14.

「セフィロスが死んだそうです、副社長」
 沈痛な声でそう告げたエレインに、ルーファウスは即答した。
「ウソだ」
「嘘ではありません。本社ではいま、大がかりな社葬の準備で目の回る忙しさだそうです。社長秘書室長が、そうこぼしていました」
「社葬?」
「彼は、我が神羅カンパニーが誇る英雄です。当然ですよね。同行していたクラウド様も亡くなられたとか」
「そういうことか。それで、私をここに釘付けに。クックックッ……!」
「あ、あの?」
 突然笑い出したルーファウスを、エレインは心配そうな表情で見つめる。
 だが、ルーファウスの視界には彼女が入っていないらしい。彼はゾッとするほど冷たい声で言い放つ。
「とんだ茶番劇だな。だが、アイデアを出したのは私だ。著作権料でももらうとするか」
 綺麗な口元が、皮肉な笑いに歪んだ。言葉の意味は測りかねたが、その激烈な口調からルーファウスがひどくショックを受け、怒りを感じているらしいのはエレインにもわかる。
「――それで? ミッドガルへは、いつ」
 ふいにルーファウスが尋ねた。その声には、もはや何の感情も含まれていなかった。
(良かった。何か苛立っていらっしゃるようで、心配したのだけれど……。私の思い過ごしみたいね)
 エレインはすぐにそう思い直し、事務的な口調で社葬のスケジュールを伝える。
「わかった。ご苦労だったな」
 自分の前では、ルーファウスが感情の乱れを決して見せないようにしているのは、彼女にももうわかっていた。エレインは目を伏せると一礼して、そっと部屋を出ていった。
「彼には名誉、下民どもには英雄、支配者には安眠を……か。まさか本当にやるとはな。セフィロス……。お前は、一体何のために生まれてきたんだ? お前、一度でも自分自身の意志で何かを決めたことはあったのか? 誇り高いお前が、こんな風に人に利用されるだけ利用されて、ゴミのように捨てられて。死んでも死にきれないよな」
 その時、ルーファウスの神経に何かが触った。何かがおかしいと感じる。だが、一体何が?
 エレインは事実だけを報告したが、肝腎のことは言わなかった。つまり、何故死んだのか、ということを。
 思うのと同時に、内線でエレインを呼び出す。予期された電話だったのだろう。一回鳴らしただけでエレインが出た。
「ああ、すまない。一つ確認したかったんだ。さっきの話。死因は?」
 彼女は、はきはきと事務的に即答する。
「何でも、ニブルヘイムの魔晄炉調査で大規模な事故があったそうです。彼だけじゃなく、他にも死者が出ていますわ」
「ニブルヘイム?」
 その名には覚えがあった。ジュノンに来る前、役員会議で取り上げられた件だ。
 しかし、あの時配付された資料では、大規模な事故が起こるような可能性は書かれていなかった。会議が終わったあと、魔晄炉の動作異常ということで暴走の可能性が気になったルーファウスは、都市開発部長のリーブに直接確認もしたのだ。
「人為的な事故。それも、恐らくヤツが直々に命じた――」
 そう呟いて、背筋に悪寒を覚えた。あの鬼神の如き百戦錬磨のソルジャーを、死に至らしめることのできる人間。
 ルーファウスが知る限り、そんな人間は一人しか存在しなかった。
「まさか……? 相討ち……!?」
 その可能性は、十分過ぎるほどあった。まともに戦えば、セフィロスに勝てる人間などいないだろう。だが、闇討ちなら。それでも、何の傷も負わないなど考えられなかった。
「ツォン……。無事でいてくれ……」
 決して口に出してはならない人間の名を、誰にも知られてはならない想いを込めて呟いた。声にならない声があふれて、海を一望できる執務室の全面ガラスにもたれかかったルーファウスに、ダークネイションが心配そうにすり寄ってきた。
 そしてひと声鳴くと、鼻先をスラックス越しに脚につけてルーファウスを見上げている。
「ダーネィ……。わかってくれるのか? 私の側にいつもいてくれるのは、お前だけだな」
 優しく微笑み、屈み込んで常に自分に忠実な「友人」を抱きしめる。
 ダークネイションは金色の瞳で、大人しくルーファウスを見つめている。何もかもわかっていますよ、とでも言いたげに。
「お前に人の言葉が話せたらな。でも、そうしたら私はきっとお前に甘えて、寄りかかりっぱなしになるんだろうね。そして、いつかお前の命さえ奪ってしまう――。そんなのは嫌だ」
 ただ命令だからと言って、ツォンがプレジデントの言葉に唯々諾々と従ったとは思えなかった。何か取引があった。恐らく、その駆け引きの道具に使われたのは自分。
 さもなければ、セフィロスに対して何ら悪感情を抱いていないツォンが、自ら手を下すはずがない。
「一体いま、どこにいる……?」
 一目でいい。いますぐに会いたかった。思わず涙がこぼれそうになった、その時。
 ダークネイションが、ピクッと身を起こした。次の瞬間、するりとルーファウスの腕から逃れてしまう。
「ダーネィ?」
 不審に思い、立ち上がったルーファウスの前には、ここには絶対にいないはずの人間の姿があった。象牙色の肌。闇色した瞳と髪の、穏やかな微笑をたたえた青年。
「ツォン!?」
 何故ここに?問いかけようとしたルーファウスを、ツォンは何も言わずに抱きしめた。
 ルーファウスは慌てて離れようと身じろぐ。だが、ツォンは力を緩めるどころか、いっそう力強く抱きしめる。
「ダメだっ! 監視されてる。お願いだから、離れてくれ。さもないと」
「あなたに触れる許可は得てあります。ただし、一日だけですが」
「どういう……ことだ」
「お気づきなのではありませんか。聡いあなたのことだ。もうご存じなのでしょう? セフィロスとクラウドのこと」
「お前が殺したのか」
「その理由は、誰よりも一番よくご存じでしょうに」
「でも、どうやって? まともに渡り合えば、到底勝てる相手じゃない……!」
「そう、正面きって戦えばね。私は、欲しいものを手に入れるのに手段は選ばない。いえ、手段を選べるほど余裕を持てる相手ではなかった、と言った方が正確でしょうか」
「私は地獄に落ちるな。誰が死のうと、いまお前が目の前にいてくれることが何よりも嬉しいんだから」
「それを言うなら、私こそ魂を悪魔に売り渡したようなものです。何の罪もない人々を巻き添えに、親友をこの手にかけたのですからね。……ニブルヘイムは、村ごと焼き払われてしまったのですよ」
「何…を……言って……」
「火を放ったのは、セフィロスです。魔法を使って。家々は、あっという間に類焼していきました」
「母さんは!? それに、ティファ! ……まさか!?」
「ティファは無事です。ただし、ひどい怪我をしていますが。口封じのために消される可能性があったので、秘かに助け出しました。しかし、あなたの母上は……申し訳ありません。見つけた時は、もう手遅れでした」
「母さんが、一体何をしたっていうんだ!? 酷い……!」
「私の受けた命令は、セフィロスとクラウドを始末しろというものでした。ですが、それに気づかないセフィロスだとでも?」
「……何があった? セフィロスは、何故村を? あいつは、無差別に人を殺すようなマネはしないだろうに」
「彼の張りつめた精神を崩壊させるような事実が、何の前触れもなく彼に知らされたのですよ。精神に失調をきたしたセフィロスが、まさかあんな行動に出るとは。予測できなかったのは、私のミスです」
「それで? 他に助かった村人は?」
「ティファ一人を匿うのが、私の力では精一杯です。彼女にもしものことがあったら、きっとあなたは私を許さない。およそ紳士的な理由ではありませんよね。ですが、それが真実です。私は、そういう人間なのですよ。あなたを再びこの腕に抱くために、一体何人の血でこの手を汚してきたのか……。それでも、私はあなたが欲しかった。たとえ一時でも、あなたと共に過ごす時間が欲しかった……!」
「私も同じだ。この手には、血の臭いが染みついている。いくら洗っても、それは決して取れることがない。お前一人で地獄に落ちることはない。その時は、私も一緒だ。自由になるのは一日だと言ったな? ツォン、時間がない。……来て」
「ルーファウス……この汚れた手であなたに触れることを、許して下さるのですか……?」
「このまま朝まで、私を離すな。そばにいて欲しい……」
 そう言って見上げる瞳が潤んでいた。
 母も故郷も、過去に繋がる全てを失ってまで自分を選んでくれたのかと思えば、ルーファウスが愛おしくてならなかった。
「私の全てを、あなたに捧げます。――愛しています」
 その日。
 エレインは、ルーファウスの突然のスケジュール変更の対応に追われたのだった。

 ミッドガルでは、これほど計画が上手くいくとは! と手を打って喜んでいる人間がいる。
 だが、別の場所では支配者の慢心につけ込んで、自らの野心を成就させようと目論んでいる者がいた。彼は自分の好奇心を満たすために、妻を犠牲にした過去を持つ。
 今更他の何者を研究のサンプルにしようと、構わないではないか?
 どうせ、サンプル達は社会的に廃棄処分された身なのだ。ゴミの一つや二つ、自分が有効利用した所で文句を言われる筋合いはない。そのゴミが、たまたま自分の雇い主の息子だったり自分自身の息子だったりしただけだ。
「やれやれ。あの男の強引さにも、ほどがある。もう少しで手遅れになる所だった」
 連日の徹夜で、さすがに疲れていた。だが、その甲斐あってサンプル達の状態はようやく安定してきた。
 ゆらり……。男の独り言に答えるかのように、円筒形の透明なカプセルの中で長い銀髪が揺らめいた。その隣りには、黒髪の青年が収められたカプセルも見える。
 そしていま、男が満足げに見ているのは手術台の上で眠るサンプルだった。
「全く、お前には毎度の事ながら苦労させられるよ。その上、この前は母親だったが今度は父親から殺されかけるとはな。クックックッ……。余程邪魔者らしいな、この世界では」
 まあ、私も似たようなものだがね。そんな言葉をサンプルにかけ、ミッドガル本社の様子を部下に尋ねる。
「博士! いまどちらにおいでですか!? 明日はセフィロスとクラウド様の社葬です。戻っていただかないと、困るのですが」
 いまにも泣きそうな声の研究員に、宝条は平然として答える。
「ほう? それはずい分ご大層な猿芝居だ。何事も、中身のない物ほどゴテゴテと飾り付けられると相場は決まっているが」
「とにかく、至急お戻り下さい。幹部の中で出席なさらないのが博士だけだ、などという事態は我々が困ります」
「フム。プレジデントはどうしてる?」
「一度に、我が社が誇る無敵のソルジャーと息子とを亡くされたんです。そりゃあもうガックリきてますよ。来客も会議の予定も、みんなキャンセルだって話です。いまは副社長がジュノンから戻られて、お側についているようですが」
「ルーファウスも、ご苦労なことだ」
「えっ? 何かおっしゃいましたか?」
「いや、何でもない。わかった。今日中には戻る」
「ありがとうございます! よろしく頼みますよ、博士」
 研究員は明らかにホッとした様子である。電話を切った後、宝条は柄にもなく他人の心配を一瞬でもした自分に気づき、失笑する。
 プレジデントの醜い欲望に関しては、これまでに幾度もその後始末をさせられている。別に何が起きても今更驚くことなど何もなかったが、乱れたシーツの上に投げ出されたルーファウスの肢体は華奢で、シミ一つない肌理細やかな肌は雪をも欺く白さだった。
 素直に、美しいと思ったのを覚えている。プレジデントのような欲望は全く持ち合わせない自分だが、それでも見とれてしまったほどに。
 そんな自分に、プレジデントは身支度を整えながら言ったものだ。
「少し可愛がり過ぎたようだ。痛み止めを処方してやってくれ。他にも、適当に処置を頼む」
 激しく抵抗したのだろう。手首には、何かで縛った痕があった。無理矢理押さえ付け、意に従わせたのか。鎖骨のあたりには無惨に変色した指の痕。この分では、調べなくても他の場所がどういう状態か。容易に推測できた。
 あの時は必要な薬品類を揃えて、眠り続けるルーファウスの枕元のサイドテーブルに置いてやったものだが。
 どうやら、プレジデントは相変わらず彼にご執心らしい。どころか、最近は大勢いた愛人がお払い箱にされていた。
 プレジデントの関心は、今やルーファウスが独占したのだった。
「全く、あの男も元気なことだ」
 呆れつつも、自分が好きな研究を費用のことなどお構いなしにできるのはその男のお陰であることに思い至り、苦笑する。
 と同時に、ルーファウスが社長ならばこうはいかないだろう、という予感が脳裏をよぎる。
「二十人の中の一人より、十人の中の一人。当然だろう? ならば、誰かと共有するより独占する方が効率がいい。私を所有したいというんだ。させてやるさ。ただし、私以外の人間に関心を向けることなど絶対に許さないが」
 そう宣言してさも楽しそうに笑ったルーファウスの瞳は、恐ろしいほど澄み切っていた。
 冷静に計算して、自分だけが影響力を行使できる人間になった場合に得る利益のために、この際個人的な感情は捨て去ることにしたらしかった。
 優雅さと冷酷さとが奇妙な具合に同居した殻をまとい、内には徹底したシニシズムに裏打ちされたリアリストの魂を息づかせている。
 ――はっきり言って、絶対に敵には回したくないタイプだ。
「親が親なら、子も子だ……ということかな? クァックァックァッ!」
 宝条の行動は、プレジデントにとって大きな誤算となる。