2.
 さて、人を惑わしている元凶は、ご機嫌斜めであった。
「全く、どうしてああイライラさせられるんだ、アイツには! 確かこの前も、役員会の決定をワザと遅らせて報告してきたな。――あの時はまだ副社長だったから我慢したが、今度そんなことをしたらただじゃおかないぞ。大体オヤジの代に重役だったからといって、私が彼らを使い続けなければいけないという法があるわけでもないだろう!」
 長期出張中だったルーファウスは、7番街のプレート支柱爆破を採決した役員会に出席できなかったのだ。腹の立つことにプレジデントが命じた出張はおよそ意味のないもので、どう考えても邪魔者を遠ざけるための方便としか思えなかった。
 だが自分の甘さ、若さを鼻で笑っていた父は、社長室でセフィロスに討たれたではないか。背中にまで突き抜けた血塗れの長剣。いま思い出しても、ゾッとする。もし自分が父に疎まれていなかったら? もし……あの場にいたら。
「その時はアバランチの連中、がっかりしたろうな。オヤジのことは、自分の手で片づけたかったらしいし。私まで死んでは、あだの晴らしようがないだろう」
 仇討ち。そう、普通、仇とは憎いものではないのか。その血縁に連なる者も……。
「我が神羅カンパニーの命運は、まだ尽きていないということか。この上、私に何をさせようというのだ。もし運命の女神が存在するとしての話だがな」
 ルーファウスは、運命論者である。といっても、ネガティブな意味でのそれではない。自分には、何か役割があるはずだ。初めてそう思ったのは、いつのことだったろう。
 遠い日の記憶が甦る。優しく頭をなでてくれる母が、少し寂しげな笑顔で言った。
「坊やを生むことが、わたくしの役目だったのかもしれないわね」
 そして、続けてこうも言った。
「もしそうなら、わたくしはもうここにいる必要はないのね」
 幼いルーファウスには、母の複雑な心情を全て読み取ることはできなかった。ただ、リーブが血相を変えて母に詰め寄ったのを見て、それが何を意味しているのかを悟っただけだ。
 お母様は、きっと長くはそばにいて下さらない――。事実、それからほどなくして彼女は亡くなった。棺を覆う豪奢な赤絹の色を、ルーファウスは忘れない。金糸銀糸で縫い取りされた神羅の紋章は、彼女にとって苦痛しか与えなかった。
 しかし、自分は?
「わたくしの可愛い坊や」
 自分を無条件で愛してくれ、抱いてくれた母の温もりが消えた時、彼は幼年時代に別れを告げたのかもしれない。そして少年時代を迎え、様々な人の悲しみと苦しみを知り、自らの存在意義について思索をめぐらすようになった。
「私は、プレジデントになる。オヤジのあとを継ぐのではなく、プレジデントの座を奪ってみせる。そして、世界を手中にする」
 彼にとって、それは運命ではなかった。予定された未来。あるべき姿。では、プレジデントとなったあと、何をすればいいのか? 何をするべきなのか。
 そう問い続けているうちに、プレジデントとなってしまった。
「私は……何がしたいんだ?」
 世界を我が手にと考えているらしいセフィロスや、自らのことをもっと知りたいと願うエアリス、セフィロスとの決着をつけることを望むクラウド。彼らのように単純明快な物の考え方ができたら、どれほど気が楽になるだろう。
 ため息をついたルーファウスを、甲高い声のチョップがお見舞いした。
「――!? 何だ、どうしたんだ?」
「はっ!! お見回り、お疲れさまです。こちらは異状ありません! どうぞご安心を、ルーファウス社長!」
「見回り?」
「先程からこの通路を何回も通られていらっしゃるので、見回りをされていらっしゃるのだと思っていたところであります! ――違うんでしょうか?」
 最後の言葉は、できるだけ低い声で小さくつけ加えられた。ルーファウスは、もの思いにふけるあまり自分が迷子になっていたことにようやく気づいた。
「あ、ああ。まあ、そんなに大ゲサなものじゃない。ここも久しぶりだからな。少し歩きたかっただけだ」
「支社まで、ご案内いたしましょうか?」
「ああ。では、頼もうか」
 社長に恥をかかせては大変、と考えた警備兵はできるだけさりげなく援助の手を差し伸べたつもりだ。その手に気づいて、素直に受け取ることができるようになったのは、ルーファウス的には大進歩である。普通の人間には何でもないことだと思うぞ、と。レノがいたら、きっとそう言うに違いない。
「お前、名は?」
 美貌で名高い新社長と並んで歩くだけでも大層な緊張を強いられていた警備兵は、いきなり話しかけられてすっかりパニックに陥った。
「あっ、あの! こんな間近で社長を見ることができて、自分はとても幸せであります!」
「いや、私が訊いているのは――」
「社長のことは、副社長時代によくコスタ・デル・ソルでお見かけしました。ここの警備につく前、自分は運搬船に乗り組んでいまして。ヘリポートで乗り込まれるところを、遠くから眺めていたんです」
 どうも、話を全て聞いてやらないと私の言葉は耳に入らないらしいな。ルーファウスは肩をすくめると、支社までの通路をのんびりと歩くことにした。どうせ、支社に着いたところで仕事があるわけでもない。急ぐ理由は何もなかったし、真っ赤になって自己紹介している兵士を見ているのも、なかなか興味深かったのだ。
「いつも、思ってました。自分とそう年も変わらないのに副社長だなんてスゴイや、って。それに、ヘリの整備をしている友達が言ってました。『ルーファウス様は、あの暑い中、周りがみんな大汗かいているっていうのに、一人涼風を受けてでもいるかのように白のスーツを平然と着ていらっしゃるんだ。汗ひとつかかずにね。きっと、他の人間とは身体の出来が違うんだろうな』って。本当に、そんな気がします! 髪だって、とてもキレイなブロンドだし、瞳も真っ青で。あ、でも、ソルジャーの目の色と違ってコワくないっていうか、その――」
 放っておけばコイツ、私にプロポーズしかねないぞ。そんな冗談が思い浮かんだほど、兵士の自分を見るまなざしは真剣である。いまさらながら、ツォンの言葉が重くのしかかる。
「あなたは、私達社員が忠誠を捧げるにふさわしいことを示さねばなりません。あなたは、鏡です。鏡が歪んでいては、映る像は醜いものになってしまう。どうか、それをお忘れなきよう――」
 私はカリスマ性だけで神羅カンパニーを統率しているというわけか、いまのところは。だが、いつか変えてみせる。企業体質を、個人の資質に頼らなくてもいいように。一人の気まぐれが世界を滅ぼしかねないような、こんなバカげたシステムを。セフィロスも、クラウドも、二人とも全くわかっていない。この世界を誰よりも変革したいのは、この私だ――。
「社長? どうかなさいましたか?」
 気づけば、支社のゲート前に着いていた。
「ご苦労だったな。道中、面白い話を聞かせてくれて。おかげで、退屈しなかったぞ。ほら、特別ボーナスだ。受け取れ」
「これは、マテリア……! よろしいのですか!?」
「たいしたものじゃないがな。『チョコボよせ』のマテリアだよ。多少『運』がよくなるかもしれないな?」
「ありがとうございます! 一生、大切にします!」
「まあ、それもいいが。分裂したら、古い方は土にかえしてやってくれ。もともと大地から無理矢理引き出したものだし――な」
「わかりました。きっと、そうします!」
 鷹揚に手をふって、オフィスへと歩み去ったルーファウスを、この兵士は生涯忘れることはないだろう。たとえルーファウスの方で、翌日には忘れ去っていたとしても。
 大地が揺れ、空からは星が墜ち、世界が破滅するのではないか、と思えるような目に遭おうとも……。