11.

 調査隊が到着した時、山あいのニブルヘイムは既に晩秋を迎えていた。凶悪なモンスターが出るというニブル山はいまでこそ禿げ山だが、魔晄炉ができる前は紅葉の見事さで知られたものだった。この時期には、わざわざ紅葉見物の観光客もあったほどだ。
 しかし、いまはもちろんそんな客はいない。往時はそんな客で賑わっただろう、村の規模にしては立派なホテルが神羅関係者の宿泊所とされた。
 村人達は、ウータイ戦役で名を上げた若き英雄を一目見ようとホテルの周りをうろついた。セフィロス自身はそんな目に遭うのは慣れていたが、ザックスはその物見高い視線に閉口していた。もっと神経質になっていたのはクラウドで、彼を眺めてはヒソヒソ話をピタリとやめ、そそくさと立ち去っていく村人達に苛立ちを募らせていた。
「こんな田舎の、何もない所。一体いつまでいる気なのさ、セフィ?」
 早くも、到着の翌日にはそんなことを言い出した。これにはセフィロスも苦笑して言う。
「まだ調査はこれからだ。来たばかりで何もしていないのに、帰るわけにはいかないだろう?」
「ザックスだって早くミッドガルに帰りたいだろう? 俺は別にミッドガルに戻りたいわけじゃないけど、ここよりマシだ。何もすることがなくて、退屈で死にそうだよ!」
「そう思ったから、あいつはミッドガルに出て来たんだろう。少しはルーファウスの気持ちがわかったんじゃないのか?」
「俺とは関係ないだろう? あいつが何を思うかだなんて」
「いま自分がこうして父親から解放されているのは、あいつのお陰だってことを忘れるな。お前の幸福は、あいつの犠牲の上に成り立っているんだからな」
「セフィはいつでもあいつの肩を持つ」
 口を尖らせて拗ねるクラウドを、ザックスはたしなめる。
「仕方ないだろ? ルーファウスのことがなくても、あんたが神羅の御曹司であることに変わりはない。物珍しい生き物を眺めようと人が集まるのは、ごく当たり前のことだよな」
「俺は、好きであいつの息子に生まれたわけじゃない!」
「その言葉、いまここにルーファウスがいたらそっくりそのままあんたに言ってるだろうな」
「やめないか! ザックス、少し言い過ぎだぞ。クラウドも、そんなに退屈なら何か仕事を手伝えばいい。そうだな……確か閉鎖された研究所の中にまだ大量の文書があると、今日報告があった。大方、ジャンクだろうが。何か貴重な資料が交じっていないとも限らない。その整理でもしたらどうだ?」
「セフィ……怒ってるの?」
 おずおずと顔色を窺いながら尋ねるクラウドに、セフィロスはフッと笑う。
「怒ってなどいない。ただ、あまりわがままを言って周りの者を困らせるな。わかったな?」
「ごめん。それじゃあ、明日は神羅屋敷に行ってみるよ。それでいいんだよね?」
「ああ。助かるよ。……さて、私はこれからザックスと打ち合わせがある。疲れているだろうから、先に休め」
「うん。お休み、セフィ。さっきはごめん、ザックス。お休み」
「お休み、クラウド」
 ご機嫌で寝室へと去ったクラウドを見送りながら、ザックスは感心したように呟く。
「しかしクラウドのヤツ、本当によくなついてるなあ。知らない人間があんた達を見たら、それこそ兄弟かと思うぜ?」
「――あいつには、過去の記憶がないんだ」
「はあ!?」
 唐突なことを言い出すセフィロスに、ザックスは間の抜けた声を上げる。
「俺、意味がよくわからないんだけどさ。記憶がないって、一体いつの?」
「数年前、プレジデント夫人が不慮の事故で亡くなったのは知っているか?」
「詳しくは知らないけど。そんな話は聞いたことがあるな」
「あれは、事故ではなかった」
「――!!」
「息子と夫の醜関係に耐えられなくなった夫人が、クラウドを道連れにしようとした無理心中未遂だった」
「な…ん……だっ…て……?」
「遺書があった。クラウド一人でいかせるのは、可哀想だから。私が一緒にいってやるのだと」
「じゃあ、何か!? あいつは一度、死に損なってるってわけか!?」
「その通りだ。そしてその時受けた精神的ショックで、事件以前の記憶を無くしてしまった」
「おいおい……。マジかよ……!」
 呻くザックスに、セフィロスは少し悲しそうな顔で答える。
「俺がクラウドを見つけた時はもうダメかと思ったが、手術が奇跡的に成功してな。一命はとりとめたわけだ。全く、宝条の奴。ロクでもない人間だが、この手のことに関しては確かにいい腕をしているな」
「自分を助けてくれたあんたのことだけは、覚えてたってわけか?」
「諸悪の根源である父親とな」
「あんのタヌキ……! そんなことがあっても、まだ息子に手ェ出し続けてた、ってわけか。ルーファウスが現れなかったら、きっとまだクラウドは」
「だろうな。だが、今頃はさぞホッとしていることだろう。誰が見ても非の打ち所のない跡継ぎができたんだからな」
「しかも、懲りずにルーファウスに……。どうかしてるぜ!」
 反吐が出る。そう言って嫌悪の表情を露わにするザックスに、セフィロスは苦笑する。
「そういうわけだから、クラウドはすぐに精神不安定な状態になりやすい。お前も心得ておいてくれ」
「わかった。そういや、ツォンにあんたからの伝言は伝えたぜ、セフィ。辛そうだったけどな」
「伝わったのなら、それでいい。すまなかったな、妙なことを頼んで」
「どういたしまして。お安い御用だぜ!」
 胸を叩いたザックスに、セフィロスは吹き出した。めったに笑わない彼の笑顔に、ザックスは思わず見とれた。流れ落ちる、銀糸のような長い髪。それは彼が動く度に、サラサラと音を立ててなびいた。蒼とも碧ともつかぬ不思議な色合いの瞳は涼やかで、見る者の心を捕らえて離さない。
「なあ、もしかして――」
 心に浮かんだ疑念をザックスは思わず口にしそうになり、あわてて打ち消した。
「い、いや。何でもない!」
「おかしな奴だな。まあ、いい。ところで、手順だが」
 そんなザックスに別に不審なものを感じた様子もなく、セフィロスは淡々と調査の打ち合わせに入った。
(まさか、訊けないよなぁ……。お前もプレジデントには酷い目に? だなんて)
 それは、確信だった。あのプレジデントが、こんな美貌の人間を放っておくはずがない。
(参ったぜ)
 セフィロスには気づかれないよう、そっとため息を漏らすザックスである。

 翌日。やはり自分も一緒に魔晄炉へ行く、と言い張るクラウドをなだめすかすのに時間をとられたセフィロスとザックスがようやく支度を整えてホテルから出てくると、一人の少女が彼らに同行する兵士達に何か熱心に尋ねていた。
「おい、何をしてる。案内人が来たら、すぐに出発するぞ」
 言外に民間人とあまり話をするな、という注意を匂わせてセフィロスは兵士達にそう言った。
「あら、それならもう出発できるわ。私は、案内人のティファ。今日は一日よろしくね、ソルジャーさん」
「お前のような少女が、案内人だというのか? なるほど、この村は過疎化が進んでいるらしいな」
 思わず苦笑するセフィロスに、少女は腰に手を当ててたしなめた。
「ニブル山のことに一番詳しいのは私だし、こう見えても拳法だって習ったんだから。そりゃあ、ソルジャーにはかなわないけれど!」
 ニッコリ笑って手を差し出す。その屈託のない様子に、つい二人も引き込まれた。
 そうして握手をしていたら、村に 一軒の写真屋が揉み手で出てきて写真を一枚撮らせて欲しいと懇願する。
「な、頼むよ。ティファちゃんからもさ。英雄さんを撮影できるチャンスなんて、もう二度とないだろうし」
「おじさん! もう、勝手なこと言って」
「……別に写真を撮る位なら、構わないぞ。一枚ならな」
「ええっ!? いいんですか?」
「セフィがこんなこと許すなんて、もう二度とないと思った方がいい。ツイてるな、ティファ!」
「ですって。早くした方がいいみたいよ、おじさん」
「はいよ。ああ、もう少し寄ってくれないかな、セフィロスさんに……そうそう。じゃあ、撮りますよ〜!」
 こんな馬鹿馬鹿しいことに、特別不機嫌な様子もなく応じていたセフィロスだったが、撮り終わるとスタスタと歩き出す。ザックスはティファに肩をすくめてみせ、な? と言いたげな顔で笑った。
 こうして、一行は山へと向かったのだった。
 その頃。クラウドはセフィロスとの約束通り神羅屋敷を調べようと、同行の兵士や科学者に装備の確認をさせていた。
「山で出ているモンスターが棲み着いている可能性もあるしな。丸腰、ってわけにはいかないだろう」
 今朝セフィロスから受けた注意を、そのまま伝える。もっともな発言に、クラウドと同行する者もうなずいている。
 その時、科学部門統括宝条の直属の研究員が、おや? と首を傾げた。
「君は誰だ? 見かけない顔だが」
「私は、以前ここでの研究に携わっていた者です。何かのお役に立てればと、今回特別に派遣されまして」
「ふうん? カームの研究所からの助っ人かい?」
「はあ。まあ、そんなところです」
「何故我々と一緒に来なかったんだ?」
「少し手の離せない研究があったもので。あとから追いかけさせていただきました。で、ようやく今朝到着しましてね」
「まあ、いい。どうなさいますか、クラウド様? 彼も連れて行きましょうか?」
「そうだな。案内人にはちょうどいいだろう。さあ、行こう」
 彼の口の端がかすかに歪んだことに、クラウド達は気づかなかった。

「――大丈夫かっ!?」
「わ、私は大丈夫。でも、あの兵隊さんが……!」
「可哀相だが、この高さから落ちて無事だとは思えない。我々には、先を急ぐ任務がある。――行くぞ」
「待ってよ。あなた、部下を見捨てていく気なの!?」
 吊り橋を渡っている途中、突然ワイヤーが切れるというアクシデントに、一行は見舞われたのだった。
 ティファはセフィロスが引き上げてやったお陰で助かったが、列のしんがりを務めていた兵士が一人、遙か下の川に落ちていくのを助けられる者は誰もいなかったのだ。
 兵士の上げる悲痛な叫び声が、ティファの耳にこびりついて離れない。
「ティファ、山は登るよりも下る方が体力を使うんだ。そんなこと、君が一番よくわかってるよね? いま彼を捜しに行けば、俺達はものすごく遠回りをしなきゃならなくなる。ただでさえ、魔晄炉へ行くのに迂回しなければならない状況だというのに、これ以上余分には動けない。セフィロスの判断は正しい。残酷なようだが、残った我々の安全を確保するという意味では彼は部下思いの指揮官だよ。わかってやれるね?」
 感情では許せなくても、理性では納得したらしい。すすり泣きをやめて、立ち上がった。
「道を変えないと。ついてきて。こっちよ」
 どうやら気を取り直したらしい。一行の先頭に立って歩き出した。
「ザックス」
 ティファには聞かせたくない話なのか。セフィロスが声をひそめてささやく。
「何だ?」
「――妙だと思わないか」
「何がだ?」
「吊り橋だ。あれは、本当に事故だったのか。怪しいものだな」
「おい、ちょっと待て。セフィ、お前。じゃあ、あれはワザと仕組まれたことだ、って言いたいのか!?」
「思い当たるフシはないか?」
「おいおい。一体誰がそんな! 第一、俺達を殺して得をするヤツなんているかぁ?」
「なるほど。お前にしてからが気づかないとは。クックックッ。奴が完全犯罪を目論みたくなるのも、わからなくはない」
「セフィ?」
「まあ、いい。私は、そう簡単に殺られはしないからな」
「さっきからお前、おかしいぞ! 自分で何を言ってるか、わかってるか!?」
「――まさか、あいつは手を貸していないだろうな?」
 謎めいた言葉を言ってにわかに表情を変えたセフィロスを、ザックスは物も言えずにただ見つめるしかなかった。
 迂回路は、かなりのアップダウンに加えて道の幅自体が狭く、蛇のようにうねっていた。
 そこをひたすら黙々と進む一行だったが、やがて開けた場所に出た。
「まあ、何てキレイ……!」
「うわっ! これ…全部マテリアかよ……!」
「ほう。天然のマテリアとは。さすが魔晄の豊富なニブル山だ。めったに見られない、貴重な代物だな」
「何てキレイな青。まるで、ルーの目の色みたい。ルー。今頃どうしてるの……?」
 思わず呟いたティファに、ザックスは驚いて振り返る。
「ルー? ティファ、君はルーファウスの知り合いなのか!?」
 これにはティファが驚いて目を瞠る。
「えっ……? ザックス、あなたルーのこと知ってるの!?」
「俺はただ――ソルジャーだからな。副社長の命令で動くこともある、ってだけの話。知ってる、って言えるほどの知り合いじゃないよな。ティファは違うみたいだな? もしかして、ガールフレンド?」
「そんなんじゃないわ。ただの幼なじみよ。村で一番の仲良しだった、って思っていたわ。でも」
 言い澱むティファに、ザックスは優しく尋ねる。
「何かあったのかい? ティファが彼を信じられなくなるようなことが」
「手紙をもらったの」
「その内容が、君には辛いものだったんだね?」
「――好きな人が、できたって」
「あ……!」
 ポロポロと涙をこぼし始めたティファに、ザックスはしまった、という顔をする。
 セフィロスは二人の様子をじっと眺めたまま口を開かない。
「私のこといまでも大好きだって。それでも違うって。もう昔と同じわけにはいかないって。愛してるのはただ一人だって、そう言うの。でも私、いきなりそんなこと言われても。急に気持ちを変えるなんて。そんな器用なこと、できない……っ!」
 ひとたびあふれ出た涙は、あとからあとからこみあげてくる。泣きじゃくるティファを、ザックスは何とか落ち着かせようとして懸命になぐさめる。
 だが、ティファはその言葉にうなずきながらも、自分が愛を失ったことは事実だと。そうザックスに言った。
 すると、それまで沈黙を保っていたセフィロスが口を開いた。
「辛いのは、お前だけじゃない。いまルーファウスがどんな有様か。恐らく、それを知ったらお前はショックを受けるだろう。これは忠告だ。お前の幼なじみは、もうこの世にいないと思え。心変わりした男のことなど、忘れてしまえ。あいつとは、関わらない方がいい」
「どうしてそんなことが言えるの!? もしルーが何か辛い目に遭っているのなら、私は彼を助けてあげたい。だって、約束してくれたもの!『私がピンチの時には、必ず助ける』って。私も……私だって同じよ。ルーのこと、忘れちゃうなんてできない……っ!」
「お前には、奴を助けることはできない」
 言葉は冷たかったが、その声には少女を気遣う優しさがあった。
「奴には、自分の命に代えても奴を守ろうとする人間がついている。だから、心配するな」
「教えて。その人が、ルーの好きだっていう人なの?」
「ああ。お互い、もし一方を失ったら残された方は生きていられない程に愛し合っている。もっとも、いまはそれを邪魔立てする者がいて、言葉を交わすことさえ許されない身の上だがな」
「ひどい……。そんなのって」
「仕方あるまい? 相手は、事実上世界の実権を握る男だ。誰も逆らえないのは当然だろう」
 さらりと言われて、最初ティファはその言葉の意味するところに気づかなかった。
 キョトンとセフィロスを見つめていたが、やがて顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! だって、ルーは血の繋がった」
「つまり、そういうことだ。だから言っている。もう忘れろと」
「神羅なんて、プレジデントなんて……大ッ嫌い!! ――ルーを返してよ!!」
 ティファの悲痛な声が、ニブル山に響いた。怒りに震え、泣きじゃくる少女を抱きしめてやるセフィロスを、ザックスはただ見ていることしかできなかった。