9. ルーファウスの副社長就任から、数か月が経った。「血も涙もない、冷酷で傲慢な、権力欲に憑かれた青年」は、その一方で「皮肉屋の氷の貴公子」でもあった。 「た、助けてくれ! 命だけは……っ! ……そうだ、これをやる。開発中の、エネルギー変換ロスの少ないマテリア利用の、新式地上兵器の設計書と実験データだ。スカーレットに見せれば、きっと価値がわかる。……な?」 神羅に対抗して、陰で秘かにマテリア兵器の開発を行っていたある会社の社長は、ソルジャー部隊に急襲されて部下を見捨てて逃亡しようとしたところを捕らえられ、ルーファウスの前に引きずり出された時、そう命乞いをした。 「助ける? ――何のことだか、よくわからないな。お前のやっていたことは、我が社の特許を侵害するものだ。知らないはずはないな? そもそもマテリアの製造は、神羅カンパニーがその権利を独占していることを。まして、マテリアの軍事利用は絶対の禁忌だ。それを破ろうというのだから、当然この事態に直面する可能性があることを考慮すべきだったな」 ひとかけらの暖かみも感じさせない声で、ルーファウスは言い放つ。 「大体、人の上に立つ者が責任も取らずに自分一人逃げだそうなど。恥ずかしいとは思わないのか?」 世にも汚い、おぞましい物を見る目つきで、ルーファウスは某社の社長だった男を見た。 その嫌悪と侮蔑の表情に、腑抜けていた男は逆ギレしたようだ。うつむいて恐怖に震えていたのが一転してルーファウスを睨み付け、口汚く罵り始めた。 「恥ずかしい……? 小僧! 貴様こそ、恥を知れ! その取り澄ました顔の裏で、夜な夜な何をしているか。俺は、みんな知ってるんだぞ!」 「このっ……!黙らないか!!」 大勢の部下の前で、ルーファウスの醜聞を叫ばれてはかなわない。 ザックスは慌てて、男に猿ぐつわをしようとした。だが、意外にもそれをルーファウス自身が止めた。 「待て。そのよく動く口が永遠に動かなくなる前に、思い残す事がないよう言わせてやれ」 正気か!?と、ザックスは耳を疑った。しかし、凍り付いた青い瞳は怖いくらいに澄み切っている。 「よろしいの……です…か……?」 思わず、駄目押しで念をつく。 「化けて出られても、迷惑だからな」 綺麗な口元が、皮肉な笑いに歪む。 「生きている者は、どうにでも始末できる。その点、死人はタチが悪い。死んでいるものを殺し直すことは、できない相談だからな。違うか?」 そしてクックックッと、さも楽しそうに笑った。その姿に、ザックスはルーファウスの精神が病んでいるのを感じた。 (セフィの言った通りだ。可哀想に。副社長は心の闇に蝕まれてる。少しづつ、生きながら身体が壊死していくのにも似て、心が壊れていってるんだ。ツォン。あんた、何でさらって逃げなかったんだ?) もちろんザックスとてわかっている。そのような選択肢は、あり得ないということを。 (でも、こんなの……見たくないぜ……!) 「そのキレイな顔で、プレジデントに取り入ったんだろう!? 息子だなんて、怪しいもんだ。――ハッ! 銜えて舐めて呑み込んでねじ込まれて、実の父親に毎晩のように抱かれている。そのお前が、恥だと!? 笑わせるな! この男娼が!!」 兵士達は息を飲み、声もなく凍り付いた。彼らにとって、それは漠然と噂されていたことを裏付ける証言だった。 ざわめきと動揺が広がっていく。舌打ちするザックスだったが、ルーファウスは嘲笑を浴びせただけだった。 「で? 言いたいことは、それだけか? ――この私を侮辱して、タダですむとは思っていないだろうな。ん?」 「ぬかせ! どの道、俺を生かしておく気はないくせにっ!!」 「ほう? それがわかる程度には、まだ頭が働くらしい。こういう手合いは困る。自業自得という言葉を知らないで、人を逆恨みする。夜中に枕元に立たれたくないものだな」 ルーファウスは肩をすくめると、側にいた兵士に向かって命じた。 「おい。そこのお前、靴紐を貸せ」 唐突な命令に一瞬目を白黒させる兵士だったが、ルーファウスの気迫にただならぬものを感じて、すぐに靴から紐をほどいて渡した。 ルーファウスは満足そうに微笑んで器用な手付きで結び目を作ると、次にこう命じた。 「社長はお疲れのようだ。椅子に座らせて差し上げろ」 ルーファウスが何をするつもりなのか、全く見当がつかない兵士達。困惑しながらも、命に従う。椅子に縛り付けられ、身動き一つできない男に近づいたルーファウスは、にこやかに微笑んだまま屈み込み、男のズボンのファスナーを下げた。 そのあまりにも予測の域を超えた行動に、再びざわめきが起こる。 ルーファウスの掌に包まれて、男のものが頭をもたげた。それを見て、ルーファウスは冷笑する。 「この状況で、目先の快楽に忠実とはな。お前もあいつと同類だ。自分の欲求を満たすのに貪婪で」 手で刺激し、中途半端な硬度を保ったそれを軽蔑の眼差しで見る。 「踏みしだいた人間の気持ちなど考えもしない。お前は私を非難するが、あいつの立場にあったら。案外、同じ事をするんじゃないのか?」 男の罵詈雑言を肯定するとも受け取れるこの言葉に、ザックスは兵士達の動揺を抑えきれず、どうしたものかと頭を抱えた。だが、ルーファウスは一向に動じていない様子だ。 「そんなお前に、ふさわしい死をくれてやる。――ッ!」 靴紐の結び目を男のものに引っ掛け、力任せに引っ張る。男の口から絶叫が漏れた。 「私に向かってあんな口をきいたんだ。楽に死ねるとは思うなよ?」 そして、兵士達に残酷な命を下す。 「そこのキャビネットから、ワインを出してこい。ああ、できれば白がいいな。私がいいと言うまで、こいつにたっぷりと飲ませてやれ。死の恐怖を味わうこともない位、骨の髄まで酔わせてやるがいい」 すぐに命令は実行された。死の静寂が、室内に広がる。 「副社長! こんな拷問めいたやり方は、悪趣味です。あなたの評判に、わざわざ傷を付けるような……こんなこと。やめて下さい!!」 だが、ザックスの抗議も空しかった。ルーファウスはゾッとするほど艶やかな笑いを浮かべて、それを拒絶した。 「悪趣味? 結構。その位でなければ、見せしめにも警告にもならないからな。こいつだって、無駄死にしたくはないだろう。最後に私の役に立てるんだ。光栄に思うがいい」 「警告?」 神羅に反抗する勢力への見せしめに惨殺する、というのはわかる。だが、警告とは? 思わず呟いたザックスに、ルーファウスは一言答えた。 「オヤジに」 今度こそ、室内は凍て付いた。誰一人として、口をきく者はいない。 その中を、ルーファウスは指示を下して歩き回る。新式地上兵器の設計書と実験データが、どこかに隠されているはずなのだ。膨大な量になるだろう実験データが、書類の形で存在しているとは思えない。自宅を急襲すると同時に会社へ派遣した部隊からは、発見の報告がいまだ入っていなかった。 やはり、この屋敷のどこかにあると考えるべきだろう。 「ところで。家族の安否を知りたくはないか?」 ワインを飲ませるのを一時中止させ、苦しげに喘ぐ男にルーファウスは囁く。 水責めにされていた男は何か言いたげに口を動かしたが、明瞭な言葉にならなかった。 そんな男の前に、手錠を後ろ手にかけられた幼い少女が連れて来られた。恐怖に泣き叫び、無惨な父親の姿を見て甲高い悲鳴を上げる。走り寄ろうとするのを、ルーファウスは羽交い締めにした。 「お父さんは、悪いことをしていたんだ。それで、いまこうしてお仕置きをされている。このままだと死んでしまう」 もがく少女に、ルーファウスはにこやかに微笑む。 「――助けたいと思わないかい?」 少女は、困ったように父親を見る。男は、声にならない苦吟を上げた。 「お父さんがとても大切にしているものとか、誰にも触らせないようにしている場所がないかな。あったら、教えて欲しいんだけどね?」 どう答えたらいいのか、自分ではわからないらしい。必死な表情で自分を見る父親を、首を傾げて見つめている。 脈がある。そうふんだルーファウスは、少女を抱き上げて父親のところへ連れていった。 「パパ!」 愛らしい声が、響き渡る。この後の父娘の運命を思って、兵士達は身を縮める。 ルーファウスが、二人を見逃すわけがない。たとえ幼い少女であったとしても、自らの覇業の邪魔になると思えば容赦なく殺すだろう。 「さあ、お話してごらん。君の説得で、お父さんが心を入れ替えてくれるといいんだけどね」 そう言いながら少女の髪を撫で、その細い首に手を回す。ルーファウスの白い指が喉に絡み付くのを見て、男は堪らず弱々しく叫んだ。 「やめろ……娘には…手を……出すな」 必死の哀願だったが、ルーファウスはせせら笑うだけだ。 「お前の心がけ次第だな」 そして、猫が捕らえた獲物をいたぶるように追い打ちをかける。 「華奢な首だ。折るのは簡単そうだな。そう思わないか?」 青年の言葉に再び火のついたように泣き叫び始めた娘を見て、遂に男は口を割った。 「わかった! 場所は教える。その代わり……約束して…くれ。娘に、酷い真似は……しないと」 「約束しよう。この娘に、罪はない。――それで?」 「書斎の…隠し扉……私の指紋以外では、開かないようになっている……そこに…ある」 「なるほど。それがウソならどうなるか。わかっているな?」 「本当だ! だから、娘を解放しろ!!」 「解放? 何の事だ?」 「約束が、違う!」 「人聞きの悪いことを言うな。約束は守るさ。こうしてな」 少女を床に下ろしたルーファウスは手錠を外して袖をまくり上げると、懐からごく小さなアンプルと注射器を取り出す。 「知っているか?」 誰に言うともなく語りかけながら、優雅な動作でアンプルの中身を注射器に移す。 「脳に酸素を供給させなければ、人間は生命活動を維持できない。これは、そのための薬。うちの宝条は人間としては最低だが、この手の研究をさせたら最高でね。これは無痛の死を招来するというので、高価だがなかなか売れ行きのいい、我が社の隠れたヒット商品だ。お得意様はクーデターに怯える権力者、大企業の会長、社長。それにマフィアのボスといったところかな?」 「やめろ……っ!」 「副社長!!」 沈黙を守っていたザックスが、堪らなくなって抗議の声を上げた。 「酷い真似はしないと、あなたはこの男に約束したではありませんか。この娘に罪はない、ともおっしゃった。お忘れですか!?」 必死に説得を試みるザックスに、ルーファウスは極上の笑みを浮かべて答えた。 「お前といい、こいつといい。言葉は正しく使うことを覚えるんだな。こいつとの約束は『娘に酷い真似はするな』というもので、私は『娘を殺さない』とは一言も言っていないが? 第一、両親をこんな風に失って、この先身寄りもなく暮らしていかなければならないんだ。神羅に刃向かった男の娘が、まともに社会に受け入れられるとでも思うのか? スラムでは、美しい人間は高値で売買されると聞いている。この子の将来など、容易に想像がつくさ。それよりは、何の苦痛もなく、父親が死ぬところを見せないで死なせてやった方が親切というものだろう?」 「あなたは……悪魔にでも魂を売り渡したのかっ……!」 「さあな」 むき出された腕に、針を刺す。液体は速やかに少女の体内へと吸い込まれていった。 「パパ……パパァ…あたし、怖いよ……えっ…えっ…ヒック……ママは…どこ? いい子にしてれば会わせてくれるって……そう言われたのに。……パパ? 暗いよ…怖い…怖いの……助けて…た…す…け……」 薬を注射された少女はすすり泣いていたが、やがてそれもやみ、いつしか瞳からは光が消えた。 「さあ、思い残すことはないだろう? 早く娘のところへ行ってやれ。あんなに寂しがっていたじゃないか」 再び男にワインが注がれる。異様に膨張していく腹部。時間が経つにつれ、男からはアルコールと尿の匂いが漂い始めた。百戦錬磨のソルジャー達も、こうした拷問には慣れていない者が多い。中には、明らかに嫌悪の表情を浮かべる者もいた。 一人平然としているのはルーファウスで、さも退屈そうに男が死に近づくのを待っている。彼は頬杖をついて椅子に座り、時折足を組み替えては別働隊の報告を聞き、指示を下していた。 「副社長、これ以上は、もう――」 男にワインを注いでいた兵士が、おずおずと訴える。見れば、男の顔には死相が現れていた。 「ようやくか? 手間をかけさせるものだな」 そう呟くと、細身の剣を手にして立ち上がる。そして、男に近づいて満足げに様子を確認すると、人間の物とは思えないほどに膨れ上がった腹部に剣を突き立てた。 響き渡る断末魔の絶叫。耳を塞ぐ兵士もいるほどだ。だが、ルーファウスは剣を手にしたまま笑っている。 「見ろ。血と白ワインが入り混じって、とても綺麗だ。赤を使うと、こうはいかない。醜悪な男だったが、こうなると一種、芸術作品めいて見えないか?」 身を捩り、クックックッ……と笑うその姿は、鬼気迫るものがある。 しかし、ルーファウスの残酷さはそれだけで終わらなかった。 「さて。いよいよ仕事に取りかかれるというものだ。ザックス、こいつの両手首を切り落とせ。貴重な資料への、大事な鍵だ。頼んだぞ」 全く気は進まなかったが、命令は絶対だ。背にした剣で両腕を切断する。 血まみれのそれを、ルーファウスは無造作に掴んで歩き出す。書斎の隠し扉のセキュリティが解除されると、もう用はないとばかりゴミのように捨て去った。兵士達は、心が底冷えしてくるのを感じていた。 それを見透かすかのように、一人隠し部屋に入って資料を漁っていたルーファウスが、ディスクを手にして出て来た際に口にした言葉は。 「私は能力のない者が大嫌いだ。しかし、諸君に約束する。高い能力を持ち、職務に精励する者。更に私に忠誠を誓う者は、しかるべき時が来たら必ずその分に応じた待遇をすると。優秀なる諸君の協力が得られれば、この澱んで腐りきった世界を改革できる日も近いだろう。私に反逆する者が、どういう目に遭うか。諸君はたったいま、その目で確かめたはずだ。さあ、選べ。私に従うか。それとも、身の破滅を?」 「……ルーファウス様、万歳!」 恐怖に掠れた声が、兵士達の中から上がった。一人が叫び出すと、連鎖反応を起こしたかのように次々に叫び声が上がる。やがて、室内は彼を称える声で満たされる。 その光景にザックスは背筋が凍る思いを味わい、同時に、ルーファウスが失った物の大きさを知ったのだった。魔晄の蒼を宿した瞳から、暖かいものがあふれた。 こんなの、間違っている。一体どこで運命がねじれてしまったのだろう? 神ならぬ身で、その答えを知る者はいないだろう。 誰も望まなかった未来へ、世界は歩もうとしているのか? 時代を変えるためには、この青年が犠牲に供されなければならないとでもいうのだろうか。 (今のいままで、俺は神様なんて信じちゃいなかった。だが、もしいるのなら心から祈るよ。もつれた糸を、早く元通りに直してやって欲しい。頼む……!) 翌日。神羅新聞、神羅TVをはじめとした報道各機関は、ランベール社が名だたるテロリストグループの資金源であったが、その不法行為は社長個人に帰せられるものであり、社長は既に神羅のソルジャー部隊により逮捕・その後逃走を図る途中誤って溺死した、と報じた。 人々は、その後の両社の合併を何の驚きもなく受け止めた。 力こそ正義。いまや世界を動かす法則は、他に存在しなかった。 |