7.

「後悔してるんじゃないか?」
「うん、してる。もっと早くこうしていれば良かったのに、って」
 ツォンの黒髪を手巻いて玩びながら、ルーファウスはクスクス笑った。
「もうそろそろ迎えが来る頃だろうから、その前に言っておくよ。――ツォン、僕は心を凍らせる。人としての感情を持ったままじゃ、あいつには勝てないから。一日も早く、あいつを権力の座から引きずり下ろしてやる。それ以外に、僕がこの世界で自由に呼吸できる術はない。僕は変わる。きっと、変わった僕のことをツォンは好きになれないだろうね……。でも、信じて欲しい。何があっても、何年かかろうとも――必ず戻る。愛してるのは、ツォンだけだ」
「心の全てで、思いを尽くして君を愛しているよ。君のためならこの命、投げ出しても惜しくない」
 別れがたい二人を、インターホンの音が無情にも引き裂く。
「言ってるそばからだな。全く、カゴの中の鳥とはよく言ったものだよ」
 そう言うと、ルーファウスは昨日自分が着ていたスーツの内ポケットから白銀に輝くカードを取り出した。
「副社長として就任する僕への贈り物。そう言えば聞こえがいいけどね。実の所、ミッドガルを離れていても居所がわかるってシロモノさ。いくら一般社員とは比べ物にならないデータにアクセスできる権限があるからって、行動の自由と引き換えじゃ。割に合わないと思わないか?」
 人をバカにした話だろう、と言ってルーファウスはガウンを羽織ると玄関へと歩いていく。万一のことを思ったツォンは、無造作にドアを開けようとするルーファウスを後ろに庇い、自分が応対する。
「――誰だ?」
「こちらにルーファウス様がいらっしゃるはずですね? お迎えに上がりました。秘書室長のボードウィンと申します」
 見れば、後ろにはソルジャー部隊の小隊が控えていた。もし引き渡さなければ実力で奪取する、というわけなのだろう。しかも、その隊長は――。
「セフィロス!」
 自分も、ずい分過大評価されたものだと苦笑する。施錠を解除し、秘書室長にいまの非礼を詫びる。
「いえ、お気になさらず。私があなたでも、同じように振る舞ったでしょうな」
 そして、ツォンの後ろにいるルーファウスに目を留めると一礼した。
「おくつろぎのところ、申し訳ございません。お迎えに参りました」
「ああ、ご苦労。――ところで、それは?」
 秘書室長の差し出したかなり大きい箱を、訝しい顔で眺める。
「新しいスーツがご入り用だろうと、僭越ですがいくつか見立てさせていただきました。他にも、少々」
「ボードウィン室長は、気がきくな」
 皮肉をたっぷりときかせた冷笑にも、秘書室長は顔色一つ変えずに恐縮です、と頭を下げただけだった。
 それを見て、ルーファウスはフン、と鼻を鳴らす。
「これに着替える間くらい、待ってもらえるんだろうな?」
「もちろんです。我々は外でお待ちしておりますので。では」
 隙のない応答、鮮やかな引き際。さすが、室長ともなるとただの秘書とは格が違う。
「まさか、セフィロスまでよこすとは思わなかったな。――これでわかったろう? 僕は絶対に逃げられない、羽をもがれたカゴの鳥だって」
 ベッドルームでスーツを選びながら、ルーファウスは暗い笑いを浮かべている。
「この星が丸ごと檻とはね。ずい分豪勢な話さ」
 やがて、ああ、これがいいと選び出したのは、純白のスーツだった。
「まるで、花嫁衣装みたいだろ? どうせ飾り物なら、せいぜい着飾らないとね」
「すぐに人々は知るだろう。君が中身のない飾り物ではないことを」
「どうかな。――あ、シャワー借りるよ」
 ルーファウスを見送りながら、ツォンは行為の最中に彼が囁いた言葉を思い返していた。
 ねえ、人は誰でも心の中に花を持っているんだよ。それがある限り、どんな辛い目に遭っても大丈夫なんだって昔、母さんが教えてくれた――。
 それを増やすのも失うのも、自分自身なんだって。僕はきっとこれから、花を減らし続けていくんだろう。
 でもきっと、最後に一つだけ残る花がある。それは……。
「私だって同じだよ」
 ルーファウスが花嫁衣装のようだと揶揄した白いスーツを見つめて、ツォンはつぶやく。
 ――たとえ世界中を敵に回しても、私は君を守りたい。
 やがて戻ってきたルーファウスは、服を身に着け終わると鏡に映った自分の姿を見て笑った。
「神羅のお飾り。そう呼ばれるのが、いまからわかるな」
 そして出て行こうとして、何かを思いついたようにくるりと振り返る。
「黒の革手袋、貰えないかな?」
「構わないが……。銃を撃つわけでもない君が、何故?」
「お守りに」
 にこやかな笑顔の裏の真意は、読み取れそうになかった。新しい物を差し出すと、ゆっくり首を振って使い込まれた物が欲しいと言う。
 首を捻りつつ言う通りの物を渡すと、嬉しそうにありがとう、と言った。そして、さっそくはめている。
「これでいい。それじゃあ、行くよ。もうこんな風に話をすることは、当分ないけれど。僕は――」
 ツォンに口づけるために、ルーファウスはほんの少し爪先立つ。それを支えるために華奢な腰に回した腕を、解き放したくなかった。だが、唇を離すとルーファウスは寂しそうに微笑んで告げた。
「もう行かないと。お別れだね――。ティファには、僕は死んだと伝えて欲しい」
 秘書室長にかしずかれ、ソルジャー達の護衛を受けながら去っていく後ろ姿を、ツォンは血を吐く思いで見つめていた。
 必ず、君を取り戻して見せる。どんな手段を使っても、いつか必ず。だから、それまでは。
「――セフィロス!」
 急に呼びかけられて、銀髪のソルジャーは何事だ、と言いたげに振り返った。
「ルーファウス様のこと……頼む」
 ああそうか、と彼はかすかな笑いを浮かべたが、それは冷笑の類ではなかった。
「できる限り、気をつけるとしよう。それで文句はなかろう?」
 そして、彼はルーファウスのそばにピッタリと付いて車内へと姿を消したのだった。

 報道解禁が正午とあって、その日、昼休みはルーファウスの話題で持ちきりだった。
 社員食堂で、リフレッシュル−ムで、喫煙コーナーで、社員達は寄ると触るとこの話で盛り上がった。
「やっぱり、彼ってばタダ者じゃなかったのねぇ。私、もっとがんばってモーションかけておくんだったわ〜!」
 女性社員からは、そんなため息が漏れていた。一方、男性社員の反応は複雑だった。
 彼と反りの合わなかった歴代の上司達は、皆冷や汗をかいていた。まさか、イビリ抜いた若造が副社長になるとは。しかも、ゆくゆくはプレジデントになるという。将来に絶望したくもなろうというものだ。
 また、彼のハンパではない有能な仕事ぶりを高く評価していた人々は、社内改革への期待からルーファウスの副社長就任を歓迎した。
 世界の覇権を握る大企業に成長した神羅カンパニー。その組織は急速に巨大化の一途を辿ったために、水ぶくれしていたのだ。必要な部署に人員と予算が適正に配分されていない……などは、その憂うべき現れである。過労死するほど働いている人間がいるかと思えば、その一方でいまでは必要なくなった業務を芸術的なまでに細分化して数人がかりで行っている。
 ウータイとの戦争が続いている間は、それでも何とかなっていたのだ。成長は右肩上がりで、兵器産業の常として商品一個当たりの利幅が大きかったため、どんぶり勘定でも事なきを得た。しかし、その後神羅は魔晄エネルギーの供給とマテリアの販売に事業の中心を移していった。
 当然社風も変わってしかるべきなのだが、神羅製作所時代から勤め上げてきた旧い世代が管理職の大半を占める現状では、それは望めなかった。社内の閉塞感に苛まれていた有能な中堅〜若手社員達は、今回の人事に現状打破の突破口を見出した思いだったのだ。
 午後の就業時間が始まっても、人々のざわめきはおさまらなかった。いや、むしろ様々な情報が駆けめぐったため、それはいっそう大きなものとなっていた。
 そこへ、午後三時から本社内大ホールで就任の挨拶をするというアナウンスが流れたのだ。
「仕事に支障のない職員は、是非お集まり下さい」
 これに対し、支障あるかもしれないけどぉ、間近で見られるの、これが最後かもしれないし! 当然行くわよねぇ? と、あちこちで華やかな声が上がる。
 それに咳払いをする中高年の管理職だが、若手の男性社員が課長は行かれないんですか? と尋ねると、苦い顔で語尾を濁して行かないわけにはいかんだろう、などとゴニョゴニョ言っていたりする。
 早い話、今日は昼からどこの部署でも仕事になっていないのだった。
 こういう調子だから、三時五分前には大ホールは立錐の余地もないほどの人であふれた。ここに来ていないのは、受付嬢と魔晄炉の警備兵ぐらいだろう、とまで言われた。
「こう人間が多くっちゃ。俺達は仕事をやりづらいぞ、と」
「……確かにな。社員のフリをしてここに潜り込むのは、簡単だからな」
 ルードはうんざりした声でそう言い、会場を見回している。
「あいつ、人気があったんだな」
「……あるいは、あちこちで反感を買っていたかだな」
 二人がこんな軽口を叩いているのには、理由がある。彼らの上司であるツォンが、今朝からずっと重苦しい空気をまとっていたのだ。
 その理由については、二人は推測するしかなかったが。恐らく外れてはいないだろうと思っていた。
 そしてそれは正しかったのだが、二人は昨夜起きたことと、その結果ルーファウスがどんな決意をしたのかまでは、知る由もなかった。ただ、いまのツォンにはなぐさめの言葉など無意味だ、と感じるだけだ。
「――ん? おい、ソルジャー部隊が動くなんて話、聞いてるか?」
 会場の隅々に配置されている一般兵とは別に、クラス1stのソルジャー達が隊列を組んで演壇の置かれたステージのすそに控えていた。
「……いや。どういう事です、ボス?」
「お前達には話していなかったんだな、そう言えば」
 静かな声だったが、声音にはどこか悲しみの色が滲んでいた。
「記者会見のあと、急に決定された事項がある。それは我々の管轄下ではなく、副社長直々の指揮で実行されることになってな」
「ルーファウスの? 一体、何が始まるんだ!?」
「見ていればわかる。もっとも、私は見たくないが」
「……ボス?」
「頼む。二人とも、いまは何も言わないでくれ。たとえどんな事が起こっても。彼を責めるのは、やめてくれ……!」
 こんな上司を見るのは、初めてだった。いつも冷静沈着で、取り乱したことなどただの一度もないツォンが、苦悩に顔を歪めているとは。
 ややあって、ルーファウスの警護のため、ツォンは演壇後ろの控えの席に座った。
 二人が思わず顔を見合わせた時、場内から割れんばかりの拍手が起こった。手を振る者や、口笛を吹き鳴らす者もいる。上がる歓声にこたえるように、ルーファウスが手を振りつつ演壇へ歩いていく。
 黒のインナーに、白いダブルのスーツ。更にその下に、シングルの足元まである丈の長いジャケットを合わせて着こなしている。常人とは違うファッションセンスだが、色白で金髪の彼にはとてもよく似合っていた。
 シングルのジャケットが、歩くとまるでマントのように翻る。
 演壇に着いたルーファウスが、ソルジャー部隊に目で合図をした。
 猿ぐつわを噛まされ、両手を手錠で拘束された男が一人、引き出されてくる。それを確認して、ルーファウスは演説を始めた。ただし、男もソルジャー部隊も、聴衆からは見えない。
 だが、ソルジャー部隊とは反対側のそでにいるレノとルードには、その男の顔がハッキリわかった。
「経理部長……。あいつ、どうする気なんだ!?」
 レノの言葉が聞こえたわけではないだろうが、にこやかに微笑んでルーファウスは言う。
「――さて、せっかく仕事の手を中断させてまで集まってもらった以上、何か余興をと考えた。そこで、こんな見せ物を用意した」
 経理部長が、ソルジャー達に引きずり出されてきた。ツォンの表情が、翳った。
「この男は、ライバル会社の社長の情婦にそそのかされ、我が社の金を反神羅組織に横流ししていた犯罪者だ。おかげで、資金を得たテロリストどもが最近図に乗って困る。諸君も知っているだろう? 小包爆弾で指を吹き飛ばされた、可哀想な女性職員のことを。それから、3番街にある社宅に時限爆弾が仕掛けられて、危うく死傷者が出るところだったことを。他にも、プレート都市とアンダーを結ぶ列車が線路に岩を置かれて走行妨害にあったり、神羅社員専用の病院で毒ガス騒ぎが起きた。いずれも死者が出なかったのが不幸中の幸いだが、奴らを野放しにしておけば、今後どんな被害が出ることか!」
 場内がシンと静まり返る。その反応に、ルーファウスは満足したようだ。憂いと怒りに満ちた表情を、一転して笑顔に変える。
「私の職掌は治安維持と財務に関することだ。そこで、私はテロリスト対策の陣頭指揮をとることにした。手始めに、まずは反神羅組織への資金供給を絶つことにした。人であれ企業であれ、テロリストに資金を流す者は、そしてそれを黙認する者は――こうなる」
 優雅な動作で、ルーファウスはスーツの内ポケットから拳銃を取り出すと、経理部長に狙いを定めた。
 彼は恐怖のあまり、腰が抜けて身動きもできないらしい。
 だが、ルーファウスの顔には艶やかな微笑が張り付いたままだった。そして、何のためらいもなく引き金を引く。
 銃声が二発、鳴り響いた。狙いは過たず、弾丸は頭部に二発とも命中していた。当然、即死だ。
 聴衆から、悲鳴が上がった。いくら神羅が元々は兵器会社だとはいえ、殺人の現場を目撃したことのある者は皆無だろう。――タークスを除いて。
 ルーファウスが撃った瞬間、人々はツォンが目を伏せるのを見た。次に、痛ましげな表情でルーファウスを見つめるのも。
 アナタニ、ソンナコトハ サセタクナカッタ――。
 そんな心の声を、人々は聞いたことだろう。
「これが、私のやり方だ」
 パニックに陥りかけた聴衆を、ルーファウスはよく通る声でむち打った。
 彼のただ一声で、人々は慄然として沈黙した。死の静寂に、ルーファウスの笑い声だけが響く。
「私は、世界を恐怖で支配する。クックックッ……ハハハ……アーッハハハ……!」
 ――この瞬間、冷酷非情な支配者が誕生したのだった。