13. 「副社長、来週のスケジュールのご確認をお願い致します」 秘書が差し出した書類に、ルーファウスは無言で目を通していた。が、ふいに訝しそうな表情になる。 「あの、何か問題がありますでしょうか?」 ためらいがちに声をかけた秘書に、彼は表情を和らげて言った。 「ああ……君のスケジュール管理は完璧だ。心配しなくてもいいよ、エレイン。少し気になったことがあっただけだ」 「ご不明な点がございましたら、どうぞ遠慮なくおっしゃって下さい」 この慎ましやかで気配りのよくできる秘書に、ルーファウスは全幅の信頼を置いていた。 エレインは、スタンドプレーをするようなタイプではなかった。普段ルーファウスの側に控えている時も、空気のようにその場に溶け込んで、彼の神経に負担をかけまいとするような女性だった。 しかし、決して大人しいだけの女性ではなかった。多忙を極める上司に申し込まれる数多くの形だけの会議や視察を、彼女は波風を立てずに上手く断っていた。ひっきりなしの来客にも臨機応変に対応する。 全部に付き合っていたら、到底ルーファウスの身が保たないと――そう言うのが口癖になりつつある。 明るい茶色の髪と柔和な光を放つ茶水晶の瞳を持つ、整った顔立ちだが、美人というよりは感じのいいという形容が似合う女性だ。 「プレジデントの護衛に、このところタークスの主任が駆り出されていないなと思っただけだ。不明な点などない」 「ツォン主任でしたら出張中です。極秘任務だとかで。行き先はわからないのですが。レノさんからそう聞きました」 「出張? いま時分、ミッドガルを離れての極秘任務だと? どうせまた、オヤジ絡みだろう」 不機嫌の極みといった声で吐き捨てるようにルーファウスが呟くのを、エレインは目を伏せて受け流していた。 彼女の敬愛する上司は、彼女ではどうすることもできない苦衷のさなかにある。 であれば、せめて余分な気は遣わせまい……と思うのだ。原因を取り除けるものなら、とうの昔に実行しているところなのだが。 自分に誠心誠意尽くしてくれるエレインは、ルーファウスにとってなくてはならぬ大切な部下だった。 いや、単なる部下ではなく、姉のような存在だったかもしれない。 「すまないな」 突然そう言われて、エレインは何の事かわからずに目を丸くする。 「家族はみんな、ミッドガルにいるんだろう? 私のせいで、最近ジュノンにばかりいるものな。遠慮しないで、会いたい時は帰ればいい。B1−Aの手配なら、お手の物だろう」 「まあ……。そんな、お気遣いいただかなくても。大丈夫ですわ。両親だって、仕事が最優先なのはちゃんとわかっています。それに、私……本当のことを言うと、ミッドガルはあまり好きじゃないんです。ここに来て、初めて青い空と海を見た時の感動。忘れられません」 「このオフィスは、眺めだけはいいからな」 屈託無く笑う上司の姿に、エレインも微笑みを浮かべる。こんな表情は、ミッドガルではついぞお目にかかれない。できることなら、彼女はいつもこんな彼を見ていたいのだ。 まだ配属されたばかりの頃、終業時刻になろうかという時にプレジデントから呼び出しを受けたルーファウスが、エレインに一言かけた。 「君はもう、今日は上がっていい。ご苦労だったな」 この何気ない一言に、エレインはにこやかに答えたものだ。 「まだ書類の整理もありますし。それを片づけながら、お戻りになるのをお待ちします」 すると、彼は少し困ったなと言いたげに苦笑して、エレインにこう言ったのだ。 「今日中には戻れない。そして、この件は他言無用に願いたい。――これでわかって貰えたかな?」 そう言われてもまだピンと来ないエレインを、ルーファウスは眩しげに見つめたものだ。 「君の精神は、陽光の降り注ぐ中で育まれたんだということがよくわかるよ。君には理解できないだろうな……あの男のやる事は。実の息子でさえ、自らの欲望に奉仕させるなど……な」 その瞬間、果たして自分がどんな顔をしたのか。エレインにはわからない。 ただ、ひどくショックを受けたのは確かだ。ふと気づけば、瞳からは涙があふれていた。 泣きたいのは彼の方だろうにと思ったが、自分ではどうにもならなかった。そんな彼女に、彼は言った。 「もう涙も枯れ果てた私の代わりに、泣いてくれるのか。ありがとう」 こうして、エレインは彼の秘密を知る者となった。そして彼の秘密を知る者は、皆一様に彼を守ろうとするのだった。 エレインも例外ではない。時折ツォンが花を持ってくる。最初、ミッドガルにこんな美しい花が咲くのかと驚き、物珍しさから花瓶に生けて、ルーファウスのデスクに飾ったのだが。 贈り主の名を聞いた瞬間の彼の顔を、エレインは忘れられそうにない。 アイタイ、イマスグニ――。 その時の様子をツォンに話したら、今度は彼が同じ表情をする。 さすがの彼女も、事情を察した。ある日、花が散るのを寂しそうに眺めているルーファウスの前に、押し花で作った栞をそっと差し出した。 「咲いていた時と同じというわけにはいきませんけれど。こうしておけば、手元に残しておけますから。もしよろしければどうぞ」 ルーファウスのデスクの引き出しには、彼女の作る栞が大切にしまわれていく。 宝物なんですね、と彼女が言うと、彼は真剣な顔になる。そして、こんな話をしたのだ。 「人は誰でも心の中に花を持っている。それがある限り、どんな辛い目に遭っても耐えられる。昔、母が教えてくれた。そして花を増やすのも失うのも、自分自身なのだと。私の心が草一本生えない不毛の荒野になっていくのを、あいつはどんな思いで見ているんだろう。こうやって、少しでもそれを遅らせようとする……。こんな風にされたら、私は……あいつを忘れるわけにはいかないじゃないかっ……!」 震える声が、痛々しかった。その時、決めたのだ。 (私は、この方を心の花にしよう) 守りたい者、善なる物を愛する気持ち。それを心の花と呼ぶのなら、私にとっては、この方こそが正にそれだ。 もちろん、そんな決意はルーファウスにとって重荷になるだけだろう。決して、気取られてはならない。 「しばらくはジュノンに居られそうですわ。良かったですね、副社長」 「全くだ。どういう理由でかは知らないが、私が本社にいてはまずいらしいな」 実際、その通りだったのだ。だが、ルーファウスはそのことを知る由もなかった。 「ねえ、一体どうしちゃったの? あなた達のおかげで化け物は出なくなったけど。セフィロス、ずーっと神羅屋敷に籠もりきりなんですって?」 「ああ。参ったよなあ。上に報告して指示を仰ぎたくても、それもできないときた。俺、身体なまっちまうよ」 「それじゃ、私の拳法の相手をしてくれる? どうせ退屈なんでしょ!」 「おいおい。ティファ、俺はソルジャーだぜ? それも、一応クラス1stなんだけど?」 「いいじゃない。減るもんじゃなし! こんな田舎じゃ、強い相手と練習するなんてできないんだから。お願い!」 「わかったよ。それじゃ、かかってこい!」 「ありがとう。じゃあ、さっそく!」 少女の拳法を上達させるために、自分はここに来たわけではないのだが。一瞬苦笑したザックスだが、意外にもティファの筋がいいのに驚いた。 「なかなかやるな。ティファ、君誰に教わったんだい? デキの悪いうちの警備兵達より、よっぽどいい動きしてるぜ。ついた師匠が、かなりの名人だったのかな?」 「よく知らないけど、ザンガン先生は世界中に百二十八人の弟子がいるんですって。この村では、私一人だけど」 「ザンガン。ふうん、聞いたことないけど。ティファがこんなにセンスのいい動きをするってことは、相当な格闘家なんだろうな」 「赤いマントをしててね。気さくなおじさんって感じなの。お稽古してる時は厳しいけど」 ザックス相手に立ち回ったティファは、さすがに息を切らしている。肩が上下するのを見て、ザックスは笑った。 「ゴメンな。もう少し手加減した方が良かった?」 「そんなことないわ。……でも、ちょっと休ませてね」 そう言って地面に腰を下ろしたティファの横に、ザックスも座り込む。肩胛骨を過ぎる位まで伸ばされた髪が、サラサラと風になびく。汗をかいた後の秋風は、少女にとって少し寒かったらしい。くしゅん! とくしゃみをしたティファに、ザックスは上着をかけてやった。 「ありがとう。……ザックスって、優しいんだね。女の子からモテるでしょう? って、あ、恋人、いたんだよね。電話も通じなくなっちゃって。連絡しないで、怒られない?」 「そうだなあ。でも、俺の仕事は何でも屋だからな。きっと、しょうがないなぁって許してくれると思う」 「何でも屋?」 「そう。何でも屋。社内のどの部署にも回せないような仕事は何でも、俺達ソルジャーがやるのさ。タークスといい勝負だなあ」 「タークス?」 ティファには、馴染みのない言葉だった。首を傾げた彼女に、ザックスは笑って言う。 「あれ? 君だって一人、知ってるんだぜ。いまは副社長になっちまったけどな」 「え? ルーがいた所? 総務部調査課って、そんな危ないことするの!?」 まじまじと自分を見つめる少女。ザックスは、自分の迂闊な言葉に内心舌打ちしていた。 考えてみれば、神羅の裏稼業を仕切っているのがソルジャー部隊とタークスだなどと、こんな田舎で知られているはずもない。 「そんな……。じゃあ、ある仕事の時ルーが銃で撃たれそうになったのって」 青ざめるティファに、ザックスは安心させようとして余計な一言を口にしてしまった。 「大丈夫さ。昔も今も、ルーファウスの側には凄腕のスナイパーがついているから」 「それって、ツォンさんって人?」 どんよりとしたティファの声に、ザックスは天を仰ぐ。とんだ失言だ。 「――ああ」 「あの手紙には名前が書かれてなかったけど、ルーが一番楽しそうだったの、調査課にいた時だったわ。『彼が僕に話しかけてくれたり優しい心遣いをしてくれるのは、単に僕が部下だから?』なんて文章がなくても、その人が好きだってこと位わかるもの。どんな人なのかしら……会ってみたいわ」 膝を抱えて俯くティファの頭を、ザックスがポンポンと軽く叩いた。 「元気出せよ! いまは無理でも、ルーファウスにはそのうち会えるって! それと、もう一つ。男はあいつだけじゃない。ティファみたいに可愛くて明るい子なら、いくらでもいいヤツが見つかるさ」 「もしかして、慰めてくれてるんだ? ありがとう。でも私、要領悪いから。当分ムリみたい、ルーのこと忘れるの」 ザックスにそう言ってにっこりと笑って見せた後、ティファは真顔で尋ねる。 「もしザックスがいま付き合ってる人が『あなたのこと、嫌いじゃないの。でも違う。あの人への気持ちとは、違うの』とか言って急に会ってくれなくなったら。諦められる? 納得する?」 「確かにな。俺も相当いろいろな子と付き合ってきたけどさ、彼女は別格なんだ。もしそんな事になったら、相手の男をこいつでブッた斬るかもしれないな」 背中の剣を指して、ザックスは陽気に笑う。彼なら、絶対にそんな真似はしないだろうなとティファは思う。 もし本当に彼女が自分といるより新しい男といる方が幸せだというのなら、ためらうことなく身を引くタイプだ。 「あなたと付き合ってる女の子は、幸せだね。きっと、とても大事にされてるんだろうな。ちょっと羨ましいかも」 「あはははっ。エアリスが聞いたら、吹き出しそうだ」 「エアリスっていうんだ。ふうん……。キレイな名前ね!」 「ティファより二つ年上だよ。いま十七歳だから」 「会えたら、お友達になれるかな?」 「ああ。きっとね!」 「――あ! いっけない。私、ルーのお母さんのお手伝いに行く約束してたんだわ。家の外壁のペンキ塗り! ごめんなさい、もう行くね。相手してくれて、本当にありがとう! それじゃ!!」 「ああ。また明日な!」 明日という日のあることを信じて疑わない者がいれば、その一方で明日を抹消することを命じられた者もいる。外部との連絡を断たれたこの村で、一人冷ややかに事態の推移を見守っている者がいた。 「では、彼をこちらに派遣してもらえるのですね?」 「君はジェノバ研究が本職だ。確かに、宝条の監視をついでに命じてもいるがね」 「しかし、セフィロスが奴の息子だというのは本当ですか? もしそうなら、後々問題が起きるのでは」 「考えるのは私。命令するのも私だ。忘れたかね?」 「いえ、プレジデント。ご命令は、しかと承っております。では、彼の到着を待って――!?」 「お待たせしました。返事は結構。したくとも、できないでしょうからね」 「わ……たし…を……何故…ころ……す…?」 「命令だ。他に理由はない」 冷たく一言言うと、首に巻き付けた紐を引く手に力を込める。 やがて、研究者を装っていた特殊工作員は絶命した。 足元に転がる死体には目もくれず、彼が取り落とした無線機を拾い上げる。 「第一の任務、ただいま完了致しました。引き続き、第二の任務に取りかかります」 「ご苦労。何としても、あれを始末せねばならん。クラウドは後回しでもいい。とにかく奴を――。頼んだぞ」 「かしこまりました」 「ジェノバ細胞には、驚異的な再生能力がある。なまじな怪我を負わせても、致命傷にはならんだろう。そこでだ。奴を魔晄炉へ突き落としてしまえ。いくら何でも、そこまでされて生きていることはないだろうからな」 「……」 「どうした。不服か?」 「いえ。何でもありません」 「私は君を信頼している。その期待を裏切るなよ。わかったな?」 一方的に通信は切られた。支配者とは、いつでも傲慢なものなのだ。 彼はまた、特別それが酷かったが。 「私が守りたいのは、あなたの信頼でも期待でもない。ただ一つ、守りたいものは――」 その代償がセフィロスだというのは、皮肉な話だった。側にいられない自分の代わりに、ルーファウスを陰ながら支えてきてやったのは、当のセフィロスだというのに。 「友と呼べる人間を、二人も同時に失わなければならないとは。因果な仕事だ」 晩秋のニブルヘイム。陽が落ちて、身を切るような風が吹き始める。 人々は、暖炉の前で憩いのひとときを過ごしていた。悪夢が、始まる。 |