15.

<報告書>
「魔晄炉の動作異常を誘発し、その混乱に乗じてターゲット達を消去するという当初の計画は、精神に失調をきたしたターゲットSの突発的な行動により、変更を余儀なくされました。一か月かけて調整してきた魔晄炉の事故が起こるより少し前に、自らの出生の秘密を全て知ったSは狂気に囚われ、感情をコントロールすることができないままファイガの魔法を使い、村は灰燼に帰しました。Sがファイガで家々を焼き払い、目に入る人間を片っ端から刀で斬殺するのを、Sに同行していたソルジャーZが必死に止めようとしました。その間に、見張りのいなくなったターゲットCを刺殺、念のために死体は魔晄炉へ廃棄しました。その後ジェノバ回収を図ったSを魔晄炉内にて待ち伏せたところ、生き残った村人がSを襲いました。村人を斬ろうとするS、それを止めようとしてSと揉み合うZ。その混乱をついて、Sに深手を負わせることに成功しました。結局、村人はSに斬られてショック死、Zも瀕死の重傷を負っていたので苦しまずにすむよう処置しました。深手を負わせたとはいえ、Sを魔晄炉に突き落とすのは容易ではなく、格闘となりましたが、何とか任務を完了することができました。事故後の調査団の報告でもあの事故が人為的に誘発されたものとの証拠は発見されず、事実を知る関係者は村人を含めことごとく死亡しており、この件が余人の不審を招くことは将来的にもないものと考えます」
 男は満足げに提出された書類に目を通す。――完璧だ。何もかも。
 あとは、「本物の古代種」であるあの少女に「約束の地」を見つけさせられれば、神羅カンパニーの繁栄は永遠のものとなる。
「なかなか時間がかかったが。これでようやく、お前に害虫共のいない綺麗な世界が渡せるぞ」
「知っているか? 農薬という名の化学物質は、害虫どころか土壌の微生物も栄養分も何も根こそぎ殺してしまうんだ。しかも、そこで育った作物を食べた人間を遺伝子レベルから犯していく。お前のやっていることは、正にそれだな」
「ハッハッハッ! 相変わらず、手厳しいことを言う。しかし、あれは本当に有能な男だ。見るか?」
 パサッと音を立てて、報告書がベッドに散った。
「読まなくても、内容の察しはつく」
「そうか。お前は、本人から聞いているだろうな。忘れていたぞ」
「白々しい。よくもこの私を、取引材料にしてくれたな」
 凍り付くような視線にも、権力者は怯むことなく笑っている。
「あの男の仕事は、実にコストパフォーマンスがいい」
「お前には、この世界にあるもの全てが我が物に見えるらしいが。せいぜい足元をすくわれないように気をつけるんだな」
「それは、お前もだな」
「私? ――フッ。何のことだか、よくわからないな」
「ルーファウス、お前はゲームの相手を見くびらないことだ。私は、不要となればお前を切り捨てることができるのだからな。それを忘れるなよ?」
「ご忠告、感謝するよ。だが、私には無用のものだな」
「どうだかな。まあ、あと十年もすれば私に戦いを挑むことの空しさがわかるだろう」
(待てないね)
 瞬間、身を強ばらせる。冗談じゃない。あと十年も、こんな……羽根をもがれた鳥のように、蜘蛛の巣にかかった蝶のようにもがき苦しめ、というのか。
(死んでしまう。一刻も早く、この男から逃れなければ……!)
 逃れるには、方法は二つしかない。自分が死ぬか、男が死ぬか。前者を選択したのは、男の妻だった。
 しかし、それで事態は少しでも改善されたろうか? 答えは否だ。
(殺してやる。この手で必ず。もちろん、その時には楽には死なせてやらないが)
 明確な殺意というのは、もはや感情ではなく強固な意思だ。
 だから、青年の青い瞳に浮かぶのは嫌悪の情で――それはいつものことなので、男は全く意に介していない――他の感情など読み取れなかった。
「しかし、惜しいことをした。巻き添えをくったあのソルジャー、ザックスと言ったな? あれは相当使える人間だったようだが」
「何でも、恋人がいたとか。今頃はさぞ嘆き悲しんでいるだろうな。もっとも、事実を知ればお前をさぞ恨むに違いないが?」
「いまさら人一人分の恨みが増えたところで。別にどうということもない」
 男は笑い、手にしていた葉巻を灰皿に押し付けるとシャワーを浴びようと去っていった。
 後に残されたのは、重い沈黙。青年は吸い殻から立ち上る煙を見て、思いを巡らす。
(本当に、人一人分の恨みは何も影響を与えないだろうか?)
 そんなことはないだろう。世界から全く切り離されてただ一人で生きている人間など、存在しない。
 この世界は、人々が共鳴し合い、あるいは反発し合って出される音で満ちている。一つ一つの音は鳴った瞬間に消えていくのみだ。
 だが、もしそこにある意図を持った者が現れ、個々に切り離されていた音を調律し、そればかりか彼が思い描く主題を奏でさせることに成功したら?
(その者の願いが、世界の破滅でないことを祈るだけだな)
 そう考えて、ハッとする。自分は、こんな有様でも生きていたいらしい。絶望に苛まれながらも、この世界が結構気に入っているのだ。
 ――この街は、相変わらず大嫌いだったが。ふと、失われた故郷のことを思い出す。記憶の中で、自分に向かっていつも笑いかけてくれた少女の、明るく澄んだ声が響いた。
「ティファ……いまどうしてる? どこにいる?」
 それは、公式には全員死んだとされている、彼の故郷の唯一人の生き残り。
 ツォンは彼に彼女が収容されている病院を教えなかった。知らなければ、ルーファウスから秘密が漏れる気遣いはない。
 そう判断したからだが、ルーファウスの方でも行方を尋ねるようなことはしなかった。
(君とは、住む世界が違ってしまった。君の知っている僕は、もう死んだ。今更どんな顔して君に会える?)
 もう自分の中には流す涙など残っていないと思っていた青年は、自分の考えが間違っていたことを思い知るのだった。

 事件から五年が経った。
 その間、コレルやゴンガガでの魔晄炉爆発事故があったものの世界から反神羅勢力は一掃され、人々は魔晄がもたらす豊かな生活に何の疑問も感じていない――ように表面は見えた。
 この年、活動している反神羅グループの中では最大のものだったアバランチという名の組織のリーダーが暗殺されるという出来事があった。
 もちろん、断を下したのはプレジデント神羅。実行部隊はタークスで――。
 これまで苛烈とも思える治安維持活動を押し進めてきたルーファウスは、意外にもそれに反対した。
「一つ位息抜きの穴が無ければ、民衆達が窒息するだろう? どういう支配の仕方をしたところで、所詮人の不満は絶えないものだ。我々に必要なのは、それを上手くコントロールする術だ。不満を持つ者を全て殺していたら、やがてミッドガルからは人影が消えることだろうよ」
 競争相手の無い一人勝ちのゲームは、プレジデントの神経を徐々に侵していったらしい。本来の彼は非常に明敏な頭脳を持ち、リアリズムの信奉者だったはずだが。
 最近、彼には独裁者の陥りやすい弊害が見えるようになっていた。ごく限られた側近の言葉しか、耳に入れようとしない。合理性のある意見でも、それが自分の考えに合わない物であれば受け入れない。
 総じて、物事を柔軟に捉えようとしなくなっていたのだ。
「老いたな」
 どうせなら、精神だけではなく肉体の方も一緒に衰えてくれればいいのに。そんな皮肉が、脳裏をかすめる。
「でも、カンパニーの実権はまだあの人の物よ。残念ねぇ、副社長?」
 耳をつんざく笑い声を上げた兵器開発部門統括スカーレットを睨み付け、ルーファウスは気丈に言い返す。
「そう。『まだ』あいつの物だ。だが、じきに私の物になる」
「いつのことになるのかしら。あの人、余裕であと三十年は元気そうだけど? それまで待てるの、坊や」
「何が言いたい?」
 自分にしなだれかかる振りをして耳元で囁かれたスカーレットの言葉は、大層激烈なものだった。
「私はねえ、強いものが好きなのよ。強くて優れていて、美しいものは何でも好き。特に、人間はね」
「冗談で私を口説くのはやめてくれないか、兵器開発部長?」
 顔色も変えず、ルーファウスはスカーレットの言葉をさらりと受け流した。
 その人形のように整ったポーカーフェイスからは、何の感情も読み取れない。冷たいこと、氷の如き。
 思わずため息をついてスカーレットは見とれていたが、やがて艶やかな笑いを浮かべると再びにじり寄り、耳元に囁く。
「――知ってる? アバランチの中にね、殺されたリーダーの敵討ちをしようって計画を企てているメンバーがあるのよ。何をやらかすのかは知らないけど、相当派手なことを企んでるみたいねぇ。その中心人物のそばには、可愛い女の子がいるって話よ。名前は……何だったかしら。ティナ……ティファナ……ああ、思い出したわ。ティファ。何でも、恋人を神羅に殺されて、田舎から復讐したくて出てきたんですってよ? 健気よねぇ。笑っちゃうわ。私なら、死んだ人間のことなんてサッサと忘れるわ。もっとも、その恋人が本当に死んでたとしての話だけど?」
 さしものルーファウスも、顔から血の気が引くのをどうにもできなかった。プレジデントが徹底的に潰すことを決めたテロリストグループに、あのティファが参加しているなど!
「そんな名前の女は知らないな。兵器開発部長が何故そんな話を私にするのか。よくわからないな」
「あら、そう? じゃあ、捕まえたら新式兵器の実験にその娘を使ってもいいかしら。最近、犯罪者や無宿者を使うのにも人権を守るためとか言って、圧力団体がいろいろウルサイのよ。その点、テロリストなら問題ないわよねぇ。何せ社会の敵ですもの。キャハハハハッ!」
「スカーレット!」
 遂にたまらず、ルーファウスは叫んだ。そんな彼を、スカーレットはさも面白そうに見る。
「相手が私で良かったわね、坊や。プレジデントだったら――」
「さっきも聞いたな。今度はちゃんと答えろ。お前は一体何が欲しくて、私に近づこうというんだ?」
「さっき言った通りよ。私はね、世界を自分の力で切り開き、動かしていくような強くて優れた人間が好きなの。かつてプレジデントは、自分の思うままに世界を動かす男だったわ。でも、いまはどう? 魔晄炉が爆発したといってはあなたに後始末をさせ、テロリストを処断するのにもタークスを使う有様。いまの彼は、私が惚れた男じゃないわ。そして、あなたは彼を倒したいと願っている。――私達の利害は一致していると思うのよ。違う?」
「そのテロリストの始末の仕方を非難して、いつ戻れるかわからないジュノン行きを命じられたような男だぞ、私は。お前の買い被りでないといいがな」
 自嘲の笑いを浮かべたルーファウスに、スカーレットはコロコロと華やかな声で笑う。
「そういうドジを踏む所が、あなたが坊やたるゆえんだわねぇ。でもね、私は男を評価する時には将来性を重視してるの。あなたは大化けしそうじゃない?」
「フン。先物買いか? せいぜい損をしないように投資することだな」
「フフフ。あなたもわかってるでしょうに。ハイリターンを期待するなら、ハイリスクは覚悟しないとね?」
「全く、君とはいいパートナーになれそうだ」
 やれやれとばかりに差し出した手を、スカーレットはギュッと握りしめた。
「パートナー? それは事が成就してから使うべき言葉だわね。いまの私達にふさわしいのは」
 ――共犯者よ。
 そう囁いたスカーレットの声が、ミッドガルへと戻るヘリを見送るルーファウスの鼓膜にいつまでも反響していた。