2.

「しかし、大変だな。資料室に三日も? そりゃあ腰も痛くなるだろう」
「そういえば、部長は何してらしたんですか。やっぱり社長から何か?」
「まあ……な。いやあ、機械をいじるのは数年ぶりだったんでね。思い出すのに時間がかかってしまって」
「機械!?」
「ロボットだよ。――遠隔操作可能なものに、人が操作しなくても動くように擬似人格を与えていたんだ。どうやらまともに動くようになってくれて、ホッとしたよ」
「えーっ!? 面白いもの作るんですね、部長って!」
「ちょっと待った。それ、坊っちゃんが?」
「他に、誰が私にそんなヒマな命令下せると思うね?」
 リーブは肩をすくめた。
「何考えてるんだ、坊っちゃん」
「……奴らの見張りを、いちいちしなくてすむのだろう。社長に感謝するんだな」
「先輩? 二人で何ヒソヒソ話してるんですか?」
「いや、別に。何でもないぞ、と」
「……うまいな、ここの弁当」
「でしょう!? ――えっへん。新しいデリバリー弁当の業者を見つけてくるの、総務にいた時、とても大事な仕事だったんですよ! 私達が一番嫌いなパターンって、昼食会付きの役員会でした。――あ、会議はどれも嫌ですけれど。でも、昼食会があると自分のお昼休みがパアじゃないですか。辛いんですよねー、続くと」
「それはすまないことをしたね。悪かったな」
「あ、部長はOKです! 好き嫌いないですし……残さないで下さいますからね。他の方は、そんなに気に入らないなら自分で昼ぐらい用意しろ! ってカンジでしたけど。あまり食べ残されると、私達が怒られちゃうんですよねぇ、課長に。『ちゃんと味見はしたのか!』って。ご冗談! どうして薄給の私達が、そんなこと身銭を切ってしなきゃならないんです!? それなら試食のための予算くれ! って言ってましたよ、みんなで」
 上カルビ弁当をパクつきながら、イリーナは総務課時代の苦労話をしている。マグカップには、わかめスープ。リーブはイリーナの歯に衣を着せない物言いが快かった。
(恐らく、ルーファウス様もこういう所が気に入られたんだろう)
「それに比べて、ツォンさん――。何ていいボスなんでしょう。リーブ部長、私、ご褒美にこれをもらったんですよ。ほら! かわいいでしょう?」
 マスタートンベリの柄のマグカップを、得意そうに差し出すイリーナ。柄のセンスはともかくとして……効果の方は絶大だと、リーブは微笑んだ。そして、ふと思い出す。
「プレゼントといえば、ツォンの奴、誕生日にどこへ行ってるんだか。てっきりルーファウス様のお供をしてるのかと思えば、別行動だと言うし。珍しいこともあるものだな」
 リーブは何気なく言った言葉だったが、同時にタークス三人から声が上がった。
「誕生日!?」
「教えて下さい!」
「……実はいくつなんですか、ボス」
 三人三様の驚き方に、リーブの方が呆れていた。
「もしかして、お前達……上司のプライベート情報、全く知らない……?」
 こくん、と力強くうなずく三人。加えて、イリーナは泣きの入った声で訴える。
「入社して、一番最初にやったことが社員名簿作りだったんです。その時に、人事ファイルにアクセスする機会があったんで、ちょこちょこっと……。でも、ツォンさんのデータ、保護がかかっていて見れなかったんですぅ〜!」
 そういう問題か? と言いたくなるリーブだが、気持ちはわかる。
「素性も何も知らないで、そこまで好きになれるってのは……。若いなあ、イリーナは。行動力が違うよ」
 ハハハ……と笑って、リーブは言葉を継いだ。
「それにしても、何で部下のお前達にまで隠してたんだ?」
「隠すっていうか、単に私達が尋ねるチャンスがなかっただけです――」
「なるほど。自分からは言わない奴だからな」
 納得して、口を開く。
「十二月二十六日だよ。生まれたのは、ミッドガルの最初の部分が竣工した年だから……いま三十一歳か」
「良かったぁ〜! 若いじゃないですか!」
「まあ、そうだなあ。ずい分長くルーファウス様のおそばにいるから、もっと上に思われているかもしれんがね。普通の部署にいたら、まだ係長クラスってとこだなあ」
「なあんだあ。ルーファウス様のことがなければ、もう全然問題ないじゃないですか!」
「――おい、イリーナ。ちょっと待て。
 何だ、その『ルーファウス様のことがなければ』ってのは?」
「ルーファウス様はキッパリ私に言いましたけどぉ……。『私には、ヘンな趣味はないからな。安心しろ』って。でも、おそばで見てるとラブラブですよねえ、あの二人。入り込む余地、ないですもん。となると、やっぱり総務の女の子達でウワサしてたの、案外当たらずとも遠からずだったりして」
「……聞きたくない気がするが、気のせいか?」
「おいおい。何を言い出すんだね、イリーナ?」
「お前らなあ! ――ったく。どうして女ってのは、すぐそう考えたがるんだ!?と」
「えーっ、でもぉ……レノ先輩にもその手の話、ありますよぉ。知りませんかぁ?」
「あのなあ。俺は可愛い女とか色っぽい女とか年増とか、守備範囲は結構広いけどな。男はその中に入ってないぞ、っと」
「そりゃ、私はそばで見てるからわかりますよ。先輩のPHS、仕事で鳴ったためしがないじゃないですか」
「……ボスが前に言ってたぞ。連絡を取りたい時に限って、お前のPHSは電源が切られてる、ってな」
「俺は私生活を大事にしてるだけだぞ、と。坊っちゃん命で、専用のアンテナまで頭に生やしてる誰かさんと一緒にしてくれちゃ困るぞ、と」
 すると、イリーナが身を乗り出して叫んだ。
「そうなんですよ! 私、最初ショックだったんですけど……最近は見ててイライラしてるんですよねー。あんなにツォンさんって社長一筋なのにルーファウス様、何も感じてないのかしら、って。もしかしなくて社長――相当ニブイんじゃ」
 お茶を飲んでいたリーブが、吹き出してしまった。ゴホゴホとむせている彼の背中を、ルードがポンポンと叩いている。
 イリーナ自身は、自らの発言が引き起こした波紋に全く気づいていなかった。
「リーブ部長? ……どうかなさいましたか?」
「お前なあ、部長を窒息死させる気かよ? 少しは考えてもの言えよ、と」
「――私、何かヘンなこと言いましたっけ?」
「たったいま、問題発言しただろう!」
「ああ! だって、女の子達みんな言ってましたよ?『さっさと実力行使しちゃえばいいのにねー』って」
「イリーナ……お前……よくそれでツォンさんの追っかけだって言うよな。どうでもいいけど、社長にそんなこと言ってみろ。撃ち殺されるぞ、っと」
「そうですかねぇ? 私、面接の時にもう聞きましたよ。そしたら社長、真っ赤になっちゃって。かっわいいんだぁ☆って、あれで好感度大幅アップしましたもん。――社長って、不器用な方ですよね。あ、ツォンさんもか」
「……俺は、女に対する認識が変わりそうだ」
「これだから総務の女は敵に回せないぞ、と」
「――いまの話、とても二人には聞かせられないな」
 うなずき合いながら、レノは一人複雑な思いを噛みしめていた。もうだいぶ以前に、酒の席でツォンと恋愛談義になったことがある。
「俺なら、欲しいものはどんな障害があろうとも奪い取る。そうじゃなきゃ本物とは言えないだろう?」
 そう言ったレノに、穏やかに微笑みながらツォンは答えたものだ。
「本当に大切なものなら、心から守りたいと思う愛しい人なら――逆に、なかなか行動できないものさ」
 そんなことはない。自分なら、ためらわず行動に移す。そう言うと、ツォンは真面目な顔をして尋ねたものだ。
「相手が、お前のことをお前が思うようには思っていなかったとしたら? あるいは、相手が自分を愛してくれているとして……でも、まだその気持ちに気づいていなかったとしたら? それでも、同じことが言えるか?」
「行動しなきゃ、何も変わらないだろ!? と」
「良い方向にばかりとは限らないさ。――そう、その相手が誇り高いなら、尚更な」
「俺にはわからないね、そんなの」
「レノ、お前……まだ本気で誰かを好きになったことはないだろう。いまにわかるさ」
(あの時、俺は特定の誰かを思い浮かべてはいなかった。でも、あんたは――そうじゃなかったんだな。たったいま、イリーナの話を聞いてわかったよ。今頃あんたの「本気」の相手がわかる俺も、相当どうかしてるけどな)
「レノ先輩? 何一人で黄昏てるんですか。気味悪いです……物思いにふける先輩なんて」
 気がつけば、イリーナが心配そうにのぞき込んでいる。
「先輩にしちゃ、デスクワークのしすぎですもんね。疲れたんじゃありませんか?」
 いつものケンカ腰ではなく、本当に具合でも悪いのではないかと気遣っているらしい。
「イリーナ……お前、可愛いよな」
 いきなりこんなことを言うのは、およそレノらしくなかった。ルードもギョッとしている。
「……熱でもあるんじゃないのか」
「あーあ、そうかもしれないな、っと。もしそうなら、知恵熱ってヤツだぞ、と」
 開いた口がふさがらない三人に背を向け、窓辺に歩いていく。そして、眼下に広がるミッドガルの華麗な夜景を眺めて、そっと呟く。
「いまにわかる……か。いまわかったさ、あんたの気持ちが。――辛いじゃないか」
 俺には、とてもあの人の真似はできそうにないぞ、と――。泣きたくなるレノだった。