5.

「今日は番外編といきましょうか。プレジデントのお戻りで、ツォンが忙しいんですよ。できれば本社内にいて欲しい、という希望ですのでね」
 そう言い、リーブは外観エレベーターの62階を押した。
「62階? 何があるんだ?」
「行けば、わかりますよ。――ちょっとひねくれた人物ですが、知っておいて損はないと思いますよ。というか、あなたから彼を敵に回す必要はないと思いましてね」
「さっぱりわからないよ、リーブ。――あ、着いたか」
 シンと静まり返ったフロア。人の気配が、全くしない。活気に満ちた本社ビルの中で、ここだけ時に忘れ去られたかのようだ。
「こちらですよ」
 先に立って歩き出したリーブのあとを、首を傾げつつ追う。
 やがて、リーブはある部屋の前で立ち止まった。部屋の前には、妙に愛想笑いの白々しい男がいた。男はもみ手をしながら、恭しく話しかけてくる。
「これはこれは。大変お久しぶりですねえ、都市開発部長。三年七ヶ月十一日ぶりにお目にかかりましたよ。光栄なことですな」
 苦笑して、リーブも挨拶を返す。
「そんな経っていたかね? 君は、いつ見ても変わらないな。元気そうじゃないか」
「ええ、おかげさまで。毎日決まった食事をして、仕事は何もなし。この静かな環境といい、神羅カンパニーには本当に感謝してもしきれませんねえ」
 体感温度が、三度くらい下がったような気のするルーファウスだ。
「ところで市長はおいでかね、ハット君」
「もちろんです。ときに部長、後ろにおいでの若様……もしや近頃評判の?」
「ああ。ルーファウス神羅様だ。いま私の部で、社内のことをいろいろ勉強されていらっしゃる。次期社長として、市長に是非面識をもっていただきたいと思っているんだが」
「――それは素晴らしい! 市長も、さぞお喜びになられることでしょう。取り次ぎして参りますので、少々お待ち願えませんか」
「頼むよ」
 言うのと同時に、さりげなくなにがしかの金が渡される。目を見張るルーファウスに、ハットは満面の笑みを浮かべて言った。
「いつもながら、都市開発部長はお心遣いの細やかな方でいらっしゃる。市長も、あなたのことはいつも褒めていらっしゃるんですよ」
 ハットが市長室に消えたあと、呆れ返ったルーファウスは小声で非難した。
「リーブ! いまの、いわゆる『賄賂』ってヤツじゃないのか!?」
「そうですねえ、形式的にはハットは役人ですから――まあ、そういうことになりますね」
「何だって、あんなヤツに。市長に会うだけだろう? なら、直接このドアを開ければすむことじゃないか!」
「会うだけならね」
 意味ありげに、リーブは笑う。
「あなたのことを敵じゃない、と伝えてもらう必要があるんですよ。市長はプレジデントのことを呪っています。呪って悪口を言うだけの毎日を過ごしている人間が、いきなりその息子に会いたがると思いますか?」
「……思えないな」
「必要投資です。安いものですよ」
「――お待たせしました。ドミノ市長が、お会いになられるそうです。とてもお喜びで。少々室内が片づいていないことを、先にお詫び申し上げてくれとおっしゃっていました。さ、どうぞ」
「ありがとう。さあ、ルーファウス様」
 促されて入った部屋は、市長室というには情けないほどの狭さで、このビルでの彼の地位を物語っていた。
(ツォンのプライベートルームだって、これよりは広いぞ)
 思わず、比較してしまうルーファウスだ。



「ご無沙汰しています、ドミノ市長。相変わらずお元気そうで、何よりです」
「君はまた老けたな。少し、仕事しすぎじゃないのかね?」
「今日は、市長にご紹介させていただきたい方がいまして。こちらはルーファウス神羅様。十八歳になられた機会に、プレジデントが社内研修を命じられましてね。いまは、私の部で勉強していただいています。二十歳になられたら、副社長に就任される予定です」
「ほう……。それはまた、同族会社らしい極端な人事だねえ。そんな若者が副社長? さすがはウータイを下しただけのことはある。世界は全て神羅の物――そういうわけか」
「それは違うな、市長」
「何がだね。プレジデントの一人息子君」
「『神羅の物』じゃない。『オヤジの物』だろう」
 自分以上の毒をルーファウスに嗅ぎ取った市長は、一瞬目を丸くした。まじまじとルーファウスを見つめたあと、リーブを見る。
 穏やかな人柄で知られる都市開発部長は、苦笑している。
(すると、演技ではないわけか)
 さきほどハットがよこしたルーファウスのプロフィールには、父とは犬猿の仲、とあった。
 しかも、父親の方は一人息子を溺愛している、とも。
(フン、この美貌だ。母親そっくりな息子を、あの男が嫌いになれるはずもないか)
 キーヤに対するプレジデントの一方的な執心は、ドミノも知らないわけではなかった。
 社交界の華の中でも、ひときわ光り輝いていたEE社の社長令嬢。彼女を手に入れることは、世界一の財産と権力を手に入れることと同じだった。
 その上、キーヤは女神のように美しく気高い娘だったのだ。男達は、競って彼女に求婚したものだ――。
(挙げ句、この始末だ。EE社は神羅に乗っ取られ、娘は悲嘆のあまりに亡くなった。一人息子は父を憎悪しているときているし……。プレジデントも、世の中そう思い通りにいかないと気づいてさぞガッカリしたろう。そう思うと、何とも胸がスカッとする)
 少なくとも、この青年はプレジデントを憎んでいるし、自分を敵とはみなしていない。私が敵視する理由は、ないではないか? そう考えた市長は、にこやかに笑って手を差し出す。
「ルーファウス君……君は、とても頭のいい青年だと聞いていたが。その通りだな」
「それは、どうも」
 肩をすくめ、部屋を見回す。雑多な書類や本が、所狭しと置かれている。
「ところで、一つ聞いてもいいか?」
「何だね」
「この部屋で、一体何をしているんだ? すごい量の書類だけど?」
「ああ。――私はいま、神羅カンパニーの社史を編纂中でね。そのためにいろいろ資料を集めたんだ。おかげで、こうして来客があっても立たせたままになってしまうのが、悩みのタネでね」
「社史……編纂!?」
「そうだ。このフロアの各部門の資料も、全部私が整理したんだよ。なかなか見事だろう?」
「……」
「神羅製作所から、現在の神羅カンパニーへの飛躍。調べていくと、面白いぞ。そうそう。君が生まれたのとカンパニーの歴史は、ちょうど重なっているんだったな」
「確かに、合併したのは私が生まれた年だが」
「君はともかく、カンパニーの方は……血塗られた歴史だねえ。興味があるのなら、また来るといい。それまでには、もう少し部屋の中を整理しておくとするよ。私も、せっかくの客を立たせたまま話をするのも、心苦しいのでねえ」
「――会えて良かった。今度は、もっとゆっくりいろいろなことを話したいものだ」
「こちらこそ。なかなか楽しかったよ」
「市長、資料室の方も見せて差し上げたいのですが。かまいませんか?」
「未来の社長が、私に気兼ねかね? ロックはしていない。自由に見るといい」
「ありがとうございます」
 リーブは一礼し、ルーファウスと共に市長室を出た。
「――いかがでしたか?」
 さっそく、ハットが寄ってくる。
「ああ、有意義な会見だと思っていただけたようだ」
「それはそれは。――ようございましたな」
「君のおかげだよ、ハット君」
「いえ、私など。やはり、若様の魅力でしょう」
 ぬけぬけと言ってのけるハットに、内心ルーファウスは吐き気を催している。
「お許しも出たし、各部門の資料室を見て行こうと思うんだ。あとは私がご案内するよ。ご苦労だったね、ハット君」
「とんでもございません。市民の皆様のお役に立てることが、私ども役人の喜びでございまして」
(ギルの裏付けがあって、初めて動くくせにな。よく言うよ……!)
 軽蔑の色を顔に出さないようにするのに、一苦労するルーファウスである。