Spicy Hot chocolate


 ずっと根を詰めて勉強をしていたルーファウスが不意に手を休め、大きく伸びをした。
 その側で自分の仕事――例によって調査報告書の作成だ――をしていたツォンが、同時に顔を上げる。
「大分がんばっていらっしゃいますね。お疲れでしょう。ココアでも召し上がりますか? 体が暖まりますよ」
「そんな甘ったるいモノはいらない」
 間髪を入れずに答えるルーファウス。お前はすぐに僕を子供扱いするんだなと、恨めしげな顔でツォンに向き直る。
 これは失敗だったなとツォンは苦笑し、すぐに大真面目な顔で言い直す。
「では、ホットチョコレートをご用意しますか?」
「……頼む」
 レノがいたら、間違いなく「どう違うんだぞっと?」と首を捻りそうな会話だった。
 二十歳になれば、ルーファウスは副社長に就任しなくてはならない。いまはまだ各部門を見て回っているが、その日はすぐに訪れるだろう。そうなれば、日々の業務に追われて好きなこともできなくなるだろう。その前に。
 ――そんな思いがあるのだろう。このところ、ルーファウスはこうして69階の彼専用のプライベートルームで、毎晩遅くまで書類と格闘していたのだった。
 それに対し、ツォンは別に何の用も無く、役員専用フロアの中の特別エリアにあるこの部屋でルーファウスが危険に晒されることなどないはずだが、当然のことのように仕事を持ち込み、ルーファウスが眠るのを見届けて去って行く。
 ルーファウスもルーファウスで、ツォンの日課を当然のように受け入れ、何の疑問も感じていないらしい。
「少しお待ち下さいね。作ってきます」
 素直に欲しいとは言えないルーファウスだが、その精神構造はかなり単純と言えた。
 背伸びしたいのはわかりますが、そんなに焦って大人になる必要などないのですがね……。副社長になれば、あなたは否応でも醜い現実に向き合うことになる。それがどれほどあなたを悩ませ、苦しめることになるか。
 結果として、あなたは成長なさるのでしょう。ですが、私にはあなたが血の涙を流す姿が見えるのですよ。わからないのは、恐らくあなただけ。
 ――あなたご自身が疎ましく思っている「子供っぽさ」を、私やリーブ部長がどれほど大切にしたいと思っていることか。
 ツォンは作成中の文書を保存するとノートパソコンの電源を切り、キッチンへと向かった。

「熱いですから、気をつけて下さい」
「ああ。ありがとう。―― !?」
 一口飲んだルーファウスが、目を白黒させている。それを見たツォンは思わず吹き出した。
「そんなに驚かれるとは思いませんでしたよ。――どうです、お味は?」
「なっ、何で胡椒なんか入ってるんだよ !? びっくりするじゃないか!」
「おや、ココアなんて子供の飲み物だ、と言われたのはルーファウス様では? というわけで、大人用にアレンジしましたが。いけませんでしたか?」
「……まずくはないぞ。最初は驚いたから……うん。これはこれで美味しいと思う」
 でも、やっぱり普通の方がもっと美味しいと思うけどな、と笑い出す。それに対し、ツォンが優しく微笑んで答えた。
「春には花を、冬には雪を。朝には昇る陽を、夜には星空を。全て物事には時季というものがあり、それは人も同じです。生き急がないで下さい。それと、すぐにあなたは知恵と知識を追い求めたがる。知恵を増す者は悩みも多くなり、知識を増す者は憂いが多くなる。人は、母の胎内にいる時が一番幸せなのかもしれませんね……」
「ツォン、お前……いや、何でもない」
 ルーファウスは、黙ってココアを飲んでいた。リーブも時折同じ事を言う。生き急ぐところまで、自分が母親似だと。見ている方は心配でならないのだと。
 ルーファウスはそんなことはないと言いたげに首を振った。そして、カップを机に置いて窓辺に立つ。
「魔晄都市ミッドガルか。こうして上から眺めていると、恐ろしくキレイだな。現実の物とは思えない位に」
「いずれあなたがこの全てを手にすることになるのですよ。この地に住む者の命運を握るのは、あなたです」
(――自らの運命を知らないで歩む人々か。その地上の灯の、何と危うく美しいことだろう)
 ルーファウスの沈黙を、ツォンはどう捉えたのか。いつまでもそちらにいると冷えますよ、と声をかける。
「お前、ホントに世話焼きだな」
 クスッと笑ったルーファウスに、ツォンは苦笑する。
「あなたがご自分のことを構わなさすぎるんですよ。大体、今日が何の日だか。それも忘れていらっしゃるんじゃありませんか?」
「何の日って?」
「……誕生日でしょう? やっぱり覚えていらっしゃいませんでしたね」
「あ……!」
「今日はもう遅いですから、どうにもなりませんが。もしよろしければ、明日はミッドガルを出て息抜きなさいませんか?」
「いいのか?」
「一日遅れですが、私からのプレゼントですよ」
「……ありがとう」
 どういたしまして、と答えたツォンがカップを片づけに行った。その後ろ姿に、ルーファウスは心の中で感謝の言葉を続ける。
(いつもワガママばかり言って、困らせてごめん。でも、お前に甘えるのが気持ち良くて、つい……)
 やがて戻ってきたツォンに、ルーファウスはあくびをしながら言う。
「今夜はもう休む。お休み、ツォン」
「お休みなさい。では、私はこれで失礼します」
 歩き出すツォンの背に、小さな声が追いかけてきた。
「ココア、美味しかった」
 一瞬立ち止まるツォン。
 ――再び歩き出す彼の顔に、ゆっくりと笑みが広がっていった。


= END =

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