2.

「おはよう、ルーファウス。そのケガ……またケンカしたの?」
「ああ、ティファか。何、相手はもっとヒドイことになってるさ。面倒だから、三人まとめてのしてやった」
「あまりお母さんを心配させちゃダメだよ。ルーファウスには、お母さんしかいないんだから」
「そう。だから、母さんを侮辱するようなコトを言う奴は絶対許さない」
「……またお父さんがいないって苛められたのね」
「事実だからな」
 このあたりでは珍しい見事な蜂蜜色した金髪の頭を振り、ルーファウスは肩をすくめた。
「ルーは小柄だしキレイな顔してるから、ケンカが弱いって思われちゃうのかもね」
 それは、事実とは全く正反対なのだが。村の子供達はついウッカリ忘れてしまうらしい。
「愚かな野蛮人に付き合うほど、僕はヒマじゃないけどね」
「じゃああの話は本当なの? 春になったら……ミッドガルに行くって」
「ああ。僕ももう十四歳だし。いつまでもこんな辺鄙な所で燻っていられないよ。チャンスは物にしないとね」
「うん。良かったね! でも、ちょっぴり淋しいよ。村の男の子達、みんな出て行っちゃうんだもん。ルーは頭がいいから、きっと神羅カンパニーで出世するね。私のことなんて、すぐに忘れちゃうんだろうな」
「そんなことはないさ、ティファ。――じゃあ、こうしよう。君が困っている時に、もし僕がひとかどの人物になっていたら、必ず君を助けてあげる。TVのヒーローみたいにさ」
「……本気?」
「僕は君にはウソをついたことないよ。君を守る騎士になってあげる。約束する」
「ルー……」
「その代わり、君も僕と約束してくれないか。騎士が守るのは、姫君と相場が決まってる。僕もがんばるけど、君も騎士になった僕にふさわしい素敵なレディになるってさ!」
「――わかった。じゃあ、指切りげんまん!」
 ニブルヘイムには、いまを時めく神羅カンパニーが所有する屋敷があった。
 白衣を着た科学者が出入りするその屋敷を、村人達は「神羅屋敷」と呼んで敬遠していた。何だか得体の知れない実験をしているらしい――。そんな噂が村では流れていた。
 あまり人が近づきたいとは思わないその屋敷に、ルーファウスはよく出入りしていた。
 彼の家は貧しく、聡明なルーファウスは読書が大好きだったのだが、何冊も彼に買い与えてやれる余裕は母親にはなかったのだ。神羅屋敷には、大量の本が存在した。どうしても本が読みたかったルーファウスは、小遣い稼ぎも兼ねて掃除のアルバイトにもぐり込み、本を読み耽っている所を研究員に見つかったのだった。てっきり大目玉をくらうかと思いきや、研究員は家で読むといいと言って本を持ち帰ることを許してくれた。
 旅行をしたことがなく、ニブルヘイムしか知らないルーファウスにとって、本は外界を覗かせてくれる唯一の窓だった。次々に新しい本を借りては読み、わからないことがあると研究員達を捕まえて質問を浴びせた。中にはそんな彼の態度を生意気だと思う者もいたようだが、やがて一年が過ぎる頃、ルーファウスは主任研究員に呼ばれてこう尋ねられた。
「君は勉強するのが好きらしいね。この屋敷の本は、全て読み尽くしたそうだな?」
 それは事実だったので、ルーファウスは無言で首を縦に振った。すると、主任研究員は優しい微笑を浮かべてこう切り出したのだ。
「うちの会社では、将来の有能な人材を確保するために奨学金を出していてね。それを受けると、卒業後は必ずうちで働かなくてはならないんだが。それでも良ければ上の学校へ行けるよう、私が君に推薦状を書いてあげよう。もちろん、すぐに返事をするのは無理だろうから、帰ってお母さんとよく相談してごらん。何といっても君の所は母一人子一人だし、お母さんにもいろいろお考えがおありだろうからな」
 降って湧いたこの千載一遇のチャンスを逃す気は、ルーファウスにはさらさらなかった。意気揚々と家に帰ると、彼は得意げにその話をした。
 だが、母親の反応は彼の期待したものではなかった。
「――何だって!? お前、それでもう決めたのかい?」
「こんないい話、もう二度とないと思うんだ。母さん、僕は自分がどこまでやれるのか、この目で確かめたい。この村でのんびりと暮らすのは、僕だって悪くないと思ってるよ。でも、それは年をとってからでもできるじゃないか。ミッドガルに行きたいんだ。お願いだよ!!」
「……あそこは、お前が思うほどいい所じゃないんだよ」
 ルーファウスには聞こえなかったかもしれない。それほど低いつぶやきだった。
「ちゃんと仕送りはするから。ね?」
「私が心配しているのは、そんなことじゃないんだよ。お前は、自分で気づいていないけどね――父さんにそっくりだよ。あそこへ行けば、きっと同じ道を歩くことになる」
「僕が生まれた時、父さんはもういなかったって聞いたよ。僕は父さんを知らない。それを恨んだことはないけどさ。知らないものに似てる、って言われても。困るよ」
「ルーファウス、悪いことは言わない。ミッドガルへ行くのはおやめ。何も都会はあそこだけじゃない。お前が上の学校に行きたいのは、母さんだって承知してるよ。へそくりも多少ならある。ただ、神羅カンパニーへ入社するのだけは――やめておくれ」
「母さん……? いつもの母さんらしくないよ。どうしたんだい? 神羅カンパニーと昔何かあったの?」
 無邪気に首を傾げて尋ねる息子に、母親は必死の説得を試みた。押し問答が何日か続いた挙げ句、母親が折れる形で決着がついた。こうして、ルーファウスはミッドガルに行くこととなったのだった。
 出発の日、母親は息子を抱きしめて涙を流した。
「もうお前は、ここへは戻って来れないよ。お前がどう思おうともね。――結局こうなる運命だったのさ」
「ティファ、母さんのことよろしくな。向こうに着いたら、手紙出すよ」
「約束、忘れないでね! きっとよ!!」
 ルーファウス、十四歳。山あいのニブルヘイムにも花が一斉に咲き乱れ、遅い春が訪れた日のことだった。