6.

 滞在四日目。いまや、ルーファウスは有名人である。
 いつもはワガママで気分屋でやんちゃな、およそ可愛げのない子供なのだが、父親の目の届かない所で遊びに興じる毎日を過ごしているのだ。これで、機嫌が悪かろうはずがない。
 のびのびと遊んでいる時のルーファウスは、年相応の子供らしい表情をしている。同じ年頃の子供を見つけると、自分から話しかけては一緒に走り回って遊んでもいる。そのはしゃぐ様子に、ツォンはここへ来て本当に良かったと思いつつ、普段のルーファウスはいつも背伸びして無理をしていたのではないかと胸が傷んだ。
(私を含めて、この方を次期社長とか主人としてではなく、個人として、ただのルーファウスとして扱う人間など、そういないからな。この方は、聡い。周囲の期待がわからないような、鈍感でもない。この方がよく癇癪を起こすのは、ただのワガママからだけではない。その期待に応えられない自分に、イライラしていらっしゃるのだ。だが、私やそば近くお仕えしている者にはわかっても事情を全く知らない赤の他人、この方が社長になられた時に神羅で働く一般の社員達。彼らに、この方の心情は理解できまい。それは、双方にとっての不幸ではないのか?)
 ルーファウスの声で、ツォンははっとして物思いから醒めた。
「あ……どうかされましたか?」
「お前、また何か心配してたんだろう。眉間にシワ寄ってたぞ。ホントに苦労性なんだな!」
 全く、その通りだ。しかし、誰のせいだと思ってらっしゃるんです?
 ツォンは微笑むと、ルーファウスの手を引いてバトルスクェアへと向かった。今日は朝から大にぎわいのバトルスクェアだった。黙っていても、ルーファウスとツォンの二人連れは目立つのだ。本人達に、その自覚は全くないらしいが……。
 鮮やかな金髪に、吸い込まれそうなほど青い瞳。抜けるような白い肌の、愛らしい少年。そんな彼を守護している、端正な面立ちだが少し影のある、黒い瞳に漆黒の髪の青年。
 それは、何とも対比の鮮やかな一対だった。
「おお! 来たか。選りすぐりのモンスターを取り揃えておいたぞ。特別な客には、礼を尽くさないといけないと思ってね。ハッハッハ!」
 余計なことを――。内心、ツォンは舌打ちした。園長のディオはこういうことわざを知っているだろうか。「小さな親切、大きなお世話」。
 思わずため息をついた彼に、ルーファウスが素っ頓狂な声を上げた。
「あれっ!? おい、ツォン! あそこ! あれ……ほら!」
 騒いで指を指す方向には、ツォンもよく見慣れた人物がいた。
「――何故ここに!?」
 一瞬、ルーファウスから気がそれる。その間に、ルーファウスはダッシュしていた。
「お待ち下さい、ルーファウス様! 単独行動は絶対になさらないよう、何度も申し上げているはずです!」
 あわてて、後を追う。しかし、リーブの方がもっと驚いていた。
「ルーファウス様!? それに、ツォン! こんな所で、何してるんです!?」
「それを訊きたいのは、こっちの方だぞ。お前に連絡をしたら、本社にいなかったじゃないか。行き先も聞いてないって秘書が言うから、誘えなかったんだぞ!」
「はあ?」
「ツォンに、一週間の休暇が出たんだ。それで、二人で旅行することにしたんだよ。人にいろいろ聞いたら、ゴールドソーサーをすすめられてね。明日の夜には、もう帰らなきゃいけないんだ」
「はあ。つまり、何ですか。ルーファウス様は、ツォンの休暇をメチャクチャにした、と。そういうわけですな?」
「何でだ? せっかくの休みなんだぞ! 有意義に過ごさなきゃ、もったいないじゃないか!」
「どう過ごすのが有意義なのかは、人によって違うと思いますがねえ。まあ、あなたがご機嫌なのはよくわかりましたよ」
 追いついたツォンを見て、リーブは苦笑した。目で、ツォンに語りかける。
(災難だったな)
 苦笑して、ツォンは言う。
「ええ、まあ……。慣れてますから」
 リーブとツォンの様子に、ルーファウスは訝しそうに首をかしげていたが、やがて思い出したように叫んだ。
「そういえばリーブ、お前確か取引先の会長の接待で、本社を留守にしてたんじゃなかったか?」
「その通りですよ。――どうも申し訳ありません、先程から。お見苦しいところをお目にかけまして」
「いやいや。わしなら、気にしとらんよ。話から察するに、その坊やがプレジデント神羅の?」
「ええ。一人息子の、ルーファウス様です。隣りはタークスのツォン。いまは、ルーファウス様の護衛をしてますがね」
「いい目をしとるな、二人とも。正直、坊やの父親は気に入らない男だがね。坊やは見込みがありそうだな」
「ホントにそう思うのか?」
「わしゃ、お世辞は言わんよ」
「なあ、リーブ。このじいさん、何者なんだ? なかなかよくわかってるじゃないか」
 小声で囁いたルーファウスに、リーブは失礼ですよ、とたしなめた。そして、ツォンが穏やかに会話に割り込む。
「お会いするのはこれが初めてですが、あなたはもしや、ミディールに本拠を置く世界最大の種苗会社――」
「ストップ。そんなことを聞いても、この坊やが楽しくなるわけでもなかろう。ここへは仕事で来たんじゃないんでな」
「種苗会社!?」
 ピクン、とルーファウスの眉が上がる。
「魔晄炉の出力を上げさせて、工場の生産能力を上げた――。その上、時を同じくして食糧の確保!? オヤジのヤツ、また戦争をする気なのか! お母様が死んで、まだ二月だぞ!? アイツには、お母様の喪に服そうという気もないんだな!!」
 少し、声が大き過ぎたようだ。ざわざわと、周囲の人々から不安の声が上がる。
 戦争だって!? 一体、どこと。いやそれより、あの坊っちゃん、神羅カンパニーの――。
「ほれほれ。坊やの一言で、皆が騒いでいるぞ。落ち着かせてやれ」
「――オヤジに、協力する気なのか!?」
「坊や、わしは、経営者だよ。わしの会社は、ヘタな小国の数年分の予算に匹敵する利益を上げている。ということは、従業員の数も……想像つくんじゃないのかね。彼らやその家族のためにも、わしはうまく立ち回らなければならない。わし一人のものじゃないからな、会社というのは」
「利益を上げるためには、何でもするのが社長のつとめだとでも言いたいのか!?」
「ふむ。坊やは、自分が社長だったとして『何でも』できるのかね?」
「できない。――しちゃいけないことだって、きっとあるから。でも」
「でも?」
「常に最善の方法を見つけたいし、他人を踏みつけにしてまで生き残りたくない。自分で責任を負える範囲でなら、いくらでも引き受けるけど」
 大まじめな顔でキッパリそう言い切ったルーファウスを、種苗会社の会長は優しく抱きしめた。
「そうか……。坊やは、ずい分潔いんだな。わしがいまさら言って聞かせるまでもなかったらしい。お母さん似なのかな?」
「少なくとも、面差しはキーヤ様にそっくりでいらっしゃいますよ。だから、プレジデントはルーファウス様のことが少々煙ったいんです」
「なるほど。こんな幼いのに、もうノブレス・オブリージュを心得ているんだからな」
「ノブレス・オブリージュ?それ、何のことだ? 初めて聞くぞ」
 首をひねるルーファウスに、リーブが説明する。
「『高い身分の者は、徳義的な義務を有する』。つまり、人からかしずかれるような富と権力を持った者は特権を享受するだけではなく、それに伴う義務を果たせ、ということですよ。あなたは将来プレジデントとなる。その時には、社員達の先に立って働かなければならない。――そんなところですかね」
「なるほど、オヤジとは無縁の言葉だな」
 うなずくわけにもいかないリーブとツォンは、ルーファウスと視線を合わせないようにあらぬ方を見ている。そうした三人の様子に、会長は好意的な笑いを漏らして言った。
「――リーブ君。商談だがね、わしはこの子に賭けることにするよ。プレジデントと取り引きするのは、正直言って気乗りしなかった。だが、近頃の神羅は邪魔者をことごとく潰していく方針に切り替えたようじゃないか。わしはたまたまミディールの人間だ。そして、ミッドガルから遠く離れた島にまでさすがの神羅といえども軍隊を送り込むわけにはいかなかったから、平和にやってこれた。――いままではな。しかし、これからのことはわからん。神羅は、宇宙開発事業にも着手したじゃないか? それに、空軍の充実ぶり。次々に戦闘機が開発されているらしいな? つまるところ、あのプレジデントの目指すものはただ一つ。世界の覇権だ。そうだろう?」
 うつむいて黙り込むしかないリーブとツォンに、会長は笑いながら言った。
「いや、すまん。何も、君達を責めているわけじゃない。わしが言いたいのは、プレジデントとは手を組めん、ということだ」
「ですが、先程のお話では――」
「ああ。契約はしよう。だがな、それはプレジデントのためじゃない。うちが君達に輸出しなかったとする。飢えて苦しむのは誰だ? 前線の兵士達、ミッドガルやジュノンのような、神羅の支配下にあって自らは食糧生産能力を持たない都市の貧しい人々じゃないかね。わしは、弱い者苛めをするのは性に合わんでな」
「会長……」
「気が変わらんうちに、契約書をよこすんだな。ほれ、リーブ君」
「……深く、感謝いたします」
「礼なら、坊やに言うんだな。もう少し、長生きしたくなったからのぉ」
「おい、じいさん」
「何だね?」
「いまのは、僕に対する先行投資というわけか?」
「そう考えてもらって結構だ。坊やの創る世界というヤツを、この目で見たくなったのさ。やれやれ。完全引退しなくて正解だったな」
「と言いますと、社長はこの件、反対されていらっしゃるんですね?」
「わしに子供がいないのは、君も知っているな? 妹の息子を養子にして、後を継がせたんだよ。その嫁は、ウータイ出身でな」
「――!」
 言葉もなく、リーブとツォンは顔を見合わせた。ウータイ……次のターゲット。戦火に見舞われることが、約束されている地。二人の間に流れた空気を、会長も感じ取っていた。
「どうしたんだね、二人とも。顔が青いぞ?」
「いえ。では、契約書はありがたくいただいていきます」
「それなんだが。一つ、頼みがある」
「何でしょう?」
 声色に、警戒の響きが混じる。書類をブリーフケースに納めつつ少し身構えたリーブに、会長は大笑した。
「何、ほんの余興をお願いしたいのさ。――ツォン君、だったな。ディオ園長から聞いたぞ。凄腕のスナイパーだそうだな?」
「会長! ツォンは、タークスですよ? それは当たり前のことで、特にお褒めいただくようなことでは」
「いいや、わしが気に入ったのは、そっちの話じゃない。坊やのこと、それは親身に世話してるそうじゃないか。悪いが、わしは君の両親を知っている」
 言葉を切り、会長はツォンの目をひた、と見据えた。視線をそらさずまっすぐ受け止めるツォンに、会長は微笑みかける。
「君は、両親が叶えられなかった夢を坊やに託してるのかね?」
「どうでしょう。少し、違うと思います」
「そうか。まあ何にせよ、坊やをしっかりと守ってやることだ。特に父親から、な」
「会長。それ以上は、お控え下さい。ツォンの立場では、その……プレジデントの命令は絶対なんです。逆らえば、命の保障はないんですから」
「そうだろうな。君の容貌は、母親似だ。プレジデントの執着心も、さぞ強かろうて」
「――それで、頼みというのは?」
 プレジデントと自分のことでこれ以上話が続くことを嫌ったツォンが、無表情に尋ねた。
「何、簡単なことだ。バトルに出て欲しいんだ」
「は?」
「ここに来たのも、何か面白い闘いが見られるんじゃないか、と思ったからでねえ。わしは戦争は嫌いだが、スポーツとしての闘いは大好きでな。君なら、さぞ興味深いバトルを見せてくれるんじゃないかと思うんだがね。――園長、あんたも同意見のようだな?」
「本当のことを言えば、私自身が手合わせ願いたいところなんだが。万一何かあった時、面倒なことになるんで断念したよ。大体、坊っちゃんとここに来たってことは、会長さんのことがなくても出場するつもりだったんだろう?」
「いや、それは――」
「そうなのか!?」
「そうなのか、って。ルーファウス様が、何故そこで驚かれるんです?」
「だって、出場するのは当然僕のつもりでいたからな。何だ、お前、出たかったのか? 気づかなかったよ。ごめん。僕のそばを離れるわけにはいかないから、遠慮してたんだな。でも、もう大丈夫だぞ!」
「いえ、ルーファウス様、私は」
「リーブと会長、それに園長が僕と一緒だ。よかったな、ツォン!」
「……何でこうなるんだ? 大体、タークスが顔と名前を人前でさらして、いいものか?」
 ミッドガルの本社へ戻ったら、恐らく主任やハイデッカーの叱責をイヤというほど浴びることになるのだろう。
 いくらぼやいても、ぼやききれないツォンだった。