苦手なあいつ


1.
 僕はここに来るまで、ダドリーが世界中で一番嫌な奴だと思っていた。
 ところが、驚いたことに。世の中って本当に広い。ここには、もっと嫌な奴がいる。
 初めて会った時から、あいつの印象は最低だったけど。知れば知るほど、ますます嫌いになるなんて。自分でも不思議な位だ。
 黙っていれば、お人形さんみたいに綺麗な子なのに。ちょっとでも口を開けば、嫌味に皮肉、立ち直るのに時間を要するほどの毒舌を吐く。僕との会話では、あいつにとってせせら笑いと薄ら笑いとが必要不可欠らしい。
 何かと言えば、スネイプの陰に隠れる。魔法薬学の授業では、あいつはしたい放題だ。僕達にいたずらを仕掛けるのはあいつ、それで反撃に出ようものなら、怒られて減点されるのは僕達グリフィンドール生。特に僕。
 こんな割の合わない話って、ある?
 いくら怒っても、同寮生は「我慢だ、ハリー」と言うばかり。冗談じゃない!
 悪いのは、あいつ。僕は何も悪いことをしていない。そうだろう?
「うん。でもさぁ、ちょっとはマルフォイのこと、可哀想だなとか思わない?」
 シェーマス。君、何を言い出すの?
「あなた達って本当、お子様よね。どうでもいいけど、これ以上騒ぎを起こすのはご免よ。ハリー、いい加減にして」
 そういう君だって、スネイプには減点くらってるじゃないか。出しゃばるなって。何で僕にそんな顔をするんだい? ハーマイオニー、眉尻上げて怒らないでよ。
「行こう、ハリー」
 ロンが腕を引っ張った。僕はむしゃくしゃした気分で、かばんを肩に担ぎ上げた。

「来年から、魔法薬学を勉強しなくて良かったらいいのに」
「無茶言うなよ。これは基礎科目だから、卒業まで授業あるよ」
「気の滅入ること言わないでよ、ロン。あーあ。せめてスリザリンと一緒の授業じゃなきゃ、まだ我慢できるのになあ」
「それは僕も思ってるさ。大体、スリザリンには可愛い子がいるわけでもないし。どうしてハッフルパフやレイブンクローと一緒じゃないんだろうなあ」
 パーバティの双子の妹は、レイブンクローだけど。他にも可愛い子、結構いるみたいだぜ。ロンがそう言った時、僕はあいつの顔が頭に浮かんだ。
「いなくはないんだけどね」
 性格に恐ろしい難点がある上に、あいつは男だけど。でも、少なくとも可愛いのは学年中一番じゃないのかな。
 あいつが僕に言いがかりを付けてくる時。大広間や、玄関ホールや廊下で。その高く澄んだよく通る声に、通りかかる子が次々に足を止めて。ひそひそ話をしながら、みんなあいつに見とれてる。
 あいつは、父親がちょっとした有名人だったらしい。闇の陣営、あのヴォルデモートの側に与していた魔法使いの一人だったとかで。道理で。あいつとは、気が合わないはずだ。
「いなくはないって、えっ? まさかそれ、マルフォイのこと?」
「あいつ、顔だけはいいからね」
 他は最低だけどな。僕が吐き捨てるように言った時、噂をすれば影が差すとは、よく言ったものだ。マルフォイが、いつもの護衛二人を従えて僕の行き先を遮った。
「やあ。慣れない高級品の箒から落ちて、ケガでもするんじゃないかと思ったけど。まだ大丈夫みたいだね?」
 あいつの顔には、いつものニヤニヤ笑い。全く、見るだけでムカつく。
「そういうマルフォイこそ、相変わらずお供を引き連れてふんぞり返っているんだね。そんなに気になる? 身体が小さいこと」
「黙れ、ポッター。言葉には気をつけろ」
 途端に、あいつの頬に赤みが差した。図星だったのか。
「お前と違って、ハリーは百年に一度の天才なんだ。そんなヘマするもんか」
 ロンが負けじと言い返した。クラッブとゴイルが、ポキポキと指を鳴らす。一触即発。
 そこへ、ハッフルパフ寮監のスプラウト先生が通りかかった。僕達が睨み合っているのを見て、先生は顔をしかめた。
「あなた達、まさかケンカをしているところじゃないでしょうね?」
「違います、先生」
 異口同音に答えた僕とマルフォイに、スプラウト先生は疑わしそうな眼差しを向けたが、やがてマルフォイに向き直って話しかける。
「あなた達、もし良ければ。次の授業で使う鉢植えを運ぶのを、手伝ってくれないかしら?」
 もちろん、構いません。喜んでお手伝いします。マルフォイは、お得意のいい子ぶりな笑顔で先生に答えた。隣では、ロンがそれを見てけっ! と白けた顔をしている。
 スプラウト先生の後について歩き出したマルフォイが、一瞬僕達を振り返って見た。その顔は、ついさっき先生に見せた極上の笑顔ではなく、いつものせせら笑いを浮かべていた。
「毒触手草に噛まれて、うんと手が膨れ上がるといいんだ、あんな奴」
 うんざりした様子で、ロンは顔をしかめる。僕は僕で、何故スプラウト先生は僕とロンではなく、マルフォイ達に手伝いを頼んだのだろうと考えていた。
「ねえ、ロン」
「何? ハリー」
「スプラウト先生って、マルフォイのことお気に入りなのかな」
「ハリー? 急に何言い出すんだよ。あいつを気に入ってるのは、スネイプだけだろ?」
「うん。いま先生、マルフォイ達に頼んでいたから。ちょっと、気になって」
「そりゃあ、あっちは荷物持ちにピッタリなのが二人もいるじゃん。だからじゃないの?」
 ああ、そうか。それはそうだね。笑い出した僕に、ロンが言う。ハリー、君は何でも少し考え過ぎじゃないの? と。
「そうかもね」
 裏表のないロン。君と話していると、余計な神経を遣わなくてすむからありがたいよ。そういう意味で、マルフォイと話すのは気が張る。馬鹿にされたくない。あいつが口に出した言葉に裏の意味があるんじゃないかと、とっさに考えてしまう。
「それより、次の授業の教室に早く行こうぜ。また階段に動かれて遅刻になったら、今度こそ減点ものだよ」
 ポンと肩を叩かれた僕は、ロンが友達で本当に良かったと思った。僕はいままで、友達がいなかった。僕自身が嫌われていたわけじゃなかったけど、僕と仲良くするとダドリーやその仲間達に苛められるので、誰も僕と関わろうとはしなかった。言うならば、僕は疫病神だと思われていた。物心ついた時からそうだったので、あきらめていたけど。でも、本当はずっと寂しかった。
 僕だって、みんなと遊びたかった。家に招いたり招かれたりして、騒ぎたかった。それは、絶対に許されないことだったけれど。
 ところが、ここでは僕は何をするのも自由だった。生まれて初めて得た、完全な自由。もちろん、校則や寮の規則はあるけれど。それは、僕達生徒の身を守るためのもので、決してダーズリー家で味わっていたような理不尽なものでは無かった。
 夢のような、幸せな毎日。これでスネイプの授業が無くてマルフォイがいなかったら、僕は天にも昇る心地だったろうに。
「世の中、そう上手くはいかないよな」
 駆け出したロンのあとを追いながら、僕は低い声で呟いた。

 その日、夕食の席にマルフォイはいなかった。クラッブもゴイルもいるのに、何であいつだけがいないんだろうと、僕は少し不思議に思った。
 隣のロンは、あいつがいないことにも気づいていなかった。僕に「そういや、マルフォイいないよな」と言われて、初めて気づく有様だった。
「あいつの顔見なくてすんで、ラッキーじゃん。食事がおいしくなるってもんだよ」
 ロンはそう言うけど。いつも見慣れている顔が無いのは、僕には気になる。だからとはいえ、まさかあいつらに尋ねるわけにもいかないし。
 僕はここへ来て、初めて夕食にデザートを食べなかった。
「あれっ? ハリー、お菓子食べないの?」
 周りから、一斉に声がかかった。食欲が無いなんて、どこか具合が悪いんじゃないか。医務室へ行って、マダム・ポンフリーに診てもらった方がいいぞ。クィディッチの練習で疲れてるんなら、早く休んだ方がいいよ。そんな風に、みんなが口々に心配してくれた。とても嬉しかったけど、何で食欲が湧かないのか、自分でもわからなかった。
 僕はみんなにありがとうと言いながら、スリザリンのテーブルの空席を見つめていた。
 次の朝。やっぱりマルフォイはいなかった。食事にも出て来られないほど、具合が悪いのかな? 別れた時は、元気だったのに。
 僕は機械的に食べ物を口に運んでいる自分に気づいて、驚いた。いつだって、食事をするのは楽しくて、何を食べてもおいしくて。食事が上の空になることがあるなんて、自分でも思ってもみなかった。
「ハリー、どうしたの。何だか、ぼんやりしてる。やっぱり、具合悪いの?」
 気がつけば、ロンが心配そうに僕の顔をのぞき込んでいた。同室のシェーマスやディーン、ネヴィルまでが同じように僕を見ている。
「あ……。違うよ、ロン。ちょっと、考え事をしていただけだから。大丈夫」
 どうかしている。あいつが、二食続けて大広間に顔を出さなかっただけで、こんなに気になるなんて。でも……。
「何だか天気が悪いけど、午後の飛行術、大丈夫かなあ?」
 マフィンにママレードを塗りながら、ディーンがシェーマスに話しかけていた。
「小雨なら授業やりそうだけどな。ただ、今日は風が強いからどうだろうな。雨より横殴りの風の方が、俺達みたいな超初心者には危なくねえ?」
 雨で箒の柄を握る手がツルッと滑って、そのまま落っこちるっていうのも有りだしなあ。シェーマスの言葉を聞いて、飛行術の授業が大の苦手のネヴィルが、真っ青になった。
「馬鹿なこと言わないで。そんな危ない時に、授業を強行するわけがないでしょ。多分、今日の飛行術は休講になるわ」
 ハーマイオニーはそう言うと、ローブのポケットからスケジュール帳を取り出して「何を予習しようかしら」と、真剣な目でブツブツ呟きながら各教科の進度表と首っ引きで悩んでいる。
「予習 !?」
 絞め殺されそうな声を上げたロンに、ハーマイオニーは「当然でしょ」と平然と答えた。いかにも彼女らしいやと、僕はクスッと笑った。
「あら、ハリー。朝ご飯を食べて、少しは元気が出た? もし休講になったら、よければ一緒に図書館に行かない? ロン、あなたもよ。このままだと、あなた魔法史で落第点取るわよ。いまからちゃんとやっておけば、試験前にあわてなくてすむでしょ?」
 勉強するのは楽しいとは言えないけど、ハーマイオニーがせっかく誘ってくれてるんだし。断るのも悪いと思って、僕はうん、いいよと答えた。
「ハリー、冗談だろ !?」
 考え直せよ。学期が始まったばかりなのに、せっかくの自由時間を勉強するだなんて! そんな弟の叫びを聞き付けたのか、パーシーがやって来た。
「飛行術の授業をやるかどうかは、昼休みに決まるから。一年生は、談話室の掲示板を見るのを忘れないように。いいね?」
「彼女と勉強する位なら、雷雨の中を飛んだ方がましだよ」
 呪いの言葉でも吐くかのように、どんよりと呻いたロン。パーシーは、弟の言った言葉を聞き逃さなかった。
「どうした、ロン。休講になるのが、そんなに悲しいのか?」
「ああ、悲しいよ。それより、どうしたの。それだけの用なら、何もわざわざ食事時にテーブルを回ったりしないだろ?」
 ハーマイオニーとパーシーの二人がかりでお説教されては大変と、ロンはあわてて話題を変えようとした。パーシーは一瞬、弟をじっと見た。何か言いたそうな顔だったけれど、まあ、いいかといった雰囲気で首を振り、僕達一年生の面々に視線を流した。
「ロンは大丈夫なのを僕が知っているから、問題無いとして。ハリー、ディーン、ハーマイオニー、君達はマグルの家の出だし、シェーマス、君はハーフだ。だから、関係ない」
 そう言うと、パーシーはスッと僕達のところを通り過ぎていった。何だったんだろう? 今度は、ネヴィルに何か尋ねている。
「ハーフだから関係ないって、パーシーは何を知りたかったのかしら?」
 まだ食事が途中だというのに、パーシーはネヴィルを引き連れて、急ぎ足で大広間を出ていった。
「さあね」
 ハーマイオニーの疑問に、僕達は誰も答えられなかった。ロンは暢気な声で「僕らには関係ないって言ってるんだから、それでいいじゃん」と言い、ベーコンを口に運んだ。
 何かが神経に引っかかった。残念なことに、僕にはそれが何なのか。どうしてもわからなかった。この、知りたいことがわからなくて、もやもやとした感じ。気分が悪かった。
 僕は残りのトーストをかじると、ちょっと部屋で休んでから教室に行くよとみんなに告げて席を立った。
 ――マルフォイは、とうとう姿を現さなかった。



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