6.

 釈放されたバレットは、ティファも当然一緒だと思っていた。それが、自分だけ容疑が晴れたので出されたのだと知り、係員にくってかかった。
 係員は、そんなことは自分は知らない、知りたければ捜査員にでも聞けと言って全く取り合わなかった。
「さあ、出た出た!用も無いのにいる所じゃないだろう?」
 追い立てられて、仕方なく管理局を後にする。こういう時に頼りになりそうな知り合いはレノしかいなかったので、バレットは自宅へは戻らずそのままレノを探しに街中へ行った。
 レノがどこに住んでいるかまでは知らなかったからだ。
 顔を出しそうな所をはしごする。だがその度に返ってくる答えは「あいつなら、管理局の手入れがあった時から姿を見ていないぜ?」というものだった。
「どうしたら連絡が取れるんだ?」
「おいおい。一体何なんだ?この所モテモテだな、あいつ。あんた以外にも用のある奴が
 いてさぁ。見かけたら教えて欲しいって、しつこく頼まれてるんだよなー」
「何の用だ?」
「そんなこと知らねえよ。まあ、会ったら伝えてやるよ。バレット……だっけ?」
「ああ。頼んだぜ」
「オーケイ。じゃあな」
 こんな調子だ。埒が明かない。
 さんざん街を歩き回った挙げ句、情報が何も得られなかったので諦めて家に戻ろうかと思った時。不意に、探している男の名が耳に飛び込んできた。
「――あんた、疫病管理局の主任捜査員のルードだろ?」
「そういうあんたこそ、誰?」
「……イリーナ、いい。そうだ。何か?」
「良かった!こんな所であんたに会えるなんて、俺はツイてる!
 ――なあ、あんたなら情報屋のレノと連絡つくって聞いたんだ。
 奴に売りたい物がある。至急にだ。
 頼む!俺を奴と会わせてくれないか?礼ならする。ほら」
 そう言って、男は懐から一枚のカードを取り出した。
「調べてくれればわかる。残高は、礼には十分な額のはずだ」
 全身を耳にしていたバレットだが、ここまで聞くともう我慢できず、立ち上がって彼らの間に割り込んだ。
「ちょっと待ってくれ!その話、俺も混ぜてくれないか?」
 突然のことに、一同は凍り付く。だが、バレットは手にした紙コップを興奮のあまり握り潰して叫ぶ。
「ティファがまだ奴らに捕まったままなんだ!俺は何とかして助け出したい。
 でも、どうしたらいいのかわからねえ。
 だから、俺もあいつに会ってそれを聞きてぇんだ!」
「ちょっと待って。あなたいま、ティファって言った?」
「おう!俺と一緒に捕まったのに、何でだか俺だけ釈放だとよ。
 ヘッ!そんないい加減な話があるかってんだ」
「……バレットだな。少し落ち着け。ティファが危害を加えられることはないはずだ」
「そうよ。多分手続きか何かの関係で、あなたが先になったのよ。
 管理局の事務部門は、万年人手不足だから」
 二人がバレットを宥めている間、男は不安そうに周囲を見回していたが、ここも安全だとは思えなくなったのか。
「と、とにかく。一刻も早く会いたい。頼む!」
 懇願する男の表情には、身の危険を感じて怯える人間特有の神経質さがあった。
 思わず顔を見合わせるイリーナとルードを見て、自分の話が信用できない物と思われていると感じたのか。
「何なら、先に売り物を渡してもいい。見てくれれば、これがいかに価値のある物か。
 絶対にわかってくれる」
 必死の形相で、ルードの手にマイクロフィルムを押し付ける。
「……わかった。これは間違いなく渡す。それで?
 お前に連絡を取るにはどうしたらいいんだ」
 ルードがそう言うと、ようやく安心したのか。ホッとした顔になってナプキンに泊まっているホテルの名と部屋番号を走り書きする。
「俺はここにいる。とにかく早くそいつを見てもらってくれ。
 俺はいますぐにでも、この街を出て行きたいんだ!」
「出て行くって、あなた。身分を隠しての逃亡なら、都市間高速鉄道は使えないわ。
 まさか、隣の都市まで車で行くつもり?」
 呆れたように眉をひそめるイリーナに、男はヒステリックに笑う。
「その、まさかだ。他にどんな方法があるっていうんだ?」
 フラフラと去って行く男の後ろ姿を見ていたルードは、深いため息をつく。
「……正気の沙汰じゃない」
「ホントですよね」
 イリーナは気の毒そうな顔だ。ジェノバで人口が激減した後、人々は七つの都市に寄り集まるようにして暮らしている。
 都市と都市とは都市間高速鉄道という名で呼ばれる列車で結ばれているが、防疫体制が最優先のため、IDカード無しでの移動は認められていない。
 もしある都市でジェノバの変種でも発生し、密入国者がそれに感染していたら。
 ――対策を講じる隙もなく、世界は再び滅亡の危機にさらされるからだ。
「それで?俺は連れて行ってもらえるのか?」
 自分も大男だが、彼を上回る巨体を誇るバレットに縋られて、妙な居心地の悪さを覚えるルードだ。

「次長、相当焦ってるな」
「大方、スポンサー様のご機嫌でも損ねたんじゃないか?」
 違いない、と捜査員達はどっと笑う。
「そういや、局長って……ずい分長い入院だよなあ。何の病気なんだ?」
「お前、知らなかったのか?」
 周囲の呆れた視線が、疑問を口にした男に突き刺さる。な、何なんだよ!?と動揺する同僚に、親切心のある人間がヒソヒソと耳打ちする。
「うちのタブーだぞ、それは。一回しか言わないから、忘れるなよ。
 ――ジェノバなんだよ、ボスは。だから、退院する時は死ぬ時なのさ。
 これが表沙汰になっちゃマズイのは、わかるだろ?
 取り締まる側のトップがジェノバに罹患しましたじゃ、示しがつかない」
 教えられた男の方は、目をパチパチさせている。それは、つまり……そういう危険性のあることをしたってことなのか!と言って、同僚達の笑いを再び買った。
「そ。チューブだと思った相手が、実はそうじゃなかった。
 そんな間抜けな話で死ぬなんて、俺はゴメンだね」
 それなら、相手だって無事じゃすまないだろうに。一体どういうことだか、わけがわからないよ。いま初めて事実を知った男が、首を捻っている。
 すると、仲間達は一斉に暗い笑いを浮かべた。
「ハメられたのさ、要は。何かの処理に失敗して、スポンサーの激怒を買ったらしい。
 ひと思いに殺せばいいものを、よほど腹に据えかねたんだろうな。
 スポンサーは、局長をじわじわなぶり殺しにすることを選んだってわけ」
「そりゃあ、相手も当然ジェノバになってるだろうな。
 まあ、その辺の人間拾ってきて記憶をいじったんだろうよ、多分」
「そうそう。ブレインウォッシュは、例の会社の得意技だしな」
「例の会社と言えば、もう一つ。VSSSは気持ち良くさせる機械だけどな。
 逆のことだってできるんだぜ?」
「あ……!夢枷……?あれも神羅が作っているのか!?」
 夢枷とは、管理局が容疑者に対して行う神経拷問に使う道具だ。自白の強要は禁止されているのだが、どうしても埒の明かない場合には、この機械の登場となる。
 装着された被験者は大脳の辺縁系と視覚皮質に干渉され、終わりの無い悪夢の中に置かれることとなる。
 普段は意識の底に沈めている、些細な罪。人は生き続けていくうちに、無数の他愛のない罪をその身に抱え込むものだ。その全てを掘り起こし、知覚させるというのは――。
 長時間の使用は、被験者を廃人にする危険性があるという恐ろしい代物。それが夢枷だった。
 何にせよ、あの会社に盾突こうなんて無謀もいいところだ。
 あの副社長、見かけによらず厳しいらしいからな。次長も戦々兢々なんだろうよ。
 このところ人使いが荒いよなあ。特別ボーナスでも支給してくれないと、割が合わないぜ。
 そんな噂話に花を咲かせながら、特別捜査の役割分担を相談する捜査員達。ルードがいればはかどるのに、一体何て時に謹慎処分をくらいやがるんだ、あいつは。
 そんな愚痴が彼らから漏れていることをルードが知ったら、同僚から評価されているのだと嬉しく思うのだろうか。
 あるいは、そんな胡散臭い捜査になど、協力はできない。そんな風に突っぱねるのだろうか。
 いずれにしてもいまこの場にルードはおらず、猫の手くらいには十分役に立つイリーナもいない。捜査部門はいま、目が回る忙しさだった。

 忙しいのは、追う側の人間だけではない。追われる側もまた、彼らと同じかそれ以上に忙しかった。
 ソリビジョンを面白がって眺めていたエアリスが、突然ピタリとチャンネルを変えるのをやめた。彼女がじっと見入っている画面では、社長の負傷により現在実質上のナンバーワンとなっている神羅カンパニー副社長ルーファウスが、記者団からのインタビューを受けていた。
「どうした、エアリス?」
 飲み物を持って戻ってきたクラウドが声をかけると、エアリスは小首を傾げて言ったものだ。
「私、彼を知ってる気がする。会ったことがあるような気が。
 でも、いつ?どこでなの?わからない。何故そんな気がするのか。
 でも、あの蜂蜜色の金髪。見覚えがあるの」
 それが昨日の話で、あれからずっとエアリスが何か思い出さないかと神羅カンパニーについて調べているクラウドである。
「何か手伝いが必要なら、言ってくれ。うちのモンに手伝わせるよ」
 コルネオは愛想良く笑い、協力を申し出た。何しろ一か八かの賭けなのだ。彼としては、何としてもエアリスに記憶を取り戻して欲しいところだろう。
「ありがとう。いまのところ、まだ糸口が見つからなくてさ。そのうち頼むよ」
 そう答えたクラウドに、とにかく神羅関係の情報を集めさせよう、と言ってコルネオは子分達に何やら指示していた。
「相当気合い入ってんな。エアリスの話、嘘だなんてバレたらどうなることか」
 冷や汗をかくクラウドに、腕の傷の治療のためにコルネオが呼んだ医者が話しかけてきた。
「ああ、君。あの子のことで、ちょっと話があるんだけど」
 どうかしたのかと聞き返すクラウドに、医者はお手上げだよ、とぼやいてみせた。
「私はわけ有りで正規の医師として開業できない身だから、当局に通報するような真似は
 しない。同じ女同士だし、傷のこと以外でも相談に乗るから。安心して欲しい。
 そう、何度も言ったんだけどね。絶対に手当てさせようとしてくれなくて、困っていたんだ。
 何か複雑な事情があるんだろうけど、君、どうにかしてくれないか?
 あれじゃ私は何もできない」
「エアリスが?――わかった。俺が話してみるよ」
「頼むよ。じゃあ、私は隣りの部屋で待っているから。落ち着いたら、迎えに来て欲しい」
 別に感じの悪い医者ではなく、これはエアリスに何かあるのだろうと思ってクラウドはドアをノックした。
「誰?」
 怯えた声が、エアリスの感じた不安を雄弁に物語っている。クラウドは自分一人であることを告げて、エアリスがドアを開けるのを待った。
「クラウドなの?本当に、一人?」
「ああ。だから開けてくれないか、エアリス」
 少し間があって、そっとドアが開けられた。クラウドは部屋に入るとすぐにドアを閉め、鍵をかけてやった。それを見て、ようやくエアリスは安心したものらしい。怖かったと言い、胸を撫で下ろしている。
「なあ、エアリス。そんなに怖いなんて、一体何があったんだ?」
「聞いて。クラウドがいない間に、お医者様が来たの。私の傷の治療をしてあげるって」
「それは良かったじゃないか。きちんと治療しないと、えらいことになるぜ?」
「でも!あの人、私から血を採ったのよ?」
 これは、珍しくも何ともないことだった。見た目ではその人間がプラスかマイナスかを判断できないからだ。
 ジェノバ抗体の有無をまず調べるのは、医者ならば当然のことだろう。
 それを言うと、エアリスは首を振って涙ぐむ。
「血を採られるのは、嫌……!私、いままでに何回も何回もそういう目に遭ってきた。
 よく覚えてないけど、その度にすごく嫌な思いをしたような気がする。
 注射器なんて、見るのも嫌!消毒薬の匂いも嫌い。
 何故みんな、私のことそっとしておいてくれないの?」
「エアリス、他に何か思い出さないか?
 君がそこまで言うのなら、何か大事なことなんだろう。
 記憶喪失のはずの君が、こんな風にまだらに覚えていることがある。
 これ自体おかしいと思わないか」
「クラウドは、私に何があったと思うの?」
「誰かが君の存在を消したがっている。それは君もわかっているだろう?」
 見開かれた緑の瞳が、クラウドをじっと見つめる。あなたも私と同じように、誰かから命を狙われているじゃない?
 一体誰が?私達に、どんな秘密があるっていうの。そう、小さな声で呟く。
「それは俺にもわからないよ。
 ただ、俺と違って君のことは別の誰かが一生懸命守ろうとしてる。そんな気がする」
「私の命を守るために、記憶を消した人間がいるってこと?」
「多分、君には本当に何か秘密があるんだろう。
 俺がコルネオにでっち上げた嘘はともかく」
「私……生きてちゃいけない人間なの?」
「ある人間からすればね。そして、別の人間は生きていて欲しいと思った。
 だから、記憶を消すことで君を『消した』。そう考えれば、記憶がまだらなのも説明がつ
 く。いつか君が自力で過去を取り戻せるように。
 いまは封印するしかない何かを、君は知っているのかもしれないな」
「そんな。私、わからない。何を手がかりに消された記憶を取り戻せばいいの?」
「それなんだけどさ。エアリス、会った最初の時にも医者には行きたくないって言ってた。
 それに加えて、いま採血を何度もされて嫌だったって言ったよな。
 もしかして、エアリスって特別なチューブなんじゃないのか?」
「えっ……?」
「だとしたら、さっき採られた血。
 先生によく調べてもらったら何かわかるかもしれないぜ?」
「私、怖い」
「わけがわからずに逃げ回っていても駄目だ。俺達を消したい奴がいるなら、逆に俺達が
 そいつを消せばいいのさ。
 エアリスは、正体の知れない影に怯えて一生逃げ続けたいのか?」
 無言のまましばらくうつむいていたエアリスだが、顔を上げた時には心を決めたようだった。クラウドも一緒に戦ってくれるんだよね?と、毅然とした表情で問いかける。
「もちろんさ。君のことは、俺が守る。仲間だからね」
「二人まとめて指名手配してる位だから、私達を消したい人間が同じなのはわかるけど。
 クラウドが狙われる理由って、よくわからないよね」
「全くだ。俺には君みたいな心当たり、無いんだけどな」
 頭をポリポリと掻く仕草に、エアリスは吹き出した。つられてクラウドも笑い出す。
 一人では心細くても、二人ならあの巨大企業に立ち向かう勇気も出るというものだ。
 例え勝算はほとんど無いに等しいとしても。
 クラウドは、エアリスに出会っていなければこんな気持ちになれなかったのではと思い、彼女との出会いに運命を感じるのだった。

 ティファの身を案じるバレットにイリーナを同行させて管理局へ向かわせた後、ルードは預かったマイクロフィルムを懐にレノを尋ねた。
 リリアナに次いでスカーレットまでが殺されたとあって、レノの不機嫌は頂点に達していた。それでも、自宅でいろいろ情報収集をしていたらしい。
 ルードが訪れた時、この前もキレイとは言い難かった部屋はいまや獣の巣状態だった。
「ま、俺の方もあんたに見てもらいたかった物があったんだぞ、と。
 ちょうどいい所に来たな」
 と言って、適当にルードが座れる場所を作った。
「で?何を預かったんだぞっと」
「……これだ。預けた男が言うには、お前が見てくれれば、これがいかに価値のある物か
 絶対にわかるそうだ」
「胡散臭い話だぞ、と」
 よくあるんだよな。そんな思わせぶり言って、中を見たらスカだったってのは。
 レノはブツブツ言いながら、ほら貸せよ、と手を差し出す。ルードは掌にマイクロフィルムを落とし、付け加える。
「……いますぐにでも、この街を出て行きたいそうだ。
 金には不自由していなさそうだったぞ。連絡を付けてくれる礼だと言って寄越したカード
 の残高は、俺の半月分の給与額とほぼ同じだったからな」
「何だって?」
 さすがに驚いたレノは、まじまじとルードを見た。
「そいつ、気は確かか?」
「……高飛びしたいらしい。都市間高速鉄道は使えないと言って、隣の市まで車で行くこと
 を考えていた」
「マジかよ!?」
 偽造IDも持たずに他の都市へ行ったところで、生活できるはずがない。物一つ買うにしても、一体どうする気なんだとレノは呻いた。
「……それほどに、身の危険を感じているということだろう。
 だから、大当たりかもしれんぞ。
 これを売った代金の代わりに、IDの件をお前に何とかしてもらいたかったのかも」
 はいはい。エリート捜査員様の言うことには、逆らいませんよ。
 そんな風におどけながら、受け取ったマイクロフィルムをセットする。
「ま、見てのお楽しみってヤツだぞ、と」
 やがて写し出された映像に、二人は固まってしまった。
「なあ、あんたこういうの趣味か?」
「……俺は好かん」
「だよなあ。俺もなんだな、と」
 まあ確かに、あんたよりは間口広いだろうってのは認めるけどな。レノはため息をつきながら映像を見ている。
 そのうちに、レノは何やら機器をいじりだした。ルードは憮然として、時々視線をそらしていた。もっとも、視線をそらしても音声はオンにしてあるので、ルードは否が応でも画面がどんな状況かわかってしまう。
 二人の困惑をよそに、映像は続いていた。ルードの気を紛らわせようとしてか、レノが時折話しかけてくるともなく喋る。やがてレノは機器から手を離し、ルードに真顔で言う。
「だけどこれ、本来は何かの記録だと思うぞ、と。
 さっきから気になってる、時々入る不明瞭な人の声。
 ちょっとそれだけ取り出してみたんだけどな?っと。どう思う」
 映像の再生はそのままにして、レノはルードの耳にイヤホンを押し込んだ。ルードの顔色が、変わる。
「……数値を読み上げている?」
「ご名答!で、もう一度画面をよく見てみる。するとだな、と」
 レノの指が、ある一点を指す。
「……ケーブルか」
「察するに、あれが繋がれている人間の身体がいまどういう状態かを調べてるんだな、と。
 どっちにしても、悪趣味なことに変わりはないけどな。
 ヤられてる人間の身にもなってみろってカンジだぞ、と」
 画面では、年端もいかぬ少年や少女が次々に現れては暴力的に身体を押し開かれ、苦痛と快感がない交ぜになった喘ぎを漏らしていた。
 まだ幼さすら感じさせる端正な顔が官能に歪むのが、無惨だった。
「みんな似たような年頃だと思わないか?それにどの子も可愛いぞ、と。
 年の割に整った顔立ちで」
「……間違いなくチューブだな」
 不意に、画面の中でいままでとは違う動きがあった。
 まるで何かの儀式に供された哀れな生け贄を思わせる白い身体が、ピクリとも動かなくなる。画面には姿が映っていないが、それを見ている人間がいるのだろう。言葉が飛び込んできた。
「その被験体は、廃棄処分だ」
 冷酷というより、感情がすっぽりと抜け落ちたかのような口調だった。命じた男は、相手を人間とは思っていないのだろう。
 指示を受けた者が、ケーブルを手早く外していく。生け贄は運び出され、また新たな生け贄が連れて来られる。
 そして、同じ事を繰り返す。そればかりか、映像の中には相手もいないのにすすり泣き、嬌声を上げて快美を訴え、か細い身体をのたうたせるものもあった。
 それが延々と続き、いい加減ウンザリした様子で遂にレノも音を上げた。
「これが恐らくVSSS開発のためのデータ取りとそのフィードバック作業だろうってのは、
 よくわかったんだぞ、と。
 でも、これだけなら何も俺をご指名で売ろうとしなくても良さそうなもんじゃないのか?と」
 その疑問に答えるかのようなタイミングだった。
 一度見たら忘れられない、鮮やかな色合いの金髪が二人の視界に入ってきた。
 数年前に撮られた物なのだろう。「彼」はいまよりも一層華奢な体つきだった。だが、その人形めいた整い過ぎている顔立ちは、いまと変わらない。見間違えようがなかった。
「おいおい。噂は本当かよ、と」
 呻いたレノを嘲笑うかのように、深い青い瞳が濡れている。「彼」が動く度に、金色の光があたりにまき散らされるようだ。
 濃い睫毛を伏せると、物憂い雰囲気が漂う。大理石の彫刻めいて見えるのが、動いた途端にあたりの空気まで華やぐようだ。
 生き生きとしていて、若さが結晶化して輝いているかのような美貌だった。
 絹のようになめらかな白い肌が性的紅潮に染まっていく様は、文句無く美しい。レノばかりか、ルードまでもが思わず見入っているほどだ。
 まっすぐに上を向いて屹立したピンク色の陽物が、充足を求めて震えた。喉からは悲鳴とも歓喜ともつかぬ叫びが漏れた。
 果てなく続く、快感中枢への刺激という拷問。されている方もたまらないだろうが、見ている方も消耗する。
 いい加減食傷気味な二人がどうしたものかと目を見合わせ、ため息をついて再び画面に向き直った時。
 不意に映像の中の背景が変わった。どうやら個人の邸宅の一室らしい。
 少年は、二人がよく知る男と話をしていた。いや、話という言い方は適切ではないだろう。それは懇願だった。絶望的な。
 お願いだからやめて欲しいと、少年は必死で訴える。今日は予定が変わり、一日中ラボにいたのだと。これ以上は耐えられない。どうか今日は許して欲しい、と。
 その様子は愛らしく、とても健気だった。
 だが、男には憐憫の情など存在していないらしい。哀れな獲物を押さえ付け、鼻で笑う。
 そればかりか、こんな事まで口にした。
「お前が死んだところで、困る者などいないさ。お前には、スペアがいる」
 信じられない、そんなのはウソだ!そう言って、獲物は抵抗しようとする。
 もがく鳥の羽をむしるように、男は残酷な止めを刺した。
「お前は特別に出来が良かったからな。通常なら廃棄されるはずのペアの個体は、残され
 ているそうだ。
 受胎処置に使った知能増進マクロボックスの発現が、ほんの少しお前の方が秀でてい
 た。おまけに、お前の方があの男好みの可愛らしい顔立ちだった。
 お前が選ばれたのは、そんな些細な理由だ。わかっているんだろう?
 お前が本当にかけがえのないものなら、何故プレジデントはお前を人前に出さない。
 お前の名や姿を知っているのは、ごく一部の人間だけだ。
 ある日スペアと入れ替わったところで、誰も気づかんよ」
「ウソだ!僕は選ばれた人間だ。この会社を受け継ぎ、更に発展させるために選ばれた、
 改良された遺伝子の運び手。
 全ての人間の上に立つべく、慎重に遺伝子型を選んで補正したのが僕だ。
 僕は唯一の、特別な存在だ!」
「忘れたのか?お前は非合法チューブだ。存在自体が違法な者に、所詮人権など無い」
 今度こそ、獲物の抵抗はやんだ。勝ち誇った笑いを浮かべた男が、少年の華奢な身体にのしかかる。――青い瞳から、涙がこぼれた。
 その後は、また同じような映像の繰り返しだった。再生を終えたマイクロフィルムが吐き出されても、二人の間には沈黙が横たわっていた。
 やがて、レノが大きく息を吐いた。
 自分の手には余る秘密を抱えてしまったと呻きながら。
「あんた達のボスが入院したのは、いつだ?」
「……二か月前だ」
「ここで急に表舞台に出てきたわけじゃなかったんだぞ、と。多分ずっと前から、ルーファ
 ウスは権力を奪取する機会を虎視眈々と狙っていたんだろう。違うか?」
「……あの肉体をもってすれば、政界の要人達の知己を得ることなどたやすかったろう」
「乗っ取る準備ができたところで、あいつはプレジデント暗殺未遂だなんてフザケたことを
 しやがったんだ。
 あんた達のボスを陥れたやり口の陰険さは、このせいだったってわけか」
「……そうしても追及されないとふんだからだろう。実際、その通りだったが。
 そして、自分の権力の基盤が固まったと確信した彼は、行動に移った。
 そんなところだろう」
「あいつを突き動かす物は、復讐心ってことか。
 なまじ頭のいい奴にキレられると始末が悪いんだぞ、と」
「……手段は、選ばないだろうな」
「おい。これを俺に渡したがってた奴。いまどこにいるんだ?」
 ルードは男から押し付けられた紙ナプキンを取り出した。
「行こう。間に合うといいけどな」
「……こいつはどうする」
 マイクロフィルムをつまみ上げ、ルードが尋ねた。
「お前、預かっててくれないか。
 この分じゃ、そろそろ俺を消しにかかってもおかしくなさそうだぞ、と」
 命の心配をしているとはとても思えない、飄々とした声で答えたレノだったが、その手には使い込まれた電磁ロッドが握りしめられていた。
 この男は外見と中身がどうにも一致していないと、首を振るばかりのルードだった。

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