Tea Break


「どうして、そこで無視しないのよ」
 授業が終わったあと、鍋を洗いながらハーマイオニーが憤然としてハリーに言った。それに対して、ハリーはロンと顔を見合わせ「だって、なあ」と言葉を濁し、ブツブツ呟く。
 それは、魔法薬学恒例の「グリフィンドールは減点!」というスネイプの宣告が、必ずハリー絡みなのに思わず苛ついた、ハーマイオニーの率直な思いだった。
「スネイプはあなたを憎んでいるんだし、マルフォイのことはお気に入りなんだから。何かあったら、あなただけがとばっちりをくらうのなんて、いい加減わかりそうなもんよね」
 もう信じられない! いまこの時間だけで、五点も減点されるなんて!
 金切り声で叫ぶハーマイオニー。同寮生は、毛を逆立てた猫状態の彼女に誰も話しかけられない。使った道具を洗って元に戻し、恐ろしい勢いでかばんに本を詰め込むと、ハーマイオニーは靴音も高く出ていった。途端に、ふうっと息をつくハリー。気にするなよ、とすかさずシェーマスが声をかけてきた。
「スプラウト先生の授業で彼女が稼いだ点、これでチャラだからな。ま、彼女にすればお腹立ちになるのも、無理ないかもな」
 俺だってスネイプには睨まれてるって。鍋溶かしたり、爆発させたりしてな。
 ハリーをなぐさめようとしたのか。シェーマスはそう言うが。
(でも、君の失敗は一緒に組んでるネヴィルに原因があるんじゃ)
 喉まで出かかった言葉を飲み込み、ハリーはあいまいに笑った。そんなことを言ったら、ただでさえスネイプを怖がるあまり萎縮して、魔法薬学の時間には必ずヘマをやらかすネヴィルを追い詰めてしまう。
「彼女には、あとで謝っておくよ。これからは、もっと気をつけるって」
「君はそう言うけどさ。ハリー、スネイプの君いびりはハンパじゃないぞ。明らかにおかしいよ。なあ、先生と何かあったのか?」
「それが、何も身に覚えがないんだ。何かしたのなら、謝るんだけど」
 首を捻るシェーマスに、ハリーは首を横に振るばかりだった。暢気者のロンが、そこで口を出す。
「スネイプは、誰にでもああなんだよ。スリザリン生だけに甘いんだ。兄さん達も、あいつには酷い目に遭ってるってさ。あいつ、ハリーのこと妬んでるんだ。きっとそうだよ」
「いい年した大人がか?」
 それも何だかなあ。ますます首を捻るシェーマスだったが、ロンの「スリザリンの奴らは、みんなひねくれてるんだよ。スネイプといい、マルフォイといい。あんなのばっかじゃないか」という言葉を聞いて、それもそうだなとうなずいた。
「要するにお前、完全に目を付けられてるってわけか。災難だよな」
 可愛い女の子なら、いざ知らず。スネイプじゃなあ。ま、気を落とすなよ。ほらほら、ウッドがお待ちかねだぜ?
 どんよりとするハリーに、シェーマスとロンが努めて明るく笑った。
 ハリーは、入学した夜のことを思い出していた。教員達がずらりと居並んだテーブルから、強烈な視線を感じたあの時のことを。大きな紫色のターバンをしたクィレルと、何やら話をしていたスネイプ。彼に見つめられた瞬間に、額の傷が痛んだのだ。それは、一瞬の激痛だったが。到底忘れられるものではなかった。
「本当に、何で憎まれてるのか。こっちが聞きたいぐらいだよ」
 ぼやくハリーが足取りも重く教室を出ていくのを、ロンはお手上げだねと言いたげに肩をすくめて見送る。
「要は、スネイプに減点させるスキをやらなきゃいいんだよな」
 うーんと唸るディーン・トーマスだったが、シェーマスに「それは無理だろ。あいつ、ほとんど無理矢理ハリーにケチ付けてるじゃないか」と言われて、更に唸る。
「少なくとも、減点の幅を小さくすることはできるんじゃない?」
 大した名案も浮かばないまま、ウンウン唸り続けている男子学生達に、様子見をしていたパーバティ・パチルが話しかける。
「またえらく後ろ向きな提案だな、そりゃ」
 気が抜けたのか。ディーンがあくびをしながら呟く。それに対して、パーバティは口を尖らせた。
「あら。この際、減点されないようにするなんて不可能だわ。だったら、次善の策を取るべきよ」
「はいはい。あー、やれやれ。その言い方、グレンジャーにそっくりだぜ? いまにうちの寮中の女の子があいつみたいになるんじゃないかって、時々心配になってくるね。口癖とか口調って、移るもんなあ」
「うわっ。そんなの最悪だよ。頼むから、カンベンしてくれ」
 思わず悲鳴を上げたロンに、その場のグリフィンドール生がみんな笑った。その楽しそうな様子が、面白くなかったのか。やはり後片づけで残っていた、気の強いスリザリン生のパンジー・パーキンソンが人を小馬鹿にした声で同寮生に話しかけた。
「あの人達ったら、無駄なこと話し合ってるわよねえ。別にポッターがドラコに突っかからなくたって、どうせ誰かがヘマをしでかすに決まってるのに。ほら、あのチビでデブの泣き虫とかね」
 これを聞いて、パーバティが振り返る。
「ちょっとあんた、いまの言葉。聞き捨てならないわね」
 鋭い声にパンジーは同寮の女子学生と顔を見合わせたが、すぐに言い返してきた。
「だって、本当のことじゃない。グリフィンドールの魔法薬学減点トリオって言ったら、ハッフルパフやレイブンクローの連中にだって有名だわよ?」
 キャハハハハッと金属的な笑い声を残して、パンジー達は出ていった。いまや、部屋に残っているのはグリフィンドール生数名だけだ。
「減点トリオって、何だよそれ?」
「ロンはハリーともハーマイオニーとも仲がいいから、みんなが言わないだけだよ。その話なら、俺も聞いた」
 お前は? とディーンがシェーマスに尋ねると、シェーマスは「知らないわけないだろう?」という顔をしてパーバティを見た。
「出しゃばりグレンジャー、うすのろロングボトム。それに」
 後ろの方にいたラベンダー・ブラウンが後を続けた。
「サンドバッグのポッター、よね。みんなが言ってるわ。スネイプ先生は、ハリーがまばたきをしても気に入らないんだろうって。しまいには、息をしているのが気に入らない。グリフィンドールは十点減点! だなんて言いかねないって」
「みんな、よく見てるなあ」
「ちょっと、シェーマス!」
 感心してる場合じゃないでしょ。このままじゃ、いくら他のところでがんばっても、それを全部スネイプに台無しにされちゃうじゃない。何とかしないと! と、パーバティが睨み付けた。
「まあなあ。上級生が稼ぐ点数を、俺達一年生が片っ端からチャラにするってのも具合が悪いしな」
「減点の幅を小さくする、ねえ。何か思い付くか、ロン?」
「急に言われても……。ディーンこそ、何かないの?」
「あったらとっくにハリーに言ってるよ」
「で、話は最初に戻るわけ?」
 もうじきお昼よ。そろそろ食堂に行かない? そうラベンダーが切り出すと、ロンが真っ先に賛成! と元気良く立ち上がった。
「こんな、暗くて湿っぽい所で相談してるから、いい考えが浮かばないんだよ。食事のあと、寮の談話室で話そうよ。あそこなら居心地がいいし」
「そうね。それに、スリザリンの奴らに嫌味を言われないですむし」
 私も賛成。パーバティが、ラベンダーの袖を引っ張って「行きましょう」と立ち上がった。それを合図に、残りのメンバーも席を立つ。
「あれ? そういやハリー、ウッドがお待ちかねって。食事まで、あと三十分も無いぜ?」
「ああ。知らなかったのか、ディーン。今日の午後は、授業が無いだろう? だから、クィディッチの特訓だってさ。さっき出ていったのは、その打ち合わせ。ほら、あいつ、秘密兵器だから。練習してるとこ見られちゃマズイだろ?」
 有名人は、いろいろ大変だよなあ。笑って歩き出すシェーマスだったが、ロンとディーン、パーバティとラベンダーはお互いに顔を見合わせて、はあっと大きくため息をついた。

 午後。ハリーは予定通り、クィディッチの練習で外に出ている。ハーマイオニーは、図書館で勉強だ。
 というわけで、五人は談話室でヒソヒソ話の真っ最中である。
「あれっ? そういやネヴィルは?」
 ディーンが今更のようにあたりをきょろきょろと見回している。寮は五人部屋で、ハリーとロン、ネヴィル、ディーン、シェーマスは同じ部屋だった。
 さっき、食事の時には見かけたよ。僕らは割と遅かったから。先に食べてたみたいだったな。そのあとは、知らない。
 ロンがそう言った時。パーシーが、大量に本を抱えて談話室に入ってきた。そのまま階段を上がって行こうとして、弟に気づいたらしい。「何をしてるんだ?」と声をかけてくる。
「それ全部読む気?」
 分厚い本の数々に、うへえ、とロンの顔が歪む。
「当たり前だろう。それより、お前こそ遊んでばかりいないで、ちゃんと勉強しろよ。あのがんばり屋のマグルの女の子を、お前も少しは見習ったらいい」
 自分の言葉がやぶへびだったことに気づいたロンは、ますますげんなりした顔になった。
「ハーマイオニーの勉強好きは、ちょっと異常だよ! 普通さあ、朝から晩まで暇さえあれば図書館にこもってるなんて。そんなの、誰もやらないよ」
 一緒にされては迷惑と、必死のロン。そんな弟に、パーシーはそんなことないぞとあっさりと否定した。
「ハリーはクィディッチの練習に慣れなくて、いま大変なんだろうさ。だから、他のことが少々お留守になるのも無理はない。だからと言って、お前が勉強しなくていい理由にはならないぞ。わかるな、ロン?」
 別に、勉強してるのはハーマイオニーだけじゃない。いま図書館でマルフォイを見かけたけど、割としょっちゅう見てるぞ?
「ハーマイオニーが目立ちたがり屋だから、わかりにくいけどな。お前が悪口考えてる間に、マルフォイは黙って勉強してるってことだよ。それがわかったら、あまり奴に突っかかるんじゃない。他寮の上級生の間では、結構評判いいんだ。レイブンクローの主席の子も、褒めていたしな」
 父さんや母さんを心配させるような真似だけはするなよ。弟にお説教を垂れると、パーシーは私室へと去っていった。面白くなくてむくれるロンに、そう言えば、とパーバティが話しかける。
「レイブンクローやハッフルパフの女の子達の中には、結構ファンがいるみたいよ」
「誰の?」
「決まってるじゃない! マルフォイよ」
「私も『授業一緒なのがあるなんて、羨ましい』って言われたことあるわ。まあね。遠くから眺めてる分には、いいのかも」
「ハッフルパフの女の子なんて、嘆いてるわよ。食事の時、ハッフルパフって一番右側じゃない? マルフォイはいつもハッフルパフに背中向けて座るから、絶対顔が見えなくて悲しいって。他の寮の子が、羨ましいって」
 信じられない。嘘だろうと椅子からずり落ちるロンに、そういや俺も……とシェーマスが追い打ちをかけた。
「あいつ、親父がここの理事だろう? そのせいもあるんだろうけど。スリザリンじゃ上級生達が、あいつをハリーから守れっていうんで話し合いをしたとか聞いたな」
「寮生代表みたいなもんだからな。こっちがハリーなら、あっちはマルフォイ。また、焚き付けなくても本人達がいがみ合ってるし」
 うんうん、とうなずいて、ディーンは伸びをする。
「その点、俺達一般人って気が楽だよなー。な、シェーマス?」
「そうそう。他の寮生とも、何だかんだで話してるし」
「そういや、ハリーがグリフィンドール生以外の奴と話してるの、見たことない気がするな」
「こう言っちゃなんだけどさ。ロン、ハリーっていつも君と一緒だよな。それはいいんだけど、他の寮生がこぼしてた。『ハリーと友達になりたいのは、何もウィーズリーだけじゃないのに』って。まあ、妬み半分で言ってるんだろうけど。半分は、本音じゃないかな」
 思わぬシェーマスの言葉に、ロンが目をぱちくりさせた。
「えっ、何だよそれ! 僕がハリーを独占してるって言いたいの?」
「うーん。思わず声かけるのをためらうほど、君達が仲がいいって言いたいんじゃないの? その気持ち、俺にもわかるしな」
 もう、一体何なんだよ。それって、ハリーが友達を作る邪魔を僕がしてるってことじゃないか。そんなつもり、僕には全然無いのに!
 ショックを受けているロンに、パーバティが慰めともつかないことを言った。
「私も同じ寮じゃなかったら、多分同じこと思ってたわ。でも、そんな風に思われてるの、ハリーだけじゃないしね」
「ハリーだけじゃないって、他にいるの? みんなが声かけたくて、でもできなくて、遠巻きに眺めてる奴」
「あなたって、本当にわかってないのねえ。だから、マルフォイもそうなのよ」
 この言葉は、ロンの理解を超えていた。今度こそ、ロンは頭を抱えて呻いている。それを見て、ラベンダーが気の毒そうに呟いた。
「わかってなかったのね……」
「ちょっと話してみたい有名人二人が、ああ派手にケンカしてちゃね。どっちにしても、見てる方は引くわよ、そりゃ」
 パーバティが、男の子ってこれだから。鈍くて困るわよねえと、ラベンダーに向かって肩をすくめた。
「男の子達はハリーと遊びたくて、女の子達はマルフォイと話をしてみたくて。それで、結局二人の周りには、いつも人だかりがしてるのよね。わかってないのは、本人達。それに、ロン。あなたもね」
 ラベンダーにこう言われては、ロンは返す言葉もない。
「言っとくけど、マルフォイのボディーガード二人は、ああ見えて気を遣ってるとこあるわよ。それが証拠に、彼、他寮の上級生の中に知り合いいるもの。呼べばすぐに駆け付けられるけど、視界には入らない。そんな絶妙の距離で待機してるのよね。私、踏み台に乗っても手が届かない本を彼が上級生に取ってもらってるの、見たもの。あのネクタイの色、レイブンクローだったわ。にっこり笑って『ありがとうございます』なんて言うから、びっくりしちゃったのよ。でも、それで気づいたのよね。そう言えば彼って、スリザリン生がいない所じゃ雰囲気違うって。あれ、やっぱり同寮生から相当煽られてるんだと思うわ。だから、例え彼がハリーと仲直りしたいと思っても、周りが許さないでしょうね。本人も、恐ろしくプライド高いし。自分からは、歩み寄らないと思うわ」
「それに、友達になりたくて手を差し出したの、マルフォイの方だったんでしょ? それをハリーが嫌だって言ったのが、そもそもの始まりですもの。マルフォイにしてみたら、引っ込みつかないの、当たり前だと思うわ」
 ね? と言って、ラベンダーはパーバティとうなずき合う。そして、パーバティはロンにまくし立てる。
 そんなわけで、さっきパーシーが言ってたことは本当だと思うわよ。あなたのお父さんはマルフォイのお父さんと天敵だって聞いたけど、あまりケンカしない方があなたのためだと思うわ。新入生でも、魔法使いの家の子はともかく。マグルの家に生まれて育った子は、マルフォイのお父さんの黒い噂なんて知らないんだしね。本人だけ見てる分には、むしろ進んでお近づきになりたいと思わせるようなタイプじゃない? 彼。
「黙っていれば、っていう条件付きだとしてもね」
 ハリーも相当キツイけど、マルフォイの毒舌って、ちょっと他人が真似できないわよねえ。あれ、まさか日夜研究してるわけでもないでしょうにね。
 パーバティは笑い出したが、ロンは笑うどころの騒ぎではなかった。あいつと友達になりたいだって? 嘘だろう! とブツブツ言っている。
「彼、鏡みたいに反応するんでしょうね、きっと。自分に好意を抱いている人には、結構甘えそう。そう思わない、パーバティ」
「それがスネイプなのが、ハリーの運の尽きってカンジよね」
 どんよりとパーバティが言うと、ディーンが混ぜっ返した。
「ハリーの、じゃなくてこの寮の、って域に達してるよ」
 すると、シェーマスが突っ込みを入れた。
「じゃあさ、ハリーがもしマルフォイと仲良かったら、マルフォイがスネイプに取りなしてくれてたわけ?」
 いまや絶対にあり得ないことだったが、実はスネイプの減点攻撃にはそれが一番効果があるのではと、他の四人は一斉に暗い表情でうなずいた。
 気持ちの良い、秋のある晴れた日の午後。金色の日射しが窓から降り注いで、室内に柔らかな影を作り出している。
 だが、円形の部屋には、絶望に彩られた盛大なため息が上がるばかりだった。


= END =

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