4.

「ツォン、総務課から今月の超過勤務簿出してくれって催促されたぞ」
「――もうそんな時期か。うっかりしていたな」
「なあ、思うんだけど」
 眉をひそめてルーファウスは言う。
「あんたがいくら有能でも、人間一人が物理的に処理できる量を超えてるぞ、この課の職掌」
「心配してくれるのか? ありがとう」
 このひと月で、ルーファウスはすっかりツォンになついていた。タークスの主任に、猛獣使いの素質があったとは!
 社内の口さがない人々は、そんな風に噂している今日この頃である。
「心配っていうより、呆れてるんだよッ! あのガハハ野郎、自分じゃ何もしないじゃないか!」
「そう思っても、口には出さない方がいい」
 忠告のつもりで穏やかにそう言ったツォン。だが、ルーファウスはおさまらなかった。
「悪口を言う時は相手に直接言うか、聞こえるようにできるだけ大きな声で言う。それが私のポリシーだ」
「立派だがね。部長は社長の古くからの友人だ。あまり刺激して憎まれると、損をするのは君だ」
「あんなヤツが重役だなんて。間違ってるよ!」
 口を尖らせて文句を言うルーファウスは、いつもの無表情で淡々と仕事をしている時と違って、年相応で可愛らしい。何しろ、今度誕生日が来て十九歳なのだ。思考にも口調にも、まだまだ子供っぽいところを多分に残している。
 ルーファウスが部署を転々としなければならなかった理由は、配属初日でわかった。彼は仕事をし過ぎてしまうのである。要求された以上のレベルで考え、上司が期待するものを遙かに上回る成果を上げるのだ。
 時として、それは非常に具合の悪い事態を引き起こす。
「君が重役だったら、その下で働く人間は息をつくヒマもないだろうな」
 好意的な微笑を浮かべ、ツォンはこのひと月を振り返る。
 とにかく、退屈しない日々だった。初日、何を命じたらいいものか考えあぐねて取りあえず資料整理を頼んだのだが、小一時間もするといくつかの資料に付箋紙をつけて、ファイルを抱えてツォンのところにきて言う言葉が。
「この反神羅グループへの資金供給、もうルートは解明済みなのか?」
「いや。何かわかったのか?」
「断定できないんだけど……経理課にいた時、使途不明金を洗い出したことがある。その報告を受けて狼狽したのは課長でもなく、使い込み疑惑を持たれた当の部署の管理職でもなく、経理部長だった」
「面白い話だな」
「更に言うとだ。彼には愛人がいる。彼女は以前、火薬製造を独占している二社の一つ、ランベール社の社長と――」
「ランベールがうちを叩きたいというのはわかる。だが、証拠は?」
「あの騒ぎの時、神羅側の資料は処分されただろうな」
 肩をすくめてルーファウスは言う。
「でも、これを知っている者は他にもいるはずだ。そいつを当たれば何か出てくるさ。そう、例えば。ランベール社と秘密協定を結んでいるもう一つの火薬製造会社、モンデ社とかね」
「あるいは、彼らに資金を提供しているパルマー銀行か」
「神羅は、一人勝ちし過ぎたんだ。ウータイ戦役でうちが勝てたのは、優秀な火薬のおかげだからな。どんな大砲を造った所で、爆薬がなければただの鉄クズだ。それを忘れていい気になるな、って言いたいんだろうな」
「要するに、あの二社を差し置いて神羅が自前で爆薬製造に乗り出そうとしたのが今回の発端、というわけか」
「開発は順調だよ。スカーレットは、性格はともかく仕事はいい。保証するよ?」
「――では、彼らに手を付けても問題ないわけだな?」
「私がプレジデントなら、一方の社長を片づけておいて一方を買収しにかかるけどね?」
「どちらを片づける方を選ぶんだ、君なら」
「そうだねえ。モンデ社には評判のいい跡継ぎがいる。そこへいくと、ランベール社は長男のデキが良くない。妹に婿をとってそいつに跡を継がせようか、って話も出てる。妹はまだ十一歳だが、プレジデントの息子のクラウドは、いま十六歳だろ? 五年も経てば問題なくお似合いのカップルなんじゃないか?」
「やれやれ。君にかかると、人間はみんなチェスの駒か?」
「そんなことないよ。好きな人には、そんなマネしない」
 当たり前だろ? と言って無邪気に笑うルーファウスを見ていると、先ほどまでの会話が信じられなくなってくる。一体、どちらの顔が本当なのだろうか。
 どちらも本当なのだとしたら、この年でたいしたものだ。
「少しは役に立ったかな?」
「十分にな」
 それが始まりで、あっという間にルーファウスは自分のポジションを獲得した。
「しかし、何だな。いままでに経験してきたことをフル活用してるな、君は」
 総務課からせしめてきた備品を整理しているルーファウスに、ツォンは笑いながら言った。
「そうかなあ? そんなこと、考えたこともないよ」
「ひと月毎に辞令をもらうなんて、もうそんな者は現れないだろうよ。出だしは法務部だったろう?」
「うん。特許関係の係だね。次が財務でその次が経理で、それから広報に回されて。人事に引き取られて、営業に出されて、ジュノン支社では購買やったな。そのあと苦情処理センターに行って、ここへ来る前は兵器開発部で調達保障。二か月目を同じ部署で迎えるのって、ここが初めてだね」
 ご機嫌なルーファウスを見ていると、このまま居着きそうな予感がして、何となく苦笑せざるを得ないツォンだ。
「ここの仕事は楽しいのか?」
「『本当の仕事』はさせないくせに。――楽しいよ。あ、それを怒ってるんじゃないよ。大事にしてくれてるの、わかってる。ただ、時々寂しいだけだよ。自分が置いてけぼりになったような気がしてさ」
 青い瞳に、複雑な思いが揺らめいている。そんな目でじっと見つめられるのは、苦手だ。ツォンは一瞬目を閉じ、言うべき言葉を選んだ。
「君には、白い手のままでいて欲しいんだよ」
 だが、結局口から出たのは陳腐なセリフだった。我ながらもう少し気のきいた言葉が言えないものかと思ったが、ルーファウスは神妙に聞いている。
「君がここに居たいというのなら、それは結構だ。だが、私は君を異動させてやりたいと思っているよ。これ以上、裏のことに関わらないうちに」
「ありがとう、って言うべきなんだろうね」
 少ししゅん、とした様子でそう言うルーファウスを見ると、ツォンはつい余計なことを口にしてしまう。
「私は君が可愛い。――好きだからね。自分と同じ危ない目には、遭わせたくないのさ」
「いまの本当!? もしそうなら嬉しいな。大好きだよ、ツォン!」
 満面の笑顔を向けられると、いまはこれでいいのかな………。そんな風にも思いたくなるツォンだった。

 この頃、社内ではプレジデントの一人息子であるクラウドについて、芳しくない噂が流れていた。
「クラウド様は、英雄セフィロスに度を超した関心をお持ちらしい」
 誰言うともなく、そんな言葉がヒソヒソと囁かれていたのだ。
 もっとも、これは無理からぬ話だった。父のプレジデント神羅や自分に仕える立場のセフィロスに、クラウドはまるで小犬がじゃれつくようになついていたからだ。
「あの根暗な坊っちゃんが、セフィロスの前では笑うんだからなあ。そりゃいろいろ言いたくもなるぞ、と」
 ナイトスティックを磨いていたレノが、ルーファウスにクラウドのことを話して聞かせてやっている。
「ま、金と銀とで目立つ一対だからな」
「クラウドは、会社経営には向かない性質(たち)なのか?」
 スッと目を細めて、ルーファウスはレノを凝視する。彼がそういう顔をするのは、獲物と見定めたものに対する時だ。それに気づいて、レノは手を止めた。
「お前が化け物みたいに頭の切れるヤツなのは、認めてやるよ。だがな、忘れてやしないか? 神羅は同族会社だぞ、と」
「フン。レノこそ忘れてるんじゃないのか? 神羅は株式会社だぞ。要は、過半数の株式を取得すればいいのだろう。何も問題はないじゃないか」
「呆れたヤツだぞ、と。プレジデントの息子を差し置いて、自分がプレジデントになるつもりかよ!?」
「合法的に70階の主となる道があるのならそれが広いか狭いか、そんなことは関係ない。私はただ、その道を進むだけだ。もっとも、道がなければ作るまでだが?」
 覇気に満ちたこの発言を、レノは呆れた顔で聞いている。そしてルードは、何とコメントしていいものかわからずにその巨体をデスクに大人しく沈めていた。
「ツォンさん、何とか言ってやって下さいよ。こいつ、ツォンさんが甘やかすもんだから少々図に乗ってますぜ、と」
 おどけて言ったレノの言葉が、ツォンの耳には入っていなかったらしい。厳しい表情で書類に目を通したまま、顔を上げようとはしない。
 背中に目が、髪の毛の先にまで耳がついている彼らしくなかった。
「……ボス?」
 体調でも優れないのではないか、と心配したルードが席を立った。
 その音で、ツォンはハッと我に返ったようだ。困惑の表情を浮かべる部下達に気づくと瞬時に険しい表情を消し、柔らかい微笑を浮かべた。
「どうした?」
 優しい、穏やかな声。だがそれは、自分の中へ人を踏み込ませないための防護壁なのだ。聡いルーファウスは、わずかの間にそれを見抜いてしまっていた。
 自分と視線が合ったほんの刹那、ツォンの瞳に影のようなものが揺らめいたのを見て、彼が自分に何か隠していると直感する。
「どうかしたのは、ツォンの方だろ?」
 射るような眼差し。ルーファウスは、ツォンだけには心を開いていた。それだけに、隠し事などされるのは耐えられなかったのだ。自分は、全てを彼に差し出しているつもりなのに。
「私が?」
 ルーファウスの体内に激しい感情の嵐が渦巻いているのをひしひしと感じたが、それには全く気づかない振りをする。
「このところ野暮用が多くてね。少し疲れているんだ。ぼうっとしていたのは、そのせいだよ」
「そんなウソに、私が誤魔化されると思うのか? 馬鹿にするのもたいがいにしろよな!」
 激情を押さえきれないルーファウスが、ついに爆発した。だが、すぐにその表情は後悔に変わる。
「ごめん。いまのは言い過ぎだよな」
 自分にも言えないこと。となれば、仕事絡みなのだろう。
 だが、タークスの「仕事」は――。一体自分に、何が起こっているというのだろう?
 どう言葉を継いだらいいものか、ルーファウスは逡巡する。重い空気が流れかけた時、タイミング良く電話が鳴った。
「はい、調査課です。――あ、出たんだ? わかった。いま取りに行くよ」
 受話器を置くと少しホッとしたように息を吐き出し、旅費を取って来ると言ってルーファウスは部屋を出ていった。
「で? 俺達にも言えないことですかい?」
「私がこの前、どこへ出かけていたか……。お前達は知っているな?」
 目を通していた書類を手に、ツォンは席を立った。ルードとレノは顔を見合わせてうなずくとツォンのそばに寄り、問題の書類をのぞき込んだ。
 それは、ある人物の血液検査の結果を報告するものだった。
「DNA鑑定? ツォンさん、これ……」
「……科学部門の出したこの結論に、間違いはないんですか?」
「神羅と関わりのない民間の機関にも、同時に分析依頼が出されていたんだ。どの報告も、結論は同じだ」
「あいつはどうなるんですか? いや、クラウド坊っちゃんはどうなるんですかの間違いかな、と」
「今日、緊急の取締役会の招集通知が出された。明後日には会議の席上で正式決定だ。ルーファウスは――いや、ルーファウス神羅は、プレジデントの後継者として副社長の座に就く」
「副社長……」
 呻くルードに、ツォンは寂しげに微笑む。
「70階への道は、最初から彼のために用意されていたらしいな。もっとも、彼には迷惑な話なんだろうが」
 あの誇り高い青年は、自らの力で権力への階段を駆け上るのが何よりも楽しかったのだ。しかし、今やその階段は最後の一段を残すのみだった。今後、彼はその状態のまま生きていかねばならない。
 ――プレジデントの死。それだけが、彼を前進させてくれる唯一の事象なのだ。
 ようやく巡り会えた実の父の死を、会った瞬間から願わなければならないとは。運命の女神は、何と残酷な仕打ちをすることか。
「あんた……あいつにどう説明する気だ? 他の奴から聞かされたら、きっと傷つくぜ。引導渡すなら、あんたがキッチリやってやれよ。それが情けってもんだぞ、と」
「ああ。わかっている。わかってはいるんだが――」
 再び自席に戻り、椅子に身を投げたツォンは頭を抱えてつぶやくしかなかった。
「神羅のためには、願ってもない話だ。だが、私は……会社の未来より、彼の笑顔を失うことの方が怖い。こんな感情は、この職務にある者として抱いてはならないのに……。私は、一体どうしたというんだろうな?」
「俺から言わせてもらえば、あいつもあんたも素直じゃないよな。ま、そんなだから放っておけないんだぞ、と。いまの言葉、そのままあいつに聞かせてやりたかったよ。さぞ喜んだろうになあ。な、ルード?」
 無言のまま、力強く首を縦に振るルードと、いつにない真剣な表情のレノ。
 室内を、恐ろしいほどの沈黙が支配していた。