8.

 就任時のパフォーマンスの効果は、絶大だった。人々はタークスやソルジャーを従えたルーファウスを見かけると慌てて道を譲り、彼が通り過ぎていくのを畏怖の目で見送った。
 公然とではないが、いままで秘かに反神羅活動に資金提供をしていた企業の経営者は皆、彼が眉一つ動かさずに人を射殺した映像を見て、心底肝を冷やしたらしい。
 中には、自ら進んでそうした企業のリストを密告してくる者もいた。
 だがルーファウスは、何とか彼の心証を良くしたいと願うこうした行為には、冷笑するだけだった。
「仲間を売って、自分だけ助かろうという奴の気が知れない。そんなことをした人間が、果たして人の信用を得られると思っているのか?」
 愚かな、と鼻で笑う彼だったが密告者に対する十分な報償は忘れなかった。こうして集まってきた情報は膨大なものになり、タークスも多忙な日々を過ごしていた。
 あれから、ツォンは何も言わない。ただ与えられる仕事を淡々とこなしているだけだ。それが逆に、心に負った傷の深さを感じさせて――傍で見ている部下二人には、なかなか辛いものがあった。
 副社長に就任してからのルーファウスは、ツォンと話をしていない。視線さえ、合わせたことはない。
 だが、二人がお互いに求め合っていること、そして心ならずも引き裂かれて血を流していることを、プレジデントはよく知っていた。
 彼は、心の悲鳴を聞くのが楽しくてたまらないとでもいうかのように、じわじわと二人をいたぶった。
 その苦痛から逃れるため、そして自らの立場を確固たる物にするため――ルーファウスは反神羅組織の摘発と撲滅に全力を注いだ。
 潰された組織は、テロリストグループばかりではなかった。むしろ、テロ殲滅に名を借りた言論弾圧の様相を呈していた、と言うべきだろう。
 神羅特別治安維持法が制定され、ミッドガルでは神羅に異を唱える者は表立っては姿を消した。だが、地下に潜った反神羅組織の生き残りの人々は、危機感から一層その行動を尖鋭化させていった。
 ルーファウスの就任後、タークスとソルジャー部隊は多忙を極める毎日だった。
 そんな荒んだ日々の中で、ツォンが秘かに楽しみにしていることがあった。彼は古代種のただ一人の生き残りである少女エアリスの監視を命じられていたのだが、彼女は家計の足しにとスラムで花を売っていたのだった。
 魔晄都市ミッドガルでは、草木が育たなかった。花の咲く場所はエアリスの家の裏手と、彼女の家の近くにある古びた教会の中、敷石が剥がれた所の二か所しかなかったので、花売りはそれなりの実入りがあったのだ。
「――あら、ツォン。どうしたの? このところ、よく来るよね。そんなに一生懸命見張らなくても、私、お母さんを置いて逃げたりしないけど?」
 少女はクスクス笑ったが、少女と話をしていた青年は真っ青になって慌てた。
「げっ! タークス。お、俺は別に、エアリスのことどうかしようだなんて思っちゃいないぜ。ただ、カワイイなぁ☆って――あわわっ!」
 ジタバタする青年には、見覚えがあった。あの気難しいセフィロスと組んで仕事ができるというので、ソルジャー部隊でも重宝がられているザックスだ。もちろん、ツォンと一緒に仕事をしたことも度々ある。
 魔晄を浴びた、ソルジャー特有の蒼い瞳。癖の強い黒髪はそれを押さえるために伸ばされていたが、それでもあちこち好き勝手な方向を向いている。
 明るく、物事に深くこだわらないさっぱりした気性だった。結構マメなところもあり、友達付き合いはいい方だった。それが女の子相手に発揮されると、人からはプレイボーイとの誤解も受けかねなかったが。
「何を狼狽えてる? 私は、花を買いに来ただけだ。安心しろ。エアリス、元気そうだな。――おや? これは?」
 売り物の花はほとんどが切り花なのだが、今日は珍しく小さな鉢植えがあったのだ。
 小さな瑠璃色の花が鉢いっぱいに咲き誇り、ミッドガルからは失われた春を感じさせた。
 その様子がけなげで愛らしく、花の色はルーファウスの瞳を思わせた。
「気に入ってくれたの? それね、忘れな草っていうのよ。花言葉は『真実の愛』。可愛いでしょ?」
「この青い色が、綺麗だと思っただけだ。いくらだ?」
「ね。ツォンって、意外とロマンティストだったりしない?」
「何故そう思う? 私は、命令一つで人を殺すこともある人間だぞ」
「私、小さい頃からツォンのこと見てるもの。本当は悪い人じゃないって、その位わかる。それにね、この前買っていったお花……名前、覚えてる?」
「確か、スノードロップだったと思うが。教えてくれたのは、エアリスだろう?」
「わあ、ちゃんと覚えててくれたんだ。あれもね、ステキな花言葉があるの。知ってる?」
「いいや。何というんだ?」
「『希望』。昔、世界が雪と氷に閉ざされた時、寒さに震える恋人達の前に天使が舞い降りてこう囁いたの。『春は近いよ』って。そして、そおっと雪に触れると溶けた雪の雫からこの花が生まれたんですって。今日の忘れな草といい、この前のスノードロップといい。誰か好きな人がいて、その人はいま辛い目に遭ってて、でもツォンはそばにいてあげられなくて。そんなこと考えちゃった。だから、花言葉の意味知ってて贈ってるのかな? って。偶然なんだ。でも、ステキな偶然よね!」
「何故人に贈るとわかった?」
「ふふっ。カン……かな?」
 この少女は、古代種だからというのではなく昔からこうだった。人の心の動きに敏感で、カンの鋭い――。
「エアリスには、かなわないな」
 苦笑して花の代金を払おうとすると、少女は首を横に振った。
「それ、私からプレゼントさせてもらうね。いつもお花を買ってくれるお礼に。何だかわからないけど、ツォン、辛そうだから。元気出して、ね?」
「ありがとう。君に心配されるようでは、私は監視役失格だな」
「その代わり、うまくいったら報告してね。きっとキレイな人ね、あなたが好きになるんじゃ」
 ようやく十七歳になったばかりの少女にとって、人のことでも恋愛には大いに興味があるらしかった。
 苦笑してじゃあな、と言って立ち去ろうとしたツォンに、ザックスが声を掛けた。
「なあ、会社に戻るんだろ? 俺も一緒に行くよ。ちょっと話もしたいしさ。いいだろう?」
「ああ、別に構わないが……」
 エアリスと話をしたいんじゃないのか? と、ツォンは目で尋ねる。
「またな、エアリス。今度はプレゼント持ってくるよ!」
 ザックスはそう言うと、エアリスの頬にさっとキスした。
「もう! ザックスったら、こんなとこで!」
 抗議の声を上げるエアリスを背に、二人は並んで歩き出した。

「お前がエアリスと付き合っているとは。――知らなかったな」
「地獄耳のあんたにしちゃ、意外だな。灯台もと暗し、ってヤツかな?」
「それで? 話というのは何なんだ。会社の中ではできないようなことらしいな?」
「セフィロスから伝言を頼まれたんだ。助け出すなら、なるべく早くにしてやれって。そう言えばわかるってな」
 ツォンの顔色が変わった。青ざめた彼を見て、ザックスは気の毒そうな声で言う。
「ごめん。実は俺、あんたのことセフィから聞いた。聞くつもりはなかったんだけど……副社長がいきなり倒れたことがあってさ。お付きの人間達がやれ医者だ検査だって大騒ぎするのを、セフィが睨み付けて止めたんだ。『病気じゃない』ってな。そして、副社長を休ませている部屋にそいつらを近づけるな、って俺に命令したんだ。妙だな、とは思ったよ。だが、ドアの外で見張りをしていた俺の耳にも、副社長が上げた悲鳴は聞こえちまった。その時わかったよ。どう聞いても、あれは……普通じゃなかった。耳を疑ったさ。だから、思わず尋ねたんだ」
 足を止めたツォンの手が、ギュッと握りしめられていた。ルーファウスを虐げる者への怒りのためか。その拳は、かすかに震えている。ザックスは、ツォンを正視できずに目を逸らした。
「セフィは、ただ事実を口にしただけだ。俺は、以前他のヤツからあんたがセフィに向かって『ルーファウス様のこと……頼む』。そう言ったって聞いてたから。あんたのそばにいた時の副社長の様子と、最近のあんたの沈み具合。それにセフィから聞かされたことを考え合わせたら、答えはすぐに出たよ」
「……なるべく早くに、とわざわざ言うからには、相当酷い情況なんだろうな」
 ザックスは、自分が知ることを全てツォンに言うべきかどうか迷った。そんな彼の目に、手に持った赤いアネモネの花が鮮やかに飛び込んできた。瞬間、愛しい少女の笑顔が花にダブッた。もしエアリスが、同じ目に遭わされたら?
 ――想像しただけで気が狂いそうだった。相討ちになったとしても構わない。自分なら、プレジデントを殺す。
「何故黙っている? 私のことを、意気地なしだと蔑んでいるのか。大切なものを奪われても、抗議の声一つ上げないとは情けない奴だ……と。だがな。何があっても、何年かかろうとも、必ず戻る。いまはまだ、自分には力がないから、絶対に復讐しようだなんて考えないでくれ。生きて同じ世界にいる、それだけで心の支えになるのだから。そう言われたら、絶対に死ぬわけにはいかない。この身一つではないのだと思えば、命は粗末に扱えないものさ」
「なるほど。あんた達は強いな。――その強さがあれば、クラウドも少しは違ってたろうに」
 何も答えないツォンに、ザックスはため息をついた。その先の言葉を続ける気には、到底なれなかった。
「セフィ!」
 淡い金髪にソルジャー顔負けの深いブルーの瞳をした少年が、まるで子犬が主人に走り寄ってくるように顔を輝かせて、任務から帰還したセフィロスを出迎えたのをザックスは思い出す。
「ずい分ご機嫌だな。何かいい事でもあったのか?」
 クラウドにつられて珍しく微笑したセフィロスに、少年は無邪気に答えたものだった。
「あいつが新しいオモチャを手に入れたとかで、このところずっと呼び出しがないんだ。こんなこと、初めてなんだ! だから、今日はゆっくりいろいろな話を聞かせてよ。今度行ったところ、どんなだったの?」
 それを聞いたセフィロスの顔が、一瞬歪んだのを見てしまった。
 少年の幸福は、ある人間の不幸と引き換えにもたらされたものだった。そして、彼らを巡る深い事情を知らない人々は、無責任にもこう言うのだ。
「クラウド様も、本当にお気の毒だ。いきなり出てきた異母兄に、跡継ぎの座を奪われておしまいとは」
 もちろん、こうした声はツォンも耳にしている。恐らく、ルーファウスも……。
「神羅の次期社長という地位は、人が思うような甘いものではない。クラウドは、運がいい」
 そう。いまではザックスも知っている。クラウドの言う「新しいオモチャ」の意味を。
 それが、他ならぬルーファウス自身であることを。
 しかし、ルーファウスは世間に向かって毎晩のように実の父に組み敷かれている、と公表するわけにはいかない。そんな醜聞が、もし外部に漏れたら。
 いかに神羅が企業の枠を超えた超法規的存在であるとはいえ、人々はモラルに反する行為に耽溺する支配者を、快く思わないだろう。
 きっかけは、些細なことでいい。神羅が一人勝ちしているこの世界のシステムを変えるには、人々が漠然と抱いている不安と反感を収束させ、とにかく一つ、波を起こすことだ。
 ――タークスに配属されたばかりの頃、ルーファウスは「もし自分がテロリストだったら」という仮定で笑いながらそう言った。
「最初の波は、さざ波でいいんだ。それだって鏡のように静まり返ったものを動かすんだから、膨大なエネルギーがいるはずだよ。でもね、一度起きた波は周囲にそのエネルギーを与えながら、第二、第三の波を作り出す。本当に怖いのは、その波及効果だ。最初の波が消える頃、第二、第三の波がまた新たな波を作り出し、その波は更に新しい波を作り出す。こうして、次々にさざ波が立ったとする。一つ一つはささやかなものだ。しかし、それが無限に連鎖していったら?」
 その瞬間の彼の笑顔は、いまだに目に焼き付いている。どんな美女よりも艶やかでいながら、凄絶な笑顔。
 ツォンがルーファウスに悪魔的な魅力を感じたのは、それが最初だった。彼はツォンを見上げてこう告げたものだ。
「革命の大波が、やがて神羅を襲うのさ。だから、その萌芽はさざ波の内に摘まねばならない。僕達タークスの出番ってわけだね」
 つくづく思う。ルーファウスの不幸は、先が見え過ぎてしまうその明敏さにあるのだと。
「運か……。俺は戦場で何度も危ない目に遭った。その度に生命が助かった。俺より強いヤツがあっけなく死ぬのを、ずい分見たもんさ。俺は、運がいいのかな? 案外、悪運だったりしてな!」
 アハハハッと陽性に笑うザックスを見ていると、何故セフィロスが彼なら側にいても神経に障らないと思うのか、よくわかる。自分もそうだが、すぐに人の言葉の裏の意味を考えてしまうような人間には、ザックスのように裏表のない精神構造をした人間はありがたい。
 会話をするのに、余計なエネルギーを使わなくてすむからだ。
「エアリスが何でお前を選んだのか、こうして話してみてわかったよ。彼女を泣かせるような真似はするなよ。これは、タークスの主任としての言葉じゃない。ずっと彼女を見てきた、言うならば保護者としての願いだと思ってくれ。私はもう、これ以上誰かが傷つくのを……まして泣くところなど、見たくない」
「わかった。――あ、そろそろ戻らないと。俺、本当にヤバイ! 今夜ミッションで出発なんだ」
「また『掃除』か?」
「うーん。合ってるけど、違う。今回は『大掃除』ってカンジだな」
「また一つ、この地上から町が消えるのか」
「タークスの主任らしくない言葉だな。あんたってさ、実はこの仕事向いてないんじゃない?」
「かもしれんな。そういうお前も、そんな汚れ仕事が似合うタイプとは思えんが」
「サンキュ。エアリスには、内緒だぜ?」
「もちろんだ。安心しろ」
「でも……さ、こんなの言い訳にしかならないけど。同じ人殺しをしなくちゃいけないのなら、せめて苦しまずにすむように、楽に死ねるようにしてやりたい。この俺の手にかかったから即死できたんだぞ、ってね。変かな? 俺の言ってること」
「いや。それは多分、私も同じだ。ターゲットには消えてもらいたいだけで、別に苦痛を味わわせたいとは思わない」
「お互い、何でこんなコトしてるんだろうな?」
「全くだ」
 顔を見合わせ、二人同時に笑い出す。
「何だかさぁ、あんたって見た目と中身、結構違うのな。――意外だぜ。まあ今度は飲みながらでも、ゆっくり話をしようぜ!」
「機会があればな」
 ザックスの言葉に苦笑するツォンに、彼は手にしていた花を渡して言う。
「誰かさん、きっとあんたからの花をすごく楽しみにしてるんだろうからな。今夜出発する俺が部屋に飾っても、枯れるだけだから。そんなの、コイツも可哀想だろ? だから、あんたにやるよ」
「……ありがとう。キレイなものだな」
「赤いアネモネの花言葉は『君を愛す』。『あなたが控えめすぎるから、別れが来てしまうのです。優しいあなたに、冷たい秋風は辛すぎる。もっと積極的に本音を言葉にしなければ、他の誰かに恋人をとられてしまいます』。エアリスの受け売りだけどな?」
「その言葉、もっと早くに聞きたかったよ」
 ツォンの胸中に、苦い物が広がった。人は、それを後悔と呼ぶ。
 そして常に、後悔は先には立たないのだった。