3.

「おや、ルーファウス様はどちらへ?」
「――坊っちゃんなら、気分転換にビーチを散歩してきなさるそうだよ。親衛隊員が一人、お供でついていったさ。さ、あんた。この間に休みな。当分戻ってこんだろう。はい、お茶」
「ありがとう。――これは!」
「あんたの好きな、ウーロン茶だよ。奥様が亡くなられて、ずい分忙しかったからねえ。元気出してもらおうと思ってね」
 プレジデント神羅の夫人――ルーファウスの母――は、身体が弱かった。医者も首を捻るしかなかったのだが、肉体的にどこがどう悪い、というのではなかった。
 原因は、心労によるものではないか。それが、コスタ・デル・ソルの別荘で夫人とルーファウスに仕える人々の、暗黙の了解である。
 普段は結い上げられている髪は、腰のあたりまで波打つほど長く、しかもそれがハニーブロンドときている。白磁のような肌と、血のように紅い唇。加えて、大きな青い瞳はさながらサファイアのよう――。
「うちの奥様は、女神様が間違って地上に来なさってるんだね」
 別荘の使用人達は、陰でそう言い合っていたほどだ。
 極めて繊細な美貌を持つ夫人は、外見に似つかわしい、ガラス細工の心の持ち主だった。戦争を嫌い、開発による自然破壊を憎み、そうしたことを押し進めるのが神羅エレクトリック・パワー・カンパニー、つまり彼女の夫が経営する企業であることを心底呪っていたのだ。
 プレート都市ミッドガルの死んだ空気と土が身体に障る。そう言ってコスタ・デル・ソルの別荘に住むようになってからは、めったに人前に姿を見せなかった。一人息子であるルーファウスの成長を見守ることだけが楽しみだった、世にも美しく、慎ましやかな悲劇のヒロイン。
 彼女の人生最大の不幸は、プレジデント神羅と結婚したことだろう。――彼女の意に反して。
 だが、その苦しみも二か月前に終わった。彼女の死というピリオドが打たれたからだ。
 母の死に際して、ルーファウスは父のプレジデント神羅と大ゲンカして、ミッドガルへの出入りを禁じられた。コスタ・デル・ソルの別荘で暮らすルーファウスのシークレットサービスとして差し向けられたのは、タークスの中でも一番年が若く、細やかな気配りができるツォンだった。
 実のところ、ルーファウスが彼を手放そうとしなかったので、プレジデントもそうするより仕方なかったのだ。名目はシークレットサービスだが、内実はお守りというべきだろう。
 さて、ビーチを散歩するルーファウスを、水着の美女達がさっそくいつものように取り囲む。「黙っていれば天使のように愛らしい」子供であるルーファウス。母親を亡くしたばかりで、父親からは構ってもらえない――それは彼が自ら拒絶したせいなのだが――美少年。
 女性達は、母性本能を刺激されずにはいられなかったようだ。自然に、彼の周りには常に華やかな美女の輪ができた。
「久しぶり! 元気出しなよ、ルー!」
「あんたのお父さん、死に目にも会えなかったって? 来るの遅すぎだよ。――辛かったでしょ?」
「……みんな、心配してくれてたんだね。ありがとう」
「当然でしょ? ルーは、ここの住人なのよ。ルーの方はあたし達のこと……どう思ってるか知らないけど。あたし達、ルーは仲間だ、って思ってるんだから」
「それにしても、ブルー入ってるね。不謹慎かもしれないけどさ――ひとつパーッと騒いだ方がいいんじゃない? 元気なさすぎだよ!」
「あ、それ賛成。やっぱ、こういう時はゴールドソーサーに限るよね!」
「ゴールドソーサー? 何、それ?」
「やっだぁ。ルーってば、知らないのォ!?」
「連れてってもらったこと、一度もないんだ?」
「うん。――ねえ、教えてよ。それ、何するとこなの?」
 こうして、その箱入り息子ぶりに呆れた美女達からさんざんレクチャーされて帰宅したルーファウスは、開口一番叫んだのだった。
「ただいま、ツォン! ――お前、確か一週間休みをもらってたよね!?」
「は……あ。私も、いろいろあって疲れたことだろうと、主任が――」
「よし、決まりだ。――ツォン、一緒に旅行しよう!」
「はあ!? あの……ルーファウス様!? いま何と――」
「だから、二人でゴールドソーサーへ行こう、って言ってるんだ。楽しい所らしいぞ。『パーッと』やるにはいいって、人から聞いてきたんだ」
 無邪気なルーファウスに、ツォンは頭痛がしてきた。
「ルーファウス様――」
「チョコボレースっていうのが、おすすめらしいぞ。もちろん、一日じゃ回りきれないから……園内にあるゴーストホテルに泊まろうな。コレル経由で行くとロープウェーに乗れるらしいけど、面倒だからここからヘリで移動しよう。――そうだ! リーブも来れないかな?」
「ルーファウス様!」
「何?」
「いくら何でも、私一人では警備が手薄すぎます。それに、神羅カンパニーの御曹司がゴールドソーサーを歩き回るなど、危険すぎます! ルーファウス様は、いわば『歩く身代金』なんですよ!?」
「そうかもしれないな。何せあのオヤジ、敵が多そうだからな。でも、大丈夫だよ。お前がついてるんだし、私の名前をお前が連呼しなきゃバレない、って。ほんとに心配性だなあ、ツォンは」
「誰のせいでそうなったと思ってらっしゃるんです? 第一、プレジデントが許して下さるかどうか」
「オヤジの許可なら取ったぞ。『勝手にしろ』だそうだ」
 ひゅうう……と、二人の間に風が吹いた。すっかりあきらめたツォンは、ルーファウスに尋ねた。
「それで? いつ出発のご予定なんですか?」
「明日だ! ――と言いたいところだけど、さすがにムリだな。ヘリの整備が、間に合わないそうだよ」
「で、いつになさったんです?」
「明後日だ。さっき、整備士に頼んできたんだ。だから、あとは旅行の支度をするだけだぞ。――楽しみだな!」
 鼻歌混じりで私室に駆けていくルーファウスを見送りつつ、ツォンは自らの休暇に別れを告げた。
「――さて、仕事をしなくてはな」
 ホテルの手配、別荘の使用人達と留守中のことについての打ち合わせ、園長ディオに事情を話して、護衛を差し向けてもらわねば。やることは、山ほどある。
 ため息をつくと、彼はミッドガル本社にいるはずのリーブに連絡を取ろうと考えた。
「明日は、忙しくなりそうだな」
 全く、ルーファウスといると退屈しないことだけは確かだ……。再び、ため息をつくツォンだった。