたヴィンセントの言葉が、村長には聞こえていたものらしい。穏やかな笑顔を向けると、優しい声で答えた。
「あの男もじゃよ」
 村のはずれに着陸を完了したヘリから現れたのは、痩身の中年男だった。
 ダークブラウンの髪と瞳。生真面目そうな表情が印象的な、憂いを帯びた眼差し。
(あの男、どこかで見たような気が……?)
 妙な既視感に襲われたヴィンセントのそばを走り抜け、村の子供達がはしゃぎながら男を出迎える。
「わーい、リーブのおじちゃんだ!」
「今度は何持ってきてくれたのー?」
 走り寄ってくる子供達を見ると、男の顔から険しい表情が消えた。そして、笑いながら先頭を切って走ってきたメグを抱き上げて言う。
「何や、しばらく会わない内に大きくなったなあ。次はもう、こんなことできへんかもしれんなあ」
「あのね、おじちゃん。外からお客さんが来てるんだよ!」
 幼い時に父親を亡くしているメグ。彼女は男に父の面影を見ているのか、ひどくなついている。男の方でも少女を可愛がっているのは、歴然としていた。抱き上げた時、幼い女の子がいかにも喜びそうなぬいぐるみをおみやげだよ、と言って渡していた。
 受け取った少女の無邪気な笑顔に目を細めていた男は、ヴィンセントの姿に気づくとハッとした表情になった。
 エアリス達は、まだ疲れて眠っているらしい。起きていれば、あのヘリコプターの爆音が聞こえないはずがない。
 ヴィンセントは小さなため息を一つつくと、男の前に進み出た。同時に、リーブはメグを下ろしてやる。
「お前か? 神羅の人間でありながら、ここで魔晄に頼らない発電システムを稼働させているという変わり者は」
 だが、警戒していたヴィンセントに男が答えた言葉は、たいそう意外なものだった。
「――ヴィンセントはん? ホントの、ホンマにヴィンセントはんでっか!?」
 これを聞いて、逆に驚くヴィンセントだ。
「何故私のことを知っている?お前は一体――」
「覚えてまへんか? 都市開発のリーブですわ。秘密の任務から戻らんかった聞いて、てっきり死んだもんと思ってたんですわ。それがまあ、生きてはったんでっか! ――何や、気のせいかえらい若いなあ。あれから全然年取ってないんちゃいますか?」
 興奮して早口でまくし立てる男を呆気にとられて見つめるヴィンセントだったが、その名前には遠い昔に聞き覚えがあった。
 そう、三十年近く前、自分がタークスとして初めて要人警護に当たった相手――それがリーブだったのだ。
 当時の主任は、タークスらしい初仕事とあって緊張するヴィンセントに笑いながら命じたものだ。
「まあ、そんなに固くなるな。気難しい相手じゃないし、多分役員の中では一番扱いやすい人間だと思うぞ。だからこそ、経験を積ませるために勉強のつもりでお前を付けさせることにも文句を言わないんだがな?」
 そんな主任の言葉に首を捻るヴィンセントの前に現れたのは、彼自身とそう年の変わらない青年だった。思わず拍子抜けするヴィンセントに、その青年は満面の笑顔で手を差し出して挨拶した。
「あんたがヴィンセントはん? いやぁ、迷惑かけてすいまへん。一人でも大丈夫や言うたら、タークスの主任にえらい怖い顔されてしもて。都市開発部門統括のリーブいいます。よろしく頼みますわ」
「都市開発部門……統括!?」
 あの時、自分はずい分間の抜けた反応をしたものだった。ヴィンセントは、苦笑いと共に初対面の時のことを思い出す。
 目の前のひょろひょろした自分と同じ位の年の青年が、まさかプレジデントに次ぐ地位にあるとは!
 そんな重責を担っていることを感じさせないほどその青年は腰が低く、魔晄炉建設現場との行き帰りのヘリの中で気さくにヴィンセントに話しかけてきたのを覚えている。
 あれから長い年月が経ち、神羅も巨大化の一方を辿った。変化し続ける世界。
 だが、リーブは変わらずに人の好い笑顔を浮かべている。
  ――奇跡だな、一種の。感慨にふけるヴィンセントを、リーブの方でもある種の感動を覚えつつ眺めている。
 初めて会った時、ヴィンセントはまだ駆け出しのタークスだった。その後任務を重ねるに従って上層部の信頼を得た彼が、ある任務の際行方不明となって三十年近くが経った。
 死んだものとばかり思っていたが、実は宝条の悪意で人体実験された上に監禁されていたのをリーブが知ったのは、つい最近のことだ。ルーファウスが社長にならなければ、あるいは一生知らずに終わったかもしれない。
「――久しぶりだな、リーブ」
 行方不明になった自分の身を案じてくれていたらしいと知って、ヴィンセントの表情も自然和らぐ。
「私が無為に時を過ごしている間、お前はいろいろ苦労したらしいな」
 チラリと村長の方を振り返るヴィンセント。それを見て、リーブは苦笑しながら歩き出す。
「やれやれ。彼に一体何を話したんですか。私の苦労など……物の数ではありませんよ」
「そんなことは無かろう。お前さんには、村の者皆が感謝しておる」
「――私には、償わねばならない罪があります。感謝される筋合いはありません」
 瞬間、ヴィンセントの表情が強ばる。一体、償わなければならないほどの罪とは何なのか。
 償い。この男に、これほど似合わない言葉もない――。
 穏やかな微笑を浮かべて村長と世間話を始めたリーブの横顔を見つめ、ヴィンセントは首を振るのだった。