ENDLESS STAIRS


1.


「ルーファウス様! ご無事でしたかっ!!」
 もうそろそろ来るだろうとは思っていたのだが。何も現れるなり涙腺をゆるめなくてもいいだろうに――。
 無謀にもテロリストと一対一でやり合った自らの軽率さを棚に上げて、ルーファウスはそんな風に考えていた。
「あまり大声を出さないでくれ。傷に響く」
 間違っても、心配かけてすまないなどという言葉は吐かない。まして、自分が悪かったとは、絶対に認めない。いつものことなのだが、状況が状況だ。思わず小言の一つも言いたくなるツォンだったが、ルーファウスの頬に涙のあとがあるのに気づき、そっとハンカチを差し出した。
「――ダークネイションが、私を庇って死んだよ。私のために、バリアを張ってくれてたんだ。可哀相に、あのテロリストの一撃で……!」
 新たな涙が、流れ出す。まだ副社長だった頃、各部門の業務を把握するという名目で社内をうろついていた時、たまたま通りかかった科学部門の実験動物用の檻にいたのが、ダークネイションだった。その時は、子供だった。艶やかな漆黒の毛並み。爛々と輝く金色の目には、決して人間には馴れようとしない野生の光。
 研究員達は皆、危ないですから近寄らないで下さい、それは廃棄予定の実験体ですからとルーファウスに言ったものだ。
「廃棄? ――それは、この子を殺すという意味か?」
 青い瞳に、嫌悪の色が浮かぶ。これだから、科学者という人種は……! そう言いたげなルーファウスに、宝条は冷たく言った。
「既に必要なデータは取った。ジャガーをベースに使ったのが、間違いだったとわかったのだ。我々が欲しいのは、警備の兵士の代わりになるガードビーストだ。その点、戦闘能力は申し分ないのだが、これは主人に対する忠誠心に欠けるのでな。このまま成長させても、使い物にはならんのだよ」
「人の都合で創り出しておいて、利用するだけ利用して捨てるのか。勝手だな」
「馴れないものは、仕方ない」
「そうかな?」
 研究員達から、悲鳴が上がる。シュッ! ルーファウスは、強化ガラスと電磁檻のスイッチをオフにしたのだった。最初、黒い獣は檻の奥で様子をうかがっていた。これは罠ではないのかと、警戒していたらしい。だが、鋭い嗅覚はいままで嗅いだことのない人間の存在を捉えていた。白衣を着た連中とは違う、得体の知れない不思議な匂い。敵ではないのだろうか?
 まだ幼い獣にとって好奇心は身を滅ぼすかもしれない、という教訓は身についていなかった。――知りたい。見てみたい。
 誘惑に駆られて、檻から出る。すると、不思議な匂いを漂わせた人間が膝をついて手招きした。
「おいで。お前を守ってやるから。ここから出たいだろう?」
「ケダモノに人間の言葉が通じるとでも? バカバカしい」
「言葉そのものは通じなくても、口調や周囲の雰囲気は感じ取れるさ。あまり動物を馬鹿にするもんじゃない」
「副社長は、お優しくていらっしゃるようだ」
 宝条は、見下したようにそう言って笑った。遠巻きにして眺めている研究員達は、二人のやり取りをハラハラしながら聞いている。
「私の名前は、ルーファウス。お前にも、名前が必要だね。何がいいかな?」
 暢気に話しかけている間、獣の方はルーファウスを吟味するかのようにゆっくりと周囲を回っていた。獣は、考えていた。敵意は、微塵も感じられない。自分を恐れているわけでもないらしい。初めて感じる、暖かい熱のようなこれは何だろう?
 背中の長い触手を揺らし、じっと目を見る。――青い、青い瞳。キレイだ、と思った。何故だろう。何だか、懐かしいような気がするのは?
 もっとよく見たいと思った。もっと近くで、ちゃんと見たいと。
「――ヒッ!」
 人々から、悲鳴が上がった。黒い獣はルーファウスの腿に後ろ足で立って、前足を胸について見上げている。
「副社長! 危険です! どうかもう――」
 だが、ルーファウスは動じた気配もなくその背を撫でながら笑っていた。
「お前、ベルベットみたいな手触りだね。すべすべしてて、気持ちいいな」
「ふ、副社長……!」
 驚き、呆れる研究員達。まさか本当に、この方は手懐けておしまいになったのか……!?
「ほう? お前のカリスマ性とやらも、どうやら捨てたもんじゃないらしいな。有効範囲が人間だけじゃなく、動物にまで及ぶとは。扱えるのなら、お前が引き取ることに異存はない。――ただし。ある日突然喰い殺されても、私は責任を負わんぞ。そのつもりでな」
「――ッ!」
 宝条の言葉が終わるか終わらないうちに、黒い獣がルーファウスの手を咬んだ。それ見たことか。そう言わんばかりの冷笑を浮かべた宝条に、ルーファウスは咬まれた手を見せながら言う。
「この子は、ちゃんと手加減しているさ。もし本気なら、今頃手首から先はないだろうからな」
 そして、苦笑して傷口をハンカチで押さえる。
「わかったよ。ペットじゃ嫌なんだろ? それなら、私の友達にならないか?」
 果たして、この言葉がどこまで通じているものか。それは誰にもわからなかったが、立ち上がったルーファウスの足に、まるで猫がするように頭をこすりつけている獣を見て、人々は改めて驚愕の思いに囚われたのだった。
「私は全身白づくめ。お前は腹部以外黒づくめか。フフッ。お互いがお互いの引き立て役だな」
 獣を拘束するものは何も持たなかったが、いまや獣の方でルーファウスから離れたり彼を害したりする気は、ないようだった。
「行こう、ダークネイション!」
 以来、ダークネイションは影のようにルーファウスに付き従っていたのだった。
 立場上、そうそう気安く友人を作るわけにもいかないルーファウスにとって、ダークネイションは貴重な友人だったのだ。様々な動物のかけ合わせで、人工的に創り出された新種だったダークネイション。この地上に、彼と同種の存在はいなかった。――絶対の孤独。あるいはそれが、ダークネイションをルーファウスに結びつけたものだったのかもしれない。
 王者の孤独は、ルーファウスの精神を蝕みかねなかった。それを救っていただけでも、彼の功績は大だった。しかし、ダークネイションはその身を犠牲にしてルーファウスを救ったという。
「――あなたには辛いことでしょうが、ダークネイションにとっては本望でしたよ、きっと」
 泣き濡れた瞳が、キッとツォンを睨み付けた。
「何故そう思う!? 言っとくけどな、『私も同じですから』なんてのは理由にならないからな!」
 先を越された形のツォンは、黙るしかなかった。
「アイツのこと……別に殺すつもりなんて最初からなかったさ。ただ、気になっただけだったんだ。アイツ、物凄い目で睨み付けてきた。『セフィロスは、渡さない』。そんな声が聞こえてくるようだった――」
 涙をぬぐうと、ルーファウスは闘いの様子を話し始めた。
「パルマーから、連絡を受けたんだ。セフィロスが現れた、そう言うんだ。最初、信じられなかった。『五年前に死んだはずだろう?』私が言うと、パルマーは怯えきった声で言った。オヤジが――殺されたのだと。タチの悪い冗談かと思ったさ。あのオヤジが、社長室でセフィロスに斬りつけられたっていうんだからな。セフィロスは、ソルジャーの中でも特別だった。オヤジのお気に入りだった。古代種の言い伝えにある『約束の地』を求めて、巨額の金をその探索に費やしていたオヤジ――。さぞ満足だったろう。ミッドガルを見下ろす社長室で、プレジデントチェアでセフィロスに討たれたんだからな」
 綺麗な口元に、冷笑が浮かんだ。ひとかけらの同情心も、ルーファウスには起きないようだ。自業自得。そんな突き放した思いが、彼の中で渦巻いているらしかった。
「まさかあなたが、ミッドガルにほど近いところまで戻っていらっしゃっているとは思わなかったものですから。それを知っていたら、セフィロスを追うのは他の者に任せていましたよ」
 沈痛な面持ちで、ツォンは包帯だらけのルーファウスを見つめて言った。医者の話では、肋骨にひびが入っているそうだ。防弾チョッキを身に着けていたはずなのに、ひびとは……。テロリストとの闘いが、相当激しいものであったことが窺える。
「この目で見なければ、オヤジが死んだなんて信じられなかったんだ。そんなことを言って、私がどう出るか。それをどこかから意地悪く眺めてるんじゃないか。――そんな気がして」
「それで本社に戻ったところ、テロリストグループと鉢合わせした。そういう事ですね?」
「セフィロスがまだその辺にいるかもしれない。パルマーはそう言っていたけど……。あの男がそんなヒマ人だとは、私には思えなかったよ。オヤジを殺すのだって、正宗で一突きだったと聞く。もし復讐とか、あるいは殺しそのものに意味を見出しているのなら、もっと手間をかけて殺さないか? そんなあっさりと死なせてやらないぞ、私なら。そうだな……じわじわと死の恐怖を味わってもらうなんて、いいかもな」
「あなたがセフィロスの立場だったら、やりかねませんね」
 ツォンは苦笑して、ルーファウスがベッドに身を横たえるのを手伝ってやった。自分に余計な心配をかけまいと思ったのか。ずっと上体を起こして話をしていたルーファウスだったが、時間が経つにつれて疲れてきたらしい。頬は蒼白で、呼吸が少し乱れている。骨折までには至らなかったとはいえ、やはり相当のダメージだったことに違いはない。額には、脂汗が浮いていた。
「お休みになられた方がいいようですね。部屋の照明、暗くしましょうか?」
 そう言いながら、そばに置かれているタオルで汗をぬぐってやる。
「連れて行ってくれないか、あとで」
 だるそうな様子で、しかし声ははっきりと明瞭に意志を伝える。
「現場は、そのままにしておいてくれ。片づけられた部屋と棺に納められたオヤジを見ても、多分死んだという実感は湧かないだろうからな」
「かしこまりました。では、そのように手配をして参りますので――」
「頼む。……すまないな」
 目を閉じたルーファウスに一礼すると、ツォンは主照明のスイッチをオフにして病室を後にした。