Lucky Girl



1.
「ちょっとイリーナ、見た見た!?」
 ここは、神羅本社ビルである。支社に比べると出入りの際にはIDチェックが必ずあるし、仕事量は多いし、通勤のラッシュもあるし、社長はじめ重役達が頻繁に出入りして神経はつかうし……。はっきり言って、職場環境はあまりいいとはいえない。
 だが、そんなことは全く問題にならないお気楽社員も存在した。たったいま、同僚からイリーナと呼ばれたOL。彼女は、そんな貴重な社員の一人だった。
「何なの? 朝から大騒ぎして。今日は、十時から定例の重役会議があるでしょう? そろそろセッティングしないと、ヤバイよ。最近部長ご機嫌斜めだもん」
 プラチナブロンドの髪を特にセットするでもなく、指輪をするでもなく、ピアスさえしていない。化粧は、ごく薄く自然な感じに仕上げてある。およそ、飾り気のない娘だ。――そのキラキラと輝くエメラルド・グリーンの瞳を除いては。
「あー……。やんなっちゃうよね、私達にまで八つ当たりされても」
「大体、何で総務が治安維持統括の職掌なのよ!? おかしいよね!」
「でもイリーナ、あんたそのおかげで調査課に出入りできるんだよ?『頼まれていたファイルを、お持ちしましたぁ☆』とか言ってね。いいのかなあ、そんなこと言って」
「そっ……それは別! ところで、さっき騒いでいたの、何だったの?」
「あ! 忘れてた。――ちょっと見てよ、このメール! 社内で公募するってよ、タークスを!」
 瞬間、時が止まったイリーナだ。信じられない言葉を聞いた気がする。公募? タークス? まだ夢の続きを見てるの?
 思わず、間の抜けたことを言う。
「……タークスって、あのタークスよね?」
「あーあ、頭の回線ショートしてるよ。ま、無理ないけど。――そうよ! 総務部調査課。他にどのタークスがあるっていうのよ!?」
「応募、誰でもできるの? ――私でも?」
 しばらく画面をスクロールさせていた同僚の次の言葉に、イリーナは嬉しさのあまりめまいを覚えたほどだ。
「性別や年齢の制限は、とりあえずないみたい。健康体なら、一次面接は誰でもOKだって! ――やったじゃん! 憧れのツォンさんと、一緒に仕事できるかもよ?」
「ねえ、その一次面接っていうのは――」
「人事課長がやるってさ。……あれ? これ、社長から全社員に直接配信されてるよ。ってことは、ルーファウス新社長の発案なのかなあ?」
「ルーファウス……様……?」
「面接に、しゃしゃり出てきたりしてね! もしそうなら、私、社長見るために応募するんだけどなー?」
 二人の黄色い声が、部屋中に響き渡る。
「おやおや。すごい反響だな」
「――リーブ都市開発部長!」
「おはようございます。これ、本当ですか!?」
「人事は大反対したらしいがね。社長は本気だよ」
「じゃあ、この前レノさんが大ケガしたって噂……本当だったんですね!?」
「大ケガ――は、大げさだがね。まあ、当分仕事は無理だな。それで、メンバーを補充することになったんだが、実はツォンが渋っているらしい。社内の秘密を……その……一手に握っている部署だからな。素人を入れるなんて、とんでもない。そう思っているらしいぞ」
「そうですよねー。スカーレット兵器開発部長がドレスを新調するためにヘリコプターを私用で使ったりとかぁ、ハイデッカー治安維持統括がルーファウス新社長のご不興を買って、つい下っ端の警備兵に八つ当たりしてあご砕いちゃったりとかぁ、パルマー宇宙開発部長がハゲの特効薬である究極の発毛剤の開発を宝条博士にお願いして、そのための裏予算を宇宙開発部から横流ししようとしたとかぁ……。ホント、いろいろありますもんね!」
「お、おい……。どこからそんな情報を仕入れてくるんだ?」
「ああ、リーブ部長、ご存じないんですか? イリーナって、社内一の地獄耳の持ち主なんですよ。この娘(こ)だけは敵に回さないことをお勧めしますよ?」
「それはすごい才能だな。で、私のことは何と聞いているんだい?」
「親孝行で、上司風を吹かせない、うちの重役にしちゃ珍しく感じのいい方ですよね! みんなでいつも言ってるんですよ?『都市開発部長がうちのボスだったら良かったのに』って」
「さすがに、本人の目の前では悪口は言えないか……! 面白い娘だね。イリーナ……だったかね?」
「はい。――あのう、いま話したことは内緒ですよ。お願いしますね、部長」
「もちろんだ。心得ているよ。おお、そうだ。本来の用件を忘れるところだった。悪いが、資料の差し替えが出てしまってね。会議までに直して欲しいんだ。これが、完成見本。いつも手間をかけさせてしまうね、君達には」
「まあ、これが総務の仕事ですから。それでは、セットし直した資料は66階の重役会議室へお持ちすればいいでしょうか?」
「ああ。頼むよ」
 手を振って出て行ったリーブを見送りながら、イリーナはただ一つの言葉を頭の中で反芻していた。
「社長は、本気だ」
 天にも舞い昇る心地とは、このことを言うのか。さっきから足が地に着いていないような、薄いヴェール越しに世界を知覚しているような……そんな気のするイリーナだった。