3.

 翌日。神羅本社ビル全体に、一種異様な緊張感と期待感が満ちている。
 今日のルーファウスの予定は、修理課の仕事ぶりを見学すること、となっているからだ。
 いつ坊っちゃんが姿を現すかわからない。となれば、彼に仕事ぶりをのぞかれたくない人間はピリピリするし、逆に自分の仕事ぶりに自信を持ち、裏表なく精勤してきた人間は直接問題点を訴えることのできるいいチャンス、と考える。
 ちなみに、今日一日かけて都市開発部の他の所属は職場の総点検を行う予定である。もとより、リーブの部下達のことだ。見られて困るような問題点を抱えているわけではなかったが、図面やら資料やらでひっ散らかった事務室を片づけたいと考えるのは、自然な人情というものだろう。
「おはようございます、ルーファウス様」
「ああ、おはよう」
「お早いんですね。申し訳ありません。リーブ部長が、まだ――」
「君が謝るようなことじゃないだろう? 気にするな。それに、私がここへ来るのが早かったのは、エレベーターで降りるだけだからな。当たり前のことだ」
 何せ、デスクのない身の上だ。出てきても、やる仕事もない。取りあえずウロウロと所在なさげに大部屋の中を歩き回るルーファウスを見かねて、女性職員が声をかけた。
 彼女にすれば決死の覚悟を要することだったが、話しかけられたルーファウスの方はごく自然に対応している。
 恐ろしいワガママだと風の噂に聞いていたスタッフ達は、昨日初めて実物を見てリーブやツォンとのやり取りを聞いて、その考えを軌道修正していた。
 電力屋の評判も上々で、普段見られない珍しい所を見ることができたとルーファウスもご機嫌で、双方好印象を持ったらしい。
 噂は、あっという間に都市開発部全体に広まっていた。スタッフの士気は、昨日から前日比150%くらいには高まっているのではないか。女性職員に至っては、200%かもしれない。
 いまルーファウスに声をかけたスタッフも、昨夜はゆっくりと入浴し顔をパックしたあと美容液を入念にパッティングして早めに就寝、今朝は髪のブローにいつもより時間をかけて出勤してきた、という気合いの入りようだ。
 たとえどうがんばってもルーファウスの美貌に太刀打ちできないとしても――いや、だからこそ――せめて、みっともない格好だけは見せたくない。
 いじらしい乙女心というべきだろう。恐らく、彼女だけでなく他の女性職員も同様だろうと思われる。
「この部屋は広いな。それにパーテーションで仕切られていないから、各課の様子がお互いにわかるんだな。――部全部の課がここにあるのか?」
「いいえ。主だった課だけです。新工法の開発をしている建築技術研究所は、本社ビルとは別になりますし。ここにあるのは、企画立案関係の部署ですね」
「フウン……。で、あれが部長席か。役員フロアにある部長室には、ほとんどいないって聞いたぞ。リーブらしいな」
 大部屋のはじに、半分すりガラスになったドアがある。ドアの向こうはさして広くもない部屋だが、そこがリーブの普段使っている「部長室」だった。ドアのガラスを半分すりガラスにしたのは、部長から常に丸見えでは部下達が落ち着けないだろうという配慮からだ。
 大体、リーブ自身は大部屋の中にデスクがあっても一向に差し支えないのだが、それではさすがに他の管理職がやりづらかろう……ということで、部長室を作ったのだった。
「はい。気さくで、私達の言うことに真剣に耳を貸して下さいます。女性スタッフの中に、結構ファン、多いんですよ」
 くすくすと笑う女性職員に、そうだろうな、と言って微笑むルーファウスは、本当に穏やかな顔をしている。
 朝日が当たって煌めく髪をかき上げ、もう一方の手を白いスーツのポケットに無造作に突っ込んで立ちつくす様は、いま売り出し中の美男俳優などよりずっと風情があり、女性ならずとも見とれてしまう。
 ほうっ……。
 スタッフ達は、新興宗教の教祖でも見るような目で彼らの「次期社長」を見つめている。だが、ルーファウスの方に見られているという意識は全くないらしい。
 遅いな、リーブのヤツ。ツォンにとっつかまったのか? などと言いながら、暢気にあくびしていたりする。
 それがまた、少年期から青年期へ移ろうという微妙な年頃のルーファウスの魅力を、いっそう引き立てていた。大人びた表情のあとに子供っぽいしぐさで人間臭さを感じさせる顔をされると、いつもが無表情で人形めいているだけに、余計ドキッとさせられるのだ。
 ――坊っちゃんにいられると、こりゃ仕事に身が入らなくていけないよな。
 それが実直エンジニア集団の都市開発部門スタッフ達の、偽らざる心境であった。
「おはようございます、ルーファウス様。――お一人ですか?」
「おはよう、ツォン。お前、今日も一緒について回る気か?」
「私の仕事を理解なさっていらっしゃるなら、そういう質問はなさらないはずですが」
「お前の仕事は第一にオヤジの護衛、第二にソルジャー候補の人材の発見、第三に社内監査。そう思っていたけどな」
「仕事はそうです。でも、あなたのことは半分仕事ですが――あとの半分は違いますから」
「お母様から頼まれたから、だろう?」
「それもありますが、私自身の意志でしていることに間違いはないですよ。趣味のようなものですね」
 必殺の微笑を浮かべられて、聞くんじゃなかった、こんなこと――とぼやくルーファウスである。彼らのボスが、ルーファウスの母に生涯変わらぬ愛情を捧げていて、その忘れ形見であるルーファウスのことを自分の息子のようにかわいがっているという話は、社内でも公然の秘密だった。
 しかし、タークスの主任がこれほど幸せそうにルーファウスの世話を細々と焼いているとは。昨日から、ツォンを見る目の変わったスタッフ一同である。
 タークスという言葉から連想するものは、スパイ行為、テロリストの弾圧、情報操作、その他ダークな色合いを帯びたことばかり。制服である濃紺のスーツの内ポケットには、常に凶器が納められており、彼らが行く所死人が出る――。
 そんなハードボイルドなイメージがあったのだが、どうもルーファウスとの会話を聞いている限りでは、それは全くの幻想だったのではないだろうか? と思えてくるのだった。
(ハードボイルドっていうより、ホームドラマだよなあ)
 昨夜仕事を早々に切り上げて、友人達と飲みつつ語らった都市開発部のスタッフは、皆そう考えたらしい。
(坊っちゃんを暖かく見守る父親がうちのボスで、心配性の母親がツォンさんだよな)
 というのも、どうやら共通見解らしかったが。
「それにしても、てっきりお前との打ち合わせで遅れてるんだと思ってたぞ。何かあったのかな? リーブが始業時刻になっても来ないなんて、珍しいんじゃないのか?」
「――あのおっさんなら、本社前の広場で陳情団にもみくちゃにされてたぞ、と」
「レノ。お前にしちゃ早い出勤だな」
「ずい分な挨拶じゃないか、ツォンさん。これでも俺は仕事には手を抜かない主義だぜ。なあ、坊っちゃん?」
「おはよう、レノ。――それで? お前、それを横目に来たわけだ?」
「横目、ねえ……。おっさんを拾ってこい、って命令は受けてないんでね、と。知ってるか?『親切行為』でケガしたり死んだりしても、通勤災害とは認定されないんだぞ。坊っちゃん、俺は社員だぜ? はなっから、通勤災害も業務上災害も関係ないご身分の坊っちゃんとは違うのさ。『やめとこう、ムダな戦闘、サービス残業』ってのが、俺のモットーでね」
「それなら、業務命令してやる。いますぐ下へ行って、リーブ部長を助け出して来い。ただし。ケガ人と死人は出すなよ。わかったな?」
「了解。さ、お仕事だぞ、と」
「気をつけろよ、レノ。お前に入院でもされたら、一緒に遊んでくれるヤツがいなくなる」
「はいはい。全く、人使いの荒い上司と坊っちゃんだな、と」
 おどけたように肩をすくめて、レノは部屋を出て行った。
「――さて、お聞きしたいことがありますが」
「何?」
「レノと、何しようとしてたんです。大体の想像はつきますが」
「『ミッドガル名所ツアー』をしてやる、って……。何だか顔が怖いんだけど、お前」
「当たり前です!」
 ルーファウスに、くってかかるツォンである。
「昨日ご説明しましたね? 冗談でも何でもなく、いま神羅は人々の不信と反感を買っています。リーブ部長を放そうとしない陳情団は暴力行為に訴えたわけではありませんから、まだタチがいいと見るべきでしょう。しかし、一人殺せば世界が変わると――そう信じ込んでいる狂信者が、もし一人でいるあなたを見たとしたら。あなたの言葉など、相手には通じませんよ?」
「――わかった。心配かけて、すまなかった。ごめん」
「いえ、いいんです。あなたにここの雰囲気をわかれと言っても、まだ二日しか経ってないんですから。問題なのは」
 査定を覚悟しとけよ、レノ。そんな呟きが聞こえてくる。
 苦笑混じりに、これ以上減俸されたらあいつ給料なくなるんじゃないの!? ほどほどにしといてやれよ、という声も聞こえてくる。
(不良の兄貴までいたか。完璧、ホームドラマ!)
 うなずき合うスタッフ達である。