Diabolos

1.

 仕事が忙しくて普段顔も出さないオヤジが、何の前触れもなくやって来た。
 正直、嬉しくはなかった。金と権力の亡者と化したあいつに見切りをつけるかのように、母は僕の幼い頃に病気で亡くなっていた。
 本当は離婚したかったらしいが、オヤジは母を手放す気など全く無く、母は病気を理由に別居生活を死ぬまで続けた。
 母が亡くなった時、僕はミッドガルに移るのが嫌でたまらず、ここコスタ・デル・ソルの別荘に住むことを主張した。
 意外にも、それはあっさりと許可された。当時ウータイとの間に戦争が始まったせいもあったのか。様々な理由から、僕はあの「腐ったピザ」行きを免れたのだった。
 僕の警護のためと称して、その実は監視の任務を帯びた人間達が次々に送られてきたが、揃いも揃って僕の神経を逆撫でしてくれる。彼らに付き合うのが鬱陶しくて、僕は早々にお帰り願うことにしていた。
 オヤジがわざわざ足を運んできたということは、少々やり過ぎだったということか?
 どうせロクな話ではないのだろう。自分でも仏頂面なのがわかる不機嫌さで、僕はオヤジのもとへと向かったのだった。

「おお、ルーファウス。久しぶりだな。どうだ、調子の方は?」
 これが一年ぶりで会った一人息子にする挨拶か?
「まあまあってとこかな」
 そういう僕も、一年ぶりで会った父親にこれじゃね。お互い様か。
「お前が次々にタークスを帰してくるもんで、なかなか頭が痛かったんだがな。喜べ。自分からお前の世話をしたいという奇特な奴がいたぞ」
「へえ? それは……災難だね」
「ハッハッハ……! そう思うか? なら、今度は少し大人しくするんだな」
 やっぱりその話か。そうじゃないかとは思ったけどね。
 ただ、一つ予期しないことがあった。自分から僕の世話がしたいだって?
 何て酔狂なヤツもいたもんだと呆れる僕の前に、オヤジが連れてきたタークスが姿を現した。
「初めまして、ルーファウス様。タークスのツォンと申します。以後お見知り置きを」
 穏やかに微笑まれて、僕は毒気を抜かれてしまった。差し出された右手を、素直に握り返す。サラサラとしていて、暖かい感触だった。
「……よろしく」
 どうも調子が狂う。こいつは、いままでの奴らとは違う。
 それはわかる。だからと言って、オヤジの前でこいつが気に入ったことを認めるのは、どうにも我慢ならない。
「僕に取り入ればいい事があるんじゃないかだなんて、そんな甘い事考えてるんならオヤジと一緒に帰れ。今ならまだ間に合うぞ?」
「そんなことは思っていません。それに、私はウータイの人間です。本来なら、殺されていても文句の言えない身なのですが。事情がありまして――今は神羅に」
「ウータイ人……」
 言われてみれば、典型的な容姿だった。黒い髪、切れ長の黒い目、象牙色の肌理の細かそうな肌。
 細身で物静かな印象だが、話す言葉に意志の強さを感じさせる声だった。
「こいつには、金がかかっている。あまり酷いことはするなよ」
 僕がツォンを気に入ったらしいのがわかるのか、オヤジは上機嫌で笑い出す。
 それにしても、言うに事欠いてとんでもない事を言い出すもんだ。金がかかっているから大事にしろだって? オヤジの頭の中には、金しかないのか?
「わかったよ。それで? もう用はすんだんだろ?」
 さっさと帰れ、クソオヤジ! お前と話していると、古代の皇帝の話を思い出すよ。この間、歴史の先生が教えてくれたんだ。国民から税金を取る手段をやり尽くした挙げ句、そいつは最後に街の中に公衆トイレを作って使用税を取り立てたんだよな。使わない市民からは使用税より高い不使用税をふっかけてさ? それを諫めようとした息子の鼻先に、そいつは金貨を突き付けてこう言った。「臭うか?」ってね。
 きっと、そいつとオヤジとはいい友達になれるんじゃないかな。もしかしてオヤジ、そいつの生まれ変わりだったりしてな。
「ああ、そうだな。まあ、せっかくだしな。一晩泊まってからミッドガルへ戻ることにしようと思っている」
「ふうん? ――まあ、僕は部屋で大人しくしてるから。好きにして」
 どうせ女でも引き入れて騒ぐんだろう。そんなのに巻き込まれるのはゴメンだ。
「こういう調子だが、大丈夫かね?」
 オヤジがツォンに笑いながら尋ねた。というより、これは確認だった。彼に拒否権は無いのだから。
「お側にいてもよろしいでしょうか、ルーファウス様?」
 オヤジには答えず、ツォンは僕に許しを乞うた。
「――お前の好きにするといい」
 努めて何の感情も無いように作った声で、僕は短くそれだけを言った。
「ありがとうございます」
 ツォンは微笑して頭を下げた。思った通り、彼はいままでの奴らとは違って頭のいい、そして僕の気分を害さないでくれる人間らしい。
 オヤジとの不毛な会話を終えて自室に引き取ろうとする僕に、ツォンは微笑んだまま話しかける。
「もし差し支え無ければ、別荘の中を案内して下さいませんか?」
 断る理由は特に無く、僕はそれを承諾したのだった。

「この部屋だけは、誰にも入らせないことにしてる。お前もだ。僕の許可無く立ち入ったら、タダじゃおかないからな。そのつもりでいろ」
「ここは、もしかして……。ルーファウス様のお母様のお部屋だったところですか?」
 優美な曲線を描く調度品。淡いライラック色の内装が目に優しい、いかにも貴婦人の居室といった風情を湛える人気の無い部屋に案内されて、ツォンはそっとルーファウスの肩に手を置いて尋ねた。
 いつもの彼なら、その手をはねつけていることだろう。ルーファウスは、他人に触れられるのが大嫌いだった。
 だが、ツォンの声に含まれる労りの感情は、上辺だけの物ではなかった。自分に向けられる暖かな感情を何と呼べばいいのか。決して憐憫ではなく、もっと別の。しかし、ルーファウスにはわからなかった。――それは、不快ではなかったのだが。
「お母様は、可哀想な方だった」
 ルーファウスは目を伏せた。日がな一日、窓から外を眺めていた母。
「ルーファウス、ほら。渡り鳥よ」
 アジサシの一種が、春を迎える極地地方に向かって大群をなして飛んで行くのを指し、母は眩しそうに空を見上げて言ったものだ。
 幼い自分にさえ、母が自由を欲していることが痛いほどよくわかった。
「あんな男と結婚したのが、間違いだったんだ」
 血を吐くようにアジサシの話をしたルーファウスに、ツォンは寂しげに微笑んで言う。
「ですが、お二人が結ばれなかったらルーファウス様はこの世にいない。何かの意味があるのでしょう、きっと」
「僕は別に生まれてきたくなんかなかったさ。少なくとも、オヤジの息子にはね!」
「この世で起こる事には、全て意味があるのだと――ある人が教えてくれました。それは、必ずしも私達人間には理解できないかもしれない。それでも、私達は何らかの役割を担っているのだと」
「お母様の不幸も? 僕の嘆きも?」
「私の苦しみもです」
 ハッとして、ルーファウスはツォンの顔をまじまじと見つめた。
 そう言えば、彼は何故タークスに? その事に思い至ったからだ。余程の事情があるのだろうという事は察しがつくのだが。
「――ごめん」
 とっさに何と言えばいいのかわからず、俯いてしまったルーファウスに、ツォンは何故謝るのですか? と静かに尋ねた。
「だって、敵国の人間がタークスにだなんて……僕よりお前の方が辛い思いをいっぱいしてるよ、きっと」
「私があなたに仕えたいと思った理由を、あなたは決してご自分から訊こうとはなさらないでしょう。だから、お教えします。聞いて下さいますか?」
 返事の代わりに、ルーファウスはかすかにうなずいた。それを見て、ツォンはソファに座りませんか? と言った。
 どうやら、長い話らしい。ルーファウスは促されるままにソファに腰を下ろすのだった。

 夜になり、階下からはプレジデントが繰り広げる乱痴気騒ぎが響いてきた。
 ルーファウスはウンザリした様子で眉をひそめ、自室で夕食をとっていた。ツォンも側にいて、ルーファウスが食事をするのを微笑んで眺めている。
 最初は大人しく出される物に口を付けていたルーファウスだが、オードブルが片づけられ、メインの料理になってもツォンがただ微笑んでいるだけなのに耐えられなくなり、遂にナイフとフォークを置いてこう切り出した。
「ところで、お前。いつ食事するつもりなんだ?」
「あなたがお休みになられたら。そう思っていますが」
「僕が寝たらだって? 冗談だろう。あと何時間あると思ってるんだ!」
 呆れた口調のルーファウスに、ツォンは事も無げに答える。
「ですが、今日中には……」
 勘弁してくれ。そんな表情で、ルーファウスは首を振った。
「あのなあ。さっきから思ってるんだけど。僕と一緒に食べればいいんじゃないか?」
「あなたは私の主人なんですよ? どこの世界に主と食卓を共にする使用人がいるんですか。当然の事です。あなたが気になさる必要は、全くありません」
「僕は気にする」
 強い語調でルーファウスは言い返す。
「自分より立場の弱い人間をいたぶる趣味なんて、僕にはないからな。それにだ」
 困ったなという笑いを浮かべて、ルーファウスはツォンを見る。
「食事が不味くなる方法、知ってるか? 一つ、寒くて広い部屋で。二つ、冷たい物を。三つ、ただ一人で。四つ、何の話もせず。五つ、大勢が見守る中で。お前、そんなに僕に消化不良を起こさせたいわけ?」
 これはしてやられた、とツォンは唸る。
 大勢ではないが、自分の他に部屋には給仕をする者や、料理の出来映えにルーファウスが不満を示さないか、ハラハラしている料理長や、明日のスケジュール確認のために執事までいるのだった。
 五つの内、一つだけ該当しても食事はかなり味気ない物になるだろう。まして、まだルーファウスは子供なのだから。
「――食事の間は、お前は僕と対等に振る舞うこと。気が引けるんなら、それが仕事だと思え」
 今更ながらに、ルーファウスの頭の回転の良さに舌を巻くツォンだった。

 僕がベッドにもぐり込むのを見届けて、ツォンはようやく部屋を出て行った。
 律儀なヤツだと思う。結局、あれからずっと僕の側にいたんだよな。オヤジの面倒は見なくていいのか? ってからかったら、私が真っ先に心にかけるべき方はあなたですから、ってしれっとして言うし。
 聞いてるこっちが恥ずかしくなるよ……。でも、それも無理ないのかな?
 僕はあの時、あいつのことなんか目に入ってなかった。ただ、捕虜虐待は国際条約違反じゃないのか? って言っただけで。
 特別誰かを助けたかったわけじゃない。いい子ぶりたかったわけでもない。
 そうだね……強いて言えば、オヤジに反抗してみたかったんだな。オヤジのやり方、オヤジの作り上げた体制、そんなものに。
 それは、実験に使われようとしているマウスを科学者の手から奪い去るのにも似た行為で。その時助けたからって、それは僕の気まぐれでしかない。後々まで面倒見るわけじゃないんだから。
 それでも、マウスにしてみれば……僕は命の恩人ってことになるんだな。
 お前の感謝が、信頼が、僕には少々重いんだ。ねえ、多分お前、僕のこと買い被ってるよ。
「ちょっと苦笑いして肩を軽くすくめて見せる。それは、あなたが身に付けた処世術なのでしょう?」
 ツォンは言う。
「生まれた途端から、あなたは過剰な注目を浴びて育った。ずい分人から妬まれたでしょう? そんな中で、あなたは明るく、屈託なく振る舞うことがもっとも楽に生きられると、いつしか学んだ。深刻にならず、軽やかに。違いますか?」
 そうかもしれない。違うかもしれない。僕はそんなこと、自分では意識したことが無かったから。
「あなたは、見かけと中身がかけ離れていらっしゃいます。あなたはご自分で思われるほど、醒めてはいらっしゃらない。私には、それがわかるのですよ」
 自分にもわからない僕のことが、どうしてお前にわかる? そう言おうとしたら、お前は笑い出した。
「否定なさりたいと思われること自体、私の言う事を裏付ける物です。本当にご自分のことがどうでもよろしければ、冷笑でも微笑でも、お好きなように笑えばいい。ところが、そうやってムキになっていらっしゃるでしょう?」
 そして、あいつは僕の頭を撫でて言ったんだ。「偽悪者ぶっても、駄目ですよ」と……。
 シャクに障る。でも、ちょっと嬉しかった。
 ――違う。とても嬉しかったんだ。お前は僕のことをわかってくれるんだね。
 でも、僕はお前のことを知らない。ツォン、お前……僕に何を見てる? 何を期待してる?
 もう物が考えられないほど、眠い……。お前にも安らかな眠りが訪れているといいんだけど。……お休み。
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