5.

 さて、仕事から戻ったイリーナは、シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。眠ること数時間。満ち足りた気分で目覚め、カーテンを開ける。もう昼近かった。
「いっけなーい。また仕事に行かなくちゃ! ――って、お昼持っていってあげたいなぁ」
 もともと家事が好きなのだ。特に、料理には自信があった。だが、一人暮らしではそう腕を奮う機会がない。
「ママが言ってたっけ……『男の人は、食事で釣れ』って。こんなチャンス、そうないわよね」
 キラリと、瞳が輝く。彼女の頭の中には、既に妄想シーンが流れているらしい。
「手作り料理を食べさせて、感動させる。そして私に振り向いてもらう――。これよ! これだわっ!」
 何たって、ルーファウス様はお料理はなさらないんだし。これはポイント稼げるかも☆
 そうと決まれば仕度は早い。さっさと着替え、いそいそとスーパーに向かうイリーナだ。
 その頃、本社ビルではレノの悲鳴が上がっていた。
「――で、いつ坊っちゃんはお戻りになるんでしたっけ?」
「夕方には着くと、そうジュノンの管制官が言っていたぞ。まあがんばることだな」
「……ボス、イリーナから伝言です。『いま昼食を作っているので、申し訳ありませんがもう少し待って下さい』だそうです。やけにウキウキした様子でしたが」
 さすがに疲労の色を隠せないルード。それ以上に、体力と気力の限界を感じているツォン。とうにキレているレノを横目に、二人がうなずき合う。
「――仮眠してくる。イリーナが来たら、起こしてくれ」
「わかりました。……レノ、休めるぞ」
 だが、ルードの言葉を待つまでもなく、レノは机に突っ伏していた。

 泥のように眠っていたはずの二人にいきなり起きられて、イリーナは目をぱちくりさせている。
「せ、先輩達!? 寝きっていたはずなのに、何故?」
「あー? そりゃ何だな、と。お前、気配を消して近づかなかったろう。だからだぞ、と」
「……香りでわかる」
 口数の少ないルードだが、観察力は鋭いことを改めて知るイリーナだった。
「私、香水は肌が弱くてつけられないんです。それで、好きな香水と同じ香りのサッシェペーパーを使ってるんですけど……。ルード先輩、デリケートな嗅覚してますねー。オーデコロンより匂わないくらいなのに」
 しきりに感心するイリーナに、サッシェペーパーって何だ? と尋ねるレノ。
「たんすの引き出しに敷いて使うんですよ。そうすると、服に香りがうつるんです」
「移り香ねえ。お前にしちゃ色っぽいもの使ってるな、と」
「『お前にしちゃ』は余計です! もう。――そういえば、ツォンさんは? お寝みになってるんですか?」
「ああ。……行ってくる」
「じゃあその間に、お食事並べておきますね!」
 笑顔でルードを見送るイリーナ。その無邪気な様子に、レノはつい絡みたくなる。
「ボスのおかげで、俺達もまともなメシにありつけるわけか。涙が出るほど嬉しいぞ、と」
「あら、ツォンさんがいらっしゃらなくても、ご飯くらい作ってあげますよ」
「――手ェ抜くだろ?」
「あはは。それは、そうなんですけど。でも私、お料理大好きですから。作るのも、食べるのも」
「せいぜいアピールしとくんだな、と。――あれっ、リーブ部長。さてはイリーナ、お前が呼んだな?」
「四人分作るのも五人分作るのも、変わりませんから。――ご迷惑でした?」
「いいや。楽しみにしてきたよ、イリーナ。食事は、賑やかな方が楽しいからな」
「ですよね! 紙皿なのはガマンして下さいね」
 ご機嫌で準備をするイリーナを眺め、リーブは笑う。
「全く、ルーファウス様が気に入られたのもわかるよ。屈託のない、摺れてない娘だな、彼女は。若かったら、私が嫁さんに欲しい位だ。ハッハッハ……!」
「お、おっさん――」
 固まるレノに、おや、とリーブが気づいた。
「まさか、お前――?」
 動揺しているレノを見て、確信する。
「可哀相にな。ま、若いうちは何でも有りだ。がんばれよ」
「あんた、他人事だと思って。俺がどんな思いでいるか、どれほど胸が痛んでるか。わかってんのか? と」
「わかるつもりだよ。行動して後悔するのと、行動しないで後悔するのと。私は、後者の味ならよく知っている。それは、年とともに苦みがいや増すばかりだからな」
「……悪りィな。イヤなこと思い出させちまって」
「いいや。――おっ。主賓の登場だぞ」
 鼻歌混じりでデスクの上を片づけ、食事を並べていたイリーナから、嬉しそうな声が上がった。
「ツォンさん! ――お疲れさまです。これで栄養つけて下さいね!」
 肩をすくめるレノと、それを見て吹き出さずにはいられないリーブだった。

「それにしても、あの短時間でこれだけ作るとは。見事なものだな」
 並べられた食事を見て、ツォンの口から感嘆の声が漏れた。
 思わず、心の中でガッツポーズをするイリーナだ。
(これよっ! 待ち望んでいたシチュエーションは。がんばった甲斐があったってものだわっ!)
 思わず、顔がゆるむ。
「ありがとうございます〜。あり合わせのもので、急いで作ったんで……ちょっと品数少ないんですけど」
 そう言いながら、ツォンの好みを知るために秘書課のお姉さま方&うるさいオヤジ連中とのハートウォーミングな交流を心がけてきた自分のけなげさに、ちょっと感動していたりする。
 総務課のこと、社内雑用係としか思ってないんじゃありませんか!?
 ゴリ押しの無茶な要求に、何度キレそうになったことか。
 だが、その度に何とかクリアしてきた。スマイル0円のノリで、笑顔を振りまいてきた。タークス入りして、それらは貴重な見返りとなって結局自分に戻ってきたのだが。
「イリーナ? ――ああ! あの明るくて元気のいい、総務のひまわり娘でしょう。あの娘が社長室に出入りする分には、大歓迎よねえ。社長がロクでもないのをタークスに入れたりしたら、イビリ倒そうと思ってたんだけど」
 とは、社長秘書室室長ステイシーの言葉である。自分とそう年の変わらない、秘書達の中では下っ端の秘書嬢がこっそり教えてくれたのだ。神羅社員が出入りしない穴場の喫茶店で、仕事帰りにお茶をしていた時のことである。
 あの時は、全身の血が凍る思いだった――。
「野菜が多いなあ。これなら、ルーファウス様も喜んで食べそうだ。なあ、ツォン?」
「ええ」
 めいめい取り分けて、食べ始める。
「……薄味だな。でも、旨いぞ」
「私までご馳走になってしまって。悪いねえ」
「いいえ。私、お料理するのは大好きなんです。一人分しか作らないのって、不経済なんですよねぇ。総務課にいた時は、友達と一緒に夜ご飯作って食べたりしてたんですけど」
 もちろん、いまは無理だ。第一、タークスに配属された時に引っ越しした。
 今や彼女の個人情報はツォン、ハイデッカー、ルーファウスしか見ることのできない機密事項扱いだ。
「そう言えば社長、お戻りは夜になるって話でしたけど。どちらへ行かれてるんですか?」
 言ってから、あ、内緒なら別にいいんですけど、とあわてて付け加える。そんな彼女に、ツォンは優しく微笑んで言う。
「ニブルヘイムとアイシクルロッジへ行かれたんだ。どうしてもこの目で確かめたい、とおっしゃってな。――アイシクルロッジにガスト博士の一家がいたことは知っているな? あそこに彼らを匿っていたのは、キーヤ様だったんだ。元々、アースディース家はアイシクル地方の豪族だった。住民達も、キーヤ様の言うことなら無条件で聞く。だからなんだが」
「まさか宝条があんな暴挙に出るとはな……。プレジデントも、博士の死など望んではいなかった」
 リーブが、重いため息をついた。
「ずっと以前、ルーファウス様が私に言われたが……。その通りかもしれんな」
「何ておっしゃったんですか?」
 イリーナは、興味津々といった表情でリーブを見つめている。まるで、子猫がいいおもちゃを見つけたかのようだ。
「魔晄エネルギーに関わった人間達は、幸せじゃない。お前もそうなのか? と尋ねられたことが、昔あったんだ。確かに、私達は禁断の扉を開いてしまったのかもしれないな」
「リーブ部長……」
 タークスになって、イリーナが驚いたことはいくつもある。
 中でも取り分け驚いたのが、ルーファウスやリーブといった神羅の頂点に立つ人間が、魔晄エネルギーに頼るいまの文明のあり方に大いに疑問を抱いている、ということだった。ルーファウスの形の良い唇から漏れる激しい嫌悪の言葉に、最初はずい分とまどったものだ。
 しかし、彼の生い立ちや魔晄エネルギーについて様々な話を聞かされるうちに、何となく少しづつ理解できるような気がし始めたのだった。
(魔晄エネルギーが発見されなければ、大好きなお母さんがプレジデントと結婚して苦しむこともなかった。――そう思いたいのかもしれないわ)
 しかし、それは自己否定というものではないだろうか。イリーナは、そうも考えるのだが。
(だって、お二人が結婚したからこそルーファウス様がいらっしゃるんでしょうにねぇ)
 窓から見える、魔晄炉から漏れる輝き。ミッドガルをミッドガルたらしめている、夜も昼も放たれ続ける魔晄の光。
 人々はその華麗さに酔いしれている。魔晄エネルギーのない生活など、考えられないに違いない。便利で快適この上もない現在の暮らしを、もし奪うものが現れたら。
 恐らくそれに恐怖し、激しい憎悪を抱くに違いない。逆に言えば、この生活を保障してくれるものならそれが神羅である必要はないのだった。
 そうした民衆の身勝手さを、ルーファウスは見透かしているのだが……。
「ああ、これはすまん。妙な話を聞かせてしまったな。部下達には、絶対に聞かせられないよ。イリーナ、悪いがオフレコで頼むよ」
 はい、わかりました。そう言いつつも、イリーナの心中は複雑だった。
 ルーファウスのことを知れば知るほど、彼が神羅の社長をしているのが不思議に思えてくる。心に、疑念が湧く。
(社長がアバランチのこと本気で始末しようとはなさらないのって、ご自分が本当は彼らのように行動なさりたいからなんじゃないのかしら)
 神羅の社長が神羅を潰したがっているだなんて、そんな馬鹿げたこと。――あり得ないわ。
 すぐに否定したが、心のもやは晴れなかった。