10.

 その頃。ルーファウスの故郷ニブルヘイムでは、凶悪なモンスターが度々出現しては村人達を襲っていた。夜間外出しないようにするのは無論だが、昼間も現れるようになっては山に立ち入ることもできない。
「キノコ採りにも行けないなんて、こんなの困るよ。村長、みんなの話じゃニブル山の中にある魔晄炉の近くで化け物を見た、って奴が多いんだ。何か、神羅カンパニーと関係があるんじゃないのか?」
「もし関係ないとしても、副社長のルーファウスに事情を話せば、きっと」
「そうさな。自分に非はないのによく苛められていた、村の厄介者扱いされていた彼がわしらのことを快く思っていたら、それも有りじゃろうて」
 村長の痛烈な言葉に、集会に出席していた人々は黙り込んだ。
「村にあった研究所が閉鎖されて、いまのわしには神羅と何の関わりもないが。とにかく、手紙は書こう」
 村長の一言に納得し、集会はお開きとなった。人々が去った後、ひっそりと人々の後ろに隠れるようにして出席していた一人の女性に、村長は優しく尋ねた。
「元気そうだな。あの子も元気そうで、何よりじゃ」
「いいえ。あの子はもう、死んだも同然です。私の可愛い坊やは――あの人に殺されてしまった」
「……母親なら、信じておやり。あの街で生きていくには、ましてあの子のようにナイーブな心の持ち主なら、仮面も鎧も必要なはずだ。二重の生き方を強いられる街で、どうやって純粋な自己を守るか。それは、お前さんが一番よくわかっているはずだぞ? 何も知らないで、あの子をただ責めるのは……可哀相というものじゃないかね」
「私は、もういいんです。でも、ティファが。ずっと手紙がくるのを待ち続けているあの娘が、私には哀れで」
「あの男の性格は、誰よりわかっているはずのあんたが。何故あの子の立場に思いをめぐらせないのかね? いまのあの子は、黄金細工の籠に入れられて羽を切られた哀れな小鳥も同然じゃ。それともお前さん、あの子が本当に人非人になったと思っているのかね?」
「そんなっ! 私の坊やは……誰よりも素直で…曲がったことが大嫌いで。意地っ張りで…自尊心が高くて……でも泣き虫で。甘えん坊で、ケンカっ早くて。私の宝物です……!」
「あの男の生き方と、あの街で二重の生き方をすることに耐えられず逃げ出したお前さんの分まで、きっとあの子はがんばらされているんじゃよ。そう思って、信じておやり」
「村長……」
「手紙の件だがね。実はあの子が副社長になった後、ある人間からティファ宛にと預かっているんじゃ。ただのぅ。渡していいものか、正直わしには判断がつかん。書きかけなのと、その内容がな」
 そう言って、村長は戸棚の引き出しから一通の手紙を出した。なるほど、それには封がされていない。よく見ると書いた文字の上には所々サッと線が引かれ、何と書くべきなのか迷ったらしく、インクが滴り落ちて滲んでいた。
「これをわしに渡した人間は、『ティファに自分は死んだと伝えて欲しい』と頼んだ、と言っておった。こうなる覚悟は、できていたんじゃろうな」
「ルーファウス……!」
「これは、想像だがね。恐らくそこに書かれている人間が、わしに手紙を渡した人間だろうと思う。いきなり副社長になって、音信不通になって。お前さんがひどく心配していることも、ティファの様子も知らせたんじゃよ。そうしたら、ただ一言こう言いおった。『命に代えても、必ず守る』とな」
「あの子――いま幸せなんでしょうか。毎晩夢を見るんです。あの子がただ一人、真っ暗な中に立ち尽くしていて、泣きじゃくっていて。私が必死にあの子の名前を呼んでも、あの子には聞こえなくて。それで、あの子に近づこうとするんですけど……足元が何だかヌルッと滑って。どうしても先へ進めなくて、変だなと思って滑って転んだ時、手に付いたヌルヌルした液体をふと眺めてみると」
 思い出したくない、とでも言うように身震いする。その蒼白な顔から、次の言葉も想像がつく。
「血なんです。あたり一面、血の海なんです! あの子、独りぼっちで血の海の中で泣いてるんです!! ああ。どうあっても、あの子をミッドガルに行かせるんじゃなかった。こうなることは、予想できたのに」
 悲痛な声は、しかしそこで終わらなかった。しばし嘆いた後、涙をぬぐって彼女は言う。
「私達は、ティファの運命を決める権利など持っていません。自分の運命は、自分が決めるべきです。例え、それがどんなものであったとしても」
「わかった。では、これはお前さんに渡そう。どう話すかは、任せたぞ」
 ようやく肩の荷を下ろした、というわけか。村長はふうっと大きく息を吐き出した。
 ルーファウスの母はお辞儀をして去って行ったが、村長は手紙の文面を思い返して首を振った。
「ティファ――元気かい? 拳法を習ったって、相変わらずお転婆だね。母さんはどうしてる? 僕には『こちらは心配ない』の一点張りだけど……無理して身体を壊したりしてないのかな? 僕は元気だ。仕事の方も、順調だよ。同じ部署で二か月目を迎えるなんて、初めてだ。ここは居心地がいい。ところで、ティファには好きな人っている? 君は明るくて可愛いから、昔からみんなの人気者だったけど。君の気を惹きたくて、男の子達は必死だったんだ。……僕もだけど。気づいていたかな? ある人に会えるのが、嬉しくてたまらないんだ。毎日顔を見て、声を聞くのが楽しみで仕方ない。話ができる間柄で良かったと思うけど、その反面、不安で心が痛くなる。彼が僕に話しかけてくれたり優しい心遣いをしてくれるのは、単に僕が部下だから? もしそうだとしたら、僕は心が千切れそうだ。嫌われるより、ずっと辛いよ。こんな気持ち、おかしいよね。だって僕は男で、可愛い女の子が大好きだ。会社の女の子達とも、よくお喋りしてるよ。でも、それとは違う……相手は同性なんだから。自分ではよくわからないこの気持ちを、知り合いの女の子に相談したんだ。ある人の姿を、目で追っている。ふと気づくと、その人のことを考えている。会えるのが嬉しい。でも、同時に胸が苦しい。僕のこと、どう思ってる? そんな不安で締め付けられて。足音さえ聞き分けられる程、その人のことは知っている。好きな食べ物、色、季節。どんな本を読んでいるか、どんないきさつでこの仕事をしているのか。僕はみんな知っている。ただ一つわからないのは、僕に対するその人の気持ち。――知りたい。多分、嫌われてはいないから。でも、知りたくない。きっとその『好き』は、僕の思うのと違うから。いくら考えても堂々巡りで、自分がどうしたいのか、何をその人に求めているのか。もう自分ではわからない。そう言ったら、目を丸くされた。そして、尋ねられた。『ねえ、もしかして初めてなの? そんな風に思ったのは』って。首を縦に振った僕に、彼女は吹き出したよ。それから、少し困ったように笑って優しく教えてくれた。それが、恋だと。ウソだと思った。からかわれているんじゃないか、って。でも、それから少したったある日に、彼女が言ったことは正しかったと悟った。こんなことがあったんだ。詳しい事情は言えないけれど、ある仕事の時に僕が狙撃されそうになったことがある。『伏せろ!』そう叫んで、何が起きているのかわからない僕の背中を、彼が思いっきり突き飛ばした。ほぼ同時に、僕の身体が存在していた空間を弾丸が通過した。――ゾッとした。僕は危うく死ぬ所だったわけだ。次の瞬間、銃声と呻き声が響いた。反射的にその方向を見ようとした僕を、彼はとっさに抱きしめて言った。『見るんじゃない!』それまで聞いたこともない、怖い声だった。抱きしめられた時、ドサッという物音がした。死んだんだ。たったいま、僕の目の前で彼は人を殺した。何のためらいもなく、僕を殺そうとした奴を殺した。右手には、まだ硝煙が立ち上る拳銃。左手は、震える僕の背中を優しく撫でている。『怖かったろう? ……まだ震えているな。だが、もう大丈夫だ。君のことは、私がこの身に代えても守ってやる』ああ、心底怖かったよ。だから震えてた。でも、それは彼が思ったような理由じゃない。ずっと持て余していた自分の気持ちに、その正体に気づいてしまった。抱きしめられた瞬間に、自分はずっとこうされたかった、いつまでもこうしていたい。そう思ったからだ。声もなくただ縋りついて、胸に顔を埋めて彼の鼓動を聞きながら、僕の心臓はいまにも破裂しそうだった。その場で息が絶えられるならと願ったほど、それは甘美で残酷な――至福の時。気づいてしまったこの思いを、無視したり抹殺してしまうことは僕にはできない。かといって、告白して彼を困惑させるのはもっと嫌だ。……彼は、そんな人じゃない。だからこそ、僕は彼に魅了されたんだろう。皮肉な話だけどね? 延々ととりとめのない話をしてごめんよ。ティファと昔した約束、僕はちゃんと覚えてる。君に何かあった時は、必ず助けてあげるね。でも……。すまない。君のこと、いまでも大好きだよ。それでも、違うんだ。もう昔と同じわけにはいかない。僕は愛してる。――だけを」

 村長の訴えは、無駄にはならなかった。凶暴なモンスターが異常発生した報告は、科学部門統括の宝条と都市開発部門統括のリーブの双方の目に留まった。
 二人はお互いに、別ルートでこの件に関する報告をプレジデントにしていたのだ。
 リーブは、魔晄炉周辺の住民の安全確保という点から調査を要請し、宝条はモンスターの捕獲と異常発生の原因調査を求めたのだった。
 プレジデントは、役員会議の議題にこれを持ち出した。ルーファウスの故郷とあって、重役達の視線が一斉に彼に注がれる。だが、ルーファウスはポーカーフェイスを決して崩さなかった。
「どちらにしても、かなり凶暴なモンスターだという話ですから。治安維持部門の協力を仰ぎたいと思うのですが」
 そうリーブがプレジデントに訴えると、珍しく宝条も彼の意見に賛成の意を表す。
「ただし、大部隊をゾロゾロ引き連れて行って、世間の注目を集めるのは困る。なるべく秘かに処理してもらいたいものだな。ん?」
「では、精鋭部隊を選抜して向かわせます。それで問題はないですな、プレジデント!」
 ガハハハハ! と笑うハイデッカーに、ルーファウスが問う。
「それで? 一体誰がその指揮を?」
「人数はできる限り少なく、だが戦闘能力は最大に。となれば、自ずからメンバーは決まりますな」
「またセフィロスとザックスか? いい加減、君も人使いが荒いな」
「まあそう言うな、ルーファウス。確かに、他に適任者はいないだろう。ハイデッカー君、その他同行させる兵士については、君に一任する。なるべく早く調査に向かわせてくれ」
「はっ! かしこまりました!!」
「ソルジャー部隊を投入するのはいいとして……他に同行する者はいないのですか? 例えば科学者とか、魔晄炉のエンジニアとか」
 ルーファウスの意見は、しごくもっともなものだった。しかし、それを全く別の意味で捉えた者がいる。
「おや? 副社長はホームシックにおなりですかな? まあ、無理もない。まだ十九歳でいらっしゃいましたな!」
「あらあら。そんなに苛めちゃ可哀相よぉ〜。こんなキレイな子のお母さんなんですもの。きっと素敵な人なのよ。キャハハハハ!」
 ルーファウスが、さも不快そうに眉を寄せた。それを見たプレジデントは少しの間考え込んでいたが、すぐに晴れやかな顔になってこう告げた。
「セフィロスに任せておけば、まず間違いあるまい。だが、住民どもに我が社の誠意を見せておくというのは悪くない考えだ。なかなかいい思いつきだぞ、ルーファウス?」
「お褒めいただき、恐縮です」
 しおらしい言葉とは裏腹に何の感情も含まないその声は、彼がプレジデントに対して何ら親愛の情を感じていないという事実を、何よりも雄弁に物語っていた。
「ハハハハハ……。本来なら、お前を行かせるところなんだが。そう仕事を抱えていたのでは、それは無理だろう。お前の代理で、クラウドを同行させるとしよう。あれは、見てくれだけはいい。飾り物としての役には、十分立つだろうよ。構わないだろうな、ハイデッカー君?」
「もちろんです!」
「では、そういうことで。現地へ赴くメンバーと調査方法、それにモンスターの捕獲方法等は、報告書を提出しろ。委細は任せたぞ、ハイデッカー君、宝条君」
 異口同音に二人が返答して、会議は終わった。

 その夜。プレジデントは、いつものようにルーファウスの髪を撫でていた。
 自分とは色合いの違う、蜂蜜色の柔らかな髪。セフィロスではないが、長く伸ばさせたらさぞ見事だろう――。
 そんなことを考えながら、黙々と自分に奉仕しているルーファウスを満足そうに眺める。
 全く、上手い拾い物だったと思う。いくら眺めていても飽きない、美しい容貌。見る者の心を虜にする、カリスマ性というおまけまでついている。その上、怜悧な頭脳と抜群の行動力を持ち合わせているのだから……文句がなかった。
 やってきた絶頂に呻き声を漏らすと、プレジデントはルーファウスの顔を引き上げてやった。だが、その顔は人形のように無表情のままだ。決して、彼が不感症だというのではない。むしろ逆だった。
 ごく些細な刺激にも敏感に反応を返すこの身体を、プレジデントはどれほど愛おしんだかわからない。
 しかし、いつまで経ってもルーファウスはそれに馴れようとしなかった。
 ――おぞましいものは、どれほど繰り返されても馴染むことなくおぞましいままだ。
 そう言いたげに眉をかすかに寄せ、苦痛と嫌悪の表情を浮かべるルーファウスだった。
 ごく稀だが、与えられる快感に堪えきれずに思わず彼が声を漏らすことがある。
 甘やかで縋りつくような響きを帯びた熱い吐息は、プレジデントの支配欲をくすぐった。
 そして、もう一度聞いてみたいと……プレジデントは、ますますルーファウスにのめり込むのだった。
「それで? ジュノンを任せてくれるという件は、どうなった?」
 乱れた呼吸を少しの間整え、ルーファウスは凍て付いた瞳でプレジデントを見つめた。
「ふむ。お前は私のことを、どう考えている? 自分の地位を虎視眈々と狙う後継者を、兵力が常駐する地にわざわざ送ってやるお人好しだとでも?」
「どうせ監視はつけるくせに。それに、この調子では。しじゅうミッドガルに呼び戻されるのは間違いないな」
「不服か?」
「そんなもの、言える立場だったら……こんな苦労はしていない」
「ハッハッハッ……! まあ、そう言うな。お前には、もっと綺麗になった世界を渡してやる。もう少し辛抱することだ」
「これ以上綺麗にして、一体私に何をしろと? 頼むから、討ち滅ぼすべき敵の一つも残しておいてくれ」
「敵か――。いま、お前の邪魔になりそうなものの始末を急いでいる。これは私の責任だからな。可愛いルーファウス。お前は何があったか知る必要はない。権力の由来など、くだらないことで頭を悩ませるな」
「へえ? あんたでも、そういう『くだらないこと』が気にかかった時期があったとはね。これは傑作だ」
「何とでも言え。あの悔しさは、味わった者でなければわからん。そして、お前はその必要などない。ところで、一つ質問がある」
「何か?」
「ある街で戦争があった。常備軍を持たないその街の人々は、高名な傭兵隊長を高額な金で雇った。彼は有能だった。戦局は形勢逆転、劣勢に立たされていたその街は、見事な勝利を収めた。人々は、彼に多大な感謝をした。彼の人気は日に日にうなぎ登りだ。さて、ここで質問だ。街の支配者達は、彼に対してどのような処遇をするのが最上の方法だと思うね?」
「彼を秘かに暗殺し、その罪を敗けた街のスパイの仕業ということにする。その上で最高の礼をもってその葬列をなし、街には銅像を建ててやる。そうすれば、彼の名は後々の世まで褒め称えられる。これが一番リスクのないやり方だ。彼には名誉。下民どもには英雄。そして支配者には……安眠を。死者なら反乱を起こす気遣いもない。獄舎に閉じ込めたとしても、生かしておけば経費がかかる。――違うか?」
「違わない。いや、大したものだぞルーファウス。お前になら、喜んで世界を譲ろう。ハッハッハ……!! 見事な答えを出した褒美だ。ジュノンの街は、お前にくれてやる。好きなようにするがいい」
「――条件が一つある。ジュノンでは、こんなマネはしないこと。どうしても私が抱きたいというなら、ミッドガルへ呼びつけることだな。こんな姿を見られては、兵達に統率が取れない」
「良かろう。だが、お前にも約束は守ってもらうぞ。もし私の目が届かないなどと侮って、奴と密通してみろ。あれほど有能な人間を失うのは実に痛いが、それもお前次第だ。わかっているな?」
 言わずもがなの脅しに、ルーファウスは何も答えなかった。それを了解の証と受け取ったプレジデントは、ルーファウスを再びベッドに押し倒し、その透き通るような肌をまさぐりながら呟く。
「お前は、私のものだ。他の誰にも渡さん」
 それから少し経って、ルーファウスがジュノン支社を統括する旨が発表された。
 ニブルヘイムへの調査団が旅立ったのは、それより更に後のことだった。