6.

 都市開発部門の資料室に入ったルーファウスは、深呼吸している。
「――ああ! やっと息がつける。あの男の毒気に当てられたんじゃないかと思って、ヒヤヒヤしたぞ」
 手が冷たいのか。しきりに両手をこすり合わせている。
「まあ、そうおっしゃらずに。少なくとも、ドミノ市長はあなたのことを気に入っていたようですよ。『また来るといい』と言っていたでしょう?」
「そう言えば……そうだな」
「あなたのこと、同類が見つかったようで嬉しかったんですよ、きっと」
「どこが同じだ!?」
「名ばかりの役職に就いて生活は何不自由なく、仕事は与えられない。その上、プレジデントが大嫌いときている」
「……」
「お気に障りましたか? でも、人から見るとそういう存在なんですよ、あなたは。――神羅のお飾り。美しいのが救いですけどね、ミッドガルのお飾りと違って」
「私は、いますぐプレジデントになっても何の問題もない! コスタ・デル・ソルで遊び呆けていたわけじゃないぞ。本を読んだ。人を招いて教えを乞うた。ありとあらゆる分野のだ。自分の身は自分で守れなければ、と思って射撃の訓練も欠かさなかった。世界中を旅行した。神羅の支配が及ばない所へも、足を伸ばした。私の名が出ないようにダミー会社を作って、実際に経営もしている。考えつく限りのことはやってきたんだ!」
「知ってます。お父上は全てご存じです。目を細めて自慢げにおっしゃってましたよ。『何だかんだ言っても、やっぱり自分の血を引いている。あの年で、立派に会社経営ができるとはな。株の方も、順調に成果を上げているようだし。この分なら、自分の手伝いをさせてもよかろう』とね。役員会で、十八歳になったら副社長にしたい、とおっしゃったのはそのすぐあとです」
「――ウソだ」
「嘘じゃありません。それに、スカーレットやハイデッカーが反対したので、プレジデントに私が提案したんです。副社長にいきなり就任させるのではなく、見習い期間を設けてはどうかと」
「私をミッドガルに置いておくいい口実になると思ったから、オヤジは賛成したんだろう!」
「それは、否定しませんけどね。でも、お父上は『自分の手伝いをさせる』とおっしゃいましたよ? その言葉は、嘘じゃないと思いますがね」
「あいつは都合のいい時だけ、父親ヅラしようとする。いつもは私のことなんか、どうだっていいくせに。ワガママなんだよ!」
(おやおや。ワガママなのは、一体どちらなんだか)
 ルーファウスを眺めつつ、リーブはプレジデントとの会話を思い出していた。
「全く、あれが男でよかったよ」
 唐突にそう言ったプレジデントに、リーブは思わずはあ? と間の抜けた返事をしたものだ。すると、プレジデントは大真面目な顔で言ったのだ。
「もし女だったら、誰か婿を取らにゃいかん。しかし、あれにふさわしい男など、この世にいるか!?」
 いまから二十年以上前、全く同じセリフを聞いた気がする。――いまは亡き、EE社社長の口から。
「まさか親子で結婚するわけにもいかないし、一生独身を通させるわけにもいかないし。ずい分頭の痛いことになっていたぞ。だが、幸いなことにルーファウスは男だ。嫁の心配は、あと十年はしなくていいだろう」
 自分が三十歳で結婚したせいなのか。勝手にそう決めつけている。
「十年あれば、世界は完全に我が神羅カンパニーのものになる。そうなれば、あれは最高の女を手に入れることができるだろうよ」
 あなたは、この世に舞い降りた女神とまで謳われた女性と結婚した。だが、彼女の愛は得られなかった。愛のない結婚に何の意味もないことを、まだ理解できないのだろうか?
「お前も思うだろう? ルーファウスは、日一日とキーヤに似てくる。あの冴え冴えとした青い瞳、雪のように、大理石のように白い肌、日の光を溶かし込んだような柔らかな金の髪……。長い睫毛も整った鼻の形も、優美な弧を描く眉も、紅い唇も、みんな……みんな、キーヤから受け継いだものだ。私を見ると嫌そうにしている様子など、キーヤそのものに思えるほどだ。ゾクゾクするぞ、あの冷たい目で見つめられると――。正直な話。あれが女だったら、父親であることを呪っていたかもしれんな」
 実の息子を恋人にするような形容で平然と褒めあげた挙げ句、顔色一つ変えずに恐ろしい言葉を口にする。
 この人なら、やりかねない。リーブは、背筋が寒くなったものだ。
 プレジデントは、欲しいと思ったものは必ず手に入れないと気がすまない人間だった。彼が本気で欲したなら、モラルなど一蹴してしまうだろう。
 ただし。長年の付き合いで、リーブは彼がいたってノーマルな趣味の持ち主であることを知っていたから、娘なら心配するところだが、男にはその手の興味が全く湧かないプレジデントのことだ。ルーファウスに、その手の心配をする必要はなかった。
 全く、彼の子供が「息子」であってくれて、本当に良かったと思う。プレジデントのためにも、子供のためにも、自分のためにも。
 ――歪んだ愛情。しかし、愛情には違いない。いささか生臭かろうと、独占欲に毒々しく染められていようと。
(もしプレジデントが世間一般の父親のようにルーファウス様のことを愛していらっしゃれば、ルーファウス様も素直になれたかもしれないな)
 いまの言葉に限らず、ルーファウスは心の底では父の愛情を求めているフシがある。だが聡い彼は、物心がつくと同時にわかってしまったようなのだ。自分を見る父の目が、自分だけを見てはいないということに。
 大嫌いだと言い、離れて暮らし、世界中を飛び回って。それでも、ルーファウスのアンテナは父親に対して張られている。
「――で、いまオヤジはどうしてる? 何を始めようとしてる?」
 本人は全く気づいていないようだが、幼い時からの彼の口癖だ。
 一方、プレジデントの方は、屈折具合にも年季が入っている。会いに行ったところで、絶対に笑いかけてはくれないのがわかっている。でも、成長ぶりは見たいのだ。
 仕方ないので「普段の息子の様子」をビデオに撮らせて、それを眺めることで満足することにしたのだった。
 もちろん、ルーファウスは知らない。プレジデントの私室に、自分の映像が収められたビデオがズラッと並んでいることなど――。
(私だって、そんなこと……知りたくなかった。あの方が、そこまで不健康な精神になっているとは。いくらビデオに向かって語りかけても、映像は一片の愛情も返してはくれないだろうに)
 怒鳴るのも、泣くのも、拒絶するのも。全ては、与えられない愛情の裏返しなのだ。ひとたびきっかけがあれば、それは満面の笑顔に変わるだろう。いまのところ、それを見ることができる人間は、自分とツォンの二人に限られているようだが。
 深い、ため息。
 部下達の間では自分が父親でツォンが母親、おまけにレノが兄貴分、という設定のホームドラマが日々繰り広げられているらしいが、人の目の鋭さには驚かされたものだ。
 確か、それを聞いたのは、「研修」が始まって一週間が過ぎた時……7番街の工場部分が稼働した打ち上げの席でだった。上下関係が比較的フランクな都市開発部の飲み会とあって、様々な話題で盛り上がっていたのだ。
 一度は誰かが口にする「部長、今年こそ独身生活にさよなら宣言する気はありませんかあ?」が始まり、いつもならそこで「お前、狙ってるわけ? ムリムリ」という具合に笑いが起きて、おしまいになるところ――。
「ダメダメ。部長は、二児の父親してるんだから」
 思わず酒が逆流しそうになってむせるリーブに、別の部下が追い打ちをかけた。
「そうそう。難しい年頃だからな。第一、あんな美人で年下の『奥さん』、粗末にしたらバチ当たりますよ!」
 一斉に、どっと笑いが起きる。
「――何の話だね?」
 おなかを抱えて笑い転げる部下達から返ってきた答えがこれである。見ていないようで、内実をちゃんと見ているのだ。
 ちなみに、「息子」の「実の父親」はどういうことになるのかも尋ねてみた。しばらく頭を悩ませていた部下達だが、これまた鋭い答えだった。
「何だかさぁ……プレジって脂ギッシュだよね?」
「しつこそうだよねー。ストーカータイプ」
「でも案外、ああいう人に限って子供のことかわいがったりするぜ? ――ハタ迷惑な溺愛モードで」
「言えてる〜。じゃあ何か?『亡き妻とカン違いしてちょっかいかける、うざったい近所の色ボケ老人』!?」
「キッツーイ!! でも、そんなカンジ」
 うんうん、とお互いにうなずき合っていた彼らに、何も言えないリーブだった。
「――リーブ?」
 黙り込んでしまったリーブに、ルーファウスが不審そうな顔をしている。
「――とにかく、お父上は決してあなたのことを放っているわけじゃありませんよ」
 むしろ、逆です。悲しげな微笑が広がる。
 一層不審そうな表情を強める青年の頭を、リーブは優しくなでてやる。
 愛情過多な父親に育てられた、愛情不足の青年。何とも皮肉な話だ。
「別に、放っておいてくれてかまわないさ。その方が、せいせいする」
「意地っ張りですねえ。昔からあなたはそうでしたけど」
「だって、お前がいてくれるじゃないか」
 無邪気な笑い。プレジデントが、決して手に入れることのない――。
「いけない事をしたら私を叱ってくれるの、お前ぐらいのものだぞ。そんなヤツ、他にはいない」
「おや。ツォンからお説教をいやというほどくらってるでしょうに」
「ああ。でも、違うんだよな……。何ていうか、あいつのは世話焼き、って感じで。お母様みたいだ」
 やれやれ。当の本人が、そう感じていたとは。
 ――これでは、他人が見てそう思うのも無理はない。たまらず、笑い出したリーブ。
「なあ、お前。さっきからどうしたんだ?」
 首を傾げるルーファウスに、何でもありません……と言いながら、資料を手に取るリーブだった。