12.

 話は、二か月前に遡る。長く病気がちだったプレジデント夫人は、とうとう息を引き取ってしまったのだ。
 彼女の死を看取ったのは、ツォンとリーブ、それにルーファウスの三人だけだった。苦しい息の下から、夫人はまずリーブに赦しを乞うた。
「ごめんなさいね……リーブ…あなたの……に…応えられなくて……」
 次に、涙を流してツォンの手を握りしめ、何回も繰り返した。
「あなたに……私が頼むのは…筋違いだって……わかってます。でも他に…いないのです。信用…できる…人が……。お願い…あの子…ルーファウスを頼みます。あの人に任せたら……坊やはきっと…人の心をなくしてしまう……。だから……お願い…です……」
 そして、ルーファウスを抱き寄せると静かに尋ねた。
「坊や……教えてちょうだい。坊やは、リーブおじさんのこと……好き?」
「そう……。じゃあ、ツォンさんは?」
「二人とも、僕大好きだよ!」
「それじゃあ、お母様と……約束…してくれる……?」
「なあに?」
「お母様が…いない時は…二人の言うことをきく、って。指切りしましょうね」
 無邪気に指をからませるルーファウス。そのあどけない姿に、リーブもツォンも瞳をうるませている。――やがて。
「……お母様!?」
「――!」
 リーブは、天を仰いだ。彼が生涯にただ一人、愛した女性(ひと)が逝った。彼女の夫は、その死に立ち会おうとすらしなかった。そして。
「ツォン……お前の言うこと、必ず聞けって……お母様、ずっと言ってらしたよ。ずっと」
 まだルーファウスには、母親の死が実感できないらしい。不安そうにツォンを見上げ、袖を引っ張って言う。
「ねえ、お母様――どうしてお話してくれないの? お返事してくれないの?」
 ツォンはルーファウスを抱きしめ、言い聞かせるしかなかった。
「お母様は……とてもお疲れでいらっしゃいました。一日中ベッドで横になっていらっしゃっていても、楽になれないほどに――。そんなお辛そうなご様子に、神様が哀れと思し召したのでしょう。この汚れた地上で生きなくてもいいと、天上に引き上げて下さったんですよ、きっと……。あるいは、お身体の弱いことを苦にしていらっしゃいましたから、心だけの存在になることを選ばれたのかもしれませんね。以前にお母様がおっしゃっていたのですが、人は亡くなると星の生命エネルギーの一部になるのだと――ライフストリームに同化するのだそうです。もしそれが本当なら、お母様はきっとルーファウス様を見守っていて下さいますよ。陽の光や、樹々を渡る風や、色とりどりの花になって――。だから、お母様を責めないであげて下さい」
「ツォン……お前は、そばにいてくれるよね? ずっと……ずっと一緒にいてくれるよね?」
「もちろんです。ルーファウス様が、嫌だとおっしゃらない限り――」
 こうして、もともとツォンにはひどくなついていたルーファウスは、どこにでも彼の後をついて歩くまでになり、別荘の使用人達はツォンが気の毒に思えてきたほどだ。
「鳥のヒナが、親の後を一生懸命ついていくじゃないか。あんな感じだね。刷り込み、っていうんだったかい?」
 彼らにとってルーファウスは幼いながらも主人であるはずだが、そうした義務感よりは愛すべき存在として、忠誠を誓う対象であったようだ。
 プレジデント神羅が別荘に到着したのは、夫人の死から二日後のことである。遺体を見ても涙一つ流さない父親に、ルーファウスは激昂した。
「お前なんかと結婚したのが、お母様の不幸だったんだ! いまだって、お母様が死んでせいせいした、と思ってるんだろう!? ――知ってるんだぞ。お前があの女を愛人にしてることぐらい」
「では、お前はキーヤの不幸の具現、というわけだな。お前が生まれなければ、あれを連れて逃げる計画を実行に移した男もいただろうからな」
 白々しくそう言ったプレジデントは、意地の悪い笑いを浮かべて都市開発部門統括のリーブを見た。
「君があれの最期を看取ってくれたそうじゃないか。キーヤも満足したことだろう。私の顔なんざ、見たくもなかったろうからな」
「いえ……私は……」
 唇を噛みしめて、うつむくしかないリーブ。
 幼いルーファウスにも、父親があてこすった男、母を父から解放しようとした男というのが、リーブであることがわかった。
「まあ、いい。すんだことだ」
 手をひらひらと振って、プレジデントはルーファウスに向き直った。
「いままでキーヤの自由にさせてきたが、お前は私の一人息子だ。いずれはカンパニーの頂点に立つことになる。そろそろ、その心構えをしてもらわなくては」
 プレジデントはそう言うと、今度はツォンを見据えた。
「邪魔者は排除してきたし、私に楯突くものは力でねじ伏せてきた。人も国も……全てな」
 ツォンが沈痛な面持ちでうつむいている。
 ルーファウスは、そんな表情をするツォンを見るのはこれが初めてだった。
「しかし、有能な者は敵であっても登用してきた――。そうだな、ツォン?」
「はい。プレジデントの寛大なご処置に、深く感謝しております」
 感情を押し殺した声。だが、震える手が、雄弁に彼の心情を語っている。それは、不本意なことなのだと。
「さっきから、一人で演説していい気になって。オヤジがいると、みんなが不愉快になるだけだ! さっさとミッドガルへ帰れ!!」
 見かねたルーファウスが、顔を真っ赤にして怒鳴った。だが、プレジデントは平然と言葉を続けた。
「ああ、そのつもりだ。こんな所に、用はないからな。だがな、その時はお前も一緒だぞ、ルーファウス」
 室内の空気が凍り付いた。最初に沈黙を破ったのは、ルーファウスだった。
「冗談じゃない! お前と一緒になんて、暮らせるもんか!」
「お言葉ですが、プレジデント――」
 ルーファウスの心情を察して、リーブがフォローに入った。
「ルーファウス様はまだ幼い。いまはキーヤ様を亡くされたばかりで、精神的にダメージを受けています。こんな時、生活環境が急に変化するのはよろしくないのでは……」
「ハッハッハ……! そうやってお前達が甘やかすから、ルーファウスは軟弱に育っているんだろう。この子に必要なのは、帝王学だ。学問はもちろんだが、人の使い方、情報の扱い方、会社のことにも精通してもらわなきゃならん。経営の方は、おいおい覚えていくだろうからな。だが、プレジデントになる心構え――これは、早くから身に付けさせる必要がある。それには、ミッドガルの本社で生活させるのが一番だ。そうだろう?」
「あんな所、大っ嫌いだ! 絶対に行くもんか!!」
 あらん限りの力を振り絞って、全身で拒絶するルーファウス。
 ツォンは、自分の言葉がプレジデントを動かすことができるとは思わなかったが、ここで何も言わなかったら夫人との約束を果たせなくなる。そう思い直し、抗議の声を上げた。
「私からも、お願いいたします。キーヤ様は、ここで成人して欲しいとお望みでした。ミッドガルでは、星の上げる悲鳴も聞こえないと。ルーファウス様には、人の心の痛みがわかる人間になって欲しい、と日頃からおっしゃられていました。ですから――」
「ほう? お前が、私に意見をするのか?」
「いえ。そういうつもりではありませんが……」
「ならば、頼んでいるつもりか。人に物を頼む時には、こうするものだ――そうだろう?」
 プレジデント神羅は、酷薄な笑いを浮かべてツォンをひざまずかせ、世にも楽しそうにささやいた。
「その反抗的な目の色――。父親にそっくりだぞ」
 下を向いたツォンの顎に手をかけて仰向かせると、今度は憎々しげに吐き捨てるように言う。
「全く、母親にも生き写しだな。お前は、日一日とアキコに似てくる。面立ちも、指の形も、そうやって堂々と私を非難するところも――そっくりだ」
 そして、手を離すと背中を踏みつけた。
「さあ、地ベタに這いつくばって、私に赦しを乞え。私は、この世界の支配者も同然なのだからな。私を批判することは、絶対に許さん。言え。『申し訳ありませんでした』と。そうして謝ったら、ルーファウスの件は考え直してやってもいいぞ?」
 これには、ルーファウスの方が激怒した。
「やめろ! お前がそんなことする必要なんてない!」
「ほう……。ずい分あれの気に入られたようだな? やはり、お前はアキコの息子だ――。人の心を虜にするのが、上手いようだ」
「一つ、お訊きしたいことがあるのですが」
「何だね?」
「これは、正当な取引きだと考えてよろしいのでしょうか」
「――誰に向かって口をきいているつもりだ?」
「プレジデント神羅……私の雇い主です」
「ハッハッハ……! これは傑作だ。どこの世界に、飼い主に向かって吠え立てる犬がいる? 全く、自分の立場というものがわかっていないらしい」
「――取引きに、応じていただけるのでしょうか」
「いいだろう。こんな愉快な気分になったのは、久しぶりだ。
 お前の国を滅ぼして以来かな?」
「――ありがとうございます」
「ツォン!」
 幼いルーファウスには、初耳の話だった。大好きな人の国を、自分の父親が? ――滅ぼした!?
 では、ツォンは仇の一人息子であるにもかかわらず、自分を慈しんでくれたのか?
「ん? よく聞こえないぞ。――顔を上げろ。私の目を見て言え」
「申し訳ありませんでした」
「心がこもっていないぞ。もう一度」
「やめろ! 何させてるんだ、オヤジ! 昔に何があったか知らないけど……こんなの、ただの苛めじゃないか! いい年して、みっともないんだよ!!」
 息子が自分と口をきくのは、いつも他人のことをかばい立てる時だな――。
 プレジデントは、考えていた。キーヤ、ツォン、リーブ、使用人達、警備兵……。ルーファウスにとって自分は「父親」ではあっても、「家族」ではないらしい。亡きキーヤが自分の「妻」であっても、心は通い合っていなかったように。
「わかった。やはり、私はここでは邪魔者らしい。ミッドガルへ退散するとしよう」
「――さっさと帰れ! クソオヤジ!!」
「お前もそこまで私のことを言うからには、覚悟ができてるんだろうな? ルーファウス、お前はミッドガルへ来なくていい――来るな。当分の間、立入禁止を命じる」
 これには、リーブが青ざめた。
「プレジデント! ルーファウス様のこと、廃嫡をお考えになっていらっしゃるのですか!?」
「誰がそんなことを言った? キーヤが死んだからといって、私は誰とも再婚する気はないぞ。私の息子は、ルーファウスだけだ」
「では、何故――!?」
「ミッドガルは、私の城だ。――知っているか? 歴史上、権力者が一番気をつけねばならないのが後継者だ。獅子身中の虫、とよく言うだろう。せっかく築いたものを、内側から壊されたらかなわんからな」
「誰がお前の街に――! こっちから願い下げだ!」
「では、私は戻る。せいぜい勉強して、立派な人間になることだ。お前の成長を待ち望んでいる者は、私が考えていたより多そうだからな。――リーブ、ミッドガルの電力供給を強化しろ。その件については、スカーレットと調整してくれ。魔晄炉の出力を上げられないかどうか、科学部門は既に検討中だ」
「かしこまりました。一緒に本社へ戻りまして、さっそく手配します」
「うむ。ツォン、お前は引き続きルーファウスの身辺を護衛しろ。やってもらう仕事はいろいろあるが、いま引き離したら、あれから一生恨まれそうな気がするからな」
「――ご配慮、感謝いたします」
 嫌悪と怒りの入り混じった目で自分を睨み付けているルーファウスに、プレジデントは笑って去って行った。
「自分が無力だと感じているのか? 子供の身で、悔しいか。――ならば、早く大人になれ。私から会社を乗っ取るくらいの気概を持て。それでこそ、本物になれる」
「二度と来るな!」
 心配そうに振り返ったリーブの顔に、一抹の寂しさを認めたルーファウス。
「――あっ!!」
 感情にまかせて、酷いことを言ってしまった。
 確かに、ミッドガルはオヤジの城だ……。でも、設計して、建造したのはリーブ。いまも彼は、都市の運営に日夜心を砕いている。まるで我が子のように愛おしんでいるのを知っていながら。あわてて、後を追いかける。
「リーブ!」
「ルーファウス様!?」
「――ごめんよ、さっきは。お前が傷つくの、わかっていたはずなのに。あんな言い方するつもりじゃなかったんだ……本当に、すまない」
「わかっていますよ。本当に、ルーファウス様はお母様似なんですね。どうか、いつまでもその優しさを忘れないで下さい。――約束ですよ?」
「うん。お前も……がんばるんだよ。僕もがんばるから」
「私がいない間は、ツォンの言うことをよく聞くんですよ。あまり彼を困らせないでやって下さい」
「わかった」

 プレジデントは、あれでルーファウスのことを大層かわいがっている。
 自分とは全く違う気性で、理解の域を超える存在だと考えているらしいが、それでもかわいいことに違いはない。
 ただ、歪んだ愛情なのは確かだ。独占欲の強い彼は、自分の手で息子を育てたらロクな結果にならないと、本能的に察知しているらしい。そばにおいて猫かわいがりしたいのに、それができないジレンマが爆発して、ミッドガルへの出入り禁止などという申し渡しをするのだ。
 プレジデントは、キーヤのことも彼なりに愛していた。彼女のために、ありとあらゆる贅沢品を買い求めた。彼女を世界一の権力という栄光で包みもした。だが、キーヤの心がプレジデントに向けられることは、遂になかったのだ――。
 ルーファウスは、長ずるにつれてキーヤに面差しが似てくる。プレジデントはキーヤの愛を得ることは諦めたのだが、息子に対しては割り切ることができなかったのだ。得ることの叶わなかった妻への愛情は、一人息子であるルーファウスにそのまま向けられた。
 しかし、ルーファウスはそれをにべなく拒絶した。可愛さ余って憎さ百倍、というのがプレジデントの心境だろう。
「何て明るいんだろう。――見てみろ。ゴールドソーサーを一歩出れば、周りは闇だ。流砂の砂漠が広がってるなんて、ここからじゃわからない」
「光と音の洪水ですね。これもみんな、魔晄エネルギーのおかげというわけです」
「ミッドガルの本社からは、いくら眺めても人が生活しているという実感は湧かなかった。不思議だな。ここでは、あの光の一つ一つに人間の息吹を感じる。生きてるっていう実感がある。何故だろうな?」
 それはきっと、ここ数日であなたがめざましい成長を遂げたからです。
 ツォンは、心の中でそっと呟いた。
「人の命がどれほどはかないものであっても、その輝きは、あんなに美しいんだな。ツォン。僕は、あの光を守りたい。ここへ来て、やっと……大切なものの意味が少し、わかった気がする」
「ルーファウス様――」
「僕にはまだ、何の力もない。ただの子供だ。でも、いつか……いつかきっと、あのミッドガルを魔晄ではない輝きを放つ都市(まち)に変えてみせる。あの都市(まち)に、幸せを運びたいんだ」
「そのお手伝いを、是非させていただきたいものです」
「それなんだ。ツォン、お前はミッドガルへ戻れ。僕の目となり耳となってくれる人間は、他にいない。オヤジのやることを見届けて欲しい。――まだ自由には動けない、僕の代わりに」
「承知いたしました。ですが、コスタ・デル・ソルにはなるべく立ち寄るようにしますので――」
「いつまでも僕のお守りじゃ、退屈だろう? オヤジも言ってたよな。お前に頼みたい仕事があるって」
「あなたをお守りすること以上に、大切な仕事があるとは。私には、思えません」
 その時、花火が打ち上げのフィナーレを迎えた。ゴンドラのガラス越しにも、爆音が響いてくる。
「えっ? いまの、聞こえなかったぞ。もう一度言ってくれないか?」
「――何でもありません。そういえばバトルスクェアでの返事、まだでしたね」
「ああ、あれか……。答えなら、もうとっくにもらってる」
 人を魅了せずにはいない、天使の微笑み。
「あの質問をするずっと前からな――。ありがとう、ツォン」
 ルーファウス九歳、ツォン十五歳の時のことだった。