3.

 数年が経ち、ウータイとの戦争にけりを付けたプレジデントは、後継者としてルーファウスを正式に指名した。と同時に、まだ十代も半ばの少年であるにも係わらず、彼に副社長の地位を与えた。
「この街は、相変わらず陰気だ」
 本社ビルの中、特別フロアの一角にオフィスを与えられたルーファウスは、眼下に広がる光景を眺めてそう呟いた。
「大体、昼と夜、季節の移り変わりがはっきりしないなんて。そんなのはおかしいと思わないか?」
 彼がこういう言い方をする時には、「私は嫌いだ」と言うのと同じなのだ。彼が言葉ではっきりと好悪の別を表すことは、いまだに無い。
 しかし、側にいる時間が長くなるにつれて、ツォンには「無い」とされる少年の感情がわかるようになっていた。
「そうですね。初めは、私も戸惑いました。いまは慣れましたが」
 私も嫌いですと素直に答えるには、場所が悪過ぎた。
 プレジデントは絶対の権力者だ。そして、権力者が警戒するのはナンバー2、この場合は後継者だ。
 母親に似た怜悧な美貌を輝かせ始めたルーファウスを、プレジデントは溺愛している。だからと言って、権力の移行が少しでも生じることは、決して許さないと考えているらしい。その証拠に、副社長室には監視カメラと盗聴器が仕掛けられていた。
「私は、慣れそうにないな」
 珍しく、ルーファウスが一つの話題にこだわっている。これは、よほどお気に召さないらしい――。
 ツォンは、思わず苦笑した。
「世界が大きな鳥カゴだと、わかっていた。それでも、いままではカゴを見ないですんできた。これからは、否応なく毎日目にするわけだ。――壊したら、一体どうなるんだろうな?」
 明確な、現状への不満。プレジデントが耳にしたら、さぞ面白くない顔をするだろう。
 成長するに従って、ルーファウスは父親のやり方を批判するようになってきた。これも、子供が生意気な口をきくと、笑って見過ごされればいいのだが。
「ルーファウス様」
 ツォンはこの問いには答えず、黙って部屋のある一点を見つめた。次に、唇に指を当ててルーファウスに向き直る。
「……なるほど。ところで、コレル魔晄炉視察の件だが」
 ツォンの言わんとすることに気づいたルーファウスは、さり気なく話題を仕事に関するものに移した。
 始まりから、こんな調子だったのだ。この誇り高い少年が、一体いつまでこんな虜囚めいた生活に耐えられるのかと、ツォンは秘かに危惧していた。
 その日は、唐突に訪れた。ニブルヘイムの魔晄炉で、大規模な事故が発生した。
 この地へは、以前から異常動作が起きていたこと、魔晄炉周辺に凶悪なモンスターが出没することから、かなり大がかりな調査隊が編成され、派遣されていた。その中には、神羅が誇る無敵のソルジャー、セフィロスもいたのだが。
 何と、彼までが、村を焼き尽くす火災に巻き込まれて死亡したという。
 当然のことながら、この大ニュースは世間の耳目を集めずにはいなかった。そのプレス対応を、プレジデントは全てルーファウスに押し付けたのだ。
 誰の目にも、この少年が真実を知るとは見えまい。実際、会見の場では記者達の厳しい質問が飛んだ。大規模な事故と言うが、正確には何が起きたのか。何故、村一つが全焼するほどの火災が起きたのか。生存者ゼロという話だが、それについてはこんな噂があるのをご存じか。実は、ニブルヘイムで神羅は秘密の実験を行っていた。その結果が思わしくなかったため、研究は放棄され、研究所は閉鎖された。その後始末を、ついでにしたのではないか――。
 だが、ルーファウスは表情一つ変えずに「人の想像力というのは、素晴らしいものだ」と言って端然としていた。不毛な押し問答が続いた挙げ句に、記者達は悟るしかなかった。要するに、プレジデントは真実を発表する気などさらさら無いのだ。
 知らない者に、嘘は付けない。渡された資料以上のことを知らぬ少年に、何を尋ねても無駄なのだ。幸い、少年は感情の希薄なことで知られている。彼が同じことを無表情にくり返したとして、それで馬鹿にされたと怒る人間はあるまい。
 プレジデントが自分ではなく副社長のルーファウスに対応を任せたのは、恐らくそんな思惑からだろう。
 してやられた。そんな空気が、人々の間に広がっていく。やがて会見が終わり、引き揚げようとしたルーファウスに、記者の一人が立ち上がって声をかけた。
「人形は人形でも、あなたは操り人形ですね」
 青い瞳が、一瞬だけ見開かれた。記者達に背を向けていたため、気づいたのは側にいるツォンだけだったろうが。
 歩みを止めることもなく去って行ったルーファウスに、その場の人間から一斉にため息が漏れた。見たか、いまの。ああ。さすがだな。ひどい言われように、何か反応するかと思ったけどな。俺達のこと、まるで道端の雑草か石ころでも見るみたいな目だったな。やっぱり、母親が母親だからな。普通とは違うんだろうさ――。
 てんでに勝手なことを言い合い、人々は会場を後にした。一方、ルーファウスの方は無言でツォンに先立ち、歩いていた。その歩調が、普段より速い。
(怒っていらっしゃるな。まあ、無理もないが)
 一番言われたくない言葉を、あのように大勢の前で面と向かって言われたのだ。彼が傷付かないはずがない。
「ルーファウス様? どちらへ?」
 乗り込んだエレベーターは、特別フロアへの直通用ではなかった。ルーファウスは適当な階のボタンを押し、ツォンに向き直って笑う。
「盗聴されたくなかったら、仕掛ける場所の無い戸外を選ぶこと。――そうだったな?」
 それは、そうですが。しかし――。
 ルーファウスが何をする気でいるのか見当の付かないツォンは、どう答えていいものかと戸惑う。
「下りるぞ」
 スタスタと歩き出したルーファウスの向かう先が、窓清掃用のゴンドラ乗り場であることにツォンが気づくまで、そうかからなかった。確かに、そんな場所を普段使う人間がいるとは思えない。
「それで、お話とは何でしょう」
 風が吹いた。ここは低層階のバルコニーだが、プレート都市ミッドガルは、そもそもが地上から五十メートル離れている。ツォンに向き直ったルーファウスが呟いた声は、風の音にかき消されてしまった。
「――申し訳ありません。いま何とおっしゃいましたか?」
 ルーファウスの唇の動きから、ツォンはその戦慄すべき内容を理解した。しかし、にわかには信じられなかった。
 彼は、こう言ったのだ。「プレジデントを消せ」と。その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。そして、ツォンは悟る。
 憎しみの感情も、ある点を超えるとゼロに限りなく近くなるのだろうと。いまのルーファウスにあるのは、プレジデントを排除するという確固たる意思。消さねばならないという思いは、既に感情ではないのだ。
「オヤジを、プレジデントを消して欲しい。もちろん、いますぐには無理だ。私にも準備がある。その準備を、お前に頼みたい」
「私は、一社員に過ぎません。あなたが不逞な計画を企んでいると、この足でプレジデントに報告するかもしれないのですよ? 私があなたを裏切らないという保証を、あなたはどうやって得るおつもりなのですか」
「報酬は出す。タダで働けとは言わない」
「報酬、ですか。一体何を私に下さると? 金なら結構です」
「何でも。お前が望むものを、何でも与えよう。約束する」
「――本当に、何でもよろしいのですか」
「私は嘘は言わない。約束は守る」
「では、あなたご自身を下さい」
「私を……?」
 全く予期しなかった答に、ルーファウスは目を白黒させている。その様子があまりに可愛らしいので、ツォンは思わず吹き出した。
「冗談ですよ。あなたが真剣な顔で考え無しなことを言われるので、ついからかってみたくなっただけです」
 だが、ルーファウスは黙ったままうつむいて考え込んでいる。これはお灸が効きすぎたかとツォンが苦笑した、その時。
「本当に、私が欲しいか?」
 顔を上げたルーファウスが、じっとツォンを見つめた。瞬間、心拍数が跳ね上がるのをツォンは感じた。
「いままで、神羅の名を背負った私を必要とする者なら大勢いた。でも、私自身を欲しがったのは、ツォン、お前が初めてだ」
 クスッと笑ったルーファウスが、前に一歩踏み出した。と同時に、突風が吹いた。バランスを崩したルーファウスが小さく声を上げてよろめいたのを、ツォンはとっさに腰に腕を回して支えた。
「大丈夫ですか?」
 腕の中の少年は、まだ華奢と言っていい体付きだった。強く抱きしめたら、壊れてしまいそうなほどに。
「ああ。それよりお前、私を手に入れてどうするつもりだ? 金や地位ならともかく」
 不思議そうに首を傾げたルーファウスに、ツォンはそっと抱き寄せてささやいた。
「こうします」
 頭を撫でると、ルーファウスは身を固くした。ああ、とツォンは思う。
(この子は、両親からこんな風にされたことが無いんだ)
 他人に触れられることに、恐らく全く慣れていないのだろう。かすかに震えてさえいるのが、気の毒に思えてくる。
(まるで、人に馴れない鳥を餌付けするような気分だ)
 ようやく腕の中に捕らえた、優美な白い鳥。傷付けるつもりなど、ツォンには毛頭なかった。
「こうしてあなたに触れる許可を下さい。それが――報酬です」
 ルーファウスは釈然としない様子だったが、わかったと答える。
「これで、契約成立だな」
 本当に、意味がわかっているのかどうか。怪しいものだとツォンは思う。だから、尋ねずにはいられなかった。
「よろしいのですか? こんなにあっさりと承諾して」
 そんなツォンに、何を言うのかと言いたげな顔で見上げたルーファウスが、微笑んだ。
「お前なら、私を大事にしてくれそうだからな。違うか?」
 全てお見通し、というわけか。やはり、ルーファウス様の方が一枚上手な気がする。
 ツォンは柔らかな金の髪を指で梳いた。ルーファウスは、今度は身を固くしなかった。



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