3.

「――で、結局クラス1stのソルジャーの名簿には名前がなかったわけだ」
「電算の人事ファイルだけじゃなく、人事記録の原簿も見たんですけど――ないですよねえ。っていうか、クラス1stならタークスと一緒に仕事することもありますよね? それなのにツォンさんが知らないってのは……変じゃありませんか?」
「……レノ、いたぞ」
「あー? 何だァ!? 一般兵じゃないか! あいつ――大嘘つきな野郎だぞ、と」
「でもぉ……私にはそう見えませんでしたよ、先輩。何だかワケありなんじゃないんですかぁ?」
「……あの身のこなし、戦闘力。あいつは間違いなく超一流のソルジャーだ」
「ですよねー。とにかく、これでツォンさんに報告できるじゃないですか。悩むのは後回しにして、調べ物の続きをしませんか、レノ先輩! 朝まで、もうあまり時間ありませんし」
「お前、えらく建設的なことを言うな。ちょっと感心したぞ、と」
「だって、ボスに喜んでもらいたいじゃないですか。『ご苦労だったなイリーナ』とか言われちゃったりして☆まずは仕事でポイントを稼いで、地道にアピールです! 次に、さりげない気配り作戦で一気に好感度アップ。――戦略は、完璧です!」
「あーそうかい。俺には、その調査報告書を受け取って微笑む坊っちゃんにメロメロなボスの姿が目に浮かぶけどな。ま、減俸はくらいたくないし。仕事だからな。真面目にやることにするぞ、っと」
「……レノ先輩の、意地悪。ちょっとくらい夢見させてくれたっていいじゃないですか!」
 プン、と頬をふくらませて拗ねているイリーナも、なかなか可愛い。
 最初は緊張していたのか、ひどく大人びた表情で淡々と仕事をこなしていた。レノは彼女をアンドロイドじゃないのか? とさえ思ったほどだ。
 だが、社長室を抜け出しては調査課に顔を出すルーファウスの相手をしているイリーナは、人が変わったかのように生き生きとしていた。瞳はキラキラと輝き、淡いピンクのルージュがひかれた唇からは白い歯がのぞく。何がおかしいのか、二人して笑い転げるその様は、到底上司と部下には見えなかった。
(仲のいいお気楽娘のOLが二人、茶飲み話で盛り上がってます――ってカンジだぞ、と)
 事実、二人の会話はそれにかなり近いものがあったわけだが……。
 ツォンのことなら何でも知りたいイリーナと、ツォンのことを話している限りご機嫌なルーファウスと。いわゆる「需要と供給」が、この場合一致していたわけだった。これでは二人の会話がエンドレスになるのも無理はない。
 自分にはケンカ腰で話すイリーナがルーファウス相手だとごく自然なリラックスした態度を見せるのは、レノにとって面白いことではなかった。というより、はっきり言えばルーファウスが妬ましかった。
「お前は普段からドリーム入ってるだろ。これ以上トリップしてどうするんだよ? と」
「ひっどーい。それじゃ私、ただのアブナイOLじゃないですかぁ。何とか言って下さいよ、ルード先輩!」
「……地道にアピールするんじゃないのか、イリーナ?」
 さりげなく、仕事の手が止まっていることを指摘する。しまった、という顔になり、あわてて手元の書類を引き寄せようとした瞬間、ファイルの留め金が外れたのだろう。空中を盛大に紙が舞う。
「きゃあっ!?」
「仕事増やしてどーすんだよ、このおポンチが!」
「……これは」
 舞い散る紙の一枚を手に取ったルードが、しみじみと眺めている。その感慨深げな様子に、レノが目を留めた。
「どうしたんだ。キレイなお姉ちゃんの写真でもあったのかな、と」
「……懐かしい顔だと思っただけだ」
 のぞき込んだレノの顔が真顔になったのを、イリーナは見た。
「前の主任じゃないか。――それに、こっちは」
 レノの手がかすかに震えている。こんな彼を見るのは初めてだ。イリーナは、内心ひどく驚いていた。
「……どうやら、殉職者名簿だったらしいな」
「俺はこんなものに載りたくはないんだな、と。――まだ、いまはな」
「まだ、か。……いずれは名前を連ねる覚悟ができてるらしいな」
「そんなことはないんだぞ、と。――ん? どうした、イリーナ?」
「そんなこと――たとえ冗談でも言わないで下さい」
 目の端に、光るもの。ギョッとする二人の前で、白い頬を透明な滴が伝い落ちる。
「私――先輩達のお葬式に参列するのなんて、絶対嫌ですからね。死ぬだなんて、そんな……そんな縁起でもないこと、軽々しく言わないで下さい。お願いです――」
 エメラルド・グリーンの瞳からは、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
 自分の言葉が引き起こしたこの思いがけない事態に、レノは絶句して助けを求めるかのようにルードを見た。
「……お前、相当感覚が鈍ってきてるんじゃないのか。イリーナは普通の娘なんだぞ? それを……。いまのお前の言葉の調子、まるで『試しに一度死んでみようかな』とでも言わんばかりだったぞ」
 ルードは狼狽えているレノの肩を叩いて、押し殺した声でささやいた。
「間違ってもうちのジンクスのことなんて、話すんじゃないぞ。わかったな?」
 これには、ハッとした様子でレノの表情が変わった。
 違いない。自分達が死ぬかもしれないというだけで、この有様なのだ。もしイリーナが、「歴代の主任で、寿命を全うした者は未だいない」という事実を知ったら――。
 考えるだに恐ろしい。
「あの……な。イリーナ、その……何だな、と。いままでは無茶な命令も多かったけど、社長が俺達をこき使うとは思えないだろ? だから、大丈夫だと思うぞ、と。第一、そんな危ない仕事をさせるために配置転換させるような人じゃないのは、お前だってよくわかってるよな? 坊っちゃん、フェミニストだからな、と」
「……もう二度とこんなこと言わないで下さいね」
 まだ鼻をくしゅくしゅさせていたが、どうやら納得したらしい。
 ルードが差し出したハンカチで涙をぬぐいながら、イリーナは少しひきつった微笑みを浮かべると、椅子から立ち上がった。
「私、泣いたら喉が乾いちゃいました。何か飲み物を買ってきますね。先輩達、何がいいですか?」
「……暖かいコーヒー。ブラックで頼む」
「それじゃあ、俺は冷たいので。サンキューな」
 行ってきます、と言ってイリーナが部屋を出ていったあと、レノははーっと大きく息を吐き出した。
「どうしてこうなるんだかなあ……。あいつが来てから、こっちはペースが狂いっぱなしだぞ、と」
「いままで、いかにまともな女と付き合ってこなかったか。これでよくわかったろう」
「あいつ、見てると飽きないよな。表情が豊か、っていうのか……。坊っちゃんも言ってたけどな」
「……感受性が豊かなんだろう。擦れてない、いい娘だな。お前には勿体ないんじゃないのか、レノ」
「かもなあ。何せ、マザコンな坊っちゃんのお眼鏡にかなったくらいだからな。品質保証はバッチリだな、と」
「社長はツォンさんに、ってつもりらしいがな」
「どう考えても、俺には分が悪過ぎるぞ、と。やれやれだな」
 ため息が、二人から同時に漏れた。