17.

「ふむ。まだ何の変化も無し、か。つまらん」
 強化ガラスの中の物体をしばし眺め、男は眼鏡をずり上げた。
 自分の推論を裏付けてくれるはずのそれは、五年前ここに移設した時から活動を停止したままだ。
 モンスター類は扱い慣れているはずの研究員達でさえ目をそむける、その得体の知れない化け物を、男はひどく大切にしていた。普段笑うことなどほとんど無い男が、強化ガラス越しにうっとりと話しかけているのを見た研究員達は多かった。
 そういう時の男は上機嫌で、その後決まって新たな実験に取りかかるのが常だった。
 研究がはかどる分には文句を言われないのがこの企業の気風で、上司の変人振りに悩まされている研究員達は陰で囁き合っていた。
 うちでなければ、ここまで好き勝手やれないだろう。宝条博士は運がいいな、と。
 男の方でも、自分がどう思われているかを知っていた。何を馬鹿なことを。運とは、転がり込んでくるものではない。自分で掴み、たぐり寄せるものだ。例え、少々強引な手を使ってでも。
 部下達に言う気はないが、それが男の信条だった。彼にとって幸いだったのは、プレジデントが同じ信条の持ち主であることだろう。かつて上司だったガスト博士を殺害した時、古代種を捕獲する際に抵抗したからやむを得なかったという理由に、プレジデントは一瞬苦い顔になった。だが、そのことを追及されはしなかった。
 自分がもし同じ立場にいたら、やはりそうしただろう。男は、プレジデントの心の声を聞いたと思っていた。
 状況とは、最大限に利用するものだ。自分の望みを叶えるために。
 そう考える男には、いま神羅が非常に危うい状態にあるのがわかる。有能で人望もあるナンバーツーの存在など、最高権力者を脅かすものでしかない。それがわからないプレジデントではないはずなのだが。
「退屈が過ぎて、スリルのあるゲームを楽しんでいるのか。状況は刻々と変化する。自分は慢心しているが、相手は日々成長を続けている。それがどれほどの差をもたらすか。まあ、気づいたから遠ざけたんだろうがな」
 クックックッと笑い、エレベーターに向かって歩き出す。金の髪の青年を思い浮かべたら、からかいたくなった人間がいる。向こうは自分を毛嫌いしているが、それを顔に出すまいと無表情を装うのがまた面白い。
 こういうのを、悪趣味というのだろう。自覚はあるのだが。
 目指す部屋のドアが開いた時、案の定、かすかに空気が重くなった。相手が瞬時にその気配を消し、穏やかな微笑みすら浮かべて席を立ったのには、さすがだと感心する。
「これは珍しいですね。博士がこちらにおいでになるとは。何の御用でしょうか?」
 タークスの主任はいつ見ても変わらないと、男は興味深く眺め回す。果たして、時の流れはこの男に作用しているのだろうか。一向に年を取る様子がないのだが。
 代わりのきかない社員でなければ、是非とも研究対象にしたいところだ。そんな熱を持って、じっと見ていたせいだろう。ツォンはわずかに当惑の表情をする。
「何、用という程ではないのでな。忙しい君を、わざわざ来させることも無かろうかと。このところ寝る暇も無いそうじゃないか?」
 それは事実だが、宝条が自分をねぎらいに来るはずはないと知っているツォンは、警戒を増しただけだった。この男に関わると、ロクなことがないのだ。過去の経験が、そう教えている。
「いえ、そんなことは。それより、お話を伺いましょう」
 暗に、暇潰しに来るなと言っているのだった。男は嗜虐の欲望がうずくのを感じた。
「聞きたかったのは、古代種を再び研究できるようになるのがいつ頃かということだ。場所はわかっているんだ。さっさと連れてきてもらいたいのだがな。ん?」
 かすかに眉を寄せたツォンが、静かに答えた。彼女に協力してもらうという形を取れというのが、プレジデントのご命令です。私の一存で誘拐、あるいは脅迫して従わせるわけにはいきません。それは博士もよくご存じのはずでは? と。
「そう、プレジデントの命令だ。つまり君は、プレジデントが『古代種を捕らえよ』と命じたら、それに従うというのだな?」
「命令は命令です。それ以上でも、それ以下でもありません」
「それは結構なことだ。長年彼女を見守ってきた君が、情を移してはいないかと心配になったのでな。ところで、もう一つ聞きたいんだがね。いま君は、命令は命令だと言った。では、捕らえよと命じられた相手が副社長でも、やはり黙って従うのかね」
「私は、プレジデントの命に従います。誰がプレジデントであっても」
 逆に言えば、地位を失えば従うつもりなどないということか。文句の付けようがない忠誠心と見せかけて、辛辣な物言いをする。
 これだから、この男と会話するのは楽しいのだ。これは、頭がいい。
 なるほど、スカーレットも気に入るわけだ。あれは外見にも中身にもこだわる女だからな。男は納得し、これ以上は相手の敵意を増大させるだけだと、さっさと部屋を出ることにする。
「では、プレジデントをせっつくとしよう。邪魔したな」
 背後でホッとした空気が広がるのを感じて、男はほくそ笑む。たまにはこういう刺激が必要なのだ。いつも見慣れた人間ばかり相手にしていると、脳細胞が活性化しなくなっていけない。
 科学部門の実験フロアに戻りつつ男が考えていたのは、今度はどのモンスターを使って新しいキメラを作るか、だった。

 ドクン。ライフストリームと呼ばれるエネルギーが脈動し、噴出した。
 ここミディールでは、ライフストリームの本流が地表に迫っている。ごく稀にだが、いずことも知れぬ地から流されて浜辺に打ち上げられる者がいる。
 地元民は、彼らがライフストリームに呑み込まれ、ここに運ばれたのだと信じていた。
 高濃度の魔晄に長時間曝された人間は記憶を失い、人格崩壊を起こしていた。大抵は自傷行為をくり返した挙げ句に衰弱して死ぬか、自殺してしまう。
 その悲惨さを見ている島の人間は、いくら便利とはいえ危ないのは嫌だと思うのか。魔晄を使おうとはしなかった。
「プレート都市だなんて、あんな宙に浮いたもん。ミッドガルの連中は、よく平気で住んでいられるよ」
 というのが合言葉で、島に診療所が一つしかないのは、水も空気も食べ物もいい証拠だと胸を張るのが常だ。
 そんな彼らの自慢の一つに、温泉がある。地下から湧き出す水はごく微量の魔晄を帯びていたが、温泉は身体にいいものとされていた。実際、様々な病気を抱えた人間達が保養に訪れ、治る者も多いのだ。島の診療所の医師は、それをこんな風に考えていた。星の生命エネルギーは、人にとって無くてはならない物。ちょうどビタミンのような物で、食べ物から摂る分には害にならない。
 しかし、化学的に合成した純粋なそれは、安易に体内に入れれば過剰摂取を引き起こし、健康になるどころか逆に病気の原因にもなりかねない。魔晄も同じだ、と。
「どうも最近、ライフストリーム本流の活動が活発になってきているような気がする」
 看護婦を相手に、診療所の医師がポツリと呟いた。
「いつものじゃありませんか? この時期は、毎年噴出がありますし。そうお気になさらなくとも」
「いや。今年はおかしい。地震が多過ぎる。海面の色が変わるほど、本流が上がってきている。私はここに来て十年になるが、こんなのは初めてだ」
「でも、先生。ライフストリーム本流の活動が活発だったとして、それが一体何に影響を及ぼすと言うんですか。そりゃあ、大きな地震が来られたら困りますけど。他に」
「それが、さっぱりわからない。だから困るんだ」
 いままで手がけてきた魔晄中毒と思われる症例の記録をまとめる作業の手を休め、医師はふう、と大きく伸びをした。看護婦はとまどった声で、不安を訴えた。
「先生におわかりにならない物を、私や他の人がわかるわけありませんよ。もう。意地悪をおっしゃらないで下さいな」
「私は地質学者じゃないし、魔晄の専門家じゃないからね。詳しいことはわからんよ。ただ、何かが起きようとしている。そんな気がしてな」
 学者連中の言うことは、当てにならんのだ。奴らはスポンサーに都合の悪い事実を隠しこそすれ、それを公表して世の中の役に立てようなどとは、これっぱかりも思っとらんのだからな。
 そう、不機嫌そうな声で言う医師に、看護婦は頭を振って部屋を出て行った。先生の心配性にも、付き合いきれませんよ。ぼやいた声が、医師の耳に残響している。
「杞憂ですめば、いいんだが」
 海鳴りが、激しさを増した。

「皮肉なものだな。あいつに長期出張を命じられたお陰で、段取りがしやすくなった」
 窓から海を臨むルーファウスを、秘書のエレインが黙ったまま見つめていた。冷えると思ったら、白いものがチラついている。
 雪だなんて。あの都市では、降ることはないわね。暖かい室内から見る分には、それは美しかったが。暖房が無かったら、たちまち凍えてしまうだろう。
「万一、この計画が失敗したら」
 ルーファウスは、振り向かない。彼がいまどんな顔をしているのか。エレインには、わかりかねた。
「私はいい。問題は、君だ」
 ああ、この方は。エレインは、胸が熱くなる。自分は、部下に過ぎないのに。たまたま、彼の下に配属されただけなのに。それでも、心を込めて仕えた者には、こうして気遣いを見せるのだ。嬉しかった。涙が出そうになるほどに。
「私なら、大丈夫です。そのために、拳銃も用意しました。扱い方も、いまは――心得ています」
「君はそれでいいかもしれない。だが、家族はどうなる?」
 ゆっくりと振り向いたルーファウスは、やれやれといった様子で肩をすくめた。エレインは、思ってもみなかった言葉に戸惑う。
「家族、ですか」
「君に何かあれば、ご両親や妹さんもただではすまない。あの男のやり口は、君もよく知っているはずだが?」
 不思議だが、自分でも失念していたのだ。いま、彼から言われるまで。動揺がまだ収まらないエレインに、ルーファウスは微笑した。
「だから、必ず成功させる。十二月十二日だ。あと少しの辛抱だな」
「あの、このことは、あの方はご存じでいらっしゃいますか?」
「知らせていない。知る必要もない。ただ、知らないとは思えないがな」
 そう。「彼」の職分なら。知らないのは、職務怠慢というものだろう。では、知っていてそれを報告しないというのはどうなのだろう。それは、雇用主への重大な背反ではないのか。
 もっとも、「彼」が考える「主」は、雇用主ではないらしい。その点では、「彼」は「主」に対して見事に忠誠を示していると言えた。
「失敗する気はさらさら無いが、万一の時はスカーレットを頼れ。彼女なら、君を何とかしてやれる力がある」
「わかりました」
 もちろん、そんな必要などないことを祈るばかりだが。これは、自分の望みでもあるのだ。穏便な形での権力移行が叶わないのなら、武力行使もやむを得ない。クーデターなど、空恐ろしいことは嫌いだが。もうルーファウスが泣くところを見るのは、それ以上に嫌だった。
 スカーレットの件も、実際にはどうなるか。わかったものではないと思うのだが。
 そんなことを口に出して、この青年の神経をささくれ立たせることはない。そう、エレインは思うのだ。
「それに先だって、面白い見物がミッドガルで起こるぞ。そう……ちょっとした花火、というところかな」
「まさか。副社長、それは」
「カンがいいな。何、死ぬのは警備兵くらいのものだ。プレート都市そのものには、何の影響も無い。いや、無くはないが、大したことは無いだろう。一時的に、停電になるかもしれないが。まあ、スラムの連中は困るかもな」
「彼らに、便宜を図ってやったのですね……」
 慎ましげに目を伏せたエレインの、睫毛がかすかに震えていた。
「君は、平和主義者だからな。こんなやり方は気に入らないだろうが。蠅は無力だが、頭の上を飛び回られると煩いものだ。アバランチにも、その程度のことは期待していいんじゃないかと思ったのさ。目的は、そう違わないんだしな。私の役に立てるとは、実に光栄だ。奴らには、そのくらいに思って欲しいものだな」
 ふと顔を上げれば、雪はもうやんでいた。しかし、空調の利いた室内にいながら、エレインは底知れぬ寒さに凍えていた。
 ウータイ戦役終結から七年後、神羅がアバランチの協力者を粛正して、ちょうどひと月後のことだった。