2.

 他国との国交がほとんど無いウータイだったが、近隣の島々との交易は行っていた。
 中でも取り分け盛んだったのは、海を隔てた大陸との中継地点に位置するアヴァロン島との交易だった。ウータイは特産の絹を、アヴァロンは大陸からの鉄を始めとした鉱物を、それぞれ取引していたのだ。
 時は流れ、アヴァロン島では島を南北に二分しての内戦が始まった。争いの原因は、よくある民族紛争だった。アイシクル地方から南下してきたアースディース家との戦いに敗れた国々の民の末裔、ウータイとの戦いに敗れたワークワークの民――。
 島の原住民の他に、こうした外からの移民が定住し、人々は出自のことなど関係なく、穏やかに暮らしてきたのだ。
 アヴァロンは海流と季節風のおかげで恵まれた気候の、それは豊かな島だった。南北の境になだらかな丘陵地帯はあったが、島のほとんどは広大な平野だった。黄金色の小麦の穂が見渡す限りどこまでも続き、それが風に揺られてうねる風景が島の人々の原風景だったのだ。
 それがある時、南部で不思議な石が発見されたことから全てが狂い出した。その石は、様々な性質を秘めていた。ある石は怪我人の傷を驚異的な早さで治す力を持っていたし、別の石はそれを身に付ける者の戦闘能力を倍増させた。
 ――天然のマテリア。産出量は少ないものの中には稀な性質を持つ物もあり、そうしたレアマテリアはEE社が高額で買い取ったのである。
 いままで自給自足の暮らしをしてきた島民の間には、貧富の差がほとんど存在していなかった。地主といえども、小作農達を搾取していたわけではなかったのだ。
 しかし、いまやマテリアを産出する土地を所有する者は、EE社からの金で桁外れの富豪に成り上がった。
 富の偏在が、元来民族の対立など存在しなかったこの島の日常を変えてしまったのだ。
 こうして、人々は原住民と移住民とに、富める者と貧しい者とにはっきりと区別された。この状況を見て、アヴァロン島をウータイ侵攻への拠点にしようと目論む神羅製作所の社長は、武器の供与と引き換えに神羅軍の常駐を南部地主層に申し出た。彼らは喜んでこの申し出を受け、ウータイの後押しを受けて必死の抗戦を続けていた北部軍を壊滅させた。
 敗れた側の住民達を待っていた運命は、大地主の荘園での奴隷労働、容姿の優れた者はいずこかへ売られ、あるいは大地主達に囲われる者もあった。そしてこれは極秘にされていたが、神羅の研究部門にサンプルとして送られた者もいる。人体実験の素体にされると知り、泣き喚きながら引き出され、連行されていく仲間を見て収容所の人々はため息をつく。何の利用価値も無い人間と見なされれば、「叛徒」として処刑されるだけなのだ。
 嘆きと絶望とが、人々の心を打ちひしいでいた。
 その中にあって、ただ一人頭を垂れることなく毅然と振る舞う少女がいた。まだ十四歳だが、早くも美貌を輝かせ始めている。抜けるように白い肌と実る小麦の穂を思わせる色の髪、それに青灰色の瞳は少女の祖先がアイシクル地方からの移民であることを示している。この辺りの原住民は、暗色の髪と瞳をしているのが普通だからだ。

「あんたは奴隷にされたりしないよ、ブランシュ」
 少女に向かって、爆撃で娘を失ったという中年の婦人が元気づけようとして言う。
「あんたは綺麗だし、頭もいい。きっと酷い目には遭わないよ」
「おばさん……」
 少女は、何と答えたらよいものかわからない。そんな様子に目を細めて、婦人は少女を抱きしめる。
「ダーナ女神様のお恵みが、あんたの上にあるように。大丈夫、きっと何か道が開けるよ。そう信じて、祈っておいで」
 少女には、いまこうして見知らぬ他人と狭い建物の中で暮らす生活が夢の中の出来事のように感じられる。
「――ブランシュ、これをグラロンさんの所に届けてちょうだい」
 そう言われ、母親に行って来ますとキスをしたのは、つい十日前のこと。小麦畑の中を、麦わら帽子を被って自転車をこいでいる彼女の頭上を、蛾のような飛行機が飛んでいった。それは、少女が初めて見る物だった。
 ――何て禍々しい。背筋がゾクッとした時、飛行機がいま自分が来た方向へ飛んでいったことに気づく。
「まさか……お母さん!?」
 父は、南部軍との戦いで亡くなっていた。兄弟は、いない。少女にとって、肉親と呼べるのは母だけだった。
 来た道を戻る途中、爆音が鳴り響いた。遠目からでも、町が攻撃されているのがわかった。――火の手が上がっている。
 それまで、戦いとは非戦闘員を巻き込まないもの、という暗黙のルールが両軍にはあった。しかし、それは南部軍によって一方的に破棄され――この日、内戦は終結した。
 神羅の強大な軍事力を手に入れた南部軍は北部の住民に対し、征服者として苛烈な態度で臨んだ。マテリアの採掘や荘園での労働力が欲しい大地主層にとって、彼らは大切な「戦利品」だった。こうして、捕虜収容所が作られ、人間の選別が行われることになったのだった。
 爆撃で跡形もない家の前に座り込んで呆然としていたブランシュも、その日の内にそうした収容所の一つに入れられた。最初はただ不安に怯えるブランシュだが、やがて人々の噂話に耳を傾けるようになり、必死で情報収集を始めた。
 ――何としても、ここから出たい。自由の身になりたい。
 まだ十四歳の少女にとって人生とは始まったばかりのもので、何もかもがこれから体験することなのだ。死ねない。死にたくない。
 毎日のように引き出されては帰らぬ仲間を見送る度、少女は明日は我が身かと震えるのだった。
 そんなある日。急に見張りの兵士達の間に、緊張が走った。いまやこの島の実質的な支配者となった神羅製作所の社長が、直々に戦後処理をするために島を訪れる、というのだ。
 二年前に、建設は不可能と言われたプレート都市ミッドガルを、一部とはいえ完成させた人物。無論、それにはEE社との連携が必要だった。魔晄を人工的に冷却・凝縮してマテリアに結晶させるEE社の技術協力無しでは、到底できない大事業だ。
 ブランシュも、ミッドガルが一部建設された時に流れたニュースで、神羅製作所の社長を見たことがあった。神羅ビル完成のお披露目パーティでインタビューされていた青年は、体格のいい身体を窮屈そうに礼服に包んでいた。島の運命を変えたもう一人の人間であるEE社社長と握手をする姿が、報道陣によって一斉に全世界へと流されたからだ。
 二人の陰に隠れるようにして、ひっきりなしにたかれるフラッシュから身を守ろうとするかのように俯く少女がいたことまで覚えている。少女は白いドレスを着て、高笑いする父親とは対照的にまるで処刑場に引き出されたかのような青ざめた顔をしていた。EE社と神羅製作所との結び付きは、やがてこの少女と礼服の青年とが結婚することで確たるものになる――。そう、ニュースは伝えていた。
 まだ十七歳だと紹介されていたあの少女は、何故あんな浮かない顔をしていたのだろう。およそ人の羨む物全てを手にしていながら。――彼女は愛らしく、実は人間ではなくて妖精のお姫様なのだと言われてもああそうなのか、と思えるほどに美しかった。見事な蜂蜜色の髪を柔らかな感じに結い上げ、そのせいで一層細さが強調された首には、真珠のネックレスが幾重にも巻き付けられていた。あれは、彼女にとっては我が身を縛り付ける鎖でしかないのだろうか? 父のもとから逃げ出すことなど、彼女にとっては不可能だ。この世界中、EE社の力の及ばぬ所など存在しない。
 国の運命さえ望むままに変えることができる男を父に持つというのは、彼女には不幸でしかないのかもしれなかった。
 ひどく顔色の悪い少女を気遣ったらしい青年が、後ろから少女に声をかけた瞬間。輝くばかりの笑顔で振り返る少女を見て、少女が婚約者と目されている青年ではなく、あの声をかけた青年を想っているのがわかってしまった。だが、彼女の父と神羅製作所の社長は報道陣にこれからの事業計画を語るのに忙しく、少女の心には全く気づいていなかった。
 それはたまたまニュースの映像に撮られてしまった、ある少女の心の真実だった。
 ミルク色の肌に、深い青の大きな夢見るような瞳をした少女の名は、キーヤ・アースディースといった。

「――この海を越えればウータイか」
 感慨深げに呟く青年の側で、案内役が愛想良く笑う。
 この島から先ウータイまでは、なかなか波が荒いので……距離は近いのですが、時間の方はかかりますなあ。もっとも、神羅製作所が量産を決めた例の飛行機。あれならあっという間ですかな?
 見え透いたお世辞に、青年は何も答えない。この二日間、自分達の立場をいま一つ理解していない大地主達との会談で、さしもの青年も疲労の色が濃かった。
 だが、充実感は味わっていた。数代前にウータイに滅ぼされた小さな隣国のことなど、最早この世界で覚えている者はいないだろう。定住する土地にありつけない亡国の一族が、生きるためにどれほどの苦難を味わわなければならなかったか。
 その国は、武名高いウータイと条約を結んでいた。ウータイ人とは異なり武芸の鍛錬よりは詩歌管弦を好み、絵画や書を嗜み、花鳥風月を愛でては日々を過ごすような、平和で穏やかな住民だった。しかし、氏族の対立に端を発した内乱でウータイの支配者層に変化が起きた。内乱の原因は、人口増加による土地の不足。人口増加の原因は、隣国で新品種の稲が開発されたことだった。従来比で収量が一.二倍、いままでは作付けできなかったような水に乏しい山地でも大丈夫とあって、ウータイの人々は先を争うように農地を開墾したのだ。そして、水利権を巡り武力衝突した氏族の対立が拡大し――遂に内乱という事態にまで発展したのだった。
 内乱は比較的早く終わったものの、勝った側の氏族の長達には重大な難問が残された。つまり、命懸けで戦った配下の武将へ与える報償が、十分に確保できなかったのである。これが外征ならば、奪った土地を与えればいいのだが……。
 元々全ての氏族が血の繋がりのあるウータイでは、敗者の財産を好き勝手に処分するわけにいかない。ここで、隣国に目を付けた者がいる。何も自分達の土地を削る必要もない、すぐ側に素晴らしい所があるではないか? と。
 信義にもとる行為だ。恥を知れ。尚武の国だけあって、そうした声が高かった。
 我々が過去に飢饉で苦しんだ時、隣国は無償で米を、そして種籾をくれたではないか。恩を仇で返すとは、この事ではないのか、と。
 二分した国論を見て、万一の事態に備えて海を越えた大陸に一族の内の若い世代を避難させたのが、数代前の神羅家の当主だったのだ。こうすれば、たとえ国が滅んでも血族が根絶やしになることはない。もちろん、そんな心配が杞憂ですめば良いのだが――。
 その後起きた事態は、彼らが賢明だったことを実証した。何の武力も持たない小さな国は、さしたる抵抗もできない内に征服された。いまでは、そんな国がかつてウータイの隣りに存在したことも、その国の名も忘れ去られている。
 アースディース家は「浮世離れした愚かな国」の意を込めて、その国のかつての領域をワークワークと呼んだ。
 力有る者が、この世界を支配する。ならば、自分達は最強の力を手に入れてみせる。そしていつか、復讐を。
 ――青年の一族には、そんな怨念が流れていた。兵器会社を創設し、代々政略結婚を繰り返し、より高みを目指す内に、人種的な特徴は一族から失われた。青年の一族の出身地では、人々は元来黒い髪と黒い目をしていた。だが、青年は金髪碧眼だ。彼を見て、とっさにその身体を流れる血のルーツがわかる人間はまずいない。彼を祖先の地に結び付けるのは、珍しい響きの名字だけだった。――はずなのだが。
「帰って来た」
 遥か海の彼方へ視線を投げたまま微動だにしない青年に、案内役はかすかなため息をつくのだった。