Promised Land


1.

 彼は言った。
「古代種は、至上の幸福が約束された土地へ我々を導いてくれるのです」
 私は尋ねた。
「至上の幸福? ――人は皆、それぞれに求めるものが違う生き物だろう。万人にとっての幸福など、そんなものはあり得ない」
 すると、彼は逆に聞き返してきた。
「あなたにとっての至上の幸福とは……一体、何なのですか」
 私は答えた。
「お前にとって、至上の幸福とは何なのだ?」
 意地の悪い。自分でそう思った。だが、彼の答えが即ち私の答えだったのだ。それ以外に、私には答えようがなかった。
 彼は少し困ったように笑い、こう言った。私は、きっと一生その言葉を忘れない。
「それが、わからないんです。いま以上に幸せになれるなど――いまこうして、あなたのそばにいられることが私の幸せなのに?」
 私は、赤らめた顔を見られたくなくて彼に背を向けた。そして、呟く。
「『約束の地』、私は――そんなものいらない」
 続けようとして飲み込んだ言葉が、胸の中でこだまする。
「お前がそばにいてくれれば、そこが私の『約束の地』だから。いつまでもそばにいて欲しいよ……お前に」
 心の声が、彼には聞こえるのだろうか?
「あなたがいるから、私は生きていけるのですよ。誰よりも何よりも大切な人――それがあなたです」
 でもミッドガルは、夜も昼もなくて、月も星も逃げ出した街で。星の生命(いのち)の輝きは、眩し過ぎて――何もかも見えなくなる。魔晄の光は、ささやかな幸せも、大切なものも、生きる意味さえ覆い隠してしまう。
 それでもお前は、気がつくといつもそばで笑っていてくれたね。疲れた瞳なのに私を優しく包んでくれたね。
 ごめんよ。それなのに、私はいつもお前を困らせてばかりいて。最後まで言えなかったんだ。「生まれ変わっても、ずっと一緒にいよう」って。
 ――愛してたんだ。本当に、誰よりも。
 ――愛してるんだ。何がウソで何が本当か、自分でもわからなくなってしまった私にとって、たった一つ残された真実。いまようやく気づいた、自分の心。
「遅すぎるんだよ、ルーファウス。あいつは、もう――」
 目に見えないものなんて、信じない。運命なんて信じない。まして人の世に、永遠なんてあるはずがない。
 頑なな私の心を、雨が大地を潤すように癒してくれたお前。皮肉だね。お前が目の前からいなくなって、私は初めて信じる気になったよ。「永遠の愛」だなんて、そんなものはおとぎ話の中にしか存在しないものだと思ってたさ。
 いまは違う。夜空を見上げて、涙が止まらなくなる。――お前が浮かぶから。
 風に揺れる花に目を奪われて、心がズキズキ痛むんだ。――お前を感じるから。
 求めてる。切ないほどに、ずっと、ずっと。
 このままいけば、遠からず私の心は……壊れてしまうだろうね。いや、違う。もう壊れてるんだろう。だって私にはもう、生きることの意味がなくなってしまったから。
 すぐ近くに、手を伸ばせば届くところにあった「約束の地」。お前のいないこの世界で、いつかたどり着くことがあるのだろうか。私はそこで、何を見出すのだろう?
 ――教えて欲しい。誰か、答えてくれ。私は、どうしてまだ生きている? 何故この胸は、鼓動を打つのをやめてくれないんだろう。
 お母様が死んだ時、お前、私に言ったよな。「人は亡くなると、ライフストリームに同化する」って。お母様は陽の光や、樹々を渡る風や、色とりどりの花々になって私を見守っていて下さる、ってな。
 もしそれが本当なら、お前……いま星の生命エネルギーの一部になっているんだよな。夢に出てきてくれても、良さそうなものじゃないか? ――全然だけどな。この薄情者。
 私の心を、こんな風に乱すだけ乱しておいて。
 そういえば、お前はどうだったんだろう。いまの私みたいに、心が千々に乱れることなんてあったのか? それは、私の煮え切らない態度のせいだったのだろうか。もしそうなら、謝るよ。
 ――私は、自分の心一つさえ理解していなかった子供だったんだ。
 でも、お前は違うだろう? お前は、初めて会った時から大人だったよな。年に似合わない老成ぶり。よく覚えてるよ? お前、最初笑ってくれなかったもの。醒めた目で、無表情に私を見てたっけ。
 いつからだろう? 私に微笑みかけてくれるようになったのは。――嬉しかった。嫌われてたのかと思っていたから。私の前でお前が泣いたり怒ったりするようになったのは、それから少しあとのことだった。お前の、そんな人間らしい表情が見たくて、私はわざとイタズラに励んでいたっけ。でも、ある時度が過ぎて――お前にひどく怒られたことがあったんだ。心の底から心配しているのがよくわかったから、あの時は珍しく素直にごめんなさいが言えたんだったな。そうしたら、初めて笑ってくれたんだ。
 その時、私はまだ幼すぎて――どうして胸がドキドキしているのか、その理由がわからなかったんだよ。もちろん、いまはわかる。私は、出会った最初の時から、お前に心を奪われていたんだ。でも、私はバカだったから……男の自分が男であるお前に魅かれているだなんて、考えもしなかったんだ。人が人を好きになるって、そういうことじゃないのにな。
 お前の鉄の自制心には、正直言って呆れてるよ。そんなものがあるから、私はいつまでも子供のままでいられたんだ。お前に愛されて、守られて、甘やかされて。お前――どうしてさっさと私を押し倒さなかったんだ? おかげで、気づいた時にはもう手遅れだったじゃないか。
 私をただ一人、こんな慌野(せかい)に残していくなんてあんまりだ。お前のいない世界など……何の価値があるというのだ?
 私は、幼い頃からずっと社長になりたいと思っていた。でもそれは……お前がそう望んだからだ。お前が望む世界を創るために、ただそれだけのために――私はこの世を動かし、変えることのできる力が欲しかったんだ。
 それなのにヒドイじゃないか。権力という孤独の檻に私を残して、お前はあの古代種の娘とライフストリームの中でデートか!? そんなのズルイぞ。ウソつきなツォン――。
 何が「あなたを一生お守りします」だ。お前……私をおいて逝ってしまったじゃないか。私が本当は泣き虫なのを、誰よりもよく知っているくせに……!
 心が――凍っていくよ。もう何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。
 あんなにも色鮮やかでうるさいほど活気に満ちていた世界は、一体どこへいったんだろう。おかしいよな。
 そういえば、私は――何者なんだろう?何かをしようとしていた。
 ――何をしようとしていたんだろう。