10.

 荒々しい靴音を立てて険しい表情で歩くツォンに、人々はただならぬ気配を感じて道を開けていく。
 普段の彼なら、足音を立てて歩くような真似は絶対にしない。余程の重大事が起きたのだろうと身構える秘書に、彼は固い声で問う。
「部長にお会いしたい。すぐにだ」
「申し訳ございません。ハイデッカー部長は、今朝ジュノン支社に向かわれました」
「では、あちらに到着次第連絡を取りたい」
「一応承りますが、私も詳細なスケジュールをいただいておりませんので……。申し訳ございません」
「何の用件でジュノンに行かれたのか、私にも君にも一言もないとはな。まあ、いい。すまなかった」
「いえ。お役に立てなくて申し訳ありませんでした、ツォン主任」
 不毛な会話から解放されてホッとした表情を見せる秘書。ツォンは彼女が本当に何も知らないのだと確信した。
 何の手がかりも得られないまま治安維持部門統括室から出てきたツォンに、彼を待ち伏せていたらしいスカーレットが声を掛けてきた。
「どうしたの? そんなに怖い顔しちゃって。あんたがそんな風だと、みんな怯えちゃうじゃないの。戦争でも起きるのか、ってね。――キャハハハハッ!」
「あいにく、あなたの冗談にお付き合いしている時間はありませんので。
 失礼させていただきます、スカーレット統括」
「あら、そう。残念ねぇ」
 足早に立ち去ろうとするツォンに、スカーレットはあくび混じりで言う。
「あんたの無能なボスが、昨日私に会いに来てね。化学兵器の在庫状況を尋ねたわよ」
「何ですって!?」
 青ざめるツォンを見て、スカーレットは今日の彼は自制心に欠けているなと感じていた。からかい甲斐があって、これは面白そうだと。
「あんた達、一体何やらかす気なの? 私は砲弾で吹き飛ばす方が好みだけど。毒ガスには色々あるけど、びらん性のガスにしろ他のにしろ呼吸困難、筋肉の弛緩、嘔吐、発汗その後筋肉が痙攣し呼吸が停止……。ま、あんまりゾッとしない死体の山の出来上がりだわねえ。第一、目、口、皮膚から吸収されるから効果的な防御方法はないわよ?作業に何人駆り出すんだか知らないけど、専用のガススーツが無いとこっちの兵士達も死んじゃうわよねえ。その上ガススーツを着せたら、折角の可愛い坊や達の顔が見られないじゃないの。あんたがスカウトしてきたソルジャーって、なかなか粒揃いよね。そう思わない?」
 けたたましく笑うスカーレットを、ツォンは睨み付けて言った。
「何をご存じなんです、兵器開発部長」
「別に? 多分あんたが考えているのと大差無いと思うわよ」
「ミッドガル市民は、いつから神羅の敵になったのですか」
「ツォン。一つ言わせてもらうわよ。叛徒達はね、『市民』じゃない。あれはミッドガルにたかる寄生虫よ。タークスのボスであるあんたが、まさかウジ虫どもの味方をするとは思わないけど。気をつけるのね。あんたはルーファウスじゃないのよ?何かあっても、あんたを助けられる人間はいないんだから」
 青灰色の瞳は、ひどく真剣な色を湛えていた。ツォンは大きく息を吐き出すと、スカーレットに微笑んだ。
「ご忠告、感謝いたします。では、私はこれで」
 足早に去って行くツォンに、スカーレットは再びからかいの調子を帯びた声で言う。
「あんたに死なれちゃ、私も困るのよねぇ。狭いヘリの中で何時間もムサい男と顔を突き合わせているのは、まっぴらゴメンだわ」
 それを聞いて、ツォンが振り返る。その顔には苦笑が浮かんでいた。
「それにね――」
 姿が消えてから、スカーレットは呟いた。
「あの坊や、あんたがいなかったらどんな事になるか。それを考えるとゾッとするわ」
 私はこれからなのよ、あの坊やの「研修」をするのは。それが済んでからにして欲しいものだわね、あんたの身に何かあるのは。
 我ながら素直ではない理屈付けだと思ったが、あの青年のことは嫌いではない。積極的にそれを認める気は無かったが……。
「プレジデント相手にあんたと坊やがどこまでやれるか。お手並み拝見といこうじゃないの」
 全く、生きるというのは退屈しない――。
 スカーレットはコロコロと上機嫌で笑うのだった。