4.

 ルーファウスが本社に出入りし始めてから、二週間が経った。
 その間、ちょうどプレジデントが本社を留守にしていたこともあって、彼も社員達ものびのびと過ごしていた。
 サラリーマンの憩いの時、昼食。他部署にいる友人との、貴重な情報交換の時でもあったりする。いつものように、ウワサ話に花を咲かせていた社員達。
「ここ、あいてるかな?」
 ええ、どうぞ。と答えた社員は、次の瞬間我が目を疑った。
「――!?」
 白いスーツの裾が、華麗に宙を舞っている。
「おーい! ここだ、リーブ!」
 トレイをテーブルに置いた青年は、大声でそう叫び、手を振っている。本社にいる社員の中で白いスーツを着ているのは、最近ウワサの、あの――。
「あ、あのう……。もう、終わりますから。ここも空きますよ」
 相手がルーファウスだと知って、居心地悪そうにその社員はそそくさと立ち上がった。すると、不思議そうに呼び止められる。
「まだ食事、すんでないみたいだけど?」
 無邪気な疑問に、まさか「あなたがそばにいると、喉を通るものも通りませんから」とも言えない。
 はあ、いえ――。言葉を濁して立ち去ろうとすると、にこやかに微笑まれてしまった。
「ちょっとウルサイのが二人来るけど、あいつらのことなら気にしなくていいからな。君、どこの部なんだ?」
 逃げられそうにないと悟って、あきらめて腰をおろす。
「――広報課です」
「何だ、ハイデッカーのところか。それは大変だな」
「あ、いいえ……はあ、それなりに」
 うっかり相づちを打つわけにもいかず、さりとて否定することは心情的にできなかった。この曖昧な返事に、ルーファウスは眉をひそめている。
「――もしかして本当のこと言いたくないんだろう? 私に告げ口した、と思われるのがイヤで」
 ああやっぱり、さっき席を立てばよかった――。
 プレジデントの一人息子の心証と、毎日顔を突き合わせなくてはならない部長の心証と。迷わず、後者を選ぶべきだったのに……。
 後悔、先に立たず。半泣きモードの広報課員である。
「ふう……。いつもながら、大変な混雑ですねえ。本当によろしかったんですか? あなたは、人混みが大の苦手だと思ってましたが」
 ようやく現れたリーブは、周囲にすっかり溶け込んでいる。日頃、部下達と一緒によく利用しているせいだろう。彼に挨拶する人々は、今日もいつものように気軽に声をかけていた。――彼の進む先に、白いスーツの金髪の青年の姿を見るまでは。衝撃が、走る。
 そこへ、濃紺のスーツを身にまとった黒髪黒目の青年が現れたものだから、社員食堂はもうパニックである。
 ――タークスの、主任!
 これ以上、睨まれたくない相手はいないだろう。一瞬ざわめきが消えたのに、実は当の本人が一番深く傷ついていたりする。
(私は、疫病神か?)
 いつものことだが、これだけ盛大に反応されると、ちょっと悲しい。
 レノだと、こうはならないんだがな。苦笑して、自分に向かって手を振る青年の方へ歩いて行く。人の群れの中に、道が開かれていく。さすがというか、何というか。史上最年少でタークスの主任になっただけのことはある、というわけだろう。
「遅かったじゃないか」
「少し、気になる情報がありまして。レノに確認をするよう、指示をしていたものですから」
「ふうん? 例の、活発化してきているっていう反神羅グループか?」
「それと、他にも――。詳しい情報が入り次第、ご報告させていただきます」
「わかった。とにかく、一人で無理するんじゃないぞ。お前に前任者の二の舞をされるのは、まっぴらゴメンだからな」
 いつになく真剣な表情で、ルーファウスが言った。瞬間、表情が翳るツォンである。
 いまから一月半ほど前のことだった。ミッドガルの8番街は年末を迎えて新年の準備に心浮き立つ人々でごった返していた。
 ウータイ戦役の終結後、プレジデントは反神羅勢力の一掃をハイデッカーに命じた。ハイデッカーの考えは、恐ろしく単純なものだった。いまや、世界は神羅なしでは立ちゆかない。人々は神羅の軍隊に守られ、神羅で働き、神羅から給料をもらって生きている。それに異を唱える者など、ひねり潰してしまえばいい。寄生虫の一匹や二匹殺したところで、誰が文句を言うだろう?
 だが、彼のこうした武力による弾圧は、悲劇を生まずにはいなかった。次々に仲間を殺されていったテロリストグループは、報復を求めたのだ。
 ターゲットは、弾圧の実行部隊であるタークスの主任。さすがに、ハイデッカーを狙うのは難しかったのだろう。
 休日の午後、家族連れやカップルでにぎわう8番街。タークス主任は、劇場前で誰かと待ち合わせをしていたようだ。事件の起きる前、時折腕時計にチラッと目をやり、抱えた花束を眺めたり、それを持ち替えてみたりしている姿が目撃されている。
 結局、彼は待ち人には会えなかった。男が一人、近寄って来た。ハッと気づいた瞬間、彼は男に抱き付かれていた。
「神羅のイヌめ! ――仲間達の無念を、思い知れ!!」
 次の瞬間、閃光と爆風があたりを包む。――あとには、何も残らなかった。
 上がる悲鳴、泣き出す子供。突然の惨事に、8番街の劇場前広場はパニックに陥った。上司が凶行に遭ったらしいと聞いてツォンが駆けつけた時、まだ現場検証は終わっていなかった。血痕が、ベッタリと石畳に付着している。激しい爆発だったのだろう。これでは、一瞬のうちに肉体は四散してしまったに違いない。
 ツォンは、やりきれない思いでそれを見つめたものだ。テロリストは知っていたろうか? ハイデッカーのやり方に、主任が反対していたことを。主任は、こう主張していたのだ。
「神羅に対する不満は、所詮消えることがない。それを全部取り去るなんて、不可能だ。我々が強行手段を取れば、彼らも対抗して抗議行動をエスカレートさせていく。このままでは、大勢の人間が死ぬような事態を招きかねない。私は、むしろガス抜きをこまめにする方を選びたいんだが。プレジデントは、ミッドガルの住民のことをどうお考えなのだろうか。支配する民がいてこその支配者なのだが。最近のあの方は、まるで――」
 プレジデントに対する批判など、主任の口から漏れるのは初めてだった。その時は驚いて、ただ聞くことしかできなかったツォンである。
 そんな様子に、主任は苦笑して首を振った。
「――いや、やめておこう。変な話を聞かせてしまったな。忘れてくれ」
 読書家で、絵や劇を見るのが大好きで、ワイン通でもあった、敬愛する主任。およそ、彼がミッドガルの裏社会を牛耳っているようには見えなかったものだ。
 チェスをするのも大好きで、ツォンはよく相手をしたものだ。無駄に見える動きが、実はそうではないこと。一手一手、相手を追い詰めていく手際の鮮やかさ。彼のチェスは、情報操作での彼の仕事ぶりを思わせたものだ……。
 総じて、銃よりも情報の力で反神羅勢力に対することを考えていた、穏やかで知性的な人柄だった。彼の死により二十四歳という若さでその職を継ぐこととなったわけだが、正直プレッシャーを感じるツォンだ。
 プレジデントやハイデッカーの唱えるやり方より、自分も主任の目指していた方法でこの街を守りたいと思う。だが、自分のような若造の言うことなど、果たしてハイデッカーは聞き入れるだろうか? その点に関しては、全く自信の持てないツォンだった。
「――ツォン?」
 憂い顔で物思いにふけっている様子を見て、ルーファウスが心配そうに呼びかける。
「あ……すみません。少し、疲れているようです」
「珍しいな。お前が弱音を吐くなんて?」
 フッと、醒めた笑い。
「時々、考えるんです。自分のやっていることは一体何なのだろう、と」
「お前、よくそんなんでタークスやってられるな。そんなヒマなこと考えてると、死ぬぞ?」
 呆れたように、ルーファウスが言う。
「お前は、オヤジの命令を聞いてりゃいいんだ。お前自身がいつも私に言ってるだろう?『私達にとってプレジデントの命令は絶対です』って。その通りだ。考えるのは、オヤジだ。お前じゃない」
「ル、ルーファウス様。何も、そこまでおっしゃらなくても」
 突き放した物言いに、リーブがおろおろとしている。
 それを見て、ニヤッとルーファウスは笑う。
「いまの神羅の体制では、そうだろう?」
 ハッとして、ルーファウスを見つめるツォン。目と目が合い、暖かく優しい微笑みが、ルーファウスの顔に広がった。
「私がプレジデントになる前に、つまらないことで悩むな。まして、私をおいて死んだりするなよ。――わかったな?」
 思わず、聞き耳を立てていた広報課員までじぃん……としている。
(ハイデッカーのヤツに苛められてるのは、オレ達だけじゃないんだな)
 しみじみとツォンを眺めつつ、妙な親近感を覚える。
(タークスも、苦労してんだなあ。あんな風に上のこと思ってたなんて。意外だよな)
 周囲の感動をよそに、ルーファウスは一人昼食をパクついている。
「――うん? どうしたんだ、二人とも。冷めちゃうぞ?」
(この天然ぶりが、たまらないよな。この人が社長になったら、うちの会社……ちっとは風通しがよくなるかな?)
 もちろん、この日のうちに総務部中でウワサ話が駆けめぐったことは、言うまでもない。
 ――神羅本社ビルの中を、新しい風が吹き抜けつつあった。