6. 和やかな食事の時間は終わり、リーブはロボットの調整に戻っていった。 残された四人は、再び黙々と仕事を始める。仕事に集中しているからというより、疲労の色が濃いために話をする余裕もない、という雰囲気である。 中では比較的元気なイリーナが、やがて退屈になってきたのだろう。時折立ち上がってはファイルを棚に戻したりしつつ、こっそりと伸びをしている。机に張り付いての事務仕事が苦手この上ないレノがいるので目立たないが、実はイリーナも大人しく席にいるのは苦痛を感じるタイプだ。それがもう、四日目なのだから……。 いい加減辛抱も限界に来ているはずだった。だが、ツォンが目の前にいる。 というわけで、残る気力を振り絞って必死に我慢するイリーナである。 (せんぱぁい、私、さっきからもう気が遠いですぅ……) そんな走り書きをしたメモが、レノに手渡される。受け取った方も状況は同じと見え、ぐったりと机に突っ伏している。それを見て、ルードが呟いた。 「……タバコなら、そこで吸え」 執務室は全室終日禁煙なので、本来は喫煙コーナーで吸うこととされている。だが、この状態のレノを行かせたら鉄砲玉よろしく、そのまま戻って来ないだろう。それを見越しての発言なのだ。 更にぐったりとするレノに、ツォンが苦笑する。 「ジュノンに連絡を取って、いまルーファウス様がどちらにいらっしゃるか、確認をしてきてくれないか。まさかとは思うが、テロリストグループはアバランチだけではないからな」 「了解だぞ、と!」 途端に、元気良く部屋を飛び出していくレノ。 半分羨望、半分非難の眼差しで、イリーナがその後ろ姿を見送る。それに気づいたツォンが、ファイルを数冊差し出して微笑んだ。 「ああ、イリーナ。すまないが、これをリーブ部長に渡してきてくれないか。さっき返すのを忘れてしまってね」 はい! わかりましたぁ! と顔を輝かせて、今度はイリーナが部屋を出ていった。 「……いいんですか?」 レノはともかく、イリーナが作業から抜けるのは大幅な戦力ダウンではないのか。そう言いたげに、ルードはツォンを見る。それに対し、ツォンは諦めの表情で答えた。 「仕方ないだろう。ずっと同じ事をするのは、誰だって疲れるものだからな」 「……終わりますかね?」 「さあな」 ため息が、同時に二人から漏れた。 それから数時間後。状況は、あまり芳しいとはいえなかった。キーボードを叩くのに飽きたレノから、遂に悲鳴が上がる。 「確か予定では、そろそろ誰かさんがお戻りの頃だぞ、と。でも、もう限界なんだぞっと!」 「……それにしても、お戻りが夕方というのは少し遅くありませんか?」 「恐らく、寄り道をしていらっしゃるんだろうな」 思わず眉間に皺の寄るツォンだった。 全く、ご自分がどういう立場にあるのか。どうもあの方はおわかりでないらしい……。 内緒で寄り道など、どうせ仕事絡みのことではないのだろう。今度は一体、何を思い付いたのやら。 しかし、こんな自分の心配もルーファウスにかかれば「お前は苦労性だな」の一言で笑い飛ばされてしまうのだろう。報われない話だった。 「寄り道って、俺達がこんな思いしてるのに遊び歩いてるんですか、あの坊っちゃんは! 全く、いいご身分なんだぞ、と」 「まあ、そう言うな。あの方は、これから自分の時間など持てなくなる。その前に最後の息抜きをしたくなっても、不思議ではないだろう」 「はいはい。お優しいことで。ツォンさん、あんた絶対あのガキを甘やかし過ぎてるぜ?」 「そうかもしれんな。だが、あの方は特別なんだ。許せ」 これにはぐうの音も出ないレノだった。 リーブのもとへ行ったイリーナは、まだ戻って来ない。時折、ルードがチラッとツォンに目を走らせる。何か物言いたげな部下の様子に気づいていても、ツォンは何も言わない。諦めて大人しく書類との格闘を再開するルードだ。 当のイリーナはリーブと話し込むうちに、すっかり時間の経つのを忘れていたりする。ツォンのプライベートな事柄に関しては、恐らく社内一の事情通である人間と二人きりなのだ。そうならない方がどうかしている。 そして、ツォンの過去を聞くことは、自然ルーファウスやその母キーヤについての話も出るわけで……。まさに会話はエンドレス状態である。 「まあ、いまの神羅からは想像できないだろうがね。昔なら君がタークスなど、考えられないよ」 兵器会社だった頃の神羅は世界中に紛争の種をばらまき、それを煽り、戦争がほど良く継続するようコントロールしていたものだ。タークスの任務も、到底褒められたものじゃなかったんだよ。 そう言うリーブの顔は悲しげで、イリーナは彼を元気づけようと、ついいろいろ自分の仕事のことを話してしまう。 「そう言えば、さっき資料室で神羅製作所時代のタークスの人の写真を見たんですよ。それが、いま生きていれば部長と同じ位の年の人で。すごくカッコいいんですよ! レノ先輩に確かにお前の好きそうなタイプだよなって、呆れられちゃいました」 「ははは……!そんな男がいたかね」 「ええ。黒い髪に赤い瞳で、名前はヴィンセントっていうんですけど。それが、ちょっとツォンさんに感じ似てるんですよ〜!」 きゃっと顔を赤らめるイリーナに、リーブは詰め寄って尋ねる。 「ちょっと待ってくれ! いまヴィンセントと言ったな、イリーナ?」 「はい。あ、もしかして部長、ご存じなんですか!?」 「フルネームはヴィンセント・ヴァレンタイン。そうだな?」 「そうですけど。部長、お知り合いの方ですか?」 「それで? 彼はいま、どうしてるんだ!?」 「どうして、って……任務遂行中に謎の失踪を遂げる。ファイルにはそうあるだけで、多分死んでるんだろうってレノ先輩が。あのファイル、殉職者名簿と一緒にありましたし」 そうだったのか、と呟いてリーブは黙り込む。イリーナは悪いことをしてしまったと、うなだれた。 「ああ、君がそんな顔をすることはない。仕事柄、そんな事態は予想していたよ」 しゅんとするイリーナを、逆になぐさめるリーブ。友人というか、彼は……いや、いい友人だったよ。ところで、何の任務についている時に? そう尋ねたリーブに、イリーナは逆に問い返す。 「部長、宝条博士のこと、どの位ご存じですか?」 「もしかして、彼の失踪は宝条絡みか?」 「詳しいことはわからないんですけど、昔ニブルヘイムである実験をやっていたんですよ。その実験っていうのが、どうもジェノバに関することらしくて。宝条博士には、奥さんがいたようなんです。お友達の方は、彼女と共に行方不明になってるんですよ。この件については私達もまだこれから本格的に調べるところなんで、あまりよくわからないんです。ただ、あの実験で人が二人行方不明になって、直後にガスト博士がイファルナを連れて逃亡したことを思えば、何か後ろ暗いものを感じますよね。ガスト博士の助手で宝条博士の奥さんだった女性研究者、ルクレツィアっていう名前なんですけど。部長は彼女について、何かご存じですか?」 「いや。あの頃、私はミッドガル建造の第二期工事の真っ盛りでね。各地に建造した魔晄炉のメンテナンスも始まって、文字通り死ぬほど忙しかったんだよ。とても他の部門のことなど」 「そうですよねえ。何となく、お友達の失踪って彼女が鍵を握ってる気がするんですけど。また何かわかったら教えますね。あるいは、ツォンさんが直接話すかもしれませんけど」 「ありがとう。そうしてくれると、嬉しいよ」 ここで、イリーナは腕時計をチラリと見た。瞬間、青ざめる。 「まあ、大変! どうしよう。私ったら、こんな長い時間お喋りしてて!」 「いや、私も悪かったよ。つい昔話が長くなって。ツォンには、私から電話しておくから。早く戻ってやってくれ。きっと、悲鳴上げてるだろうからな」 「すみません、部長! 残りのお話、また聞かせて下さいね!」 ぺこっと頭を下げ、きゃあ! と叫んで走り去る。来た時はヨロヨロと歩いていたのだが。 「まあ、ちょうどひと休みするには良かったかな?」 生涯結婚もせず、子供も持たないと決めているリーブだが、イリーナを見ていると娘のように思えてくる。遅まきながら、これが父性本能というやつかな? などと笑みがこぼれるリーブだった。 「敵前逃亡は、軍隊じゃ銃殺なんだぞ、と」 慌てて部屋に戻ったイリーナに、虚ろな目のレノが呟く。 こらこら、穏やかじゃないことを言うな。ツォンが苦笑してたしなめる。そしてイリーナには、休めたようで良かったな、と声をかけた。叱責されるのではないかとドキドキしていたイリーナは、その優しい口調にホッとしたらしい。大人しく仕事の続きを始めた。 黙々と作業するうちに、更に数時間が過ぎた。いつの間にか、もう夜である。 「……そろそろ社長がお戻りなんじゃないですか?」 時計を見て、ルードがツォンに話しかけた。言われて気づいたのだろう。そう言えば夕方お戻りになるはずだったな、と答え、どうやら寄り道が長引いたらしいなと笑う。 「ツォンさんがビシッと怒らないんで、調子に乗ってるんじゃないですか、と」 「私の躾が悪かったと言いたそうだな、レノ」 やれやれと肩をすくめるツォンに、レノは呆れた口調で言い返す。 「だって、そうじゃないですか。親代わりみたいなもんだし。リーブのおっさんとあんたの言うことしか聞かないんだから」 「私の言うことも、なかなか聞いては下さらないがな」 「そりゃ子供の常套手段なんだぞ、と。注意を惹きたい時やかまってもらいたい時、ガキは駄々こねるだろ。坊っちゃんの問題行動はそれと同じレベルなんだぞ、と。わかんないかなあ」 頭をかきむしるレノと、困ったなと言いたげに微笑んでいるツォン。イリーナは思わずルードに囁く。 「でも、レノ先輩も子供っぽいですよね。何だかツォンさんを社長に取られた! って騒いでるように見えますもん」 「……五十歩百歩だな、確かに」 「ですよねー」 二人してうなずき合っていると、おい、そこで何盛り上がってるんだよ!? とすかさずレノが突っ込みを入れてくる。 「別に。ねー、ルード先輩?」 「……現在位置を確認しましょうか?」 さりげなく話題を終わらせて、ルードがツォンに尋ねた。その時。 治安維持部門から、間もなくルーファウスの乗ったヘリが到着するとの連絡が入った。 「さて。一体どちらにおいでだったのやら」 出迎えようと席を立ったツォンは、そう呟いて部屋を出て行った。後に残された部下達は顔を見合わせ、一斉に机に沈んだのだった。 「――しかし、まさか紅茶を買いにミディールへ寄っていらしたとは思いませんでしたよ」 さっきまでは打って変わって、なごやかな空気が満ちている調査課の執務室である。薄手の白磁のカップから立ち上る湯気と香りが、ゆっくりと部屋中に広がっていく。 これでケーキでもあれば、もう言うことは無いんですけどね。残念。 イリーナはミルクを入れると、クリーマーをルーファウスに回そうとした。すると、お前達が先だ。客の立場だからな、と言って笑う。 「でも、ミルクを入れたらすごく美味しそうなクリームブラウンですよねえ。社長って、お茶いれるのが特技だったんですね。知らなかったです」 「ケーキは勘弁してくれないか。さすがの私も、そこまでの度胸は無いな」 社長就任演説がマスメディアを通じて全世界へ流れてから、まだ十日と経っていない。 その上、ジュノンでのパレードの映像が繰り返し流れてもいる。「私は、世界を恐怖で支配する」と豪語した人間がパティスリーで目を細めていては、確かに具合が悪いだろう。 「ミディール、ですか。何も現地まで行かなくとも、ミッドガルでも買えるでしょうに」 「甘いな、リーブ」 フフン、と笑ってルーファウスは得意気に話す。 「年中収穫できるから、ミッドガルに出回る品はいろいろな時期の生産品がブレンドされているんだ。味にバラつきが出ないようにな。一年前や半年前に作られた物が混じってるんだぞ? 大体な、お前紅茶を自分で買わないから、気づいてないだろう。品質保持期限は書かれていても、製造年月日が記載された物なんて見たことないはずだぞ。ふざけた話だ。こんな物、出来たてが一番美味しいに決まってるじゃないか」 「そうだったんですか! 道理で。これ、本当に美味しいですもん。渋みが全然無くて、お砂糖入れてないのに甘くて。それに、何ていうのか。とろけるような感じ、って言えばいいのかしら。香りがものすごくいいのはともかく、舌触りがいいお茶っていうか――」 そう言ってうっとりとカップに口を付けるイリーナを、ルーファウスは大層満足げに眺めている。 いまの時期はその銘柄、ゴールデンチップがたくさん入っているからな。 そんな説明をして、味のわかる人間がツォン以外にもいたかとご機嫌だ。 「全く、あんたといるといろいろ旨いモンのおすそ分けには事欠かないな。光栄なことで、と」 呆れ果てた顔のレノに、ルーファウスが首を傾げる。 「何かあったのか?」 「あっ。それはですね、多分」 お昼を作ってきたこと、そしてレノにツォンのためだろうとからかわれたことを話す。 「何だ。お前、そんなことで僻んでたのか?」 今度はルーファウスが呆れ果てた顔をする番だった。 「みんな疲れてるだろうから、何か美味しくて気分がリフレッシュできる物を。そう思って、こっちはミディールまで足を伸ばしたのに。可愛げのないヤツだな。なあ、ツォン?」 ツォンは優しい笑顔で答える。 「あなたもお疲れでしょう。明日はゆっくりお休み下さい」 「ああ、そうするよ。明後日はくだらないパーティーがあるからな」 そしてツォンに満面の笑顔を向けるルーファウスを見ていると、イリーナはレノと同じ気分になってくる。 (所詮私達って、社長にとってはツォンさんの付け足しでしかないのよね。何だか寂しい。でも) ひどく幸せそうな彼らを見ていると、それでもいいかという気がしてくるのが自分でも不思議だ。 「……来年は、どんな年になるんでしょうね」 今年は酷すぎた。暗にそう言いたいらしいルードの心情を察したイリーナが、努めて明るい声で言う。 「決まってるじゃないですか〜。『みんな幸せになろう! 計画』特別強化年ですよ。その中にはもちろん部長も入ってますからね。他人事じゃないですよ?」 「おやおや。これは大変なことになったな。だが、私はいまでも十分幸せだよ、イリーナ」 「じゃあ、『より一層』ってのを付け足しますね。ということで、よろしく!」 「イリーナ。お前、ネーミングセンス皆無だな、と。それにどうせ同じような毎日が続いていくだけだと、俺は思うけどな?」 「何寝ぼけたこと言ってるんですか、レノ先輩。その、当たり前の毎日が何も考えなくても続いていくこと。それって、すごく幸せなことですよ。ね?」 私は絶対引き下がりませんから。いつかあの人の心の中に、あなたほどの位置じゃなくてもいい。私の占める部分ができれば。 強い決意を宿した瞳で、イリーナはルーファウスを見つめた。 果たして、彼女の思いがわかっているのかどうか。ルーファウスは微笑んでいる。 「なあ、俺は来年もスゴイ年になりそうな予感がするぜ?」 「……だな」 こっそりと囁き合う、レノとルードだった。 仕事は、いまだ終わらなかった。 |
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